038.「反転攻勢」

 ようやく確立した通信に胸をなで下ろしたものの、こちらの状況は割と深刻だった。

 盾にした左腕は中破状態、砲撃不能な上に駆動部アクチュエータの電圧も安定せず、つまり肘がぐにゃぐにゃだ。これまで、緊急回避には急加速と腕を軸にしての旋回を多用してきただけに、それが右腕だけになるのは痛い。

 さらに機体各所の位相差を用いて距離・方向を判別する音響・振動センサーなんかは、外装破損の巻き添えを食らって半数以上が死んでいるし、それこそ外装自体の傷なんて数え切れないほどにある。引っ切りなしに警告アラートが流れ、機体からの不平不満は異常箇所通知の記録ログとして垂れ流される。


「我慢しろ……!」


 と言ったところで、機械である以上は根性論など通用しない。右回りばかりの挙動で、回避を続ける。ブースターの加速に追い付かない足が、がりがりと床を擦過する。背後を質量弾が貫き、皮膚が泡立つ感覚。秒に秒を繋ぐ綱渡り。


『ユート……! 何故、何を……どうして、あなたが、何故生きて……』


 背後からは、似つかわしくない程に冷静さを欠いた声。そりゃ、目の前で死んだはずのやつが現れたと思ったら大ピンチ継続中ではそうもなるだろう。


「悪いけど混乱するのは後だ、後! 材料が欲しい、ケランビシデそいつの情報をありったけ教えてくれ!」

『と、突然そんなことを言われても……』

「何でもいい、武装とか演算器群ハニカムクラスタの位置情報とか全長とか重量とかスリーサイズとか!」

『混乱しているのはどちらですか、一体なんなのですかあなたは! 死んだと思っていたら突然姿を見せて、かと思えばそんな無茶を……! どれだけ、私が……どんな想いでいたか……!』


 捲し立てる声が、徐々に湿り気を帯びる。

 まったく不甲斐ない。泣かせるためにここまで来たわけじゃないのに。


「悪い、心配かけた。とりあえず見ての通りだ、ちゃんと生きてる!」

『心配なんて言葉では足りません……』

「それについては面目次第も無い!」

『謝って欲しいわけでも……!』


 話す間も攻撃の手は緩まない。叩き付けられる触手をバックステップで回避、加速しての離脱。何度も繰り返したパターン、しかし噴射剤の残量もそろそろ心許なくなっている。

 Semi-Belligerency形態Formになり機体スペックが向上したところで、脚力任せの移動速度はたかが知れている。頼みの綱がブースターであることには変わりは無いし、それが尽きれば詰みが確定だ。

 何より、ここで何か手を打たなければ先もない。エミィを連れ出すためにも、ここから生きて帰るためにも。


「いい加減に……!」


 距離が稼げたことを確認し、砲撃モードを立ち上げつつ反転する。


『ユート、何を!』


 窘めるようなエミィの声。けれど、これはやけっぱちでもなければ、これまでのような牽制でもない。考え無しでは回避されてしまうことは身にしみている。その際の挙動も頭に入った。


「こっ……の!」


 第一射、当然の如く避けられた。隠しようのない強烈な前駆磁界を検知される。電磁加速式質量砲リニアコイルカノンの仕様上、それは対処できるものでもない。

 だから次だ。あれだけの巨体が、予測済みとはいえ射線から逃れるには、質量に抗うために相当な運動エネルギーを要する。結果として、足が死ぬ。

 第二射。跳躍の着地点に予測していた地点を目がけて放つ。

 が、驚くべきことにこれすらもケランビシデやつは対処してみせた。着地の衝撃で折り畳まれていた六本脚を反対方向に伸張し、慣性を復活させて横滑りするような挙動。わずかな、一メートルにも満たない距離を隔てて、砲弾が中空を貫く。


 けど、まだだ。


 ここまでが織り込み済み。二発目が避けられても即座に次が撃てるよう、一発目と二発目の電力消費は半分に抑えてある。射撃する端から増圧蓄電器ブーストキャパシタにはハニカムからの電力が注がれていく。全力を取り戻すには至らないけど、今なら八割出力の射撃が可能だ。

 後の後の先だ。読み勝った。そう思った。

 

「当たれっ!」


 いつもより気持ち軽めに聞こえる、それでも盛大な衝撃波音ソニックブームとともに砲弾が放たれた。

 狙いは二度目の回避で延びきった、前肢の一本。それだけでも奪えれば、打開策も見えてくる。


 そんな希望を乗せて、着弾の快音が響き渡り。

 しかし、音の派手さとは裏腹に。


「これだけやっても、ダメなのかよ……」


 呆然とした声が、知らず洩れる。

 着弾点が拡大ズームされる。さすがに無傷ではない、ただ与えた被害は予想を遙かに下回る。最も脆弱であるはずの関節を狙ったというのに、どれほど頑丈なのか、そこには円形の衝突痕があるだけ。恐らく動作には何の支障も無いだろう。

 せめてもう少し電力が貯まるのを待って、威力を完全にするべきだったか。もしくは、時間のロスも承知で空間仮設式延長砲身STEBの展開を行っていれば。

 けれど、タイミングとしてはあれがベストだった。少しでも遅れていれば、命中していたかすら怪しい。相性の問題だ。こちらは威力に期待できる武装が尽く遠隔戦向きでかつ準備動作が必要なのに対して、俊敏に遠近ともに対応されてしまっては始末が悪い。


『回避を!』


 悲鳴染みた言葉が届く。

 何に対してか明白だった。お返しとばかりに、ケランビシデの鉄色の背面装甲が割れ、その隙間にぎらりと紫電が走る。

 対してこちらは、砲撃までの残り少ない時間では有効な回避行動を取ることが出来ない。左腕は死んでいるし、右腕の砲口を解除するには今少しの時間が掛かる。脚だけを動かしたところで、すぐに補足されることは目に見えている。ブースターで前進しても、それは積極的に当たりに行くことにしかならない。

 それは向こうも理解しているのだろう、時間を掛けてやり過ぎなまでに極限まで圧縮された電圧が、行き場をなくして空中放電される様子までが見て取れる。考えるまでも無く分かる、こんなものを真っ正面から食らっては、ただでは済まない。


「参ったな……、手も足も出ない」


 冷や汗が、顎を伝って落ちる。

 二重化構造体フォルトトレランスは不死身じゃない。極論を言ってしまえば、俺の命はアンダイナスと一蓮托生だ。まとめて破壊されれば、当然死ぬ。

 悔いも未練も大いにある。何も成し遂げていない。自分一人で全てを片付けると豪語した。それが慢心と言ってしまえば、それまでだけれども。

 正面、射撃の反動に備えるためか、ケランビシデの姿勢が変化するのが見て取れる。


 ――これまでか。


 果たしてそれが、莫大な電力を運動エネルギーに転嫁した質量弾が、放たれた。

 音は無い、超音速の移動体は後から音が付いて来る。本当なら見えるはずも無い、常識外れの速度の砲弾が、ヴェイパートレイルの尾を引く様すら見えた気がした。

 これまでに何度も、撃つ側から見てきた光景だ。直撃を食らえば砲弾が持つ質量と運動エネルギーが大穴を穿ち、ヤワな造りなら同時に機体が衝撃波で破砕される。辛うじて原型が残っていたとしても、中身おれの方は無事なわけがない。機体内部に衝撃波が荒れ狂い、身体はずたぼろに引き裂かれる。そんな僅かな未来さえ幻視し、そして。


 ◆◆◆


 音が届く。


 まず聞こえたのは、火薬が爆ぜるような破裂音だった。同時、機体全体を縦方向に揺らすような衝撃。それから一秒も間を空けずに、遙か後方で距離を感じさせる反響と共に、音だけでびりびりと振動が伝わる盛大な衝突音。ぞっとするほどの、獣の咆哮にも似た大音声。

 だが、それだけだった。

 身体には痛みどころか傷一つ無く、さらにはアンダイナスにも何ら変わった様子は無い。

 無意識のうちに、頭を庇うようにしていた腕の隙間から見える光景にも、何ら変わったところは無いように思える。


「……生きてる?」


 確信を持てずに呟いた言葉も、どうやら事実らしい。

 一体どんな奇跡だ。砲撃の瞬間は、間違い無くこの目で見た。あれを受けて五体満足でいられるほど、アンダイナスが頑丈だとは思えない。

 そんな疑問に、周辺監視アルゴリズムが警戒報告レポートとして答えを寄越す。俺が死を覚悟していた最中も、こいつはせっせと各種センサーからの情報を収集し、状況を愚直に検証し続けていたらしい。

 それによれば、質量弾は推定速度マッハ十で飛翔し、アンダイナスの頭上五メートルほどの位置を通過していた。

 有り得ない話だ。ケランビシデこいつの射撃の正確さは、撃たれる側だったから存分に理解している。正確すぎる・・・・・からこそ、アンダイナスの挙動予測まで駆使して辛くも回避し続けることが可能だった。

 それを外させるなどという芸当が可能な者がいるとしたら。


「エミィ、か?」


 問いかけるも、返事はない。

 いや。ほんの微かに、逡巡するような、何を言えばいいのか決めあぐねているような、そんな迷いのある息づかいが聞こえ、その直後には盛大な溜息すら届く。


「え、えーと……」

『あなたという人は……、一体何を、考えているのですか……!』


 ばつが悪くなって思わず発した声に、被せるようにエミィが言う。

 言うまでもないけど、随分とおかんむりなご様子である。


「……怒ってる?」

『当たり前です! 単機でクラス4に挑むなど、なんて無茶を……。一歩間違えれば、いえ、私が咄嗟に介入していなければ、死んでいたところです!』


 こうまで声を荒げるエミィは、本当に珍しい。というか初めて見たと思う。

 ともあれ、お怒りはもっともだ。単身戦いを挑んでおきながら勝手に死にかけて、その上助けるはずのエミィに逆に助けられて。我ながら情けない。

 そう思いはするけど、同時に顔がにやけるのが分かる。

 何故なら。


「ごめん。それに、ありがとう、心配してくれて」

『本当に、世話が焼けます』

「うん。やっぱ、エミィがいないとダメだな、俺」

『その言い方は卑怯です……』

「卑怯?」

『……。いえ、何でも。そんなことよりユート。何のためにここに? まさか、私を助けるつもりなどと言い出したりは……』

「いや……そのまさか、なんだけど、うん」


 深く長い溜息が聞こえた。


「いや待った、別に何も無策で飛び込んだわけじゃ無いからな。サダトキさんやキャスにも協力して貰ったし」

『そうして準備万端整えたつもりが、結果は手も足も出ずに防戦一辺倒ですか』

「う……。仕方ないだろ、まさかバグが飛び道具まで使ってくるなんて予想外だったし」

『ええ、その通りです。この個体ケランビシデは、クラス4として、いえ、バグ全体として考えても尋常ではありません。……そんなものを相手に、手加減して戦い私をサルベージする余地を残すなど、不可能に近いということは分かりますね?』


 それは、言われなくても分かっている。

 正直に言えば、クラス4と言ったところで結局は大きくなっただけだ、と半ば慢心していたのも事実だ。クラス3と4との間は明らかな隔たりがあるという知識は持ち合わせていたけど、これまで単機で複数のクラス3を相手に圧倒できていたのだから、最悪でもいい勝負になると思っていた。実際、近接戦闘だけに戦術を絞れば、付け入る隙も勝ち目も無いわけじゃない。

 それが遠距離戦にまで対応し、その上威力はアンダイナスの主砲並。さらには図体に見合わない機動力まで備えているとなると、全く話は違ってくる。


「だったら、どうしろって? 逃げ切れる保証なんてないだろ。大体ここで逃げても、表の連中FSTOが目の色変えて殺到してくるんだぞ」


 それこそ、最悪の展開だ。

 付近一帯を襲ったリムの異常動作の後、彼らがどうなったかは分からない。けれど、陣営内にキャスやリーナスがいれば、何らかの手段で沈静化した可能性は高い。

 彼らは本職の軍隊プロだ。クラス4の相手取り方も心得た物だろうし、損害を気にしなければ、ケランビシデの討伐も果たされることだろう。

 また、彼らは決して一枚岩ではない。大義名分はどうあれ、討伐が果たされたその時に論理破壊兵器エミィがどう扱われるのか。また、獲得した資源を解析されてしまえば技術の一端が解析され、拡散されることすら有り得る。

 考えたくもない。ろくなことにはならないことは、断言できる。だからこそ、サダトキはそれを理由にこの依頼オーダーを出したのだから。


『分かっています。その上で、今なら確実に懸念を解消する手段もあります』

「……そんなのが有るなら乗りたいとこだけどさ。正直、もう賭けにでも出ないと手も足も出ないんじゃ」

『いいえ、ユート。あなたに与えられた役割は、この個体ケランビシデの破壊のはずです。私自身については達成条件に含まれていない。違いますか』


 内心で、舌打ちしてしまう。

 エミィの言っていることは八割方正解だ。非情と言われようが、イサ家とトキハマの立場を考えればどうしても、優先順位はそうなる。

 知られてしまうことは、避けるべきだった。特に、こんな敗色濃厚な状況では。


「……ダメだ。出来るわけ無いだろ」

『何故ですか』

「わかれよ……! 意味が無いんだよ、そんなことしたら! 言っただろ、俺とお前は一蓮托生だ、って! お前も、人間に戻りたいって!」


 何もかもを諦観したような声のエミィに、腹立たしいほどの察しの良さに、声が荒れる。

 二人の旅の始まりの時だ。あの夕闇に沈んだ中で、俺はエミィとそう誓ったはずだ。

 もう一つの約束は、俺が戻るべき場所は、無くなってしまったけど。


「約束しただろ、まだ何も出来てないだろ……!」

『憶えてくれて……いたのですね』

「当たり前だろ……! 忘れるわけないだろ、何のためにここまで!」

『……ありがとう、ユート。でも今となっては、その約束は無効です』

「何でだよ!」


 そしてエミィは。


『私は、人の形を保つことなど到底許されない、紛い物ですから』


 事態の根底にあった、最もおぞましく、最も抗い難く。

 そしてどうしようもない真実を口にした。


 ◆◆◆


 紛い物。

 その単語から想起したのは、半月ほど前に聞いたキャスティの台詞だ。

 最初から騙されていた。なるほど、それは確かに、完膚なきまでに正しかったらしい。


『人間に戻るも何も、本来の人間として生きる私は、別に存在します。電脳人バイナルですらない、自己同一性アイデンティティも脆弱な、ただの複製体デッドコピーです』


 姿の見えない何者かが、眼前で微動だにしない鉄色の巨体を透かして、嗤ったような気がした。

 何から何まで徹底している。つまり、最初から報酬も成果も与える気なんて無かったってことだ。騙されていたのは、俺だけじゃ無くて、エミィも同じだった。空手形だけを掴まされて、空回りばかりする俺達を見るのは、さぞ愉快なことだっただろう。その性根に吐き気がする。


『自分でも分かるのです、自己の存在強度の低下が。いつか、それもごく近いうちに、この姿すら保てなくなることが。ですから』


 その結果がこれだとしたら、あまりにもむごい。

 これからエミィが言うことなんて、容易に想像がつく。事ここに至って、彼女に与えられた選択肢なんて残されちゃいない。であればそれは、


『ですから、今のうちに……私が動きを封じているうちに、私ごと破壊を』


 最低で、最悪の提案だ。

 喘ぐように、口が動く。それなのに、言葉は出ない。出て行かない。

 そんな有様なのに反して、頭の芯は随分と落ち着いたものだ。荒振ることもなく、ただただ平坦に、告げられた事実を受け止める。


『機会は一度きりです。二カ所に分散した演算器軍ハニカムクラスタの同時撃破。生き残る術は、それしかありません』


 視界に一つ、外部からのバイナリデータ着信を示すウィンドウが灯る。

 高圧縮データパッケージ。中身なんて見たくも無い、なのにアンダイナスは勝手に汚染検査スクリーニングを行い、その中身を開陳する。

 ケランビシデの演算器群じゃくてん。それはエミィの命と同義だ。ほんの数分前までは、喉から手が出るほどに欲していたものが、今は諸悪の根源にすら思えてくる。


『もしもまだ、ユートが私の身を案じてくれているのだとしたら……それは、無用な気遣いです。どうしようもない偽物のために、ユートが危険を犯す必要なんてありません。何より』


 客観的な目で見れば、何ら感情の入る余地の無い足し算引き算で考えれば、それは正しいのだろう。

 このまま何もせずにいれば、俺の命は無い。そして後に引き起こされるものは、ケランビシデが地上うえの混成軍を相手取った血みどろの争奪戦だ。

 帳消しにするための代価は、人とすら扱われない存在、それだけ。

 反吐が出るほどに、単純明快な理屈だ。

 だからこそ、気に食わない。

 エミィこいつにそんな決断をさせる全てが。

 止めるための力を持たない俺自身が。

 そして、何より。


『――他の誰の手に掛かるよりも、あなたの手で、私は死にたい』


 やっと分かった。

 俺は冷静だったわけじゃない。

 限界にまで、怒りが達していただけだ。行き場の無いそれが、内圧が極限にまで達して、振幅の余地すら無くしていただけだ。


「……ふざけんなよ、エミィ」


 驚くほどに容易く、呆気なく、それは口からこぼれ落ちた。

 それが皮切りだ。もう、押さえ込む必要なんてない。堪りに堪りかねたそれは、歯止めがきくことなど無い。

 もういい。もうキレた。黙って聞いてれば勝手なことばかり言いやがって。


「人を馬鹿にするのも大概にしろ。そんな言葉で理論武装して、俺が言う通りにするとでも思ったのか。簡単に見限るとでも思ったのか」


 ――実行Execute近接戦闘In-Fight行動規範Algorithm装填Loaded

 ――実行Execute蒸気Steamー間欠Pulse噴射器Thruster稼働Started


 意を汲んだかのように、アンダイナスが臨戦態勢に入る。

 衝動のままに、両足のペダルを踏み締める。自棄糞のように注ぎ込まれる推進剤、弾かれたように飛び出す。

 何もかも気に食わない。何もかも許せない。

 その中でも、特に許せないもの、それは。


「俺が! そんなことで……、そんなもので! エミィを見殺しになんか、するわけないだろ! そのうち消える? だから今死んでも同じだって言うのか、そんなわけないだろ! お前をそんなところに置き去りにしたまま死なせることが、同じであってたまるか!」


 許せないのは、全てを諦めきった言葉だ。

 ここまで大きな存在になっておきながら、容易く断ち切ろうとする、間違い切った覚悟だ。

 そして、俺のことを足し算引き算で割り切れるような、薄情者だと思っていることだ。


『やめてください……。私に、私に……。こんな偽物に、そんな資格なんて……』

「偽物なんかじゃ無い!」


 激戦の果てに残った、なけなしの推進剤も間も無く底を突く。

 代わりに得たものは、数十トンの機体に上乗せられた運動エネルギー。僅かでも損失してなるものかと、巨腕には不釣り合いな脚が疾駆する。


「そんな言葉で否定なんかするな……! 今ここに居る俺まで否定するなよ! 今までを否定するなよッ!」


 視界の先にある、鉄色の巨体が見る間に視界を埋める。

 扁平な姿勢にありながら、なお見上げるほどの、呆れるほどの巨躯。改めて、こんなものを相手取ること自体の無謀を悟りかけ、しかし振り払う。

 勝算、後先、すべて知ったことか。

 覚悟を決め、それに呼応したかのように視界に変化が起きた。

 これまで微動だにせずいた巨影が、動く。


『そんな……、ユート!』


 動きを封じたと、そう言った本人であるエミィが、愕然とした声を出す。

 振り上げられた触手は、見間違いでも何でも無い。縦方向の攻撃の狙いは当然アンダイナスこちら

 なるほど、徹底したことだ。つまりエミィは、この期に及んでまで欺かれ続けていた。大体、あんな土壇場で運良く動きを封じるなんて、どう考えてもおかしい。そう思い込まされていただけに過ぎない、そういうことなんだろう。

 右腕は既に攻撃の準備動作に入っている。何より上体を持ち上げているから、再び転回動作に入る時間も作れない。狙い澄ましたタイミングだ。これまで行ってきた回避動作が通用しない、大振りの攻撃に移るその瞬間を狙って確実に仕留めようという、機械ではなく意志ある誰かの作為を感じる。


 ナメくさってる。馬鹿にしてる。そう易々と、思い通りにさせてたまるか。


 入力したのは、両脚を揃えての跳躍。当然、それだけで避けられるなんて思っちゃいない。頼みの綱はがら空きになっていた左腕、肘関節はぐにゃぐにゃで超電磁コイルの一つも死んでいるそれを、強引に砲撃形態に移行シフトする。


芸が無いワンパターンなんだよッ……!」


 叫ぶとともに、砲撃。通常出力の半分以下しか速度が乗っていない、それでも超音速に達した一二〇ミリ質量弾が放たれ、反動が宙に浮いたアンダイナスにもろに襲いかかる。

 そうまでして捻出した数メートルの先を、触手が擦過する。咄嗟に引っ込めた左腕の先端、マニュピレータの数本が死んだと警告アラート

 よくやったと、褒めてやりたい。お陰で、次に繋がる。


 綱渡りのような応酬を繰り広げる間も、彼我の距離は縮まり続ける。目標は、これまで執拗な攻撃に近付けもしなかった、半径五メートル以内の超至近距離だ。頭上から振り下ろされる、鈍器染みた太さの触手は見た目そのまま、鞭のそれに近い。であれば死角はその基点。

 間近に迫る、全身と比べればずいぶんと小さく、それでもアンダイナスにとっては抱えるほどもあるでかい凶相ツラ、その上部から突き出た基部を目がけ、アンダイナスが疾駆する。

 その狙いに気付いたのか、ケランビシデもまた動く。これまで見たことも無い、脅威を悟ったような行動。限界近くまで畳まれた前肢の様子から、バックステップによる離脱を試みていることが分かる。

 だめだ、それを許したら、折角拾いかけた勝ち目も無くなる。残りたったの数メートルが、無限に近い距離のように感じる。咄嗟に、空になった増槽プロペラント廃棄パージ。ほんの僅かにそれが縮まり、しかしまだ足りない。あと少しで――。


 その時、奇跡のようなことが起きた。

 耳に届いたのは、幾重にも絡み合った構造体が破断する、重奏した金属音。

 ケランビシデの左前肢だった。砲撃が命中し、けれど効果無しと思っていた関節部が、数百トンもの荷重を掛けられたそれが、応力の限界に達したか半ば分解するように弾け飛んだ。

 結果、健在な右前肢だけが床面を突っ張り、ケランビシデはその場に留まったまま、後ろ半身を引き摺るような旋回をする。

 無様を晒し、藻掻くように体勢を立て直しに掛かるケランビシデが、出鱈目に触手を振り回した。

 しかし、もう遅い。重量が乗ったそれが脅威となる距離は、既に過ぎ去っている。


 恐れるな。踏み込め。


 ――実行Execute高収束Burst 光条Laser 太刀Blade拘束解除Unlocked

 ――電圧Voltage最大負荷Maximum


 報告アナウンスと共に、背部にマウントされていた細長い増設ユニットの背が、互い違いに割れて開く。隙間から漏れ出る莫大な光量が、反射で正面を向いたこちらの目にまで飛び込んできた。

 これこそが今回の秘密兵器。予期していなかった遠距離攻撃に見舞われたことで、これまで使いどころもなく所在なげにしていた切り札。

 背に沿ってマウントされていたそれが、右の肩口に迫り出る。移動を脚部に任せ無手のままだった右腕が回され、柄を握り締める。


「――抜刀!」


 カートリッジから抜き放たれるそれは、片刃に眩い光条を纏わせた、アンダイナスの体高半分ほどにも及ぶ刃渡りの太刀だ。狒角ヒカク猩角ショウカクと時を同じくして設計され、結局は使い勝手の問題から計画だけで仕舞い込まれていたはずのもの。ゲンイチロウが面白半分に、しかし技術だけは持てる全てを注ぎ込み、ソウテツが鍛え上げた、アンダイナスの為の真打ち。


 高収束光条太刀、銘を斉天角セイテンカク。それが、鞘走りの軌道のままに振り抜かれる。


 轟、とおよそ刃物のものとは思えない音が鳴る。正体は、カートリッジに収められる間に溜め込まれた大電流からなる、金属すらも瞬時に溶断せしめる威力の収束光レーザー。刀身に隙間なく並べられた発振器から出力され、触れる端から励起し金属プラズマと化して小規模な爆発を連鎖させた結果、爆風のような音が響く。

 太さにして一メートルはくだらないそれを断ち切るために要した時間は、十分の一秒にも満たない。降り下ろしの最中に根元を絶たれたそれが、応力を受け止める元を失い、慣性のままにすっぽ抜けるようにしてあらぬ方向へと飛び、切断面には膨大な熱量の余波が陽炎を生む。

 勢いは止まらない。易々と触角の基部を溶断せしめたその軌跡のままに、ケランビシデの側頭部へと刃が沈む。その一瞬だけ、ずぶりという感触を残し、袈裟切りに深く、頭部の中央付近にまで届く金属のクレバスを形作る。刀の軌跡には、圧倒的熱量で溶かし大きく拡げられた隙間が走り、その奥には演算器群ハニカムクラスタが不規則に明滅する様子すら窺えた。

 切断には至っていない、けれどこれで充分だった。望んだ成果を得られたことを確信し、その時機体全体に横方向の、滑るような衝撃が遅う。

 元々肥大した上半身によって不安定な二足を、無理矢理這いつくばらせて歩かせているのだ。強引な制御により片腕だけで長刀を振り回すなんて真似をして、姿勢を崩さないはずもない。ここまで使いどころ無く温存した理由もそれだ、威力の代わりに毎回姿勢を崩すような武器、初見殺しの一発芸にしかならない。

 傾いだ上半身を支えるために、左脚が限界まで縮む。すっ転ぶわけにはいかない。まだ前座を始末しただけだ、本番はここから。


「堪えろッ……!」


 果たして、傾き続けた機体が止まる。

 付け入る隙は、前肢の破損により崩れた体勢が立て直されるまでの、おそらくは数秒間。猶予はもういくらもない。

 これまで役立たずのように扱われてきた左腕が、高出力レーザーの残熱で未だ鈍く光る裂け目に伸ばされる。金属同士がこすれ合う、脳が引っかかれたかのような不快な音を立てながら、巨大な腕と掌がさらに巨大な頭部の中をまさぐる。

 それを察知したのだろうか、痙攣に近い動きでケランビシデが頭部を振る。既に半ば以上まで腕を突き刺したことで、振り払われることはない、けれど天地がひっくり返る類の振動がこちらの身を襲う。

 忌々しい。こんな時に限って生物みたいに振る舞いやがって。


「少しは機械らしく、しろッ……!」


 斉天角セイテンカクを握ったままの右手で、暴れる頭部を抱え込むようにして押さえ付け、両腕のアクチュエーターを全開にし、左腕がより深く突き込まれ、


 ――確認Confirm物理Physical接触Contact

 ――実行Execute強制Forced接続Connect


 その時が来た。


「待ってろ……! 今すぐそこから引きずり出してやる!」


 ――実行Execute電脳体Binar-Body転送Transporat


 脳髄の奥へ、意識という意識、感覚という感覚が根こそぎで吸い込まれるような錯覚。名状しがたい。足下どころか自己すら不確かだ。

 こんな使い方をするなんて、プログラムを用意したキャスティも予期していなかったに違いない。本来これは、エミィをアンダイナスに強制転送するためのものだ。それを、二重化構造体フォルトトレランスの電脳体に移行スイッチした上で俺自身の転送に使うだなんて。

 酩酊、浮遊、薄弱、それらが綯い交ぜに襲う体と意識が、何か拠り所を求めて手を彷徨わせる。わずかな時間の後に握られたのは、操縦席コントロールシート脇に固定された、ゲンイチロウの忘れ形見。


 ――誰も、恨むなよ。


 今、やっとその意味がわかったよ。

 俺は、誰も恨まない、誰のせいにもしない。

 自分の頭で決めて、自分の手で掴み取る。

 なるほど、それなら俺の名も……偽物の世界で偽物の親に付けられた名前も、気が利いている。その点は感謝しよう。

 偽物だろうが、本物に、本当にすればいい。そのために。


 たたかえ、勇ましく。

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蟲狩りのアンダイナス 荒川ハギ @kawahagi55

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