020.「吶喊作戦」
◆◆◆ ◆◆◆
その時、サツキが聞いたという悲鳴が、本当に悲鳴だったのかはかなり疑わしい。
通信越しでも盛大に聞こえていた雨音は、今の季節に決まって吹く山おろしの風に乗って、二日に一度くらいの頻度でやって来る積乱雲によってもたらされたいた。特にこの日は、降雨量は時間あたり50ミリを軽く超え、バケツどころかタライでもひっくり返したような雨が一時間近くにわたって降り続いていたと後から判明している。その最中に、距離にして200メートルは隔てた距離にいた犠牲者の声が聞こえたとは考えにくい。
ただ、事実としてはその時確かに、ミツフサ北端の倉庫区画にバグの群れは到達し、間の悪いことに雨の中外を出歩いていた住民のうち、少なくとも四名がその時点で死亡していた。これは、彼らが所持していたであろう携帯端末に記録され、または外部に転送されていたライフログから確認されている。逆に言えば、それ以外に誰がいつ死んだかを判別出来る材料は残されていなかった。それを知るだけの情報すら残っていないほど、彼らは損壊されていた。
話を戻そう。つまり、時系列としてサツキとの通信途絶はミツフサへのバグ侵攻とほぼ同時で、それから程なくして
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疎らな木々の隙間を縫って、アンダイナスが駆けた。いちいち回避行動を取らないといけないことがもどかしい。何も考えずに一直線に加速出来ていれば、もっと早く辿り着けるのに。
焦りとともに胸に疼くのは後悔だ。何故通信が繋がったときに、即座に「逃げろ」と言わなかったのか。俺はこの不自然極まりない事態に心当たりがあったはずだ。
「なんで、繋がらねぇんだ……っ!」
右手スティックで障害物を避けるために入力は続けながら、左手は何度もミツフサ開拓村の通信機に
その時、ふと思い至った。
戦時リンクから届いたアラートだ。少なくとも、
さらには、リーナスが何度本部を呼び出しても応答しなかったことが気になる。通信を意図的に選別しているような……、いやむしろ、俺達を通信に参加させたくないような。なら、この通信妨害はどこから端を発しているのか。もしかしたら。
『ユート!』
脳幹まで氷柱を突っ込まれたように冷え込んだ頭に、声が届いた。半ばクセとなってしまった動きで、リアルタイムマップの確認、そこに滲み出すように二体の反応。正面に一体と、横方向からこっちと交差する軌道で迫る一体。種別はどちらも
「邪魔ァ……!」
迷うこと無く、横方向のそれに
「すんなよ!!」
トリガーを引き、残心も無く進行方向に向き直る。視界の片隅には欠片となって吹き飛ぶアラーネアが僅かに見切れていた。椀部の砲身はそのままに、再びトリガー。遠方で砕ける二体目のアラーネアも既に眼中にない。砲撃によって殺された速度を補うため、即座に走行姿勢に戻る。
時間のロスが痛い。さっきから降り続いている雨のせいで、足を踏ん張れないのか四肢の動きだけだと加速が思うように出来ない。全開状態の1G加速で10秒分あるはずの
『……私のせい、なのでしょうか』
走りながら立木を回避することに専念していた俺の耳に、ぽつりとエミィが零す声が聞こえた。
そんなはず無い、と言おうとして、言えずに口元が喘ぐ。エミィも考えが至ったに違いない、今となっては三か月も前に、レイルズに言われたことを思い出す。
――
『言えなかったんです。私が、狙われている可能性があることも、もうすぐトキハマを離れることも。嫌われるかもしれないとか、そんな姑息なことばかり考えて』
淡々と、エミィが続ける。俺と同じ事を考えているのは明白だった。災厄なんて単語が漠然としすぎていて、実感がまるで伴わなかったけれと、サダトキの話を経た今ならおぼろげながら理解出来るような気がする。電脳人は滅多なことでは人前に姿を現さない。御伽話のようにその存在を語っていたゲンイチロウの話しぶりからもそれは分かる。
つまり彼らが姿を現す時、それは碌でもない事をしでかす時でしかないのではないか。
『こんなことなら、私なんて最初から、』
それ以上聞くのは耐えられなかった。無性に腹が立った。こんなことを言い出すエミィにも、それを言わせている
今、エミィが自責の念に駆られている。それを引き起こしたのは誰だ。
「そんなわけあるか!」
言えなかった言葉が、やっと口を突いて出る。義務感も責任感も猜疑心も恐怖心も何もかもどうでもいい。喉の奥で言葉をせき止めていたそれらを一気に粉砕して、まくし立てる。
「認めないからな、エミィのせいであってたまるか。そんなこと、ゲンさんやサツキやロランドさんやスノハラさんやメイさんや、他のみんなが危ない目に遭ってる理由にするなよ」
『ユート……』
「助けるんだろ!」
『は、はい!』
覚悟を決めたのか、エミィが深く息を吸う気配。悩むのはもうやめだ。やることはとっくに決まっている。
◆◆◆
ヘッドマウントディスプレイ装着済みの視界、正面からやや左側にマップが展開、表示される。二キロメートル四方を表示した索敵結果表示用の近距離マップの他に、さらに二枚。一枚は地域全体、東は海岸線から西はトキハマ付近を越えてレドハルト丘陵までを収めた高縮尺マップ。最後に、過去に取得した実際の地形情報まで反映した、ミツフサ近郊の地形情報マップだ。
闇雲に開いたわけでも、画面の賑やかしにしたわけでもない。まずはお馴染み周辺索敵マップ、だけど普段に比べてその索敵半径は極端に狭い。一向に止む気配のない、度を超した豪雨の影響だ。降雨が無ければ、複合センサーの統合解析で戦闘中でも半径2キロメートル、機体を静粛な状態に置いての精密探査ならその十倍の精度を誇るアンダイナスのセンサーも、濃密な雨という遮蔽物と雨音に電磁・音響・光学センサーを潰されてしまえば、残る熱源・振動の感知結果だけでは満足な精度は得られない。結果として、今現在の索敵可能な範囲は普段と比較して二割程度の半径400メートル、範囲内の分解能は最大誤差1メートル前後といったところだ。
「自前のセンサーはあてにならない、か。ミツフサまでの距離は?」
『直線距離で3キロを切りました』
「……まだ、精密探査でも届かないな」
『この天候では、精度を出すには一度立ち止まる必要があります。今は現地に急ぐべきでしょう』
それには全くの同意だ。ただ、到着までの数分間を何もしないのも勿体無い。そこで残る二つのマップだ。
まずは地域全体の広域マップ。ポイントは二つ。ミツフサ開拓村とさっき訪れた避難警戒ラインとの位置関係、そして先ほど遭遇したアラーネア。
アラーネアはこの近隣に出没することはほとんど無い、セントス山脈以西、レドハルト丘陵を主な活動区域にしているバグだ。それが現れたということは、十中八九はレドハルト丘陵から遠征してきたものと考えて良い。そして、ミツフサ周辺までの侵入経路は不明ながら、避難警戒ラインに出来た穴を通ったことは間違い無いだろう。
「……いるな」
『指揮固体、ですか?』
独り言のように呟いた言葉に、疑問形でエミィ。三ヶ月前のトキハマ郊外戦で俺が見たそれは、アンダイナスのセンサーにも映像記録にも、何の痕跡も残されていなかった。観測されていないってことは、存在しないことと同じだ。特に、彼女のような
ただ、俺にとっては確信に近い推測だ。状況もそうだけど、似ている。外堀から攻めてくる回りくどい攻撃が。そして、この空気が。そして、推測は別の推測も呼ぶ。あの時の攻撃の意図は今も不明ながら、目標は明確だった。
それなら今回も狙われているのは、アンダイナスと、俺と、エミィだ。
頭を振り、今の考えをかき消す。少なくとも今は、この推測を口にするべきじゃない。エミィの自責を再び呼び起こすことは、避けるべきだ。
広域マップにもう一度目を向ける。ミツフサ開拓村から見て、避難警戒ラインの穴は北北西方向だ。俺達は、敵の背後を追い掛けるような形で進んでいる。
では、北側から侵攻してきた後はどうなるか。ここで、ようやくミツフサ開拓村の近郊地形マップが登場する。
ミツフサ開拓村は、掘削し水深を下げた川に分断された南北を頑強な複数の橋で繋ぐという、居住地としては不便な立地にある。これはバグの襲撃を受けた際に被害地域を極小化するため、地形を有効活用するという辺境の開拓村によくある思想の表れだ。被害が甚大となった場合は、橋を爆破し南北どちらかを捨てるようになっているのだという。
「普通に考えれば、主戦域はミツフサ北部。住民は南部に避難して撤退準備中、ってとこだよな」
『まともに戦闘を行うのであれば、背後からの奇襲は有利ですが』
「戦況次第だよな。まともに迎撃してるのか、それとも早々に撤退を始めてるか」
大きく状況に影響するものは、やはり橋が落とされているかどうかだ。これによって、現地での布陣もこっちの行動も大きく変わる。
一番楽観的な状況は、橋を落とすまでもない敵戦力を北側で随時掃討しているというものだ。
だけど、避難警戒ラインが沈黙していたという事実と、さらにあの時聞こえた音声が敵襲のものだとすれば、どう考えても現地は後手に回っている。サツキ達が詰める拠点は南側だからまだ多少危険は少ないとしても、川向こうは全域が戦場になっている可能性が高い。
その場合は橋も落とされ、南側は撤退を始めているはずで、その分こちらが取る手段は至ってシンプルだ。撤退の支援として、追撃の可能性を少しでも低くするため、砲撃で敵勢力の減衰を図る。何しろ、川に隔てられているからといって油断はできない。渡河可能な個体もいないわけじゃない。
そして、一番最悪な想定。何らかの理由で橋が落とせず、南側への侵攻を許していた場合。
「あんまり想像したくはないけど、その時はなりふり構わず大暴れ、だな」
『その時は、付き合いますよ』
玉砕覚悟ってわけじゃない。こっちに注目を引き付けて、生存者を少しでも増やす。リーナスやキャスティが到着してから救出に回るのもいい。
ともかく、先ずは現地に着いてからだ。厚い膜が掛かったように見通せない視界の向こうには、少しずつ人工建築物の滲むような影が透けて見えてくる。合わせて、大電力兵器の奏でる甲高い音、金属の塊がぶつかる音が少しずつ聞こえてくる。
「精密探査にミツフサ全域が入り次第、停止、索敵開始。いいね?」
『了解。センサーポッドは展開済みです。いつでも』
突入速度を少しでも稼ぐため、ブースターに火を入れる。慣性に負けて、機体表面に溜まっていた雨滴が置き去りにされ、背後で盛大な水音。
土砂降りの中、薄暗い巨像の戦場が、姿を現す。
◆◆◆
声も出なかった。
半日も経っていないはずだ。収穫前の、穂だけが色づき始めた稲田。リムの収穫用アタッチメント整備に余念のない住人。辺りを何が楽しいのか駆け回る子供。ポールの間に張ったロープに洗濯物を掛けながら世間話に興じる年配の女性たち。それらを横目に、俺はリーナス、キャスティと連れ立って出発した。
今はすべてが見る影もない。稲田は巨大な足跡に踏みつぶされて土色の方が目立ち、農耕用リムは傷だらけで放置され、向こうに見える
辺りに人影、少なくとも生きている人の姿は無い。時折の射撃音は遠く、残響として届く。
「……探査結果は」
聞くまでもない話のように思えた。少なくとも、この状況を見る限り、北部は全滅に近い。
『精度が上がりません。あと十秒』
「速報値でいい。早く」
『はい』
焦れる。やり切れない気持ちを、何かにぶつけたくてたまらない。ただ、ここで闇雲に走り出すわけにもいかない。考えなしの行動で痛い目を見るのが自分だけならいい、でも今回は。
わずかな時間を挟み、周辺マップに光点が現れた。
食い入るように見る。光は黄色く点り、つまり
予想通りだ。北側には
境界が村を分断する川に差し掛かり、また色が変わり始める。
——青だ。
「エミィ! まだ生きてる!」
ミツフサ南側、中央を貫く目抜き通りから東側に逸れた場所に、数十人分は下らない青い光点の集合がある。確か、村内に乗り入れるリムの降機と一時駐機のための広場だったはずだ。他にも疎らに数人単位で散らばる光点はあるけど、集まり方を見る限りそこが退避準備中の一団で間違いない。
最悪の事態には至っていないことに、胸をなで下ろす。北側の惨状や少なくはない死者が出ていることにやり切れなさも感じるけど、それ以上に生存者が大多数いることがただ有り難かった。
とは言え、状況を楽観視も出来ない。生存者の集まる場から北に目を向けると、そこには南北を繋ぐ三本の橋の南端、西側を除いて中央の橋に三機とその東に二機のリムが陣取っているのが見て取れる。橋の上には、恐らくはひしめき合うバグどもの光点。
『橋がまだ落とされていません』
エミィが代弁し、状況も察しがついた。つたり、理由は分からないけど橋を落とすための仕掛けが中央と東側は上手く動かなかったんだろう。その上。
「リムの数が少なすぎる。これじゃ、橋の防衛だけで手一杯だ」
『北側で戦闘を行った際に損耗したようです。他にもリムらしい反応はありますが、集団の近くにあるところを見ると輸送用でしょう』
移動を再開しながら思わず出た言葉に、エミィが返す。確かに、そこかしこにバグのものに混じってリムらしき残骸がある。
駐留していた警備軍も入れて、二十機はいたはずだった。それらが健在で、最初から南側の防衛に回っていたら、なんてことは言えない。彼らは彼らで、侵攻されたときの初動対応や、北側から避難する住民の援護で力を尽くしたはずだ。ただ、事実として。
「このままじゃ、脱出の随伴どころか橋の防衛にも足りないな」
とるべき選択肢はあまり多く残されていない。最悪の状況ではないけど、事態は十分に深刻だ。なりふり構っている場合じゃない。
『どうしますか』
「決まってる。南側に強行突破して、橋の防衛を受け持って避難の援護。抜けたらついでに橋を落としてもいいし、川向こうから砲撃を浴びせかけてもいい」
『この位置から遠隔砲撃で橋を落としても良いように思います』
「南側のリアルタイムな状況が手に入らないから、流れ弾でこっちが被害を出しかねないだろ。大体、
崩れかけた倉庫の隙間から、集団からはぐれたらしい
「戦力も心許ないんだ。出来るだけ、何かあってもすぐ助けられる場所に居ないとな」
スティックとペダルの入力を微調整しつつ、返す。目指すは、中央ではなく、幾分敵の密度が少ない東だ。
ほう、と感心したような声をエミィが上げる。
『シミュレーションの効果はありましたね』
「やっておくもんだな。……前方、敵集団視認。初弾装填」
『
いつかのように、エミィが武器の制御担当を申し出てくる。でも、今回はそうするわけにはいかない。
「兵装制御はこっちでやる。エミィは周辺状況の精査と、誰でもいいから南側への通信手段を確立して」
南側への突破と同じくらいに大事なのが、情報収集だ。今回は人の命がかかっている以上、戦闘が多少苦しくなっても的確な状況判断は欠かせない。
トキハマ郊外での一件とは逆になった立ち位置に、思わず苦笑する。我ながら、随分と環境に適応したものだと思う。
「頼りにしてるからな。助け出そう、絶対に」
『無論です』
エミィの返事から一拍遅れて、トリガー。狙いは橋の南側で奮戦しているだろう味方機から逸らした射線で、数体の
一心不乱に橋の突破を目指していた集団が動きを止め、こちらに向き直る。当たり前だけど、割り込ませる意思はないらしい。
「悪いね、通らせてもらうよ」
気持ちをより固めるためにそう口にして、二撃目を放つ。いつの間にか、列に加われずにいたらしい他の個体が、こちらを取り囲もうとするように位置を取り始めている。
乱戦が始まる。それは、予感ではなく確信だった。
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