挿話.「夢幻残滓-偽」
行ってしまう。あの人が。
決して慣れているとは言えない手つきで武器を構え、私の前から遠ざかる。
その先に居るのは、兄を殺され、泣きながらも生きるために走る、友達である女の子の姿。背後には蠢く、無数の
やめて。追い付かないで。見逃して。こっちに来ないで。
そんな気持ちを汲み取ったのか、命じたわけでも無いのに、巨体が破壊をまき散らす。死の影の幾つかが残骸に変わり、でもその姿は幾らも減ってはいない。
今はただ、その破壊の余りの大きさが恨めしい。私の操れるこの腕は、脚は、人一人を守るにはあまりにも巨大に過ぎる。
生身で戦う彼のことを、蛮勇と笑うことなど出来るはずも無い。守るための最善を選択した結果だとすら思える。そして、事ここに至って、私は完全なる無力であり、無能だ。
彼が駆けていく、友と呼んでくれたその人の身代わりに、その身を躍らす。慣れない動きで刃を振るい、死の影を払う。一つ。一つ。また一つ。出来過ぎた働きの代償に、その時が訪れる。
最初は左腕。肩から先を、根こそぎ奪われる。まだ刃を振るう。続いて右足。膝から下を失う。まだ刃を振るう。地に伏しながら、まだ。その姿を無様だなんて誰が言えるものか。
それなのに、奴らには慈悲など欠片も持ち合わせていない。寄り集まり、彼が、ただの肉塊に。
何も出来ない。惨状から目を逸らすことも出来ない。やめてください。お願いだから。少しでも、彼であった物を残して。お父さんもお母さんも、あなたたちは欠片も残してくれなかったじゃない。
いつか見た記憶が、フラッシュバックする。森林地帯に囲まれた開拓村。顔の思い出せない両親。素朴で暖かい世界。寒い朝に飲んだ残り物のコンソメスープ。雑貨屋で買ったペンセット。弟のような友達。破壊。土葬。泣き叫ぶ。蘇る光景。お母さんは、気付いた時には元の姿を半分も残していなかった。お父さんは、私達を守って戦い抜き、爆散した。この光景は何なのか。私は今、何を幻視しているのか。答えは出ない。身体は動かない。
誰か。
◆◆◆ ◆◆◆
悪夢の先は、現実の地獄と地続きだ。
潰れる金属塊。飛散する肉片。土に染み入った血は見る間に赤黒く、視界を汚す。
それは、元は大人数輸送用のリムだったものだ。実用性重視の、不格好な箱形に四本の脚を生やした、衛星都市と開拓村を繋ぐ貴重な移動手段。
乗り合わせていたのは、開拓村では手に入りにくい服飾品や娯楽品を抱えた親子に、開拓村で何かを買い付けるのが目的だったらしい中年男性、そして孫の顔を見に行くという高齢者の夫妻。
座席数だけで言えば定員40名ほどのはずで、しかし行き先が開拓村、それも中核都市から遠く離れた辺鄙な場所ともなれば、空席の目立つ状態の方が日常らしかった。
のどかな森林をひた走る道、談笑する家族、書類に目を通すのに余念のない男、しばらく会っていない孫の姿を予想して目を細める老婆。
そんな優しい世界は、一瞬のうちに血に塗れた。
輸送用リムのセンサーは全て、欺瞞情報を流されて盲目と化していた。襲いかかる、不可視の存在と化した複数の異形。
体高十数メートルの一体……マントデアが、一撃の下にリムの胴体部分を両断し、中央部分に座っていた中年男性は同時に大出力のレーザー刃で灼かれ、蒸発した。
脚はまだ健在だったものだから、高さのある胴体部分が出来上がった裂け目を中心に折れながら沈み、出来上がった急激な傾斜に抗えず老婆が転げ落ちたと同時に、破壊の衝撃で分離したシートがその上から落下し、圧死する。すかさず周辺でおこぼれを狙っていたグリロイデが殺到し、押し潰された死体が瞬く間に消え失せた。残るのは血痕と、僅かな肉片。
運良く軽傷だけを負いつつ地べたに放り出された親子のうち母親は、わずか十数秒の間に巻き起こった凄惨な光景に、言葉も出ない。抱きかかえた子供が、怪我の痛みに泣き声を上げる気配を察し、慌てて口を塞ぐ。
あまりにも惨い光景だ。
生き残った親子にしても、長くてあと数分の命だろう。
誰のせいか。
そんなこと、分かり切っている。
今はもう自覚することが出来ている。
周囲に見境無くばらまかれた、
それの存在を知ってから後は、気が狂わなかったのが不思議なくらいだ。
断片的、ではない。得られた全てだ。閉じるべき目蓋も無く、塞ぐべき耳も無く、一方的に送りつけられる光音電磁重の五感が思考能力を圧迫する。多重に、並行に、直接的に、本来の私を圧倒する。その大半は、寄生した数多のバグのものだ。殺戮の視界も、断末魔の声も、怯える子供の押し殺した吐息も、それに感付いて翅音を奏でるグリロイデの思考すら。
――やめて。
念じたところでどうなると言うのか、それでも思わずにはいられない。親子を補足した視界は、
そして、惨たらしく繰り広げられる肉体の損壊を、その主観的な視点を、私は目を閉じることすら許されず見ることとなる。
これまでに幾度も見た。老若男女問わず、一切の慈悲も無く、細切れにされ消える人間を、この目で。
――やめなさい!
だから、今回も同じことと、そう思っていた。
この親子も、これまでのように目の前で、僅かな時間悲鳴を上げながら、体の端から肉片と化すものと、そう思っていた。
それなのに。
――なん、で。
願いが届いた、などと寝惚けたことを言うつもりは無い。ただ、事実として。
信じ難いことに、耳を穢す翅音を響かせていたグリロイデが……、そして周辺で蹂躙を繰り返す全てのバグが、全てがその瞬間に動きを止め、あらぬ方向へと移動を始めた。
◆◆◆
自分が何者なのかは、もう全てを理解したつもりだ。
正確に言えば、半分は以前から自覚出来ていた。
私自身が「計画」の前例には無い、
――さすがに、私自身が論理破壊兵器の母体だったことは、予想外でしたが。
酷い話もあったものだと思う。
ミツフサでキャスティが指摘した時は咄嗟に否定したが、実際はこの通りだ。自身知らなかったこととはいえ、私は間接的に、三桁を超える人間の殺害に手を貸したことになる。
なんて、罪深い。
欺瞞情報に躍らされ、コントロールシートを撃ち抜かれた三機の正規軍も。
数多のバグに蹂躙され尽くしたミツフサ開拓村も。
アラーネアの高振動ブレードにすり潰されたゲンイチロウも。
そして、多数のグリロイデに解体されたあの人も。
――ユート。
認めざるを得ない。ユートを殺したのは、少なくともその原因の一端は、私だ。
思えば、世界を見て回れという曖昧模糊とした指示を果たせば人間に戻れると、それ自体が虚言だったのだろう。
目的は今となれば明白だ。論理破壊兵器の効果測定をより円滑に行う為、私という感染源を、感染先のハニカムに可能な限り接触させようということだ。
ただ、電脳体のまま生体人の中で活動することは現実的に不可能だ。だからユートを連れて、という条件が付いたのだろう。
人の体に戻すと唆され。
元の世界に返すと安請け合いし。
不慣れな世界での生活と戦いに付き合わせ。
挙げ句の果てに、巻き込んで殺した。
ごめん、という最後の言葉が蘇る。どこまでお人好しなのだろう。謝られる筋合いなど、私にはない。謝るべきは私だ。謝ることが出来るなら、今すぐにでも。
――違います、ね。
謝りたい。
一言でも話をしたい。
お人好しな笑顔でなくても構わない。怒られても詰られても誹られてもいい。ユートと共にあること、それが今思えばとてつもなく幸福で、貴重で、得難い時間だったのかが理解できる。
この気持ちは何なのか。狂おしいほどに、彼を求めている。とうとう私は壊れてしまったのかもしれない。この状況に、何らかの心理的な防衛機能で、拠り所を探しただけなのかもしれない。何を考えているんだろうか。こんな傍迷惑な者に求められたところで、彼が応えてくれるわけがないし、何より。
彼はもう、いないのだ。
彼は死んだ。私の前で、この上なく惨たらしく、それでも一人を救い出しながら。
対して私は何なのだろう。この期に及んで、自分がしでかした事も棚に上げ、未練がましく彼に会いたいと。そんな役立たず、さっさと、居なくなってしまえばいい。むしろ、そうした方が、誰にも迷惑を掛けずに済むだろう。積極的に、そうするべきだ。
それなのに、まだ感情は、気持ちは、心は叫ぶのだ。
彼に会いたい。
泣きたいほどに狂おしく、コーエンジ・ユートという存在が心を千々に掻き乱す。いっそのこと泣き喚いてしまいたいくらいなのに、私にはその機能を行使することも許されていない。泣きたいのに泣けないということが、これほど苦しいとは思わなかった。
その時、行き場を無くした感情に呼応するように、支配下に置かれたバグが出鱈目な挙動を取り始めた。
一心不乱に地面を掘り起こすものがいる。立ち竦んだまま身動き一つ取らないものがいる。一体のマントデアが、レーザー刃を展開したまま腕を振り乱し、秒に満たない間に周辺の立木が残らず伐採され、巻き添えを食ったポルセリオが下敷きとなり、やや離れた位置にあり難を逃れたロパリデとスカラベイデが華奢な肢で互いを攻撃し始める。
狂気に塗れたとしか言い様の無い光景の只中に、先ほどの惨劇の中で生き残った親子二人がいた。突然の事態に、今生きていることすらも理解し難い、という表情を浮かべて。
――早く、そこから離れて。
自分でも今何が起きているのか把握できていない。それでも、彼らの身を案じただけ上出来というものだろう。混乱の中にぽっかりと空いた空白地帯を、二人がようやく身を起こし、歩き始める。
幸運にも、彼らが進む先に命を脅かすものは何も無い。
否、幸運などという言葉で片付ける事はできない。
何かがおかしい。そして、その根源は私自身にあると、直感とでも言うべき何かが告げる。
この現象が何なのか、探る必要がある。
何のために。
探ったところで何だというのか。既に害悪の一端と成り下がった私が、今更何をしようというのか。
彼のいない世界で、今更何をしようというのか。
感情を侵食しに掛かる、諦念という名の毒。それを更に別の毒が押し止める。
彼がいない世界を生んだ、それに対する。
彼を殺した、敵に対する。
憎悪と言う名の、毒が。
◆◆◆
事は慎重に運ぶ必要がある。絶対に、私の目論見を悟らせてはいけない。
最初に行うべきは、一体どのような機序で支配下に置いたバグの混乱という事態が発生したのか、その根源を探ること。
その
考えてみれば、私は全ての複製体に欺瞞情報を送り届ける
――つまり、感情の波、ですね。
配下のバグが、突然に動きを止めた時と、不規則な動作を始めた時。それとタイミングを同じくして、複製体への
ではこれが何かと言えば、恥ずかしい話ではあるが私が感情を抑制しきれず、外部に
――配下のバグを制御するための欺瞞情報が、私の感情に押し流され、塗り替えられた。陳腐な理屈ではありますが。
本来の欺瞞情報を
疑問に思うのは、そんな予測可能な不具合を何故放置したのかということだ。
このような実装、欠陥と言っても言いすぎでは無い。意識を残したままの電脳身体を兵器として扱うには、あまりにもお粗末に過ぎる。
理由はいくつか考えられる。
電脳人を兵器化することの弊害を、あまり熟知していなかったか。
知ってはいても、取るに足らない問題と問題視しなかったか。
――そもそも、私に部分的ながら制御可能にすること自体が、目的だった?
全ては想像の域を出ない。更に言えば、今重要なことは、何も出来ないと考えていた私にも叛逆の手段が有ると言うこと。
ふと、あの人たち……あの親子がどうなったかが気になった。今のところ、並列化された視覚に、再び補足されたような様子は見えていない。無事に、この惨劇の舞台から脱することは出来たのだろうか。
不随意に、最も論理的位置が私に近い個体……、私の電脳体が格納された個体が、身を起こす。普段はどうやら地面に這いつくばるようにしているそれは、起き上がれば全高三十メートルを軽く超える巨躯。僅かに青みがかった黒色の外装と、異様に発達した顎脚を備えたそれが、聴覚情報から察知した二人を補足、視覚を得る。
母親に手を引かれ、ぐずりながら後を追う子供。
安堵しつつ、心中で強く『触れるな』と命じる。
願わくば生き延び、この惨状を、そして私のことを知らしめてくれればと思う。
そして、災害へと成り下がった私を誰かが殺しに着てくれればと思う。
ただ、その前に私には、するべき事が有る。
――弔いの火を、上げましょう。
行くべき先は定まった。有象無象の蟲達が、そして黒山の如き巨躯が、ただ一つの場所を目指し、行軍を始める。
全ての始まりを、壊すために。
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