挿話.「夢幻残滓-裏」

 素描状態ワイヤーフレームのチープなマップが、目の前に広がった。模擬戦闘のシナリオが新たに開始されるらしい。

 待ち望んでいたものだ。これを片付けることに何の意味があるかは判然としないけど、私自身に関わる大事な何かであることが、何故か感覚から理解出来た。

 マップ上の光点が動き出す。敵性エネミーオブジェクトの数は合計で32、うち大型の敵性個体が3で残りは全て小型。対して、連携するこちらのオブジェクトは57。算出した彼我戦力比は104対1。あからさまな自軍有利。何もしなくても勝てると言われているに等しい。

 何もしなくても良いところで、敢えて先陣を切って出る。不要な視覚情報は切られている。対物、音響、電磁、慣性の数値情報を基に、慣性モーメント偏差調整、大気・重力・コリオリ力を考慮した弾体軌道予測、対物センサーからの障害物回避運動の各オペレーションを逐次実施。全ての知識は用意され、苦も無く一つ一つ、漏らさずにオブジェクトを潰す。開始から32秒で敵性オブジェクトの三割がキルマークへと差し替えられる。

 楽勝だと思ったが意外なことに、終盤で一体の大型オブジェクトが背後に小型オブジェクトのうち2体を隠したまま、しぶとく抵抗を続けた。避けられる攻撃を避け、背後に通る攻撃は受ける。そんな無駄な抵抗を続けなくても結果は見えている。早く潰れてしまえ。

 無駄に時間を浪費していることに業を煮やし、そこで思いつく。背後のオブジェクトを優先的に攻撃すれば良い。隙は見せることになるが、どうせこちらに生半可な攻撃は通らない。実行に移す。

 うまくいった。見え見えの打撃に身を投げだしたそいつに、追い打ちの砲撃を見舞う。キルマークが一つ増える。

 後は、小物を潰せば終わりだ。盾が無くなったことを察したのか、二体は連れ立って距離を取ろうとしている。だけど、遅い。手を伸ばせばすぐに片がつく距離だ。ほら、あと3メートル、2、1。そこで画面が暗転する。

 どうやら大型のオブジェクトを潰した時点で、作戦遂行と判定されていたらしい。何の趣向かはわからないけど、随分とつまらないことをさせてくれたと思う。いつものように成否判定の情報としてシナリオ名が表示される。


 ――エヒト外縁部侵攻戦。


 その単語を目にした瞬間、それまで認識したことの無い記憶が脳髄の奥底から溢れ出てくる。

 森林地帯に囲まれた開拓村。顔の思い出せない両親。素朴で暖かい世界。寒い朝に飲んだ残り物のコンソメスープ。雑貨屋で買ったペンセット。弟のような友達。破壊。土葬。泣き叫ぶ。ただ声を枯らす。

 溢れ出た記憶に全てが埋め尽くされ、私は声にならない声を上げ続けた。


 ◆◆◆ ◆◆◆


 悪夢の残り香を色濃く感じたまま、目が覚める。天井が見えた。どう言い繕っても手入れが行き届いていない、染みがそこかしこに浮いた、明らかに安物の建材を使った板張りの天井だ。

 その中央にあるのは、これも安っぽいランプシェードを被った照明器具。光が強すぎて、眼が順応してくれない。無意識に手をかざして、光を遮る。

 そんなごく当たり前の行動が、違和感を伴っている。私は今何をしたのか。手で、照明を、遮った。


 人間の身体なんて持ち合わせていないのに。


 勢いよく身体を起こす。確か、二人がそれぞれ所用で出掛けると言うから、私も空いた時間に仮眠を取って体調を整えようと、

 ――二人とは誰のことだったか。頭が回らない。私はまた、あの時のように忘却をしてしまっているのか。あの時とはいつだ。とにかくセンサーを動かして状況の把握を。センサー? そもそも、身体を動かすという感覚が違和感の根源だ。何を言っているの。


 ここは誰の部屋だろう。


 その疑問に行き当たり、一向に答えの出ない自問自答から無理矢理に思考を引き剥がしてから周囲を見渡す。意外にも部屋の中はきれいに片付いていた。小さめの机の上には、種類は少ないながら化粧道具が並べられている。その横にはアクセサリーボックスや帽子が飾るように置かれた棚。背の低いチェストの上には、飾り気のない折りたたみ型の鏡。

 そう、鏡だ。自分自身のことが判然としないというこの不可解な状況も、鏡を見れば全てが詳らかに出来る。特に根拠もなくそう思い、立ち上がり、わずか数歩の距離をおそるおそる足音を消して歩き、手に取り、覗き込む。

 当たり前のように私がいた。いや、私ではなかった。私の顔をした別の誰かだ。顔自体は私そのもののはずなのに、言い得ぬ違和感がある。それは例えば、記憶より明らかに長い髪の毛であり、右ほほにあるこれまで出来た覚えのないにきびであり、着たこともないタンクトップであるかと思えた。

 違う。目だ。

 私の目は、こんなにも疲れ、しかし優しいものだっただろうか。

 これは誰だ。震えが止まらない。指に力が入らない。あっ、と思ったときには、鏡は手を離れていた。ぶつかる。割れる。私ではない顔に、ひびが入る。

 派手な音がした。途端、隣室にいたらしい誰かが立てる、くぐもった足音が響く。がちゃがちゃと慌てたようにドアノブが動き、ドアが開いた。


「姉ちゃん!?」


 現れた顔には、見覚えがあった。記憶の中、弟のような友達。それよりも背はずいぶんと高い。私の背にもう少しで届きそうな体に、声変わりしかけたやや掠れかけの声音。違う、この子は。

 靄が掛かったような頭が、突然明瞭になる。記憶の焦点が定まる。そうだ、この子は私の弟だ。


「どうしたんだよ、そんなにぼーっと……あー、鏡割れちゃってる」

「ごめん、寝ぼけてたのかも。大丈夫、私が掃除するから」

「いいから。俺やっとくから、向こうで座ってて」


 本当、何を錯乱していたのだろう。この子は、弟代わりなんてものじゃない。私たちはお互い、ただ一人の掛け替えのない家族だ。


 ◆◆◆


「それにしても、鬼の霍乱ってやつだよなあ」


 小さなダイニングスペースの、これも小さな二人用ダイニングテーブルに着いた私に、手早く割れた鏡の片付けを終えた弟がそう言った。


「……何よ、それ」

「姉ちゃん、今まで病気らしい病気したことねえじゃん。それが熱にうなされて、鏡落としておろおろして、なんてさ」


 言葉に詰まる。完全に同意するには抵抗があるけど、確かに私らしくない。普段なら、ちょっとした風邪くらい多少無理してでも動き回れていたのだ。

 ここ三ヶ月くらいのことだ。私は、突然体が動かせなくなるほどの頭痛と高熱に見舞われるようになった。それも、最初は二週間に一回とかのペースだったのに、ここ最近は週に二回くらいの頻度になっている。


「なあ。何ともないんだよな。嫌だよ、無茶して倒れたりしたら」

「大丈夫だってば。検査しても何にもないし……お医者さんも、慣れない仕事に疲れたんだろうって」

「仕事きついなら、無理して働かなくてもいいのに。俺の稼ぎだけで十分暮らしていけるだろ」

「……あんなことして稼いだお金で暮らすなんて、それこそ御免だわ」


 吐き捨てるように言った後で、しまった、と思う。


「なんだよ。俺だって好きでやってるわけじゃ」

「ごめん。あんたの気持ち、考えてなかったね。……今まで頑張ってくれてたのは、分かってる」

「ならいいだろ。どんなことして稼いでても、金は金だよ」


 彼は不貞腐れて、頬を膨らませる。そう、確かにお金はお金だ。それ自体には何の性格も無い。ただ、有るのか無いのかの違いでしかない。

 だとしても、私は彼の稼ぐお金で安穏と暮らす気には到底なれなかった。


「それとこれとは話が別よ。今まで生きていくのに必要だったのは認める。でも、それであんたが危ない目に遭うかもしれないって分かれば、そうはいかないわ」


 彼の仕事とは、つまりは犯罪だ。それも、捕まればちょっとやそっとじゃ表には帰って来れないほどの。

 この子がどうしてそんな危ない橋を渡るようになったのか。それを語るには、少しばかり長くなる。


 ◆◆◆


 私と弟は、早い話が戦災孤児……俗に言う、蝗害の遺児、というやつだ。

 蝗害という言葉自体は、遙か昔にたくさんの生き物の方のイナゴが農作物を根こそぎ食い尽くしたという天災に由来するらしいけど、昨今の被害は農作物だけに留まらない。人も死ぬし街も根こそぎ壊される。何しろ襲いかかってくるのは、人よりも何倍も大きな、機械の蟲だ。

 それは今から五年ほど前になる。私たちが今住むこの街の北東にあった、エヒトという街がとてつもない数のバグに蹂躙されるという事件が起きた。世間ではエヒト消失とか、激甚大規模蝗害とか呼ばれてるそれについては、歴史の教科書や当時のニュースを調べてもらう方が早い。ここで大事なのは、被害が及んだ先がそのエヒトという中核都市のみではなかったこと。

 つまりその頃私達が住んでいたのは、エヒト郊外に点在するいわゆる開拓村というもので、運の悪いことにエヒトを襲ったバグの一部がその勢いのままに、ついでのように潰した村の一つだった。

 その酸鼻を極める状況をどうやって生き延びたのかは、思い出すのも辛い。ともかく、幸いにも二人生き残った私達は、他の村の避難民と共にこの街まで流れ着いた。

 とはいえ幸運はそこまでだ。九歳と八歳、合わせても成人の年齢にも満たない子供が二人、頼る大人もいない中でそれで生きていけるほど世の中甘くはない。戦災孤児なら行政からの支援があるとか幻想もいいところだ。その行政自体が消えてなくなればどうなるか。世間の目はエヒトの悲劇には注目しても、有象無象の開拓村にはその目を向けない。

 行き着いた果ては路上生活ストリートチルドレンだった。それも、物乞いではなく生きるために盗みを働く、最も厄介者扱いされる類の。その頃から私たちはお互いを姉弟とし、家族として生きることにした。生きるためには運命共同体が必要で、名乗るには姉弟がわかりやすく、何より荒んだ生活の中での寄る辺が欲しかった。それからは二人で盗み、騙し、逃げ回った。うまくやれたのは彼が持つ稀有な能力のおかげで、だからこそ目をつけられるのも早かった。

 やくざ者マフィアばかりが行き交う旧工業区画のさらに奥まった裏道、違法操業の工房の裏手。場所柄と騒音で銃声もその他の音も容易く誤魔化せると踏んだのだろう、そこで突き付けられた銃口の冷たさは生涯忘れられないと思う。百コイル払えば一番楽なやり方にしてやる、と言われた。ちゃんと弾を使って始末してやる、という意味の常套句だった。

 さんざん聞かされた話だ。ストリートチルドレンに人権なんか無い。五体満足な獲物が目をつけられたら、行き着く先は『開発される性的奴隷』か『バラされる臓器摘出』か。どちらもゴメンだから楽にしてもらおうかとすら思った。

 だけど、いよいよ覚悟を決めようと考えた矢先、私はあっさりと解放された。結論から言えば、私は今こうして比較的まともに生きている。ついこの間まで、それが何故かなんて考えたこともなかった。少し考えればわかることだ。私以外の誰かが私の命を救った、それ以外に無い。ただ、何の見返りも無しにそんなことをされるわけがない。

 代償は、弟が払っていた。

 彼は私の命と引き換えに、日陰にその身を沈めることになったのだ。


 ◆◆◆


 あからさまに不機嫌な顔をし、全く口を開かなくなった弟を見て、私は敢えて素っ気なく「ご飯、行こうか」と言った。

 お腹が空けば機嫌も悪くなるものだ。それが真剣な話の時ともなれば、余計に口も悪くなる。だから我が家では、可能な限り食事の時間は守ることにしている。これは、弟と二人きりになる前、開拓村で両親がいた時からの家訓でもある。

 果たして彼は、無言のまま席を立って玄関に向かった。靴を履き、顎先で私に早くしろと促す。少し笑ってしまい、誤魔化すようにジャケットを羽織って後に続く。

 通りに出たところで立ち止まり、ぶすっとした顔をしたまま私を見る。どこの店に行くつもりだ、と言葉に出さなくても顔で分かる。


「えっとね、カレー」

「は?」

「……悪い? 何となく食べたくなったの」

「まぁスパイスは身体にいいって言うけどさ。じゃあ、ジャクリタ料理の店ジャクリーンダイナー?」

「そういうのじゃなくて……トキハマ風の、どろっとしたの出すお店、無いかな?」

「んなピンポイントなのねーよ」


 呆れ顔をして歩き出す。どうやら3ブロック先のジャクリタ料理店で決定したらしい。確かにあの店の定食ターリーは美味しいから、それでも構わないと思った。


「あ、ちょっと待って。キャメレオンズの新刊出てる」


 そう言って目敏く見付けたのは、角に有るたばこ屋の雑誌販売デバイスに表示された一つの冊子だった。蟲狩りバグハンター御用達、と同時にリムマニアの情報源にもなっているものだ。


「好きねぇあんたも。何がいいの、それ」

「わかんねーかなぁ。でっかくてゴリゴリした物ってかっこいいじゃん」


 そう言って、端末で決済を終える。家からオンラインでも買えるはずだし、何なら定期購読でもすればいいのに、わざわざ店頭で買うのは彼の癖みたいなものだった。


「『トキハマ郊外防衛戦の隠れた英雄、銀の背中シルバーバックの足取りを追う』……? 何それ」


 器用にも、足は止めずに食い入るように端末を見る弟の背後から、誌面の見出しを読み上げてみた。画面からは目を離さずに、彼が返す。


「知らねえの? トキハマの」

「あんたと違ってニュースくらいは見るわよ。でも、そのシルバー……なに?」

「超つえーリムだって。クラス3を何十体も仕留めてんのに、正体は不明なんだってさ。警察仕事しろよなー。せめて誰が乗ってるかくらい」

「……乗ってるのは優柔不断そうな若い男の人よ、たぶん」

「なわけねーじゃん。きっとこう、軍人上がりのバリバリな武闘派だよ」


 ふと思い浮かんだ人物像そのままに、なんとなく口にした言葉に、弟があからさまに噛みついてくる。確かに言う通りだ、そんな男が内容はどうあれ雑誌の特集になるほどの戦果を挙げるとは思えない。

 それはそれとして、弟の言うお決まりなキャラクターもどうかと思う。こいつはこいつで、英雄然とした逸話に憧れているだけなんだろう。まだまだ子供なんだ、と考えるだけで、何故か私は安心してしまっていた。


 ◆◆◆


 ジャクリーンダイナーは、その名の通りジャクリタのスパイス料理を専門とする店で、夜は手頃な値段で度数の高いコスパのいいお酒と、相性の良い香辛料たっぷりの料理を出すと評判の店だ。

 とはいえ未成年者二人の姉弟なら夜の方に用があるはずもない。昼間のこの店は、労働者向けに割安のテイクアウトを出す店として、別口からも評判だったりする。そして何を隠そう、私が一週間前に辞めたばかりの職場でもある。


「あら。いらっしゃい、二人揃ってなんて珍しい」


 店頭のカウンターに立った、ふくよかな体型の女将が、私達を見付けて気さくに声をかけてくる。こちらから体調不安で退職を申し出たこともあり、辞めた今でも関係は至って穏当なものだ。とはいえ、私自身は若干の負い目も引け目もあり、自然足は遠ざかっていた。


「二人して休みなんです。だから、たまには売り上げに貢献しようかなって」

「いいんだよお、そんなこと考えないで。むしろ、今からだって戻ってきて欲しいくらいなんだ。あんたが辞めてから、看板娘が消えちまって売り上げ激減さ」


 がははと笑いながらそう言うけど、客足を見る限りは以前と比べても客足に変化はない。下手なお世辞だけど、つまりは女将さんなりの気遣いなんだろう。


「それで、何にするんだい?」

「……私、チキンのナンサンド」

「シシカバブボウル」


 注文を促され、少し迷ってからそう告げる。対して弟は、迷うことも無く一番人気のメニュー。ナンサンドは、一口に切った作り置きの鶏肉チキン羊肉マトンの惣菜と生野菜を開いた無発酵パンナンの間に挟んでスパイスソースをかけたもので、シシカバブボウルは羊挽肉の釜焼きシシカバブとライス、カレーを深皿に盛り付けたものだ。

 この店のメニューに限らず、近隣のランチメニューはどれもテイクアウト用に持ち運びし易い包装になっていて、これを職場や公園、時には歩きながら食べるのがこの辺りの昼食スタイルなのだけど。


「出来たら持ってくから。奥、開いてるから食べてきな」

「え、でも夜の準備とかあるんじゃ」

「あんたならその辺も心得たもんだし、散らかしたりしないだろ。子供が道ばたで食べるもんじゃないよ」


 私の注文から、どこで食べるつもりだったのかは察したらしい。ちなみに弟のメニューは明らかに座って食べることを前提としたものだ。とはいえ、こいつは逞しいから、スプーン一つで立ったまま食べるのも何とも思わない。

 素直に好意に甘えて、店の奥に脚を進める。照明が落とされ、テーブルの上に椅子が上げられた店内は、時折夜の仕込みで厨房から上がる火が上がり、薄暗い屋内を僅かに照らしていた。

 椅子を下ろして席に着く。振り返ると店頭には、私達と話す間に出来た行列をてきぱきとさばく女将さんの姿が見える。お昼時は過ぎて客足も落ち着き、渡す料理も出来上がっているものがほとんどだから、早々と列が消化していく。


「客足大して変わってねーじゃん」

「ばか。お世辞なんだから大人しく流しておけばいいの」


 空気を読まない発言に、女将さんに聞こえていないか窺いつつそう返す。どんな稼ぎの良い仕事をしようと、こういうところは年齢相応なのだからたちが悪い。

 そこに、ひとしきり接客を片付けたのだろう、出来たての料理を手に女将さんが戻ってくる。


「なーに言ってんの。お昼だからこんなもんだけどね、夜はお客さん減っちゃったくらいなんだよ? あんたのお姉ちゃんは器量好しだからね」


 どうやらしっかりと聞かれていたらしい。サービスだよ、とソルティラッシの入ったグラスを渡され、恐縮する。


「すみません、邪魔しに来たわけじゃ無いのに」

「いいのいいの。戻ってきて欲しいのは本音だしね」

「おばちゃん、こんなのが看板娘でいいの? すぐ手が出るぜ?」


 発言を証明するように制裁を見舞う。具体的には拳骨を脳天に落とした。それを見て、女将さんがあっはっはと笑う。


「そりゃまだ15の女の子に手を出すような馬鹿はいないけどね、あと数年したら美人になるってみんな言ってんだ」

「ちょ! ちょっと女将さん、そうやってからかうの困ります! 私みたいなちんちくりんに、そんなことあるわけ……」

「物好きもいるもんだ」

「女の好みなんて誰かしらの物好きさ、多いか少ないかでね。つっても本人はこの調子だし、口から出てくる男のことも弟か夢の中の人じゃねぇ」

「夢の中? 何それ初耳」

「女将さん!?」


 頭をさすりながら応じる弟に、これ言っちゃいけなかったかねぇ、という顔を向けて、女将さんはそそくさと店頭に戻っていく。残されるのは料理と、汗をかいたソルティラッシ入りのグラスと、にやにやした弟と落ち着かない私。


「姉ちゃんにも夢に見るほど好きな男がいたか」

「違うから!」

「何が違うんだよ」

「だから、本当に好きな人が居るわけじゃないから。夢の中だけだから」


 訝しげな顔をする弟を前に、渋々と観念する。女将さんも余計なことを言ってくれたものだと思う。

 私の身体に起きた異常は、高熱の他にもあった。それが、今話題に上った夢だ。決まって高熱を出し寝込むのと同時に見るそれが何なのかは、私自身よくわかっていない。

 憶えている限り、最初の夢は初めて熱を出したときと同時。その内容は、夜の農園地帯でリムを駆り、大型のバグをばったばったと大砲やらで倒し暴れ回り、最後には無茶な動きで同乗者の男が気絶した、というものだった。

 体調が戻ってお店に出勤し、引け目と言い訳も手伝って女将さんに夢の話をしたのがそもそもの間違いだったのだろう。それから仕事を休む度に、私は夢の内容について話す羽目になった。


「姉ちゃんが蟲狩りバグハント? 似合わなすぎて笑える」

「……我ながら荒唐無稽だとは思うわ」

「大体さぁ、腕に大砲仕込んだ戦闘用リムなんてそんな非合理的な機体で、そんな大暴れできるわけ無いし。復座型ってのも微妙。ディテール甘過ぎ」


 そんなことを言われても、夢の話なのだから仕方ない。


「ま、大した話じゃ無いのはわかったよ。そろそろ出ようか」


 話をする内に、出された食事は平らげてしまっていた。そうね、と席を立とうとし、代金をまだ払っていなかったことに気付く。


「会計だったらもう終わらせてるから」

「え、何時の間に。じゃなくって。私のことは私で払うって」

「体調戻って働けるようになるまでは俺が払うから。大丈夫だって思うまでは、家賃も生活費も俺が出すからな」


 昼に出掛ける前にしていた話の結論がこれなのだろう。そっぽを向きながら、きっぱりと弟が告げる。こうなってしまったら、そう簡単に考えを変えさせることはできない。


「もう、頑固者!」

「そりゃ姉弟だし」


 言われた通りだ、私達は血もつながっていないのに、こんなところまでとてもよく似ていた。


 ◆◆◆ ◆◆◆


 また夢を見ている。こうして自覚的に思うあたり、あの夢だというのは判る。ということは、現実の私はまた高熱にうなされているんだろう。幾度も繰り返せば慣れもするけど、解決には結びついていないのが悲しい。家に帰って、疲れたと言ってベッドに潜り込むまでは記憶にあるから、誰かに迷惑を掛けたりはしていないのが救いだ。

 そう自覚したところで、私に出来ることはそう多くは無い。せいぜいが、自分の状況を把握するに努めるくらいだ。夢の中の私は、どうやら身体を持たないコンピューターの中に住むような存在らしいから、肉体的な感覚に至ってはそもそも存在しない。

 今居る場所は、どうやらどこかの屋内のようだった。置かれている家具の雰囲気からすると女の子だろうか。机に置かれた教科書らしい本に、小鉢の観葉植物。外からは金属が擦れ合う騒音。


「そういうわけでね、あたしも行くことにしたから。道中よろしくね」


 部屋の隅でごそごそと荷物を漁る人影から、声。珍しい、今日はいつもの男の子と話しているわけじゃないらしい。顔を見ると、何度か見た覚えがあるポニーテールの女の子。


『危険ではないのですか? 仮にも軍事作戦ですよ』

「だーいじょうぶだってば。兄ちゃんも危険なことはしないって言ってたし。それに、長期休暇中の課題なんだよ、ボランティア活動。従軍ボランティアだってボランティアじゃん?」


 私の声で私以外の誰かが掛ける、雑音ノイズが僅かに乗った言葉に、女の子がそう応じた。視界が全く動かないところから察するに、私は部屋に置かれた据え置き型の端末からこの部屋を見ているんだろう。


「それともー。あたしに二人で話す時間が取られちゃうのは、嫉妬しちゃう?」


 にしし、と意地悪そうな顔で、近付いてきながらそう告げる。どうやらその言葉に、私じゃない私は赤面したらしい。


『何を……言っているんですか。私はそのような感情は』

「そうなの? 結構嫉妬ありありな顔してるけどな」


 顔を寄せて女の子が言う。それと同時に、二の腕に寄せられて胸の谷間が濃密になる。なんだこの密度は。敵か。

 その姿に気圧されたわけでもないだろうけど、こっちの私はと言えば沈黙したままだ。煮え切らないな。少し何か言ってやればいいのに。


「ま、いいけどね。でもさ、今のままじゃ何もしようが無いよね。身体が戻らないと色々と出来ないこともあるし」

『色々と……ですか?』

「そーだよ。抱き締めたりキスしたり髪の匂い嗅がれたり」

『ですから、そういうのは別に求めていないと』

「まあそれはいいとして」

『良くないです』

「実際さ、元の体に戻れたとして、何がしたい?」


 う、と言葉に詰まるのがわかる。


「二人して危ない目に遭ってまで戻りたいって、何か目的はあるんでしょ? 彼の方はそりゃ、生まれ育った場所に戻りたい、っていうのは十分それだけで納得できるけど」

『私自身の目的よりも、彼を元の居場所に還す道筋をつけることが優先です。本位ではないとはいえ、私が巻き込んだようなものですから』

「あてはあるの? それ。面と向かっては聞けなかったけど」

『正直に言えば、わかりません。ただ、連れて来たからには戻る手段もあると思っています。まずは、この状況を作り出した者に辿り着いてからですね。そのための確実な手段は、与えられた当面の目的を果たすことです』

「雲をつかむような話だね」


 二人して、示し合わせたように笑う。対して私は、ぞっとしない気分だった。この子には、本当の意味で目的がない。与えられ、そうしなければという義務感だけで動いているだけだ。

 判りすぎるほどに解る。だって私は、あの村での惨劇を経てそれに至ったから。自分が自分であるための何もかもが無くなったと、そう思った時と同じだったから。

 それは、自覚できるほどの痛みが無いだけの、じわじわと自身を蝕む絶望に他ならないから。


『もし全てが上手くいったとしたら、その時は彼ともお別れです。それは少し、いえ……とても寂しいとは思いますが』

「踏み出せない理由はそれかな」

『そうやって結び付けるのは悪い癖ですよ』

「ま、そしたらようやく自分のやりたいことが出来るってわけだよね」

『そう……ですね。その時は、記憶に残る人達を探しに行きましょうか』

「ご両親や、弟みたいな友達?」

『はい』


 腑に落ちる。この子は、目的が無いだけじゃない。自分自身すら不確かだから、それを持つことができていないんだ。

 大事なものもはっきりと覚えていないから、それを大事だと認識出来ていないんだ。そして、それはもう、ほとんどが失われていることも知らないんだ。

 気付いて欲しい。そんな細い線が途中で切れていたときに、この子が絶望することが無いように。私にとっての弟がそうであったように。

 何でそう思うのかは分からない。ただ、どうしてもそう思ってしまう。


『一人きりのままなのは、寂しいですから。最近、私はこんなに寂しがり屋だったのかと驚くくらいです』

「何言ってんの。一人になんかさせないよ?」


 大事なものは、もう今手に入れているでしょ?


「ちゃんと元に戻れたら、私に会いに来ること。それも思いつかないなんて、友達甲斐の無い子だよ」


 それを聞いて、私じゃない私がどんなことを考えたのか、私には知る由も無い。

 ただ、私自身は何故か泣きそうになり、その感情を抱えたままいつしか、意識は閉ざされていった。

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