挿話.「夢幻残滓-表」

 暗くて昏い、質量すら感じられそうなほどの虚無を伴った正立方体の空間。

 私はそこで、ただ膝を抱えながら、垂れ流される情報の奔流に身を委ねていた。

 例えば、直近十年の各中核都市財務状況。例えば、対IMC戦闘時における重火器使用時の状況別優先目標。例えば、生体人類の居住地別に見る主食と好まれる調理方法。例えば、酷暑時期に女性が好む服装と宗教的背景との関係。例えば。例えば。例えば。

 一体私は何をしているんだろう、という疑問が湧いたのは、主観時間で『それ』が始まってから58,026,247コンマ41秒ほどが経過した頃だったと思う。それだけの間、狂うことなく何の規則性もなく与えられるだけの情報をただ咀嚼し嚥下することが出来た理由は、偏に私には狂うことが出来るだけの判断基準すら無かったからに他ならない。最初から空っぽなら、何がおかしいのかすら判らないのだから。

 その疑問を抱くことが出来たことで、ようやく私には自我と呼ぶべきものが形成された。与えられた膨大な情報から、私は電脳人バイナルという存在らしいと理解し、そして得た情報は、そのほとんどは私とは異なる生体人エンティという、炭素を主成分としたハードウェアで動作する人間に関わるものであるとも理解できた。何故そんな偏りがあるのかはわからない。

 とにかく私は一人であり、独りであり、私が何者なのかを理解はしても、それを追認する他者はどこにもいなかった。

 孤独を感じることすら、私には出来なかった。


 ◆◆◆ ◆◆◆


「だぁーっ、そうじゃねェってんだろ! 耳あんのか! 刃先が立ってねぇんだよ、それじゃ切れるモンも切れねぇだろ!」

「そんなこと言われても、真剣なんか持ったの初めてなんだって! 授業で竹刀しか握ったことないのに、いきなり刃先がとうとかわかるわけないだろ!」

「考えるな、感じろ! さもなきゃ実戦で死ぬぞ!」

「それカンフー映画じゃん!」


 浮上した意識と合わせて起動した音響センサーから届いたのは、そんなやり取りだった。時刻を確認する。午前八時四十分と少し。少し、とアバウトに判じた感覚に、我ながら驚きを得た。随分と生体人のような感覚が身についたものだと思う。

 次いで、光学カメラに意識を向ける。無停止システムであるリムには、起動・停止というプロセスは本来ほぼ無縁のものだ。では何故敢えてセンサー類を意識の外に追い出し、果ては不要なはずの停止状態サスペンドまで移行していたのかと言えば、ただ単に周辺が昼夜を問わず騒がしいからだ。というか、酷い時には100デシベルを超える騒音が絶えず響き渡る環境など、騒がしいという言葉では生易しい。私、そして私が演算領域を間借りしているアンダイナスという戦闘用リムが駐機しているトキハマ第三層は、住居を兼ねた工房に少なくない人間が起居しているはずだけど、よくそんな環境に耐えられるものだ。

 ともあれ、視界の中から声の主を探す。視野角は160度あるからカメラの角度を調整する必要も無い。いた、足元だ。


「だいたいさ、この刀ってアラーネアの振動素子を埋め込んでるんでしょ? それなら触っただけで、こうスパーっと切れるもんなんじゃないの?」

「刃先は切れても、構造物としちゃ金属の塊なんだよ。下手な当て方すりゃ切れる前に身が負ける。最悪折れる」

「折れるのは勘弁だなぁ、高かったし……」

「それが嫌ならせめて真っ直ぐ振り下ろせるくらいにはなっとけ。実戦用なんだからお行儀の良さなんざ忘れてもいいがよ」

「……まあ、使えなかったら意味無いもんなあ」


 そう答えて、致し方なしと素振りを始める。踏み込みながらの上段から振り下ろし、返して切り上げ。授業とやらも無駄では無かったようで、不格好というほどでもない。


「朝から剣術修行とは、精が出ますね」


 頃合いかと思い、声を掛けながら二人から多少距離をとった位置に、自分の現し身を結像させる。いつか微粒子に投影した立体映像と言われたことがあったけど、実際は周辺に散布した自発光型のナノマシンを操作している。光学投影は視認できるほどの映像出力が難しいし、全方位に破綻のない映像が作れない。


「おう、嬢ちゃんか」


 二人のうち、身長が高く幾らか年上の男が応じる。アンダイナスが駐機スペースとしてドックを間借りしている、カドマ・ハンティング・ファクトリーのカドマ・ゲンイチロウだ。

 今日は刀鍛冶を行う予定はないのか、服装は至ってラフなものだった。上がノースリーブのシャツなのは、体を動かすからだろう。それに対して、下半身は厚手の布地で縫製されたワーカーパンツ。工房は作業中など足元に危険な道具がむき出しに置かれていることもあり、その防護としてこうした服装が好まれているらしい。


「どうでしょう、使えそうですか?」

「正直なとこ言や微妙だな。全く心得がないわけじゃねェってのは分かったがよ、にしたって付け焼き刃じゃお遊戯に毛が生えたようなもんだ」

「それほど酷いようには見えませんが」

「見た目だけだ。足運びなんかもそれっぽく見えるがよ、つまり『なんでこう足を動かさなきゃいけないか』が解っちゃいねぇんだよ。摺り足自体は姿勢維持にも意味あるがな、素人ならせいぜい歩数を悟らせねぇで相手の距離感を狂わせるくらいだ。対人戦の駆け引きなんざバグどもには要らねぇってんなら、摺り足する必要もねぇだろ?」


 なるほど、言われてみればその通りだった。当たれば切れる刀と、駆け引きなど微塵も考えずに対物センサーでこちらを補足し襲い掛かるバグを組み合わせて考えれば、求められるのは迅速な移動と確実に当てる技術というわけだ。つまり、今の彼は何が有効かを理解せず、過去に言われたままの動きをなぞっているに過ぎない、ということ。


「そう言われれば不格好ですね」

「だろ」

「聞こえてるよそこー!?」


 冷静に評された当人が、刀の切っ先をこちらに向けて抗議の声を上げる。刃物を人に向けてはいけません。


「素人なりに頑張ってる、くらいは言ってくれてもいいもんじゃね!? 褒められて伸びるタイプだよ俺!」

「自ら褒めてほしいと言うとは、器の小ささが知れますね」

「辛辣!」


 相も変わらず、オーバーリアクション気味の動きで彼、コーエンジ・ユートが応じる。当人はジュート=コーウェンを名乗っていて、社会的に認知される個人情報もそれで統一されてはいるけれど、私の中で彼の呼称はユートの認知されてしまっている。今更変えることもできない。


「そもそも、何故今更剣術なのですか、ユート。自衛手段を得たいというのは分かりますが、それならば火器の扱いに時間を割いた方が有益でしょうに」


 痛いところを突かれたように、ユートが押し黙る。この顔は、何か言いにくいことがある顔だ。内心と表情が直結した彼の言動はとても分かりやすい。そんな実直さに裏打ちされたところを、好ましいと思うのも事実だった。


「来週の作戦まで待機が義務づけられているとはいえ、だからこそ、その準備の方に時間を費やすべきでは?」


 尚も言葉を重ねると、不承不承といった風にユートが口を開く。


「……エミィと会ったばかりの頃にさ、レドハルト丘陵でコオロギの群れに襲われたの、憶えてる?」


 コオロギ……、グリロイデのことだろう。あの時は少しばかり危うかった。こちらの有効射程範囲内だったから有質量弾の衝撃波で制圧することも出来たけれど、助けを求められるのがもう少し遅ければ彼は今ここに居なかったと思う。


「勿論憶えています」

「あの時は銃なんか持ってたけど、見てられたもんじゃなかったただろ。全然当たらないし……いや、まあ俺の腕がヘボいのが悪いんだけど。ともかく、弾が切れたらおしまいだ」


 それも勿論憶えている。確かにあれは酷いものだった。マガジンの半分を費やしてようやく一体を仕留めるなど、無駄撃ちもいいところだ。とはいえ、それは言わずにおく。


「何よりさ、あいつら群れで来るだろ。一気に襲ってこられたら、正確に当てられたところで他のにやられちゃうじゃん。今度の作戦もコオロギ相手だしさ、それなら刀も持ってればなんとか……」

「どう思いますか、ゲンイチロウ」


 声を殺して笑うのを、しかし鋭敏な音響センサーで察して声を掛ける。笑っていたのは詰められるユートを見てなのか、それとも今の考えについてなのか。


「いや、悪くはないと思うぜ。それで万事切り抜けられるわきゃねェけどよ、銃一本よりはまだ生き残る目もある」


 どうやら前者だったらしい。ただ、それはそれで私にも思うところはある。


「相手がどうあれ、ユートの持ち場はこの子アンダイナスの中です。生身で戦うこと自体考えてほしくは無いのですが」

「念のための備えだろ、備え。それによ」


 アンダイナスを見上げながら、ゲンイチロウが言葉をつなげる。正確には、見ていたのはミサイルを撃ち尽くして空になっていた、肩部のウェポンコンテナ。


「あれを上手く使うんなら、多少は刃物の扱いにも慣れた方がいいぜ?」


 ほら見ろ、とユートがこちらを……正確には空間に表示された私の現し身を見る。本来の私の視点は、この子アンダイナスの頭部だ。見えている表情は、各部センサーから取得した環境数値を元に、補完作成された仮想のものに過ぎない。とはいえ、多少癪に障る表情……何と言ったか、そうだ、ドヤ顔というやつだ。


「考え無しではないことは分かりました。ただ、最優先すべきは本来の役回りです。後で隊列維持警戒シミュレーション、右翼左翼各三十分」


 げ、と口に出してユートが目を剥く。

 隊列シムとは、文字通り隊列内の決められたポジションを、乱数的に発生する外的要因に対応しながら維持するものだ。イベントが豊富なら退屈はしないけど、何も起きなければただただ指定の時間が過ぎるまで姿勢制御と歩行操作を続けることになる。ユートが一番苦手としているもので、そして今回最も重要な操作の訓練を行うためのもの。

 腹いせながらなのは否めないし、事実その顔を見て密かに溜飲を下げる。我ながら意地が悪いという自覚はある。でも彼の居場所は、アンダイナスの中、私の傍だ。それだけは譲れない。


「……何か気に障ることでもしたか、俺」

「……割と平常運転っスよ」


 小声で呟く二人の声をやはり耳聡く聞きつけ、メニューに前方及び後方警戒を付け加えることに決めた。


 ◆◆◆ ◆◆◆


 溢れ返る知識の奔流を飲み下す日々は、唐突に終わりを告げた。そこから先は思考を続ける日々だった。

 与えられたものは、戦闘用多脚機械……生体人エンティにはリムと呼ばれるハードウェアの思考制御インターフェイスと、あらゆる状況を想定した数え切れないほどの仮想模擬戦闘シナリオ。

 最初は何をすれば良いのかも全くわからず、気付いた時には演算中枢ノードを含む全体の42パーセント部位を消失した。作戦中の死亡判定KIA。3回目のシナリオでは、脚を動かして逃げることを覚えたけど、闇雲に動いて噴射剤を使い尽くし足を止めた後すぐに集中攻撃を受けた。KIA。12回目のシナリオでは、銃器による対象の破壊を覚えたけど、まともに当たらずやはりKIA。無数の仮想的な死を積み重ねる度に少しずつ操作を覚え、少しずつ生存時間が増え、数回に一度くらいの割合で生きたままシナリオを終えることが出来るようになった。

 恐怖など微塵も無かった。芽生えた泡沫のような自我は、そんな高度な感情を持つにも至っていなかった。私は機械だった。ただ機動し、照準し、射撃するだけの。


 ◆◆◆ ◆◆◆


「おーい。エミィ? どうしたの、返事してよ」

『う……?』


 深くて不快な、澱のような記憶から解き放たれた。目に映るのは、生体人エンティ用のコントロールシート。普段思考制御しか使わない私にはほとんど縁のない場所だけど、時折同乗者を設定したシナリオもあったから見知らぬ訳でもない。

 そこでふと気づいた。違う、ここは……。


「何だよ、寝てたの? こっちは言われたとおり、メニューしっかりこなしたってのに」


 コントロールシートに座り、全面視界のヘッドマウントディスプレイを額の上に跳ね上げたユートが、恨みがましい声でそう言った。

 不覚だ。これまで、居眠りなどしたことも無かったのに今日はどうも調子が悪い。


『……終わりましたか。ご苦労様です』

「ご苦労様、じゃないって。休み時間はあったけど、それでも連続二時間ずーっと隊列シムとか拷問だよ、拷問……」

『先が思いやられますよ。実際の作戦行動時は、長ければ数日間そのままということも』

「そりゃ分かるけど、話し相手もいないで黙々とってきついよ」

『僚機や発令所CPとの通信はイベントに組み込まれてるはずですが』

「こっちが何言っても〈了解〉、〈援護に回る〉、〈索敵を開始する〉、〈異常なし〉、〈敵襲〉しか返さないんですけど?」


 なるほど。今回使ったシナリオは民生の訓練用を購入したものだったけど、随分と不出来なものだったらしい。仲間がポンコツじゃ隊列作っても意味ないよなあ、と、ヘッドセットを取り外し、這い出るようにコントロールユニットのハッチに向かいながらユートがぼやいた。

 アンダイナスの腕部をハッチ外側に差し出し、降機の手伝いをする。リムとしては比較的大型のアンダイナスは、腕を地に着いた前傾姿勢でも腹部ハッチ部は高さ7メートル近くになるから、手助けが欠かせない。突起に掴んで降りることも不可能ではないけど、手を滑らせたら割と真剣に大怪我を心配する事態になる。


「あのさ。今度の討伐作戦のためなのはわかるけど、意味あるのかなこんな訓練して」


 床面に降り立ってから所在なげに視界をさまよわせ、アンダイナスの頭部にようやく目を向けて言う。彼は時折、このようなややもすれば挙動不審な行動を取る。最初は何をしているのかと不審に思ったけど、何のことはなく私が映像投影を行っていないから、視線をどこに向けたものかと悩んでいるのだろう。

 少しだけ面白く思いながら、ナノマシンを散布、ユートの横に結像する。

 彼の言葉の意味するところはわかる。精度も足りていないシミュレーションで、動きの悪い僚機に合わせて行動も制限された訓練に何の意味があるのか、というところだろう。


「意味はありますよ。役割分担を身に付けることもそうですが、この訓練の骨子はアンダイナスを普通の戦闘用リムに見せかける『擬態』をすることです」

「擬態?」

「今は事情を知るゲンイチロウに助けてもらっていますが、今後は他の蟲狩りバグハンターと共同で何かを行う機会があるでしょう。その時に、スペック任せの出鱈目な曲芸じみた機動をして見せたら、否が応でも悪目立ちしますし、厄介ごとに巻き込まれることも考えられます」

「出鱈目な曲芸って、それ教え込んだのエミィじゃん」

「その方が最初は教えやすいからです。ただ、如何に電力自体は無尽蔵と言っても、推進剤などの資源リソースは有限です。今後は機動を無駄なくコンパクトにすることを心がけてください。そうすれば、印象もちょっと砲撃が強力で少しばかり足が速くてやや形が変なリムくらいには」

「いや大して印象変わらないよそれ」

「そだよね、あたしもリムなんて見飽きてるけどこんな形のは見たことないし」

「不断の努力が大事なのです。継戦能力を高めて不要な軋轢も回避する、この心掛けをですね」

「えーでも、今更じゃない? 十分話題になってるよ」

「活動資金目当てに派手に動きすぎたのは否定できませんが、今後はその点も気を付けて……」


 そこでふと違和感を憶える。私は今、誰と話をしていたのか。同時にユートが声を上げる。


「サツキ!?」

「お、ようやく気付いた?」

「お前、何してんだよ……。勝手に人の会話に割り込んで」

「何って、せっかくお昼作ってあげたから呼んであげようとしたんだよ? そしたら不届きにも、人の家で女の子連れ込んじゃってさ」

「いや違うからな、連れ込んでないからな説明難しいけど元々居たからな」

「前からずっと居たの? みせいねんしゃりゃくしゅらちかんきんふじょぼーこー? ブタ箱何年ぶち込まれたいの?」

「してねぇ!?」


 暴風のように彼女……サツキは、ユートを言葉で翻弄している。その光景に、何故か苛つきを憶えた。私に対するのと同じようにリアクションを返すユートにも。


「とりあえずいいか、こいつはこの通り実物の女の子じゃなくてだな、」


 私の前に回り込んでユートが手を伸ばす。意図はわかる、身体に触れられないところを見せようと言うのだろう。でも、その手の位置は。


「あ」

「え?」

「おー」


 突き出された手は、私の身体……の立体映像の、悲しいことに大きくもない胸のあたりを透過している。投影した映像である以上、感触なんて全く無い。なのに何故だろう、この、何と言えばいいのか。


「い、いやごめんエミィ、別にそういうつもりじゃ」


 顔が羞恥に熱を帯びるのが分かる。いや、電脳体バイナルなのだからそのような感覚は無いはずなのに何故かそう感じる。無意識のうちに両手で胸をかばいつつ距離を取る。一体今の私はどんな顔をしているのだろう。わけが分からない衝動が全身を襲い、混乱はアンダイナスこの子の右手を振り上げるという行動に帰結した。


「つまり今察したのですが古来より数多の創作物に存在する男女間の性的ハプニングで女子が衝動的に暴力を振るってしまうような反応は生来備え持つ本能のようなものでありその表現方法にはある意味妥当性というものが」

「冷静に論じながら何してんだお前ってかダメ、それダメ、死ぬからやめっ……」


 振り下ろした巨大な拳は、微かに残ったなけなしの理性によって、ユートの頭上10センチで止まった。


 ◆◆◆


「つまりエミィちゃんは元人間の電脳人バイナルでアンダイナスの中に住んでる。で、ジュートはタイムトラベラーで出身地は三千年前のニホン。うん、わかった」

「納得できたの!? ゲンさんは全然だったのに!」

「えー、兄ちゃんが頭堅すぎるだけだって。世の中不思議だらけだよ、何だって起こるよ?」


 移動した先のKHFの応接スペースで、差し向かいのユートとサツキ、テーブルに置かれた小型端末に私という座席位置で、昼食がてらの事情説明を聞いたサツキの反応はごくあっさりとしたものだった。三ヶ月近く前にここでゲンイチロウ相手にした説明は何だったのかと拍子抜けする。

 ちなみに、昼食はカレーライスだった。カレーという料理自体は、ジャクリタあたりのスパイス料理全般を指すもののはずだけど、出されたものは随分と趣が違う。ユートに言わせてみればニホンのカレーは独自の進化を遂げた別物の料理、だそうだ。勿論私も、視覚情報から再現したそれを試してみたが、どろりとした食感が何とも言えないものだった。煮込む行程で何かしているのか、実物を二人は美味しそうに食べていたというのに。


『兄妹でも違うものですね』

「同じ性格だったら疲れちゃうもん。エミィちゃんは人間だった頃一人っ子だったの?」

『あまりそのあたりの記憶は無いのですが……、弟のような友達が居たような覚えはあります』

「幼馴染みと弟はまた違うけどね。でも、友達が自分と全く同じ性格だったら相手するのしんどくない?」

「エミィが二人もいたら、俺なんか常時詰められっぱなしだなあ」


 遠い目をしてユートが呟く。失礼な。

 片やサツキは、身を乗り出して組んだ手に顎を乗せながら、随分と楽しそうに私とユートを見ている。体を僅かに揺らすたびに、その、襟が深いTシャツから覗く胸が合わせて揺れていた。羨ましいというか妬ましい。

 そして、その光景はユートの目にもしっかりと見えているようで、さっきからサツキに話しかけるたびに急に視線を上に外したりする。毎回それをする必要はあるのか。学習しろと言いたい。


『有罪ですね』

「なんで!?」

『ユートも男子なんだと分かりました』

「勝手に分かられても困るよ!」


 そんな遣り取りを見てか、サツキの笑みが濃くなる。


『どうかしましたか、サツキ』

「うん、仲いいなって。いいなあ二人旅」

「結構大変だよ? 特に俺なんか生活力無いから」

『関係が良好なのは否定しませんが、そもそもがお互いに利害関係あってのものです。私は人間の体に戻りたい、ユートは元いた場所に帰りたい、という』

「目的はどうでもさ、二人とも楽しそうだもん」


 楽しそう、と断ぜられてしまえば言い返す言葉もない。確かに、今の状況が楽しくないと言えば嘘だ。少なくとも、私にとっては。そして、彼は同じように感じているのか、気になってそっと伺ってみる。

 一目でわかった。苦笑しながらも、その顔は確かに嬉しそうなのだから。それに安堵を覚える自分がいる。


「やっぱり二人とも楽しそうだなあ」


 そう述べるサツキの声も、どこか嬉しそうに聞こえた。


 ◆◆◆ ◆◆◆


 思い出す。私がいつ終わるともわからない仮想模擬戦闘シナリオに明け暮れ、遂行率も九割を超えた頃のことだ。

 普段なら、シナリオ終了後は平均で213秒のインターバル……推察するにアーカイブデータの展開エクストラクトと環境の読み込みローディングだろう……を挟み、自動的に次のシナリオが始まるはずが、その時は600秒を過ぎても何の反応も無かった。

 人間でも動物でも、例外的事象いつもとちがうことが起これば警戒する。そして、泡沫のような自我しか無い私でもそれは同じだ。取った行動は、身構え、何もしないことだった。

 それから100秒が過ぎる。まだ何も起こらない。疑念のようなものが頭を掠めた。何が始まるのか。私は何か間違ったことをしてしまったのか。

 さらに100秒が過ぎた。もしかしたら、私はこれから何かするべき事が有ったのではないか。なのに何も行動しないから、状況に何の変化も起きないのでは無いのか。では、そのヒントは無いか。

 感じられる限りの情報を、周囲からかき集める。シナリオシミュレータのインターフェイス。戦闘ログデータ。映像・音声・化学・電気の各疑似外部感覚入力クオリアセンス。どれにも反応は無い。そこでふと気付いた。

 電脳内の作業領域ワークスペースに格納された思考履歴を検索する。あった。私以外の存在が入力した未加工思考情報ロウデータ。言語化されていない思考データは、互いの共通認識を元に復号が必要な、最も原始的かつ有効な秘匿通信手段だ。

 初めて手にする、自分以外の存在から明確に私に対して与えられた意志に、僅かながら私は喜びを得たのだと思う。貪るように情報優先度を最大に引き上げ、解析を試みる。


 ――歓喜。ブランクメディアに対する幾何学構造の思考形成を確認。アーカイブされた長期記憶の復号及び現在以降の行動ベクトル展開は許可されます。


 何となく違う気がした。もう少し人間的な言語に置き換えは出来ないものかと、持ち得る知識を総動員して更なる解釈を試みる。1623回の解釈を試行し、ようやくまともな言葉に置き換えられたそれは、こう伝えようとしていたように思う。


 ――おめでとう。よく真っさらな状態から、ここまで持ち直すことが出来た。これから君には、君自身の過去と、生きるための目的を与えよう。


 誰かが、不明瞭な思考データの向こう側で、嗤ったような気がした。

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