第36話 エピローグ「つぼみ」

 あれから一週間が経過した。犯人の出頭後こそ、学園内でも様々な混乱があったが、それも時間の経過と共に、過去の出来事へと移り変わっていっている。時間とは無責任なものだ。どんな悲劇が起ころうとも、全てを過去形にしてしまうのだから。


 その後、被害者たちがどうなったのかというと、まだ傷が癒えていなかった白石ゆゆは病院に再入院し、喜多川茉莉華が毎日見舞いに行ってくれているという。退院後は、S☆Aセブン・エンジェルズというユニットを作る構想を二人で話しているとのことだ。「七大天使のつもりなら、一人足りないぞ」と舜が茉莉華に尋ねると、「あんたがいるじゃん」と見舞いに行った病室で、彼女たちに身ぐるみを剥がされてしまった。どうやら女装をさせるつもりらしい。舜の未来予想図は、しばらくは冬型の気圧配置になりそうだった。


 一方、生徒会長の山代美里亜は、母親の友里の看病の下、順調にリハビリを重ねているとの話だ。病室では、親子二人で色んな料理やケーキのレシピの本を勉強しているというのだから、お礼のスイーツが楽しみだと舜は密かに期待をしているのだった。他言はしていないが、実は舜は自称スイーツ男子なのである。


 阿孫汐莉に関しては、今回の事件以降、舜の隣に引っつくように、常に側にいてくれている。彼女曰く、悪い虫がつかないように守ってくれているのだそうだ。ありがたいことだと思うが、汐莉だけでなく、話したこともない女子たちが、何故か舜たちと一緒に歩いているのは、未だに理解が出来ない。まるで虫除け換わりにされている気分である。


 一人の直属の部下を失った北野弓那はというと、珍しく三日ほど休暇を取っていたらしい。何処に行っていたのか尋ねると、亡くなった間宮愛の墓参りに初めて行っていたとのことだ。思えば彼女はずっと我慢していたのかもしれない。離婚し、親権を失ったあの日から。彼女は自らが母なのだと、彼女に告げることも出来なくなっていたのだから。彼女の止まっていた時間は、今ようやく動き始めたのかもしれない。


 季節の移り変わりと共に、舜の周りの人々は、今確かに新しい歯車に乗り、動き始めた。しかし、変わらないものもあった。未だに県内での、学生たちによる自殺は後をたたない。止めたはずのつもりが、まだ何も解決していなかったのである。


「終わらないな……まだ終わらない」


 校舎の屋上で、舜は冷たい風を受けながら、忙しそうに行き交う人々を眺めている。その隣には、猫のように目を細めながら、地面に寝そべって、日の光を浴びている三島ひよりがいた。薄ピンクの制服が汚れるのを気にも留めず、彼女は心地良さそうに欠伸をしていた。


「なあ、ひより。僕は今回のことで、本当に人間に興味がなかったんだなって思い知ったよ。二年間も同じ道を通って、みんなと同じ空気を吸っていたのに、僕はみんながどんな気持ちで将来を考え、どんなことに不安を覚えていたのか、何も知らなかったんだ」


「そうですね。でもみんなそうだと思いますよ、天田さん」


「ん、どういうことだ?」


「みんなメディアに印象づけられたモデル的な人生のレールに乗るために、絶えず自分のことに一生懸命で、心の底から周囲のことに目を向ける余裕なんてないのです。でもそうだからこそ、自ら考え、答えを選んでいき、失敗を重ね、大人になっていくのだと私は思います」


「お前らしい言い方だな。だが、その通りだ」


 だからこそ人は成果を求める。だからこそ人は希少なものに思い焦がれる。逆から遡っていけば、何をすべきかは明確なのに、人はいつでも人生の迷子になる。そして今、舜も心の迷い子になっていたのかもしれない。


「ひより、僕の知識ではわからないことがある」


「はい。何もかもがわかっていたら、変態だなって思っていました」


 ――変態か。


 違いないと舜は思った。


「どうして藤堂先生は、僕らにヒントを出したんだろう。あのまま黙ってさえいれば、もしかしたら気づかなかったかもしれないのに」


「誰かに見つけて欲しかったんですよ、天田さん。そして咎められたかったのです。ですから、ゆゆ先輩が、既に目覚めて病院から抜け出していることを、天田さんに匂わせたのだと思います。それが彼に残された最後の良心だったから」


「良心か……でも、加害者が自分の罪を見つけて欲しいと思う時って、どういう心境なのかな」


 舜にはわからない。一度犯した罪を重ねることは理解出来ても、それを告白することにメリットがあるとは思えなかったからだ。


「寂しかったのだと思いますよ? 人は孤独な生き物です。きっと誰かに話を聞いて共感して欲しかったのです」


 寂しくて、誰かに共感して欲しかった。そうだとしたら、あの日の彼女の行動はどう説明したら良いのだろう。舜の中で大きくなっていたモヤモヤ。聞かなければ幸せだと思いながらも、舜は口にしてしまうのだった。


「なあ、ひより。?」


 一瞬の間。ひよりはひよりの、舜には舜の考えがあるということだろう。あの日の夜、舜が茉莉華に何をされたのかは、彼女以外の誰にもわからないのだ。


「次の日に死ぬことを決めていた女の子が、何をするのかなんて私にはわかりません。それに彼女にとって、死よりも大切な何かが、あの日のあの場所にあったのだと私は思うのですよ、天田さん」


 それが何だったのか。舜が意識を失った理由は一体何だったのか。本当の意味での、この事件の闇は深いと舜は考えるのだった。


 ――そう、まだ茉莉華を完全には救えてはいないのだ。


「なあ、ひより。どうして自殺は止まらないんだ?」


 自問するかのように言葉を呟く舜。ひよりは起き上がり、制服の裾をはたいていた。


「元凶を正さなければ、一度出来た流れは断ち切れないのですよ、天田さん」


 ――元凶。


「学園の理事長か。そしてそれにハイエナのように群がる権力者。だが、そいつらを正すには、僕らはまだまだ遠いな」


 一学生の身分では、遥か遠く、きっと何の力も及ばない。でも、いつか必ず、彼らを追い詰めてやると舜は誓うのだった。


「えへへ、じゃあ宿題ですね、天田さん。ですから、三人での放課後の見回りパトロールは、まだまだこれからも辞められませんね?」


「ああ、そうだな」


「そして今日は私が当番なのです」


 彼女の純粋で嬉しそうな笑みが、心の汚れた舜にはたまらなく眩しかった。


「最後にもう一つだけいいか?」


「はいです、天田さん」


「ひより、どうして、お前が事件を解決をしなかった?」


 彼女には見えていたはずだ。事件の全容も何をしなければならなかったのかも。


「私には出来なかったのです。人の心に踏み込むことが、どうやら苦手なのです」


 ――ああ。


「だから僕にさせたんだな?」


「普通の人なら何も出来ずに終わっていた。でも、天田さんは、それだけのことです」


 答えは一つしかなかった。でも、そこに辿り着くために、舜は出会った大切な仲間たちを傷つけさせてしまった。でも、それでも彼女たちを守り通せたことが、舜は少しだけ誇らしかった。


「でも、気づかないこともあるみたいですね。あなたも私も」


「ん? 何がだ?」


 ひよりは上目遣いで舜の瞳をじっと見つめる。まるで舜の反応を楽しむかのように、ニヤニヤと笑みを浮かべている。


「ふふふ。


「誰の言葉だ?」


 何処かで聞き覚えがありそうで、舜の記憶にはないものだった。


HIYORIヒヨリ MISHIMAミシマ


「やっぱり、お前も変態だな」


「えへへへ。気づいちゃいました?」


 人はどれだけ他人のことを知っているのだろう。どれだけ他人の気持ちや行動に気づいてあげられるのだろう。例えば青い空。川のせせらぎ。潮の満ち引き。誰かの息づかい。高まる鼓動。揺れる瞳。燃える心。張り裂けそうな想い。


 それらは秘められた蕾のように、咲かなければそもそも花だとわからないかもしれない。でも、それでもその蕾に気づくことが出来れば、人は他人を理解するのかもしれないなと天田舜は思うのだった。


 It’s a secret blossom.




  シークレット・ブロッサム  (了)

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