027.「世情混沌」
「動かないでくれ。今は酔っ払いがふざけている風に見せておいた方がいい」
「こんな不自然な体勢もー、見え見えじゃなーい?」
「承知の上さ。不用意な動きを見せると隙が出来るからね」
余裕綽々といった風情でレイルズは笑い、しかし不安は拭えない。何しろ尾行に遭うなんて初めての経験だ。普通に生きていればそんな経験、普通はしないとも思うけど。
「向こうの
「そいつは囮だな。本命はその先、男女二人。仲睦まじいのがいるだろう」
顔の向きを変えないように意識して目線をずらせば、言われたような風体の人間が確かにいる。柄の悪い言葉遣いで通話をしている中年の男と、その店の影でゆるく絡み合う若い男女。しかし、どちらも俺達を見ているような素振りは無い。
「気のせいじゃないすか、どう見てもそんな風には」
「あまり視線を動かさないでくれ。顔はこちらを向いていなくても、目線は誰かしらこちらに向けている。……
「ないよー、って言いたいけどー。うちら、立場びみょーだしー」
「なら、これも情報源になる、か」
そう呟き、ごく僅かな時間を思案するように目を閉じてから、レイルズが再び口を開いた。
「今から言うことをよく聞いてくれ、合図したら君達から見て右側に向かって走る。私はしんがりだ。百メートルくらいで左手に看板が見える。犬と金鎚のものだ、その角を曲がってくれ」
「その先は?」
「お楽しみだよ。まあ任せてくれ」
頭から手が離されて、キャスティの整った顔が僅かに離れる。姿勢を変えないように注意しながら、すぐに走り出せるように足に力を込め、しかし合図はまだ無い。どうやら背後の気配を探っているらしい。
心構えのために、もう一度視線だけを向ける。絡み合う男女も、大声で端末にがなる男も、変わった様子はない。
その時、俺達が少し前に通ったばかりの地下通路を、一人のけばけばしい化粧の女が出て来た。通話している男がほんの少しだけ、気をとられたようにそちらに顔を向け。
レイルズの手が、背中を叩いた。
それが合図だった。進行の邪魔をしないように手を上げようとするレイルズを待つのももどかしい、という風情でキャスティが姿勢を低くし、潜り抜けるようにスタートダッシュを決める。わずかに遅れて、俺。
秒に満たない時間を置いて、背中を複数の足音が追いかけ始める。慌てた様子は無く、つまりこちらが感付いていることを、あちらも察知していたのだろう。構わず、全力で足を動かし続けながら、横を流れる建築物の壁面を注視する。居住用のものばかりだから、看板はあまり多くない。
驚くことに、キャスティはヒールの高いロングブーツという走るにはまるで向いていない靴だというのに、全力疾走のこちらがついて行くのがやっとだった。俺が酔っ払っているのもあるんだろうけど。
「こっちー!」
いち早く看板を見つけたキャスティが、そう言って速度を緩めることなく、狭苦しい裏路地へと曲がっていく。看板を出していたのは革細工洋品店で、店の中身と看板の脈絡が何もないことにおかしさを感じ、しかしその感想すら置き去りにして後を続く。人二人がなんとか体を横にせずに通り抜けられる道を走り、背後からは足音が続く。
近い音はレイルズだろう。遠くからは、勘だけど二人分。そう察しをつけた直後に、レイルズの足音が消えた。
何かあったのか。
振り返ると、彼は健在で、しかし路地を曲がったすぐの壁に背中をぴったりと付け、手にはいつの間にか脱いだのかコートが丸めてある。
追跡者の一人が姿を現したのは、すぐのことだった。速度を殺さずに通路に侵入してきた男は、絡み合っていた男女のうち男のほう。着崩したジャケットに明るい茶色の髪。そばかすの残る顔の前に、レイルズが丸めてあったコートを広げ、突如進路を塞がれた男がたたらを踏む。
その後ろ、こちらはヒールのまま走ったせいで遅れたらしい、ダウンジャケットの下に派手なピンクのタンクトップを着込んだ女が飛び込んでくると、レイルズは渾身の踏み込みでハイキックを見舞った。
たまらず昏倒した女に脇目を振らず、振り返りざまに頭からコートをかぶった男の腕を掴み、引き寄せながら右の拳が振り抜かれる。ダンスのように鮮やかな体運びは、頭部に向かうしっかりと体重の乗った一撃へと変わり、弾力のある何かを叩く、ずぱん、という音を路地に響かせた。
割と洒落になってないと思う。今の音は、プロの格闘試合やなんかでしか聞いた覚えのない、
「うわ……」
恐らくは頬のあたりから、したたかに顎を揺らされたんだろう、がくがくと震えつつ男が地べたに沈む。音としては小気味いいけど、やられた方としてはたまったものじゃないだろう。
顔をしかめてそれを見ている俺に対し、しかしキャスティの方は黙って観戦していたわけじゃなかった。ヒールが奏でる硬質な音と共に急ブレーキから取って返し、珍しく穿いていたスカートの中に手を突っ込むと、ふわっふわのフリルが満載のそれからごつくて物騒極まりない形状の銃を取り出している。
向かった先は、路地の入り口。狙いはすぐにわかった。姿を見せていなかった三人目、トレーナーにスラックスの上にブルゾンを引っ掛けた、あまり機動力が高そうには見えない中年。そいつが押っ取り刀で路地に顔を出したところを、顎の斜め下から狙う角度で銃口を突き付ける。
「はいおつかれさまー。そんでー、おやすみなさーい」
ぎょっとした男が顔を向けようとした瞬間、銃口から一瞬だけ青白い光が漏れ、男が昏倒する。
冗談めかしていたが、構えている得物は勿論冗談なんかじゃない。
「礼を言おう。手間が省けたよ」
「差し出がましかったかなー?」
尾行三人を手玉にとった挙げ句に無力化したその手際に、俺は最早二の句も継げない。
少しは鍛えていた自信があったけど、全く俺は修行が足りていなかったらしい。今はこの二人が特別やばいのだと、そう思いたい。
◆◆◆
「まー、従軍経験ありな人と比べること自体がねー、お門違いってもんだよー」
ベルトで、中年の男の腕をてきぱきと拘束しながら、慰めるようにキャスティが言う。
「大体ジュート君さー、
「そうだな。まあ不足を感じるなら、一度、どこかの正規軍で
「言葉の響きからしておっかないんですけど。参加したら訓練中、すげー罵詈雑言浴びせかけられたりとかしません?」
「いやいやー、そんなことないよー? むしろ逃げ出さないようにー、飴と鞭の使い分けかなー」
「そして、逃げたら今までがもったいないと思わせたところでここで訓練することが生きる意味だ、とまで意識改造してからが汚い言葉の出番だね」
「むしろー、そうなったら強い言葉しかー、響かなくなるもんねー」
あっさりとした顔で、やはり慣れた手つきで尾行三人を行動不能な状態まで拘束していく。使う道具は、それぞれが身に付けていたベルトやジャケットの袖。歩けないように足首も縛っているあたり、逃がさないぞ、という意思がありありと見える。
「軍隊ってそんなことまで習うんですか?」
「一兵卒ならともかく、将兵なら基礎教養だね。捕虜の扱いは生かさず殺さずが基本だ。とはいえ、このご時世では人間同士の戦争なんて悪徳とされているし、使う機会はあまり多くはないが」
油断なく辺りを警戒しながら、レイルズ。役割分担は、拘束をキャスティ、周辺警戒にレイルズ。俺はと言えば、キャスティから手渡された銃を昏倒したままの三人に突き付ける役目。念のため、というが人間に銃を向けるのはあまり気持ちの良いものではない。
今いるのは先ほどの場所からさらに奥まった、人の気配どころか、建物の窓明かりや街灯にすら事欠くような有様の裏路地だ。その中で一つだけ、暗闇の隙間をくり抜くように灯る自動販売機のライトは、まともなメンテナンスなんて無縁なようで時折掠れたような明滅が混じる。たぶんハニカムの寿命が近いんだろう。スラムとは無縁の街ではあるけど、時折このような空白地帯が生まれるのは、如何に区画整備を行おうと避けられるものではないらしい。
そんな中で、身動きの取れない男女三人を囲むこれまた男女三人、傍目から見れば犯罪の匂いしかしないだろうし、実際犯罪に近いことが行われることは容易に予想がつく。
今日は人生初の出来事が多すぎると思う。かつそのどれもが、望んで経験したいとはあまり思えないことばかりだ。
「で、どうするんすか、これ。話聞こうにも気絶したままだし」
「直接話を聞けるに越したことは無いが……。追われていることまで考えると、悠長に尋問する時間も無いようだからね」
「ざーんねん。エヒトの拷問方法ってー、伝説級だから見てみたかったんだけどー」
「血なまぐさいのは勘弁だよ……」
「まあ、話を聞かずとも情報は得られる」
レイルズはそう言うとしゃがみ込み、中年の方の男が着たブルゾンの懐を探り始める。
「それ、犯罪じゃ……」
「人を付け狙う人間に犯罪も何も無いだろう? ……これだな」
取り出したのは、パスケース。ごく当たり前の、革細工で作られた物だ。天然皮革が俺の知る相場よりもさらに高価なこの時代では、値の張る代物ではあるけど。
しかしレイルズは財布自体に用は無いらしい。ひとしきりパスケースの中を探り、仮想通貨取引用のカードや端末に挿入する
「この手の人間は、目立たないところに身分証を隠している。この
「なんすか、これ。犬が二匹と……天秤?」
「うわぁー……、よりにもよってこいつらー?」
見せられたカードを前にして、全くピンとこない俺とは対照的に、キャスティが辟易したような声を上げる。
「普通はあまり世話になる人たちでは無いがね。ジュート、
包括的金融監督局……Comprehensive Financial Supervisory Authority、略して
主な仕事は、企業の脱税や裏金の調査、反社会的組織の
「にしては物々しいっていうか……、そもそも俺、税金ならちゃんと払ってますよ」
「そんな用向きじゃー、こいつらは出張ってこないねー。このエンブレムはねー、荒事専門の執行部隊。通称マネーハウンドって言ってー、マフィアとかに
どこのランキングだよとか、残り二つは何だよとか、そんなツッコミが浮かぶがとりあえず無視だ。
「そんなのになんで狙われなきゃいけないんだ。犯罪者扱いかよ」
「そうと決まったわけでもないが、目を付けられたことは確かだね。キャスティさんはもう、何が理由かはわかっているんだろう?」
「まーねー。アドラーの越境査察軍くらいは出張ってきそうな話だなーとは、思ってたしー」
そっちは名前くらいは知っている。今は亡きエヒトと肩を並べるほどという噂の、人類の抑止力を自認する軍事都市。その越境査察軍は、実態としては他の中核都市や非正規武装勢力の中立地帯で発生した小競り合いに問答無用で介入し、平和維持活動費という名の戦費を関係各所から徴収するという、有り難迷惑この上ない戦争屋だ。
人間同士の戦争が非効率かつ非経済的であり悪徳とされるこのご時世で、着々と練度を上げ続ける事実上最強の軍隊。マネーハウンドといい、この越境査察軍といい、話が物騒過ぎる。
「なんで、そんな大袈裟な話に」
「エミィちゃんの存在がー、ただの妨害工作プログラムって思ってるでしょー」
「そりゃ、まあ……その通りだけど」
「情報操作をー、防御手段無しで出来るってー、十分に大ごとだからねー? お金も政治も産業もー、ぜーんぶデータでやり取りされてるじゃん?」
「特に金融分野は、暗号通貨の秘匿性が価値の担保になっている。その大前提が崩れれば、基軸通貨を取り扱うシフェルハッシュのディッフェルマン家は血眼になってその根源を探すだろうね」
事はバグとの物理的な戦いに限らない。そういうことだ。全ての情報に信用がおけなくなれば、社会基盤は全てが混乱のただ中に突き落とされる。
つまり。
「エミィは、世界を崩壊させかねない爆弾みたいなもの……ってことか」
「そう言っても過言ではないな。かつ、そういったものが存在すること、そのものが今の状況を動かしている」
「猛毒もー、盛られれば驚異だけどー、持ってる分には武器だからねー」
「利用価値もあるって言うんすか。そんな非常識なこと……」
「事実だよ、思った以上に人間は愚かでね。そういった諸勢力の動きまで考慮すれば、私たちは今現在、社会的な攻撃を受けている最中だとも言える。そう考えれば、ミツフサの一件もより説明がつく」
「ジュート君殺してー、エミィちゃんを回収するついでに、
世界を崩壊、なんて言葉を使うことになるとは思わなかった。だけど、事実なんだろう。今、目の前で拘束され転がる三人は、その証拠の一部だ。俺やキャスティは、現地に居合わせた人間として、情報源として追われていたということだ。
これまで、俺やエミィにまつわる件の全体像が、全く見えてこなかったことにも納得だ。個々のピースを見たところで、ずっと大きな輪郭が見えるわけがない。
その馬鹿げた大きさのジグソーパズルも、どうやら外枠は埋まったように思う。エミィを情報兵器へと変え、俺をその運び屋にし、ミツフサを舞台にその威力を知らしめると同時に手中に収め、全世界に喧嘩をふっかけたというのが、この件の全貌だ。
残るピースは、ただ一つ。
「でもさー、結局誰が仕込んでんのー、これ」
キャスティの声が、最後の疑問を代弁する。
そう、黒幕だ。エミィを利用して四方八方の組織を疑心暗鬼にさせ、世情を大いに混乱させる。そこまではいい、良くはないけどこの際置いておく。
その混乱を引き起こすのは、あくまで手段でしかないはずだ。結果として誰が何を得ようとするのか、そこがまだわからない。
「それこそ、私から語れば憶測だけになるね。今も政治に触れる人間から聞き出すのが筋だ」
「えー、じゃあなにー、またトキハマ行きなのー?」
「いや、それもマズいですよ。元々レイルズさんに話を聞きに来たのも、サダトキさんの周囲を疑ってたからなのに」
「なるほど。確かに通信で連絡すればその懸念もあるね。それなら、今回のように最も原始的な手段を使えばいい」
レイルズは、懐から自分の端末を取り出し、二つ三つほど操作をしてからこちらに向ける。
そこには、こうある。
――ミツフサ開拓村大規模蝗害 犠牲者合同葬について
「参列者には、イサ家の若君の名もある。日付は明後日、打って付けだろう?」
◆◆◆
それから俺たちは、居住区画層露天部を離れ、言葉少なめに工業区画層へと向かった。一般的に、リムの
そしてレイルズとは、商業区画層から工業区画層へと続く、あまり使われることのないという階段の前で別れることになった。
「サダトキ君は私も見知っているが、覚えている限りでは至って理知的だったし、そもそもイサ家自体が穏健派だ。直接会う分には問題ないと思う」
至って理知的。アレが。
一月前に話したときのことを思い出すけど、あのキャラは演技とは思えない。むしろ、真面目にしようとしても滲み出てた感すらある。
「どうした、苦い顔をして」
「ああいや。サダトキさん、印象の強い人だったので」
ものは言い様というやつだ。
「でー、レイルズはどーすんの、さっきのに顔は憶えられてるんじゃなーいー?」
「秘匿捜査に当たるものが、あの程度で後からごちゃごちゃと言ってくることはないな。予定通りに出張に行く、それだけだね」
「すいません、遠出前なのに厄介事に付き合わせちゃって」
「あれくらいなら厄介とも思わないさ。……それより、君達こそ道中気を付けることだ。他の勢力も動いていないとは限らない」
つい先ほどの話を反芻する。当然の話ではあるけど、世界を巻き込むような事態に直面したことなんてこれまで一度も無いし、その結果どれだけの人間が関わるのかなんて想像の埒外だ。
「どこも油断できない、って思っておきます」
「結構。それでは餞別代わりに一つ。事態の中枢は、『指揮個体』だ。エミィも恐らくは、そこにいるはず」
「え……」
「彼女自身、巻き込まれたという事情はあるが、しかし当人の意思も不明だ。……いざという時に備えて、躊躇わないよう覚悟だけは決めておくことだ」
これも忠告なのだろうか。殺せるときに殺せと、暗に言い残してレイルズは背中を向ける。足取りは至って落ち着いたものだ。ついさっき、尾行を鮮やかに撃退したことなど、全く気にも留めていないようにも見える。
「ねー、ジュート君? 『指揮個体』ってなーにー? 美味しそうなもの、まだ隠してたのかなー?」
「現れたなバーサーカー……」
「えー。戦いは人間の本質だよー」
「とりあえず、それについては後で。さっさと出ましょう」
「んー、それなんだけどねー? もうちょーっと、暴れないといけないかもー」
「暴れる?」
聞き返す俺に、キャスティが手招きする。行き先は階層間の、
「ザルマンが置いてあるの、すぐそこなんだけどー。どーも、待ち伏せされてるみたいだー」
そう言ってキャスティは、とても楽しそうな笑顔を浮かべた。
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