第三章 Journey To Find You
024.「戦意再燃」
認めてしまえば、単純な話だったわけだ。
そもそもが、異世界転移やら時間移動やらの方が荒唐無稽過ぎたのだ。最初から俺はこの世界の住人だった、それだけのこと。
ただ一つ、普通とは異なることを挙げるとすれば、それは。
「
それこそが認めたくない根幹だったのだけど、今となっては認めざるを得ない。
ここからなら繋がるはず、と言いながらキャスティが中空に映し出した景色。『実験』終了と同時に凍結された空間、というそれを見たときの心境は、衝撃という言葉では生ぬるいにも程がある。あの光景は、絶望と、それ以上の喪失感をもたらしてくれた。
思い返すだけで、気分が悪くなる。自分が住んでいた街、なだらかな斜面を拓き作られた住宅街、そのすべてが、人も、車も、犬も猫も鳥も虫も草も雲も影も空気も何もかもが動きを止めた、そんな世界。
漂うように街中を俯瞰していた視点は、いつしか目的を持って移動を始めた。バイト先だった角のコンビニエンスストアを過ぎ、子供の頃にしばしば遊んで擦り傷も作った児童公園の前を抜け、これまでに半分以上の時間を過ごした一軒の住宅の前にやって来る。ガレージに車があるということは、まだ在宅なのだろう。その横、ディンプルキーのダブルロックに最近取り替えたばかりの玄関扉が音もなく開き、靴が几帳面に並べられた玄関を抜けて真っ正面の階段を登り、左手のガラスがはめ込まれた木製扉が開かれる。
そこには、普段と変わらずに新聞を広げる父とコーヒーを淹れる母が、高円寺勇一と高円寺理香の姿が、微動だにしないまま存在していた。マグカップに注がれる液体まで動きを止めたその姿はさながら写真の一枚と言ってもいいのに、視界がゆらゆらと動くものだから否が応でも時間だけが止まっているのだと理解出来る。
長くない間、たぶん一分にも満たない時間を呆然とそれを見つめ続けた俺は、突然笑い出したい衝動に駆られた。
だって傑作だろう、俺は今まで、俺以外の人間どころか生物も存在しない世界で、自分がまともな人間だと信じ込まされ、17年もの間生き続けてきたわけだ。そう思えば、目の前で間抜け面を晒している、俺の親を自称した作り物の人形ふたつにも笑えてくる。いや、むしろ敬意すら湧く。
よくも俺をこれまで何の疑いも抱かせずに育ててくれたもんだ、ちっとも気付かなかったよ。くそったれ。馬鹿にするのも大概にしろ。
笑い続ける俺に、キャスティはしばらく放っておいた方がいいと判断したのか、姿を消していた。それがいいと思う。今の自分がまともなのか、我が事なのに全く保証が出来ない。
兎にも角にも、俺は全てを失った。いや、失ったわけじゃない。最初から何も持っていなかったわけだ。
唯一残された俺の物と言えば。
目の前、前傾姿勢の上半身が肥大化した巨大が、こちらを見下ろしている。実験のために生体化された俺に与えられた、身を守る唯一の手段。何の寄る辺もないこの世界で、頼りにするべき存在。
そのはずなのに、今は鬱陶しいことこの上ない。救えなかった人たちの顔が次々と浮かび、そこに威圧するような構図と極限まで下がった沸点が作用して、唐突な怒りがすべてを支配した。
数メートル隔てた場所に置かれていたツールボックスをひっくり返し、散らばった中身の、スパナに似たそれを掴み、アンダイナスの顔面目掛けて思いっきりぶん投げ、しかし怒りにまかせた投擲フォームはあっさりと狙いを狂わせて右肩付近に当たる。
かんっ、と、軽い音がした。
「畜生……、何なんだよ! お前、何の役にも立たないじゃねぇか! くそっ! このポンコツが!」
手当たり次第に目につく物を拾い上げて、ぶん投げてやる。その度に狙いは狂い、しかし図体ばかりはでかいものだからどこかしらに当たり、期待を裏切る軽薄な音が返ってくる。
最後の一つ、小さなボルトのようなものを投げる。ようやく顔に当たる。今度は音も聞こえない。
「お前、俺の物なんだろ……。俺に、何をしろってんだ……」
言っていることが支離滅裂なのも無茶苦茶なのも、自覚している。それでも、言わずにはいられなかった。
「何とか言えよ!」
そう叫んだと同時に、頭の中に強制的に何かがやって来た。無理矢理ねじ込まれるそれに、脳髄を異物を差し込まれるような違和感と悪寒。
――検知:投擲物 種別:モンキーレンチ 重要度:一般 対処:無し 損傷:無し
――検知:投擲物 種別:インパクトドライバ 重要度:一般 対処:無し 損傷:無し
――検知:投擲物 種別:ゴムハンマー 重要度:一般 対処:無し 損傷:無し
――検知:投擲物 種別:ヘックスレンチ 重要度:一般 対処:無し 損傷:無し
――検知:投擲物 種別:ヒートサンダー 重要度:一般 対処:無し 損傷:無し
――検知:投擲物 種別:ワイヤーカッター 重要度:一般 対処:無し 損傷:無し
「やめろ……。要らないんだよ、そんな情報……!」
額を手で覆いながら呻くと同時に、強制的に脳内に介入してきた
自分が
怒りに任せて投げかけた言葉を、
所詮は機械だ。インターネットの検索キーワードを打ち込んで、出鱈目な結果を返されたときみたいな気分だ。そんな
そもそも、目覚めてから聞かされる話という話が、望まないものばかりだった。真実という名の鈍器でたこ殴りにされてる気分だ。豚カツの肉じゃあるまいし、そんなに叩かれたって柔らかくも美味しくもなりはしない。こんな目に遭うくらいなら、あのぬるま湯のような世界に閉じこもったままでいれば良かった。何も知らなければ、最初から
――こんなことなら、私なんて最初から、
ミツフサに辿り着く前、
「……こっちの台詞だよ」
精も根も尽き果て、大の字になって吐き捨てた言葉は、虚しい反響音だけ残して消えた。
◆◆◆
俺が一体何者なのか、その答えに至るには、
この星に今は支配者として君臨する
過去の地球を模した世界で人一人を成育する、なんてまどろっこしい実験も、これに由来する。変質した箇所が外的刺激を処理する脳の一部……クオリアと呼ばれる部位だったことから、刺激の多い時代で生育すれば改善するのでは、なんて安直な考えの元に考案されたらしい。他にもプランは複数あったというし、実際にはもう少し根拠もあっただろうけど、安直なことには変わりない。
ただ、発想が安直な割に、成果は期待以上だったらしい。
そこで実験の第二段階として、生体化した
以上が、
自分の出自については、これで概ね理解した。その上で、新たな疑問が盛大に増えていく。
その中でも一番大きな疑問、それは。
「お前は何者なんだよ、エミィ」
これまで相棒としてきた存在そのものについてだ。
これまで、計画とはエミィを人間の体に戻すことを目的にしていると誤解していた。しかし、あくまでも計画の主体は俺だという話で、尚且つサダトキの言を借りればプランは200年も前に凍結されたという。200年もの間この施設で眠りっぱなしだったという事実も大概ではあるけど、それ以上にそんな過去の遺物を今更引っ張り出してきた理由が気になる。
大体、生体化した電脳人の影響調査を行うのに、エミィは電脳体のままでは話にならない。決定的な齟齬がある。それは何なのか。
分かり切っている。
「つまり、
何時の間にか戻ってきて、大の字になった俺の頭のすぐ上に仁王立ちする彼女に、そう問いかける。わざとらしく、ふむふむとか何とか言いつつ、サイドポニーの銀髪が揺れる。
「よーやく実感沸いたかなー?」
「嫌って程に」
「それでー。どうする?」
「どうする、って」
「選ばせてあげるよー。まだ頑張るー? それとも、リタイアする?」
「リタイアなんて選択肢、あるんですか」
「結果はどうあれー、ジュート君は巻き込まれた方だし? 何も知らないことにしてー、ただの人間のフリして、平和に生きてもいいと思うんだー」
冗談を言っているように見えて、その実目はこれっぽっちも笑っていないキャスティに対し、返事をすることを躊躇う。
ここからが本題であり、そして話題の中にはエミィが少なからず関わる。真実を知りたいという気持ちは変わりないどころか、さらに強くなっている。でも、その中でエミィの存在が、彼女の行動が、言葉が、表情が、感情が、違和感となってわだかまっている。
あいつは本当に、俺を騙そうとしたのか。探究心の原動力はそれであり、また踏み出せない理由もそれ。
――こんなことなら、私なんて最初から、
幾通りにも解釈が出来るその言葉が頭を掠めた。
根拠なんてまるで無い。でも、その言葉は彼女の本心から出た言葉のような、そんな気がする。
最初から、そこに続けるつもりだった言葉は何なのか。友達なんて作らなきゃ良かった? 俺と会わなきゃ良かった?
それとも、最初から居なければ良かった?
悪いがどれも無理な相談だ。ここまで人を巻き込んでおいて、人の心をぐちゃぐちゃに掻き回しておいて、ここまで大きな存在になっておいて、その言い草は気に食わない。
「冗談じゃないっすね」
「んー?」
「ここまで好き勝手されて、耳も目も塞いで知らないふりなんて、ご免ですよ。……最後まで、暴いてやります」
立ち上がり、真っ正面から目を見て、そう言ってやる。巻き込まれ、流されるままにやってきたこれまでとは、どこかゲーム感覚だった今までとは違う。
果たしてこの答えは予想されていたものだったのだろうか、キャスティは笑みを深くした。それは、魔女でも慈母でもない。不敵に笑う、戦士のそれだ。
「後戻りできなくなるよー?」
「知った事じゃないですね」
後には引けないし、引くつもりも無い。
ここからは、俺の戦いだ。
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