025.「恩人再訪」
古めかしい石造りの街角を、刺すような冷たさの風が通り抜けた。街路樹にしがみついた枯れ葉が堪らずがさがさと音を立て揺らされ、幾つかは吹き飛ばされて宙に舞う。
寒気に負けじと防寒装備に身を固める人たちも、さすがに急な空っ風には顔をしかめ、襟元をかき集めて首元を守ったり、また肩をすくめて足早に歩いたりしている。まだ夏の欠片が取り残されたように温暖だったトキハマや、それより南側の土地に比べ、内陸のここは随分と冬が訪れるのが早いらしい。
ファーで飾られたモッズコートのフードをすっぽりと被っていても、隙間からは容赦なく冷気が侵入し、首元からぞくぞくとした震えが襲ってくる。周りの人と同じく足早に、買ったばかりで湯気の立った
無愛想な中年女性が立つフロントを素通りして、閉まりかけたエレベーターに滑り込み、目指すは五階。古めかしい単音のチャイムとともに開いたドアから廊下を直進し、通り沿い角部屋のドアを開けると、待ちくたびれた顔と声が出迎えた。
「……おーそーいー」
「昼飯時なんだから仕方ないでしょ。大体、言われた『パンプキン・ハウス』って店、人気店なのか知らないけど無茶苦茶混んでたし」
「まー、この辺じゃ一番人気らしーけどー。さてー、それじゃー約束のブツを見せてもらおーかー」
心許ないながらも暖を与えてくれたでっかい紙袋をひったくり、中から個別包装された
何しろ、今俺はこの人に大量に貸しを作ってしまっている。
「んー、美味しー。ちょーっと冷めてるけどー」
「寒いんだから仕方ないでしょ……」
言いつつ、こちらも袋から料理を取り出す。メニューはガーリックライスと豚肉の香草焼きのがっつり目なプレートだ。
「食べる前にー、言うことはー?」
「……ゴチになります」
「よろしー。さ、食べよー」
そう、あの日施設で目覚めてからと言うものの、俺は金銭面でもそれ以外でも、キャスティに頼り切りなのだ。
◆◆◆
「さすがに口座が凍結されてることまでは予想外だったなぁ」
「そりゃねー、だってジュート君、あの時公衆の面前で死んじゃったわけだしー?」
公衆の面前で死亡という言葉もなかなか聞かないけど、つまりはそういうことだ。運良くあの惨劇を生き延びた人間の中には、俺が
少なくとも一人、生存者名簿にも載っていたサツキはその場面を見ている。それ自体は悪夢のようなあの一件で数少ない救いの一つではあるけれど、イコールで俺の死に様を目の前で見るという得難く有り難くない経験をしたと言うことでもあり、なかなか複雑な気分ではあった。
「服もー、宿泊費もー、食費だってみーんなうちが出してるんだからねー? ……なんか、ジュート君ヒモみたーい。あははー」
「笑い事じゃないって、ほんと。結構残高有ったのになあ」
屋内とは言え底冷えする中で、相も変わらずパンクな薄着のままキャスティが、食事の手を休めること無く喋り続ける。それに対してこっちは平身低頭するしかない。エミィと初めて会ったときといい、俺はどうも女性の世話になる運命の下にあるのかも知れない。
ちなみに、喋り言葉についてはここに来るまでに、キャスティから敬語を断固拒否すると言われてしまっている。堅苦しいのは俺も苦手だし、世話になっている人の意向を汲まずに不評を買っても仕方ない。
「とにかく、状況が落ち着いたらお礼はするよ」
「じゃーねー、シェ・ルブルターニュのいっちばーん高いコース、ワインもボトルでー」
噂だけは聞いたことのある、数ヶ月先まで予約が埋まる超高級レストランの名前を出され、戦慄する。確か、食事だけでも一般人の給料半月分くらいが吹き飛ぶという名店だ。ワインの相場がどんなものかは知らないけど、この分だと二束三文の安物とはいかないだろう。
とはいえ、今の状況で世話を焼いて貰うことがどれほど有り難いかは言うまでも無い。出せない額でも無いし。
「自由に動けるようになって、予約が取れればご馳走する。何ならリーナスさんも」
「まー、期待しないでおくよー」
「それで、お願いしてた件は?」
「何とかそれっぽいのは見付かったよー。でさー、はるばるディーネスまで来たけど、このレイルズ商会に何の用なのー?」
「前に世話になった人が社長やってるんだけどね。
「……信用出来るのー?」
「アトルマーク家の人間なのは間違いないと思う。キャスが言っていた条件に合致する情報源としては適任だよ」
ここで、はるばるディーネスまで脚を伸ばした理由も併せて説明しておこう。
今後どのような行動を起こすにしても、現在の状況やその背後事情については、可能な限り知っておくにこしたことはない。そう考えて、トキハマのイサ家、具体的にはサダトキに連絡を取ろうとした俺を止めたのは、キャスティだった。
「まー、今回の件に関わり合いが無さそーで、かつ事情通なんて条件出したのはうちだけどー。にしたってダメ元で言ったのにー、よくそんな
そんな条件が出されたことにも理由はある。それは、ミツフサの件を企てた存在として推測できる範囲が大きすぎる、ということだ。
ミツフサの一件は、経緯や結末を考えても場当たり的に起きた事とは断じて違う。俺に対する
その仕込みは黒幕、恐らくは
まずは当然の話として、当の
続いて、生体人側の協力者。肉体を持たない
そして。
「サダトキさんに連絡したら、
陰謀論と言ってしまえばそれまでだけど、トキハマの行政にも協力者がいたと考えれば、説明が付いてしまう。直接
そうした事情を踏まえて、有益な話を聞き出せる可能性がありそうな人間として思い至ったのが、
「正直言えばー、
言葉に違わぬ渋面を浮かべてキャスティがぼやく。わからないことと言えば、この人の素性も謎のままだ。普通じゃない知識の出所や、実験に使われたという仮想空間にあっさりと
「これ以上の情報源、あるんすか?」
「わかってるー。知りたいことがことだけにー、関係者になるのは当然だしー、むしろグッジョブだよー。……じゃー、調査結果ねー。レイルズ商会の所在地は、ディーネス第四層
まさか、こんな形で訪れることになるとは思わなかった。三ヶ月前のことを感慨深く思い出しながら生じた苦いものを、口腔内に残った昼食の残り香とともにミネラルウォーターで喉の奥に流し込んだ。
◆◆◆
ディーネス上層露天側の石造りが目立つ古めかしい街並みとは打って変わって、商業区画はひび割れや汚れの目立つ規格建材で作られ、そこかしこに走るパイプやケーブル、自己主張する無数の看板という、トキハマのそれとも似通った風情だ。
一目で老朽化や計画性のない増築が見て取れるあたり、階層構造都市がこの有様では耐久性にも不安を覚えてしまう。が、階層都市は中枢部分を耐候性ベークライトと自己修復合金で構成してあり、それだけなら理論上数千年単位の耐久性を持っているという。あくまでも、経年劣化が目立つ部分はその表皮であり、許容できないほど耐久性が落ちてきたら抜本的な
レイルズ=アトルマークの営む、リムパーツ仲買業としては中堅のレイルズ商会は、そんな商業区画層の北側、大型通路から一歩奥に入った一角の二階部分にあった。一階は空きとなっているし、周辺のテナントユニットには黄色と黒の警戒色ストライプで縁取られた看板が目立つ。
「寂れたとかそんな次元じゃないな、これは」
「区画整理予定みたいー。商売する気あるのかなー?」
散々な感想を言い合いながら二階に足を踏み入れると、受付らしいカウンターは無人で、音声通話専用の端末が一つ置かれただけだ。
無言のまま、顎でさっさと通話しろと促され、ボタンを押してコール。呼び出し音が二回ほど響いてから、どこかで聞き覚えのある声が聞こえてくる。
『はい。レイルズ商会です。ご要件をお伺いいたします』
「あ、すみません。レイルズさんに取次ぎをお願いしたいんですけど」
自慢じゃないが、こういう社会的に礼を失しない言葉遣いなんて、俺には無縁のものだ。不自然にならないようにしたつもりでも、受話器越しに怪訝な声が帰ってくる。
『社長に……? 失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか』
「ジュート=コーウェンです。そう伝えてもらえれば、」
『あら』
こちらの名乗りに、音声越しに相好を崩す気配。ほとんど間を置かずに、耳元に端末を当てたまま奥から一人の女性が姿を現す。
聞き覚えがあるはずだった。あの時の動きやすそうな服とは違いタイトスカートのオフィススタイルではあるけど、ロングのアッシュブロンドにはっきりとした目鼻立ちの顔は印象が強い。
「お久しぶりですね、ジュートさん」
レイルズの秘書、ラナはそう言うと、そのままでは冷たさすら感じさせる美貌を綻ばせ、柔らかく笑う。
「こちらこそ、ご無沙汰してました。近くまで寄る機会があったもんで。……ラナさんがいるってことは、レイルズさんもいますよね?」
「ええ、今日は一日こちらに。でも、運がよかったですね。明日からはまた出張の予定なので」
言うとラナは再度端末を耳に当てる。話す内容を聞く限りでは、レイルズへの取り次ぎのようだが、恩人がお見えです、は勘弁してほしい。世話になったのはこっちも同じだし、今日は厄介ごとも持ち込んでいる。
「はい、ではお通しします。……社長の予定も丁度片付いたみたいですね。こちらに」
後に続くように促され、意外にも今まで一言も口を挟まなかったキャスティと共に扉の奥へと向かう。
裏寂れた外観からは意外なほど、暖房が効いたオフィス内は手狭ながら清潔感のあるものだった。所々に飾られた観葉植物はラナの趣味によるものだろうか。しかし、華美にならない程度に飾られている内装とは裏腹に、十人程度は楽に収まるだろう居室内は空席ばかりだ。そのほとんどは据え置き型の端末だけが置かれ、誰かが普段座るような様子は微塵も無い。
例外は社長室代わりのパーティションの前に置かれたデスクで、どうやらラナの席らしい。
「ねー、ここ本当に会社としてやってんのー? だーれもいないじゃーん」
「殺風景で驚かれました? こことは別に、倉庫を兼ねた事業所があって、従業員はそちらに行っているんです」
人が言わないでおいたことを、空気を読まずにキャスティが口に出し、それに対してラナが苦笑しつつ告げる。しかし言ってることには納得だ。リムパーツなんて嵩張るものを扱うには、大きな倉庫のような場所も必要になることだろう。
「お連れしました」
パーティションの向こう側にそう声が掛けられ、椅子を引いて立ち上がる気配と音。促されるままに中に足を踏み入れると、そこには三ヶ月ぶりの顔がある。
「久しいね、ジュート」
出迎えたレイルズは、相も変わらず仕立ての良いスーツに身を包み、以前と全く印象の変わらない、人好きするがどこか近寄りがたい雰囲気の笑顔を浮かべている。
◆◆◆
促されるままに、パーティション中央の応接セットの楽に二人分座れるソファに腰を下ろし、向かい合う形でレイルズ。着席すると、ラナにコーヒーの用意を仰せ付ける。彼女が席を外している間は内密の話ができる、そういうことだろう。こちらが人には聞かせられない話を持ち込んでいることも、察しはついているらしい。
そこで、隣にキャスティが座る様子が無いことに気付く。見れば、パーティションの入り口からほとんど離れていないところに、腕を組みつつ立ったままだ。
「キャス。どうしたの、そんなとこで」
「気休めだけどー。一応、警戒のつもりー」
レイルズとラナの二人しかいない事務所で警戒も何もと思ったけど、ラナが戻ってくるタイミングを早めに知れることまで考えると無意味でもない。気を取り直して顔を正面に向けると、レイルズはいつになくにやついた顔だ。
「ジュート。いつの間に相棒を取り替えたんだい?」
「人聞き悪いこと言わないでくれます!? ……ちょっと事情があって、協力してもらってるんですよ。
「……それはまた意外な名前を聞いたな。デトリンクのプラン12というのは君か」
一応は驚いた、という反応をされたが、リアクションの大きさは俺とキャスティの方が大きい。
「その単語が出るってことはー、事情通なのは間違いないみたいねー?」
「いやちょっと待って。それ、俺も初耳」
「聞かれなかったしー? まさか、善意の一般人と思ってたー?」
「さすがに関係者だとは察してたけどさ、まさか当事者とは思わないって!」
自分のことに精一杯で、甘んじて手助けを受けて素性を確かめなかったのは確かにこちらの落ち度ではあるけど、聞かれなかったら何も言わないというのもひどいと思う。
「ともあれ、話の趣旨は理解したよ。困ったね、私はもう計画には関わりたくないと言ったはずだが」
「それは憶えてます。ただ、話を聞けて信頼できそうな人はレイルズさんくらいしか思い当たらなかったし……それに」
「それに……なんだい?」
後に続ける言葉の重さに、躊躇したところにレイルズが問う。口に出したくはない事実ではあるけど、最早仕方ない。
「レイルズさん、言ってましたよね。同行者に気を付けろ、って」
「……なるほど。懸念が的中してしまった、というわけか」
顔の前で手を組み合わせたレイルズの発言に、重苦しさが伴う。
「確認だが、それは先日の、トキハマ南方で起きた大規模蝗害に関わることでいいのかな」
「そこまで察しが付いてるんすか」
「さすがに分かるさ。ここ最近で、
苦笑しつつ、レイルズは立ち上がって、優雅な所作でポールハンガーからコートを外す。
「長い話になりそうだ。場所を変えようか、ここより込み入った話をするのに適した店を知っている」
「いいんですか? その、お願いして何ですけど、関わり合いになりたくないなら……」
「乗り掛かった船、というやつさ。断っておくが、私にできるのは真偽も定かではない情報を話すだけだ。その話を基に君たちが何をしようと、私は関知しない。それでいいね?」
「いえ、十分です。……ありがとうございます」
「商売人ならー、見返り要求してもいいくらいの大盤振る舞いじゃなーい?」
「キャス、折角の好意にそれは……」
「見返りも無いわけじゃないさ。少なくとも、これからの話で君たちからも何かしらの情報は手に入る。私は私で、危険な橋を渡らない為の判断材料が得られるわけだ。それで納得はできないかな?」
「まー、一応もっともらしいかなー」
疑いの目は緩めず、しかしそれでもキャスティも納得はしたらしい。外に出るための身支度を手早く終えたレイルズに、こちらも後に続こうと立ち上がり、そこで。
「あら、外出ですか? コーヒーが入りましたのに」
非難めいた声が掛けられる。人払いがてらにコーヒーを淹れることを命じられたラナが、トレイの上にソーサー付きのコーヒーカップを三つ用意して入ってきたのだ。
「……頂いていこう。こう言っては何だが、うちは豆にはこだわってるんだ」
再び席に戻り、言い訳がましく言うレイルズ。今度こそキャスティも隣に座り、香ばしくも柔らかい匂いを立てるコーヒーを飲む。
自慢の一品らしいその味は、しかし何故かほとんど感じることが出来なかった。
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