034.「面従腹背」

 階層型都市の第一階層、基礎階層ベースレイヤーには、都市内への人員・物質搬入用の陸港の他、もう一つ重要な施設がある。

 それぞれの都市が保持する軍隊組織の本部基地、そして関連する軍施設だ。三ヶ月前のトキハマ郊外戦でも多くの戦力がここから出動したように、都市防衛の要でもあるこれらは、基礎階層内外に分散配置されている。


 その内の一つ。陸港に併設された軍用リム格納庫に、俺とサツキ、そしてキャスティは足を踏み入れていた。


「大事な話は格納庫でする伝統でもあるんですか」

「あながち間違いでもないねぇ。周囲がノイズまみれの格納庫なら盗聴も困難だし、官民問わず重要施設だから人の出入りも制限されているしね。ブリーフィングルームが格納庫近くにある理由の一つではあると思うよ?」


 意外と合理的な理由に、それ以上何か言う気も失せて辺りを見渡せば、大型輸送用だろう、六本足のヘキサリムが赤色灯を振る誘導員に促され、全高30メートル近い巨体を屋内に収めようとしているところだった。


「あれは?」

「ジュート君とキャスティ君の機体を運んでいるところさ」

「言ってくれれば、自分でここまで運んできましたけど」

「表向き、接収したという風に見せなきゃいけないんだよ。交渉決裂しておいて勝手にリムを持ち出されたら、話が食い違うだろう?」


 またも合理的。この人、性格はアレだけど、とりあえず仕事はちゃんと出来る人ではあるらしい。

 確かにここまでの移動も、厳重に周辺を固められながら、人員輸送用の小型リムに乗せられての上だ。隠蔽工作の周到さには恐れ入る。それも、準備の良さを考えると最初からこうなることまで予想していたんだろう。

 権謀術数はこちらの専門外だ。これ以外にも、きっとこの人は様々な策を巡らせていたはず。年なんて十歳くらいしか離れていないはずなのに、この違いは何なんだ。


「それで。これだけ大袈裟に人のこと騙してまで、何の用っすか」

「刺々しいねぇ。そんなに腹が立ったかい?」

「やめたげてー、この子ったらすっかり疑心暗鬼になっちゃっててー」

「お前が言うなっ!」


 我ながら大人げない態度だとは思うけど、それに拍車を掛けたのがキャスティまで一枚噛んでいた、ということだ。

 ここ最近の俺は人に踊らされてばかりな気がする。自分の手で片をつけると言っておきながら、不甲斐ない。


「うちだってー、今回のスパイ一掃大作戦は、ここ着いてからお願いされたんだもーん」

「……いくら積まれたんだよ」

「クラス3のハント五回分くらいかなー?」


 悪びれることもなく、キャスティが白状し、サダトキは呵々大笑する。もうやだこの人たち。

 そんな特濃といった感じの面子とは別に、さっきは話に同席すると息巻いたサツキは、所在ないといった風にちらりと辺りを伺いつつ、俺の服の端を掴んでいる。


「どうしたんだよ、サツキ。まさか、今更になって後悔してる?」

「え。ううん、そうじゃないんだけど。……なんかさ、急に話が大きくなっちゃって」


 その困惑も、理解はできる。サツキとしてはエミィの所在と、ついてはミツフサで起きたことの真相を知りたい、というのが話に同席した動機のはずだ。

 それが蓋を開けてみれば。


「世界中敵に回すぞ、って言ったようなもんだしなあ」

「物騒だねえ、ジュート君。誰がそんなことを言ったのかな?」

「宣言したようなもんじゃないですか」

「いやいや。ちょっと意表を突いてやろうというだけだよ? それに、どちらにせよサツキちゃんにはこの場に居てくれないと困る」


 藪から棒にそんなことを言われ、サツキが身を固くする。

 どうやら、彼女もこの男が油断ならないことを理解し始めたらしい。


「そんな反応されちゃうと、傷つくねえ」

「……鏡見てから言ってください」

「辛辣だね!? 昔はトキ兄ちゃんと呼んで懐いてくれていたって言うのに!」


 昔の話を持ち出してくる旧知の人間というものは、どこでもたちの悪いものらしい。複雑そうな顔のサツキの心中は、察してなお余りある。


巫山戯ふざけるのはもういいですから。で、サツキがいないと何が困るんですか」

「いや、なに。僕の不徳の致すところではあるんだけどね? どうもサツキちゃんも、今回の件でマークされちゃったようでね」

「はあぁ!?」


 本人の代わりの問い質してみれば、聞き捨てならない答えが返ってきた。

 と同時に、騒音の向こう側……輸送用リムからの荷下ろしをしていた一団から、ものすごい勢いで走ってくる方が一人、その後ろからもう一人。


「おいてめぇ、ボン! どういうことだ! 答えによっちゃ今すぐプレス機で肉煎餅に、」

「親方ぁ! 親方、ダメですって! いくらサツキちゃんのことでも、それは!」

「うっせェ! ロランド、てめぇは引っ込んでろい!」


 馬鹿でかい声で怒鳴り込んできたのは、サツキの父親であり、カドマハンティングファクトリー代表取締役社長であらせられる、カドマ・ソウテツその人だ。珍しく取り乱した声を上げながら背後から羽交い締めを仕掛けるのは、ヒトツバラでも同行した筆頭整備士のロランド。

 ソウテツは恐ろしい剣幕で、片手には人の腕ほどもあるモンキーレンチなんかを振りかぶってる。この分だと、宣言通りプレスされるかすら怪しい。撲殺が先だと思う。


「いや、これはですね、社長! 退っ引きならない事情というものがありましてねえ!?」

「ざっけんなテメェ、当代にゃ世話んなったから大人しくしてりゃこの!」

「大人しくしてませんよねえ、口も手も出てますね!?」


 腕がものをいう職人相手にさすがにこれはマズいと思ったのか、サダトキが口答え交じりに弁解を試みるものの、事態は火に油だ。頭一つ大きいロランドですら抑えきれずじりじりと近寄るソウテツに、これは血を見るかと思ったその時。


「もう! 父ちゃん、引っ込んでて! 話が進まないじゃん!」


 負けじと声を張り上げたのはサツキだった。

 ぴたり、とソウテツが動きを止める。


「……いや、俺ぁよ、サツキ。お前のためを思って」

「なら尚更。お仕事お願いされてるんでしょ、兄ちゃんの分まで気張らないと、って言ってたのは父ちゃんでしょ!」

「う……」


 痛いところを突かれた風に、ソウテツは意気消沈する。そこにサツキはつかつかと近寄り、その手に持った最早鈍器と言ってもいいモンキーレンチをひったくり。


「納得できなかったら、あたしが殴っておくから」

「せめて話を最後まで聞いてからにして欲しいね……」


 カドマ一族の血は、男女の分け隔ても無いのだろう。


 ◆◆◆


 ソウテツがすごすごと引き上げるや否や、アンダイナスの周囲を取り囲んだ作業用ワーカーリムの持つインパクトレンチが、格納庫中に轟音を響かせ始めた。

 一体何をするつもりか定かは知らないけど、これも予定の内なんだろう。さすがにこの状況では話をするにも事欠くということで、だだっ広いスペースの一角に備え付けられたユニット式の会議室ブリーフィングルームに連れだって入ると、ぼそりとサダトキが呟く。


「やれやれ、ひどい目に遭った……」

「んー、でもー、自業自得?」

「弁解の余地なしっすよ」

有罪ギルティだよね」

「略式軍事法廷かな!?」


 総ツッコミを浴びせられた変態アレが、上半身だけ捻りながら額に手を当て、びしりとポーズを決めるのがとてつもなくウザい。

 とはいえ、これが俺の知るサダトキであり、先ほどの彼は今思えば随分と大人しかったように思う。

 ウザいけど。その上、全然話が進んでないけど。


「自己弁護するわけではないけどね、全部が僕のせい、ってわけでもないよ、サツキ君の件は」

「今度は責任転嫁ですか?」

「手厳しいね! ……まあ、いい加減話を進めよう。サツキ君がマークされたのはね、エミィさんに関わったからだよ。ところで吸ってもいいかな?」


 懐からシガレットケースを取り出しつつ、サダトキが問う。ただ、ここが禁煙かどうかなんて知る由も無い。

 それだけじゃなく、ここでも飛び出してきたエミィの名に困惑する俺とサツキは、拒否することもなく頷くしかない。

 助かるよ、と一言を返したサダトキが電熱式のライターで火を点け、溜息でもつくように紫煙を長く吐き出した。


「事はサツキちゃんに限った話ではなくてね。エミィさんに関わった、というかその存在を知った人間がマークされている節がある。とは言え、彼女は自分の存在をあまり外に出すことは無かったから、該当するのは僕とジュート君、サツキちゃん……それに、ゲンだけのようだけど」

「それなら、キャスとリーナスさんも該当するんじゃないですか?」

「いや、キャスティ君とリーナスは、ミツフサの一件までは知らなかっただろう。恐らく該当する条件はね、彼女が電脳体の存在として活動していた事を知る人間さ」


 なるほど、確かにその条件であれば、キャスティとリーナスは当てはまらない。二人とも、エミィとは直接顔を合わせたこともない。


「さらに付け加えるなら、エミィさんと関わった人物に対する監視が始まったのは最近のことじゃない。ジュート君がトキハマに来たその日から、そうした動きを取る人間がいたことが確認されている。先ほど取り押さえられた者たちも、以前から捜査線上には浮かんでいた」


 ぞっとする。

 それだけの長い間、こちらに全く気付かれることもなく監視を続けていた、というのか。


「監視に限らず、この件は不審点ばかりなんだよ。本来の能力からすれば甚だ非効率なバグの操作しかせず、本格的な情報攻撃はしなかったり、監視どころか物理的排除までして隠蔽しようとしたエミィさんの、というか論理破壊兵器の存在をあっさりと明らかにしたり……と。なかなか裏が気になるだろう?」


 それは確かに引っかかる点だ。

 論理破壊兵器は、防御不可能な情報改竄、破壊を可能とする。キャスティも言っていた、金融やら経済やらを標的にすれば、今とは比較にならない甚大な被害を生むことすらできる。

 だけど、現時点でそれをしたという様子はない。

 ディーネスで、レイルズと最後に話したことを思い出す。

 

「目的と、黒幕。それが見えない」

「その通り。そしてそれは多分、敵が執拗に隠蔽しようとしたエミィさんの正体に通じている、そう思ってね」

「でも調べられるんですか、そんなこと。キャスが、電脳人バイナルの方にはエミィの情報なんて何もない、って」

「大事なことを忘れてるねえ、ジュート君。彼女はそもそも、電脳人ではなかった・・・・・・・・・だろう?」

「あっ……!」


 あいつ自身が言っていたことじゃないか、元は人間だった、って。今でもエミィの発言がどこまで真実なのかは分からないけど、だからといってその言葉すら嘘と断定する証拠は何も無かったはずだ。


「ま、これも特定するのは苦労したけどね。各都市管轄下の個人情報を自由に閲覧するなんて僕でも無理だし、そもそもエヒトの件で紛失した物も多いから情報も完全とは言い難いし。マネーハウンドと越境査察軍がアンダイナスと交戦して、ディッフェルマンに貸しを作ってくれていなかったらそもそも」

「いいからー、そういうのいいからー。結論から言いなってー」

「苦労話くらいはさせてくれないかな……」


 キャスティの身も蓋も無い言葉に、サダトキはぶつくさと文句を垂れながら、懐から個人用の端末を取り出す。

 現れたのは、エミィの面影があり、しかしどう見ても十歳前後にしか見えない顔の画像が埋め込まれた、何かの書類らしい画面。


「かねて採取していたエミィさんの特徴に合致する人物は、彼女だけだ。ヤン・マーメイ、エヒト所属の開拓村、ノースフォート在住。そしてここからが重要だけどね」


 一拍を置き、サダトキが続ける。


「彼女は五年前のエヒトの惨劇に巻き込まれ、他の全住民三十一人と併せて行方不明となっている」


 ◆◆◆


 悪意の深淵は、エヒトの闇に繋がる。

 五年前のエヒトの惨劇自体が、何を理由に引き起こされたか。それは今現在も不明であるという。ただ、元々エヒトのアトルマーク家は受肉インカルナチオ計画プロジェクトの推進派であり、かつ電脳人バイナルの言い分によれば、エヒトに対する攻撃は契約不履行および重大な背任を理由にした粛正である、らしい。


「結果から言えば、この一件以来電脳人バイナルと我々の関係は冷え込んでね。特にカーベルス、マクドラス、ディッフェルマンあたりの西側の御三家と呼ばれる連中からは、これを機に関係を絶つべき、なんて強硬論まで飛び出す始末だ」


 それらの家名は源流十三家ルート13の中でも軍事・経済・金融に対して特に強い影響力を持つ。揃って発言したと言うからには、相当だろう。

 ともあれ、電脳人バイナルと生体人との間で行われた計画と、それを基盤とした蜜月は終わりを迎えた。困ったのは誰かと言えば、他ならぬ電脳人バイナルだ。


「受肉計画の目的はね、世代を重ねて電脳体に適応し過ぎて、生体に戻れない個体が生まれ始めた電脳人バイナルの原因解明と対策検討だ。我々は、彼らからの技術提供を見返りにその手伝いをしていたに過ぎない。身から出た錆とは言え、他の都市まで同調して計画の凍結を宣言したりと、大いに裏目に出たと言えるね」

「まー、うちはそれで自由の身になれたわけだしー」


 優位性を誇示するための強攻策が裏目に出て、電脳人バイナルは一転して八方塞がりに陥った。以降、各都市との細々とした外交だけが続き、五年。


「そこに、俺とエミィがトキハマに現われた」

「その通り。これまでの経緯を考えれば、業を煮やした電脳人バイナルが重い腰を上げて接触を図ってきたのか、とも考えたけどね」

「実際のところー、示威目的の攻撃って感じだよねー」


 電脳人バイナルからの接触アプローチを疑い蓋を開けてみれば、何も知らない生身の人間と電脳人バイナルのコンビ。併せて起きたのが都市の玄関口にバグの大群をけしかけられたり、村一つを壊滅せしめたりとくれば、友好的な挨拶と受け取られるわけがない。

 であれば、それらは自らの存在を再び知らしめるための、威嚇目的。

 そう思った矢先、電脳人バイナルから伝えられたのは、それらを引き起こしたのが実験兵器の暴走というものだ。


「さて。ここで先ほどの疑問点、その一だ。何故彼らはバグの操作なんて攻撃方法しか行わなかったか。僕はこれについて、引き起こした事象そのものに意味があると見ている」

「事象、って言うと」


 大量のバグを引き連れた暴走スタンピード

 この三ヶ月間で起きたことは、表面的にはその点で一貫している。

 そう思い至ったとき、サツキが声を上げる。


「……エヒトと同じ?」

「その通り。彼らは執拗にエヒトのミニマム版とでも言うべき事象を起こしている。そこへ来て先頃の通達だ」


 トキハマ周辺の事象は電脳人バイナルの実験兵器の暴走によるもので、ついてはこれを破壊されたし。

 通達を受けて、各都市は意図を察した。


「これは、生贄だよ。我々にエヒトの元凶らしきものを差し出し、討たせることで硬直した関係を変化させようという、ね」


 つまるところ、マッチポンプというわけだ。自分のしでかしたことを、他の誰かの命をあがなって片付けようという、自分勝手極まりない理屈で行いだ。

 そんな下らない目的の為に、エミィは電脳体に変えられ、あまつさえ兵器へと改造され。

 挙げ句の果てには、自分の故郷が失われた事件の元凶という汚名まで着せられ。

 そして、殺されようとしている。


「酷い……」


 涙を流し、サツキが呟く。それを有難いと思う。

 人知れず犠牲を強いられているあいつのために、涙を流してくれる人が居ることが、有難い。

 勝手な理由で操られ、勝手に使い潰されていくことを、酷いと言ってくれることが、有難い。


「疑問点の二つ目、監視についてもこれで説明が付く。エミィさん、というかマーメイさんが行方不明となったのはエヒト以後で、エヒトの元凶が彼女であるはずが無い。そうと知れてしまうと辻褄が合わないから消してしまえ、というわけだ」

「馬鹿馬鹿しい……。姑息に嘘で塗り固めただけじゃねぇか……」

「全くだ、あまりにも人を馬鹿にしている。だからこそだ、ジュート君」


 ようやくだ。

 これこそが、起死回生の、全ての裏を掻く、悪足掻き混じりの悪巧み。


「ぶち壊してやろうじゃないか。エミィさんを救い出して、あらゆる欺瞞を白日に晒して、全てを台無しにしてやろうじゃないか」


 ◆◆◆


 長い話を終えてブリーフィングルームから出てみれば、そこに見慣れたアンダイナスの姿は無かった。

 一体何が起きたのか。代わりにあるのは、見知った巨体をさらに一回り大きくした、箱に脚を四本取って付けたような四本脚のクアドリム。縦列に並べられたキャスティのヴルカヌスと比較すれば、その巨躯はたちの悪い冗談のようにすら見える。


「……なんすか、コレ」

「驚いたかい? すっかり見違えただろう」

「見違えたで済むかよ……」


 よく見れば、その所々にアンダイナスの面影がある。元は両腕だった部分には、先端に足首のようなパーツが追加されていて、前脚となっている。ということは、元のアンダイナス本体は体育の授業でやる手押し車のような体勢なのだろう。

 機体の後ろ半分には全く見覚えのないコンテナが増設され、そこからは前脚と同じくらい太い後脚が地面を踏み締めている。


「元々は、トキハマに残存していた長距離移動用の旅団兵装、そのペーパープランを採用させてもらったんだ。アンダイナス・長距離輸送装備クアドリムスタイルとでも呼ぶべきかな。今回、カドマの社長に協力を依頼してね」

「なぁにが協力だこのデレ助が、突貫工事でこんなもん作らせやがってったくよぉ」


 晴れやかに笑いながら説明するサダトキに対し、文句を言いつつソウテツが機体の影から顔を出す。

 最終調整まで突貫だったんだろう、近頃すっかりリム整備はしていないと言っていたその顔と手は機械油らしい汚れに染まり、しかし満足げな顔だ。


「こんな小回り効かなそうなもの、持ち出したら袋だたきになりますよ」

「構わないよ、こいつはあくまでも鉄火場に近寄るまでの偽装だ。本格的にドンパチが始まったら、その場で脱ぎ捨ててくれればいい」

「それはそれで勿体無いな……。大体、こんな事してサダトキさんは大丈夫なんですか」


 ぶち壊してやろう、という発言の威勢は良いけど、やることは結局各都市の思惑に対する裏切りだ。ここまで全面的にバックアップしておいて、何のお咎めも無いとは思えない。


「おや、心配してくれるのかい? 問題は無いよ、この件は父上にもお許しを頂いているからね!」


 そう言いつつ取り出したのは、丁寧に折り畳まれた半紙。見るからに和紙だ。ちり紙に使うセルロース再生品とはわけが違う。

 そこには、達筆な文字で、落款まで押されてこう書いてあった。


『許す』


「いいのかよそれで!!」

「はっはっは。これは父上なりの洒落っ気というやつだけどね。そもそも、トキハマうちは他の都市とは事情が異なっていて、電脳人バイナルとは最初から断交状態だからね」

「計画の第一弾ファーストロットを拒否ししたから、ですか」

「そう。だから今回、電脳人バイナルの思惑に乗ったところで何も利が無いんだよ」


 そんな話も効いた覚えがある。あの時は、まだゲンイチロウと、エミィも一緒だった。

 計画の拒否とやらを、その時は自分とは無関係の話として聞いていた。だけど、事実を紐解いてみればそれは、俺の身に関わることで。


「……参考までに。俺って、その時何の実験をする予定だったんですか?」

「詳細は伏せよう。が、君の持つ特殊な機能に関することだ。非人道的に過ぎる、という言葉で察して欲しいね」


 特殊な機能、とは二重化構造体フォルトトレランスのことだろう。それだけで、概ねの所は察することが出来る。

 少なくとも、ろくでもない計画だったのは間違い無いらしい。


「人道を理由に計画を拒否した過去があって、にも関わらず今回は唯々諾々と従っていては、ご先祖様に顔向けできないとね。だから、君に協力することはトキハマの、そしてイサ家の矜恃プライドを守ることでもある。存分にやってくれ」

「それだけっすか」

「ん? 何がだい」

「理由は……サダトキさん自身は、無いんですか」


 問えば、珍しくサダトキは押し黙る。

 これまでサダトキが語ったことは、全てトキハマの為政者としての言葉だ。

 なら彼の本音は。それが気になったが故の質問だった。


「……あえて黙秘させてほしい。そうしなければね、私情が挟まれば、僕も冷静でいられない」


 答えたサダトキの声は、言葉とは裏腹に、何かに思いを馳せるもので。

 そしてそれだけを聞ければ、充分だった。


「さ、もう時間も限られている。後の手筈は伝えた通りだ」

「……はい。上手くいったら、また」

「上手く行ってくれなきゃ困るんだけどねえ?」


 笑い合い、前後脚を折り畳み降着姿勢を取ったアンダイナスの元へ向かう。

 下ろされたタラップのすぐ横には、サツキの姿。


「それじゃ、サツキ。行ってくるよ」

「うん。……これ、持って行って」


 そう言ってサツキは、萌葱色の布に包まれた棒状の何かを差し出し、紐を綻ばす。その正体を聞くまでも無くそれは鞘袋だと思い至り、さすがは刀匠一家の娘と言うべきなのか、手間取ることもなく解かれ現れた物は。


「それって……」

「ミツフサで回収されたモンだ。本当は形見にでもしようと思ってたんだけどよ」


 後ろから現れたソウテツが、サツキに代わって話す。

 わかってる。俺のために打たれた刀だ。

 良く見ればそっくり以前のままというわけでもなく、一度受け取ったときは見てくれ重視だった柄部分は、実用性一辺倒の野戦用戦闘掌握コンバットグリップに入替えられ、鞘も似た意匠の、でも段違いに頑丈そうな金属製のものに入れ替えられている。

 そこまで外装を入れ替えられて、なお正体に思い至ったのは、柄頭に刻まれた刻印だ。


猴角エンカク、って読むらしい。持ってけ、お前さんのもんだ」


 自然と頭を下げつつ、受け取ろうとして伸ばした手が、震えているのがわかる。

 鍔鳴りなんてみっともないことはさせられないと、力を込めて押さえ込み、受け取る。


「てめぇで打ったもんと見初めた使い手で、妹まで救ってみせるんだからよぉ、かなわねぇ。……だからこいつは、お前さんのためだけの、最高の業物だ」

「……頂戴します」


 ようやくそれだけを返すが、手の震えは押さえ込めても、声だけは震えてしまっているのがわかる。

 まったく情けない。ここは、はっきりと仇を討つなり何なり、宣言するべき場面だろうに。


「肝心なところでこれじゃ、笑われちゃうな」

「いいよ。その方がジュートらしいもん」

「なんだよ、俺らしいって」


 目元をぬぐい、サツキに向き直る。ここから先は、弱音も泣き言も無しだ。


「行ってくる」

「うん。……絶対、エミィのこと、助けてきて。あの子にはまだ、言いたいことあるから」

「なんだよ、言いたいことって」

「宣戦布告。もう遅いかもしれないけど……覚悟しておくように」


 言い放ち、サツキがその場を離れ、後ろに立つ他の面々の元へと向かう。その背中に発言の意を確認する暇も無く、格納庫の搬出門ゲートが解放され、先に乗り込んでいたらしいキャスティがヴルカヌスを前進させる。

 それに促され、タラップを上りコントロールシートへ。


『針路確認。アンダイナス、出庫されたし。ご武運を』

「了解。アンダイナス、発進します。感謝を」


 管制官の声が響く。経験の無い完全四脚の、馴染みのない歩速を確かめるように、微速前進を開始。先を行くキャスティの後を追う。

 最早後には引けない。

 そして、引くつもりもない。

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