023.「事之顛末」
コーヒーの香りが鼻をくすぐり、続いて階下から母の声がする。
それが、高円寺家の普段と変わらない朝だった。
寝起きの、ロングTシャツにスェットという格好のままダイニングに向かえば、朝食の用意をする母と、テレビのニュース番組をコーヒー片手に見る父の姿。
ニュースキャスターはまだ朝の七時過ぎだというのに、はきはきとした声でしゃべり続けている。
――マクスウェル大学のエリントン教授によれば、今回の実験で存在が確認された現象はイーサ波と名付けられ、世界的な通信インフラはもとより将来的にはエネルギー送信技術への転用も期待されるとのことです。イーサ波という名前の由来は、古典物理学で存在が予想されながら近現代では否定されていたエーテルという架空の物質が元となっており、ヒッグス粒子の性質を補完するところから命名に繋がった、と話しています。では、次のニュースです。昨日未明、麗京行政区で発生した大規模停電は、一日が経過しても完全な復旧の目処が、
聞こえてくる内容は、頭の中を右から左に素通りしていく。覚醒したばかりだといつもこうだ。強引に学校に行けるようになるまでテンションを上げるには、若い頃に小さな喫茶店で仕込まれたという母のコーヒーが欠かせない。
ただし、ブラックなんて飲めないから砂糖と牛乳は必須だ。人これをコーヒー牛乳という。
「また夜遅くまでゲーム? あなたもうすぐ期末試験じゃなかった?」
欠伸をかみ殺しつつちびちびとマグカップに口を付けていた俺に、母の小言が刺さってくる。言ってることがいちいち正しいから、何も言い返せず。
「あー、まぁ……ぼちぼちやるよ」
「中間試験みたいになるなよ。さもなきゃ自転車取り上げるからな」
父まで参戦してきたら、もう逃げるの一手だ。
着替えてくる、と言い残して部屋に戻り、制服に手早く着替えて教科書一式が詰まったリュックを背負う。
「行ってきます」
告げて玄関のドアに手を掛けて、外へ。背後からは、帰ってきたら予備校のパンフに目を通せという、死刑宣告にも等しい母の言葉が追い掛けてきた。
通学路を愛車のロードバイクで疾走すれば、薄手の手袋を易々と寒風が突き破ってきた。赤信号に引っ掛かって停車し、辺りを見れば白い息を吐く同じ服を着た人達の姿。マフラーやコート、制服の下に着込んだニットなど装備も厚くなっている。
なるほど、もう二学期も終わりなんだな。と、実感を込めて思う。カレンダーでは見ていたし、期末試験を意識し始めた授業内容からもそれは感じていたけれど、一番それを感じるのは登校風景の変化からだ。
信号が青になる。学校まではあと五百メートルもない。ハンドルに取り付けた
ペダルに力を込める。通学仕様でビンディングも付いていない状態で、引き足には期待できない。予め落としてあったギアを、速度に合わせて引き上げていく。出足は好調だ。サイコンの時速表示が更新され、時速35キロを超える。のろのろ運転のスクーターの横をすり抜け、校門前に陣取る生活指導を見付け、まずい、とブレーキを握る。
日が悪かった。ただでさえ、最近はスポーツタイプの自転車には目を付けられている。そこに、猛スピードで突っ切る自転車を見咎められれば、ただでさえ低い内申点がどうなることか。
儚く消えた新記録を惜しく思いつつ、速度は他の通学生が乗る
「はよざぁーっす」
わざとらしく声を上げつつ、校門をすり抜けた。角刈りのやくざみたいな生活指導に、異様に凄みのある目つきでこちらを見られ、一瞬身を固くする。しかし、すぐさま学ランの第一ボタンを外した一年男子を捕まえ、難癖を付け始めたのを見て一息つく。すまん、名前も知らない、ちょっと平たい顔の男子。お前のことは、まぁすぐ忘れると思う。
予鈴と共に、自分のクラスである三年C組に入る。
座席は、教室の後ろ側、入り口からすぐ。遅刻寸前の時には有り難い席順で、だけど近視気味の視力には少し辛い。
学祭の頃までは朝からやかましかった教室も、最近は受験を控えているからか、随分と慎ましい。その中で相も変わらず騒がしい一団は、早々に推薦入試を決めた選民どもだ。他の面子は、赤本や予備校発刊の参考書、そして期末範囲のノートを捲る手に余念が無い者、何もかも諦めたか机に突っ伏す者、美容専門学校行きのやつは髪を掻き上げながら鋏や剃刀の写真が踊る用品カタログを眺め、異端の就職組は遊ぶ金目当てのバイトで寝ていないと豪語する。
相も変わらずだ。
それなのに、胸の内を支配したのは、懐かしさだ。
なんだ、懐かしいって。いつも通りじゃないか。
「なに黄昏れてんだよ高円寺ィ」
声を掛けられ振り向くと、そこに立っていたのは、長髪が鬱陶しい見飽きた顔だった。頬杖を突いたまま教室を眺めていただけで黄昏れているとは、随分と飛躍が過ぎる。
「べっつに黄昏れてなんかいねーって」
「そうかよ? 俺は割と憂鬱でな」
「なんで」
「仙正大、工学部工学科、C判定」
さらりと告げられた割と深刻な発言に、こちらまで憂鬱になる。
確かこいつは大学から一人暮らしを希望してて、工学部の合格はその絶対条件だったはずだ。この時期の模試結果はただでさえ気が重い話題だというのに、夢の一人暮らしまで懸けてしまっては、さすがに気の毒になる。
一つ前の席に向かう足取りは、気持ちふらついているように見える。目の下にうっすらと隈も出来ていたから、睡眠返上で取り返そうとしたに違いない。
とは言え、そっちはまだいい。俺なんか、まだ志望校すら決めあぐねている。
「受験なしで大学入れねェかな」
「夢見るな、勉強しやがれ」
「お前に言われたくねーわ」
これでも、一応受験勉強らしいことはいている。ただ、進路すら定まっていない状態でやったところで身が入るはずもないのだ。
「大学行って何かしたいわけでもないしなあ」
「いい加減、ささっと決めろよ。洒落になってねぇぞ」
「つっても、得意分野とかも無いしなあ」
「何言ってんだよ、あるじゃねェか」
「何が」
「ロボットの操縦」
「はあ?」
何を訳わからない冗談を言ってるんだこいつ、といらだち紛れの声を上げて、それでもなお顔はこちらに向けず、そいつは続ける。
「得意だろ? ジュート」
「なんだよ、ジュートって。誰だそれ」
「誰って」
顔がこちらに向く。そういや、こいつの名前、何だったっけ。ど忘れしてる、毎日顔を合わせてるのに。
本当に忘れてるのか?
前髪に隠れていた顔が、上げられる。どこかで見た。違う、毎日のように見ていた。周りからは、いつの間にか声が途絶えていた。みんな、こっちを見ている。なのに顔が見えない。顔のない貌が、誰だよお前たち。
「ゲン、さん」
静まり返った教室、ただ一人顔があるそいつに、俺の口が勝手に動く。誰だそれは。いや知ってるだろ。忘れたのか。騒がしい第三階層。へたったソファの応接室。輸送用リムに積まれる前肢がおしゃかのバッタ。刀を打ってくれた。勝手にエッグタルトを食べられた。どうでもいいような、大事な思い出がフラッシュバックする。
そして。
「誰も、恨むなよ」
◆◆◆ ◆◆◆
瞼を開ける。もう、とっくに夢だということは気付いていた。
まったく、無茶苦茶な夢だ。アンダイナスに乗るようになってからのことを追体験した挙げ句に、駄目押しのように
しかも、最後に出たのが学ラン姿のゲンイチロウなんて。
「本人に言ったら、怒るかな、笑うかな」
たぶん、両方だ。あの、人を誤解させやすい粗野な声でからかってるのかと怒り、でもその声に似合わぬ理知的な目は変わらず、一頻り怒った後は笑いながら詳細を聞いてくるに違いない。
生きていれば。
「あー……」
そうだ。もう、あの寝惚けた頭を覚ます乱暴な言葉遣いも、存外知性を湛えた光を常に蓄えた目も、兄貴のように諭されることも、傍若無人な振る舞いも、そのくせことあるごとにこちらの身を案じることも、何もかも。
もう、会えない。
「……」
のそりと上体を起こし、そこから身動き一つできず、頭はただ一つのことだけ思う。
最後の言葉だ。
「無茶、言うよなあ」
無理筋な言い分は最後まで変わらない。事ここに至って、誰も恨むなというのは、なかなか難しい。どうせ何も考えず、いい感じの言葉を探してなんとなく言ったとか、そんな由来のような気もする。というか、その方があの人らしい。
あの人らしい。それが、引き金だった。名状しがたい何かが、のどの奥から出口を求めて暴れる。鼻と目が震え、続けて口が引き結ばれ、手が硬直して、ようやく気付いた。
俺はどうやら、泣いているみたいだ。
◆◆◆
抱えた膝に顔を押しつけたまま、尽きないように思えた涙と嗚咽を、どれだけ流し続けたか。一緒に感情さえ流れ出てしまったのではないかと、そう思えるほどの空虚さに支配された思考の片隅に生まれたのは、疑問だ。
怪我自慢、病気自慢、なんて言葉がある。大怪我や大病から生還した人がよくやる、あれだ。この間事故って肋骨折っちゃってさ、とか。トキハマの病院から退院したときは、言う相手もいなかったけど。
それをするなら、今の俺は極め付けだ。腕がなくなった、足がなくなった、そんな怪我自慢が出来る人も、まあ世の中にはいることだろう。でも、頭をもがれた、体中を粉々にされた、なんて言えるのは俺くらいのはずだ。
「言えないし、傷跡すらないけど、な」
自嘲気味に呟く。言葉の通りだ。腕もあるし足もある。頭を触っても、脳味噌はしっかりと頭蓋骨がガード。五体満足以外の何物でもない。
「どうなってんだ」
気味が悪い。気持ち悪い。俺はあの時、確かに死んだと思った。
「うぶっ……」
どうやら体は無事でも、精神が悲鳴を上げたらしい。胃袋は空のようだけど、胃液が吐き気とともに溢れ出る。強烈な酸が喉を焼き、せめて体だけは汚さないように、ベッド脇に残らずぶち撒ける。
ベッド。
続いての疑問だ。ここは、いったい何処か。
まるで、この……西暦にして5524年とやらに、放り出された時みたいだ。見知らぬ場所、繋がらない脈絡。違いとしては、何かが暴れ回る音もなく、ベッドの上に寝かされてそれなりの応対を受けているらしいこと。
周りがようやく目に入り始める。白い壁の、真四角の部屋。作り付けのキャビネットすら白い。記憶にある病室の光景すらこれよりは色があったと思う。
辺りは耳が痛くなるほどの静寂だ。部屋の中には俺一人。誰がこんなところに運んだのか……いや、そんなことよりも。
真実を知りたい。切実に、そう思った。これまでは、肝心なことははぐらかされたまま、ここまで来てしまった。流されるまま、俺は戦い、大事に思う人を失った。
何故、死ななくてはいけなかった。俺は一体何者なんだ。誰が黒幕だ。何を企んでいる。
そこへ。
「お。ようやく泣き止んだかなー?」
扉を開け、その人が入ってきた。
◆◆◆
「もーね、生体化処理が終わってもなーっかなか目が覚めないから、うちも少しだけ心配しちゃったよー? あ、でも
「……大丈夫、っす。あの」
「でも便利だねー。生体と電脳体の
「いえ、痛みとかは、全然。ただ、」
「欠損を自覚した時間が短かったからかなー? ほら、生体化したら感覚はすごーく鋭敏になるのに、身体の動きは全然追い付かなくなるじゃん? それにしてはジュート君よく動けてるし、適正あったのかもねー。クオリア構造の多様性獲得環境処置ってゆーのも、なかなかバカにでき」
「いや、ですから! ちょっとこっちの話を!」
果てしなく続く意味不明な言葉の羅列を受け止め続けるのはさすがに辛くなり、たまらず声を上げて裁ち切りにかかる。
普段声を聞いていたのは通信で、直接顔を合わせて話したこともあまり無かったから知らなかったけど、勢いに乗って喋り倒すその姿は大袈裟な身振り手振りまで交えていて目に痛い。今もしたり顔であごに手をやるポーズのまま、ぴたりと動きを止めたその姿は、一目見たら忘れようもないゴスパンク衣装に身を包んでいる。
「なになに? 何か聞きたいことあるのー?」
止まったと思ったら、すぐにこちらに顔を寄せてそう訪ねてくる。見た感じ二十歳前後で小首を傾げた所作は、何故だか全く可愛げが無い。
魔女みたいな人だよな、と思った。
「ええっと。まず、ここはどこ。じゃなくて」
聞きたいことは腐るほどある。これほどまでに疑問が脳を埋めることなんて、人生でも初めてだ。
聞きたいことを整理する。まず聞くべきは、場所ではなく、今の状況を作ったはずの張本人。
「なんで、あなたがいるんですか、キャスティさん」
言ってから、言葉の選び方を間違えた、とは思った。
勿論、ものすごく怒られた。
以下はその弁の一部だ。
「ひっどい! 本っ当ーに、ひどい! 誰がー、あの
一事が万事この調子で、十数分にわたる怒りの罵倒は平身低頭し甘んじて受け入れるしかなかった。と言うのも、発言の内容を聞く限りだとキャスティは俺を『助けて』、その上『昏睡状態の世話まで焼いた』、という認識で、そして俺自身それが事実と考えるに
……我ながら酷い言い分だって自覚はある。ただ、これまでの彼女の言動を思い返すと、そのような人間らしいことが出来るのかと疑いたくもなる。ゴスパンクのバーサーカーだぜ?
「とりあえずー、ジュート君がうちをどーんな目で見てるのか、それははーっきりとさせておきたいかなー、お姉さんとしては」
「いや悪かったですって。本当に」
「言い方ってものがー、あると思わない? 『あなたが助けてくれたんですか?(きらっ)』とかさー、ねー?」
「イヤですよそんなの、この格好でそんなこと言ったら完璧に変態じゃないですか」
補足しておく。格好、と言っても変な服を着せられているわけじゃない。
むしろ何も着ていない。素っ裸だ。マッパだ。
「まー確かにー、そんな粗末なモノ見せながら言われてもねー。断熱シートで、せーっかく隠しといてあげたのにー」
「粗末って言うな!」
股間を両手で隠しながら叫ぶ。色々な部分がデリケートな十代男子高校生に向かってなんてこと言いやがるんだ。それも、さも慣れてますって口調でさらりと。
この手の代わりに見えちゃいけないものを隠していたその断熱シートってのは、ベッドの横に落ちているぺらっぺらで銀色の薄い膜を言ってるんだろう。元いた場所でも見たことがある、野宿とかで使うもので、こんな見た目でも包まれば毛布よりも冷気を遮断してくれる優れ物だ。
ただ、ベッドの横ということは、つまり俺の吐瀉物が盛大にぶっ掛けられたということで。
「隠すものも無い、ってー感じ?」
「……ですね」
「服。いるー?」
黙って頷く。全く以て締まらない光景だった。
◆◆◆
服を出すから付いてこい、と言われてキャスティに連れて行かれたのは、白い部屋からこれも白くて異様に長い廊下を抜け、両開きの大きな扉を抜けた先。
暗く、中は見通せないものの、相当に大きな部屋なのは確かだった。足音もそれ以外も、間延びした反響音が追いかけてくる。
そこで待つ間、どんな服が出てくるか、レザージャケットとか、切れ目の入ったTシャツとか、スキニーでベルトがそこら中に付いたボトムスとか、編み目が粗すぎて着てる意味のないニットとか、軽く切れ上がったショートパンツとか、そんなのまで予想したにもかかわらず。出てきたのは、カーキ色のTシャツにネイビーブルーのボクサーパンツ。そして、紺色のツナギだった。
「神様、常識的な服に感謝します」
「ねー、ほんっとにジュート君さー、うちのイメージどうなってんのー?」
「……意外と常識的だな、って」
「今、そー認識を改めたんでしょー?」
ジト目のキャスティを一先ず意識の外に置き、思考する。ヒントは、このツナギだ。
アンダイナスに乗り込んだ当初、家に帰せと駄々を捏ねたときのことを思い出す。あの時も、これと全く同じツナギを着た。それと同じ物があるこの場所にキャスティは、アンダイナスごと俺を運んで来た、そう言っていた。
「キャスティさん。確認してもいいですか」
「キャスでいーよ、『さん』も要らなーい。で、なーに?」
「ここって、何処ですか?」
「んー。言ってもいいけどー、ジュート君もうわかってるんじゃないのー?」
ご明察だ。
答えはもう出ていた。
「……レドハルト丘陵、伊佐家管轄の施設。アンダイナスが保管されていた場所……違いますか?」
「当たりー。もうねー、大変だったんだよー?
ミツフサ開拓村は、位置的関係としてはこの施設から見てセントス山脈を挟んだ向こう側だ。近いと言えば近い。
現在地はわかった、ならば次の疑問だ。即ち、
「なんで、ここに? って言うか、こんな部屋があることなんて俺、知らなかったんですけど」
「そりゃー、ジュート君の身体を作るためだよー。憶えてないの? 君、食べられちゃったでしょー?」
「いや、それは憶えてますけど。って、当たり前のように言ってますけど、何で俺生きてるんですか」
「だって君、特別製だもん。いいなー、
「何すか特別製って。人を作り物みたいに」
「作り物みたいなもんでしょー?
得心がいった、という表情で、キャスティがぽんと手を打ち。
「ジュート君、自分が
続いて、何でもないという顔で、俺の認識と常識を根底から覆す、爆弾を投げ入れてきた。
「……え?」
「
足元がぐらぐらと揺れてる感覚。実際にはそんなこと、起きてもいない。キャスティも平然としたままだ。震えているのは、俺の足。
「何……、冗談言ってるんですか」
「そおー? うちの見立ては外れたことないんだけどー」
「大体……根拠、そう、何も理屈もなく言われたって」
「根拠ねー。そうだなあ、例えばー。
その内容はこうだ。喉の渇きが異様に辛い。湿度に関して敏感になる。激高しやすくなる。物理的な食事が有り得ないほど美味く感じる。眠っていても微かな物音で起きる。
どれもこれも、この世界に放り込まれた……俺がそう認識した直後、覚えのあることばかり。
「いや、だからって。そんなの個人差だってあるでしょ? 俺は
「じゃー、何だって言うのー?」
「俺……は、西暦2017年の、日本……高校生」
呂律が回らず、途切れ途切れに単語だけで言葉を発する。そんなざまを見て、キャスティが小さく舌打ちした。
「副作用の多い処理だなー。もう、めんどー……ジュート君。はい、これ見てー?」
掲げた手の先、光が凝り固まって一つの画像を形成する。見た覚えがある。リムの外であいつが結像するために使った、ホログラフ。
現れたのは、文字らしきもの。トキハマで見た、記号のような意味不明な。
「読めるー?」
「読めるわけ、ない。そんなの、習ったことも」
「えー、おかしいなー。これね、日本語だよ。『漢字』、ってゆー象形文字」
――は?
「そんな、まさか」
「西暦2017年、ってゆーか日本は、かなり複雑な言語体系してたみたいねー? 中華語ベースによくもまー」
「そんな、そんな文字、わかるわけないじゃないっすか。そんな、マニアックな」
「これ、対象は10歳以下だってー。ね、ジュート君、何て言ってたっけー。高校生? こっちで言うミドルスクールの人が、一桁台のちいーさな子が、使う文字も読めないのかなー?」
毒薬のように、キャスティの言葉が頭蓋骨の中まで浸透していく。
手のひらの上で、文字が揺れる。そこには、読めないけど、『真実』という形の文字が。
「まだ、信じられないー? じゃあさ、そこ、立ってみてよー」
浮遊する文字が矢印形に変わり、行く先を示す。発光するそれにぼんやりと照らされ、巨大な掌が浮かび上がる。
照明が灯る、突然の光に慣れない瞳孔が急激に狭まり、眼の奥に微かな痛み。そこにあるのは。
「アンダイナス……」
見間違いようもない巨体が、そこにある。施された黒い塗装は剥げ落ち、わずかに残されたそれは素肌の白にまるでまるで血飛沫のような、凄惨な印象を与えている。
言われるがまま、掌の上によじ登り、立ち上がる。体勢を整えた途端、上昇を始めた。向かう先は、同じく展開を始める腹部ハッチ。
「
「知ってますよ。でも、それは理由にならないですよ。中にはあいつが」
「あいつってだーれ?」
神経を逆撫でする声で、キャスティが問う。決まってる、この中には正真正銘の
「エミィ! エミィ、お前からも何か言ってくれよ。なんで、ずっと黙ってんだよ」
ハッチの奥に向かって、声を張り上げる。そうだ、エミィが話せばこんなたちの悪い冗談、一蹴してくれるに決まってる。
「おいエミィ!」
それなのに。
何の光も発さないハッチの奥から、声は聞こえない。まるで。
「だーれも居ないよ?」
なんで。
「何の反応も無いしー。感知してた変なイーサ波も、なーんにも。どこ行っちゃったんだろうねー?」
「なに、が」
「エミィちゃん、だっけー? その名前もね、偽名だよー。そんな名前の子、
これ以上聞いてはいけない、そんな気がする。聞きたかった真実という名の攻撃が、精神を乱打する。満身創痍だ。もういやだ。これは一体、誰が書いた筋書きなんだ。
ミツフサでの惨劇を、ゲンイチロウの死を、自分自身の死に際の記憶すら上回る衝撃が、身体を貫くような錯覚。視界が揺れる。体が震える。もう、立ってすらいられない。なのに。
尚も、キャスティは攻め手を緩めない。
「
サツキを助けに、アンダイナスから外に飛び出した時のことを思い出す。
そうだ。よくもぬけぬけと言えたもんだな。あの時俺はエミィを、完全な疑惑の目で見ていたじゃないか。
「……いやだ」
「んー?」
「いやだ。もう、やだ。やめて、やめてくれよぉ……」
虚勢を張ることもできない。足元から、何もかもが崩れていく。立ち上がることを足が拒否する。
ハッチに乗り込まない俺に、アンダイナスが無駄足とらせるなと、掌を再び地に降ろす。そこに、キャスティが飛び乗り、へたり込んだ俺の頭に優しく手を置いた。
「ね、もう認めなよー? わかったでしょー」
「何を、ですか……」
慈母のような魔女の笑みで、キャスティが、止めの一言を放った。
――君は、最初から今まで、全部騙されてたんだよ。
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