029.「模範操機」

 胃袋が持ち上げられるような不快感と共に、身体が重力を失った。

 そう思ったのは俺個人に限った話、万有引力はしっかりと仕事をしている。ザルマン、もといヴルカヌスごと雁字搦めに巻き付いた断ち切れない力の鎖が、加速度的に地表方向へと引き込まれる。踏ん張るべき足場は、十数メートル下方だ。そう分かってはいても、体は無意識に操縦席の仮初めの地面を踏ん張ってしまう。

 時間の経過がずいぶんと長く感じる。ゆっくりと地表が近付いてくる様子がディスプレイ下方の視界で見てとれ、


 そこで様子がおかしいことに気づいた。


 体に重力の感覚が戻ってくる。聞こえる音は、聞き覚えのある水蒸気スチーム間欠パルス噴射スラストの排気音。

 また、視界も持続的に、それも結構な速度で前進しているように見える。


「言ったでしょー、出来るって知ってるー、って」

「先にやること言えよ! 心臓に悪いにも程がある……!」


 要は、内蔵しているスラスターを吹かして、落下速度の減衰を行っているということらしい。考えてみればアンダイナスも1G加速は可能なわけで、全力で噴射すれば重力に抗うことも可能なわけだ。

 その上で弁解すれば、アンダイナスのスラスターは水平方向の加速に限定して固定されている。垂直方向の噴射はこのヴルカヌスを以てして可能、というわけだ。出来たとしても、自分ではやろうとも思わないけど。

 そして、キャスティが何故そんなことをしたのかも、表示されている情報から読み取れた。

 階層間エレベーター周辺に、こちらを追う軌道を取って動く光点が点在するのが、索敵マップから見えた。表示はみかた。とはいえ、この色付けは生体反応の有無から判断しているものだから、本当に味方とは限らない。


「待ち伏せ、やっぱりいるのか」

「ねー? あのまま降りてたらー、囲まれてたでしょー」


 盛大に水蒸気を周辺にまき散らしながらヴルカヌスが派手な音と共に着地し、慣性を殺さないようそのまま前進を開始する。外気温は低いものだから、置き去りにした濃密な霧は広範囲に留まったまま、なかなか消えない。着地の際の目眩ましまで計算尽くで行っていたとしたら、なかなか効果的な戦術だと思う。


「どうすんの、逃げる?」

「こっちはそれでもいいけどー。あっちがねー」


 その時、忙しなく後脚を動かしているためか激しく揺れる視界の端を、一筋の光が通り過ぎるのが見えた。

 夜戦用の曳光弾だ。


「ほらねー?」

「やる気だってのかよ……」

「事態はそこまで深刻視されてるー、ってことでしょー」


 言ってる端から、二つ目、三つ目の弾が撃ち込まれてくる。目眩ましは有効だったようで狙いはだだ甘だけど、実弾を撃ち込まれていることに違いはない。

 直後、弾頭の解析結果が表示された。瞬間硬化ベークライトトリモチ、つまり動きを封じてこちらを生け捕りにしようという腹らしい。


「仕方ないねー、っちゃおうかー」

「やってもいいけど、やり過ぎるなよな!」

「殺しはしないよー。まあ見てなってー」


 顔は見えないながら、にやりと笑う気配がした。機体が緩く旋回を始め、横向きのGが生まれ、追っ手らしき機影が見切れる。

 相手は三機、どれも犬などの肉食四足獣よりも太ましい、熊のような造形をしている。察する感じでは、生存性を高めるために重装甲が施されているようだ。そして背中には、長砲身のレールガンが二門。

 トリモチ弾はそこから間断なく打ち込まれ、しかし目眩ましの効果も切れているだろうに、ヴルカヌスに被弾する様子はない。一般流通しているリムパーツですら、自動での照準補正により強烈な精度を誇り、その事情は対人戦だろうと変わらないはずなのにだ。

 種は何かと思えば、視野を流れる景色に微妙な緩急が付けられている。そして、緩急に合わせて僅かな時間ブーストを入れているらしい、小刻みな前進方向の振動。どうやら、ランダマイズした挙動を織り交ぜることで自動照準を混乱させていると、そういうことらしい。


「すっげ……。なんだこの挙動」

「対人戦の基本だよー」

「物騒な……!」


 少なくとも飛び道具を持たないバグ相手に習得できる技術じゃないけど、どういう経緯で習得したかは今は聞かないでおこう。大事なのは、少なくとも数の上では不利だというのに、操機のお陰で今のところは有利に立ち回れているということだ。

 歩行速度やブーストの操作は、フットペダルの担当だ。こんな小刻みかつ繊細な動きが簡単に行えるとは思えない。どう操ればこんな挙動が可能なのか、見下ろす位置のキャスティの手元足下に注目し、さらに異常な光景を見た。

 手も足も、どこにも触れていない。

 間違いない。今、左手は暢気にも顔をぽりぽりと掻いているし、足元には散乱する有象無象が加速に従って押し寄せてきてフットペダルが埋まり、右手に至ってはスティックにどこかから飛んできたブラジャーが引っ掛かってる。いやいや。


「掃除しろよ!?」

「わぁ! なーにー、集中してるんだからおっきー声出さないでー」

「ちっとも集中してるように見えねぇ!」


 叫んだ直後、機体を震動が襲った。

 どうやら一発、当たってしまったらしい。ただ被弾箇所は胴体で、トリモチ弾は関節部位に当たってこそ威力を発揮するから、ほとんど被害らしい被害は無い。


「もー、だから言ったじゃーん」


 とは言え、当たったこと自体気持ちのよいものではなかったんだろう。文句をたれつつ機体は直径にして十五メートルはある支柱サブシャフトの影に、敵影方向から死角に入るように陣取り、相手と向き合うように転回する。反転攻勢を仕掛けるつもりなのだろう。

 そして機体の動作とは裏腹に、やはりコントロールシートの操作デバイス類には、一切手を触れた様子がない。

 一体何をどうやっているのか。

 そのヒントは、十分すぎるほど出されている。勝手に動いたエレベーター、独りでに動いた機体、そして『電脳人バイナルのやり方』。


「これ、思考制御か」

「そー。リムがいくら良くてもさー、操縦がびみょーじゃ勿体ないでしょー?」

「って言われても、できる気がしないんだけど」

思考制御シン=コネクト接続器官インターフェースはー、ちゃーんと動いてるはずだよー。ってゆーか、モノ自体は遺伝子組込ビルトインでー、うちらは活性化アクティベートされてるだけだしー」


 また聞き捨てならない単語が出て来た気がする。まあいい、この際大事なのは俺にも出来る、ということだ。


「じゃあ、やり方を教えてくれるっての?」

「うちはもー、気付いたら出来てたからなー。言葉で教えるのは難しー……」

「授業って言ってたよな!?」

「見取り稽古、ってゆーやつだよー」


 支柱サブシャフトから、逞しい後脚で地を蹴ってヴルカヌスが躍り出る。そのまま前方、つまり追っ手の機体に向かって加速を開始、だけどただの直線軌道じゃない。所々にサイドステップを交えた、射線を絞らせない動きだ。

 当然そんな動きをすれば操縦席の中も激しく左右にシェイクされるわけで、散乱する小物は歩行の上下運動とも相俟って四方八方に乱れ飛び、今も刺々しい意匠が施された化粧ポーチなんてややこしい代物が顔めがけて飛んできた。


「刺さったァー!」

「うるさーい、集中出来ないって言ったでしょー」

「そもそも片付けとけばすむ話だろ!」


 色々と言いたいことは山のようにあるけど、複雑極まりない機動は思考制御の賜物なんだろう。物理デバイスで操作したら、レバガチャの挙げ句に水平方向移動操作用のスティックをへし折りかねない。

 その上、漏れ聞こえてくる噴射音から察すると、加速に合わせてどうやら間欠的にクラスターを点火キックするなんて芸当までこなしているらしい。随分と贅沢な使い方だ。


「こんな動きして、推進剤足りるの!?」

「推進剤? 起動加速スターターには使うけどー。継続加速には使わないよー?」

「なんだそのインチキ!」


 これは準戦時形態から使える隠し球なのだとキャスティは言う。

 普通のリムは当然推進剤が無ければブーストなんて出来ないし、その事情はアンダイナスでも変わらない。

 それが、このヴルカヌスについては高速機動中に取り込んだ空気を高出力電圧と高熱でプラズマ化し、質量と電離のローレンツ力を推進力に変換するプラズマ推進器アークジェットスラスタを搭載しているという。

 電気が無尽蔵に手に入り、推進剤も空気ということは事実上無尽蔵なものだから、他のリムでは真似できない長時間の高速機動戦闘が可能というのがこの機体の真価というわけだ。


「市場には出回らないー、ワンオフの特別製なのさー」

「二百年もののロートルアンダイナスとは物が違うってわけ!?」

「年式は関係ないよー。大体、そっちはすごーい大砲持ってんじゃーん? こっちは通常兵装じゃー、決定力には欠けるしー」


 左右に大きく機体をぶれさせながら突進する軌道を取るヴルカヌスに、雨のように曳光弾が降り注ぎ、しかし意外なほど被弾する数は少ない。

 特に致命的な間接部への着弾は皆無で、何故なら一見不規則な挙動も実は対向する機体の射線を高精度に知覚し、『当たらない場所』への移動を連続かつ高速に行った結果だからだ。近付く機影が慌ただしく砲身を迷わせる姿から、それが見て取れる。


「はい、照準固定ロックー」


 戦闘操機の最中とは思えない、のんびりとした言葉が漏れた瞬間、今度は横殴りの強烈なGが体を襲う。

 ブレつつ後方にかっ飛んでいた視界が、横向きへと変わった。同時、間隔を空けつつ複数の射撃音。背部にマウントしたレールガンによるものだろう、甲高い破裂音は音速を超えた小口径弾頭の衝撃波ソニックブームによるものだ。

 それとともに、横方向に流れていく追っ手の機体グリズリーが両前脚を砕かれ、うずくまるように擱坐かくざしていく。

 横スライディングで照準を合わせ流し撃ちという離れ技を行っているのは明白で、かつ三機のそれらが一様に頭を垂れることになるまで、数秒も要していない。目を離すこどころか、まばたきすら惜しくなるほどの凄まじい操縦だった。


「相手が悪かったねー?」


 外部音声スピーカーを入れて、そう勝ち鬨を上げるキャスティ。平伏す三機の前で高笑いも堂に入っている。

 一見出鱈目の無茶苦茶だった戦闘も、全ては計算尽くだったわけだ。

 先手を取らずに目眩ましを置きつつ逃げる軌道を取ったのは、追わせることで散開していた敵機を一纏めにするため。そして、反転し一気に距離を詰めたのは、急所を外せる・・・・・・精度が確保できる距離まで詰めるため。最後の派手な動きで、一気に仕留めることができたのも、そこまでの積み重ねがあればこそだった。


 悔しくてたまらない。


 俺は、こうまでアンダイナスあいつを活用出来ていたか。機体の特性は違えど、キャスティの操機と俺のそれとは、決定的な違いがある。それは、ただ思考制御が可能かどうかの違いだけでは決してない。

 思えばエミィも、本来苦手な近接戦にもかかわらず、損害らしい損害をほとんど出さずにトキハマ郊外の戦闘を潜り抜けてのけたんだ。詰めの甘さを露呈して最後に油断し、易々と拘束され身動きが取れなくなった、ミツフサの時の俺とは違う。

 根性論と切って捨てた言葉が、今更ながらに思い出された。


「信じる、か……」


 多分足りていないのは、そこなんだ。


 ◆◆◆


 ちなみに、その後めっちゃ吐いた。

 そりゃもう盛大にやった。胃袋をひっくり返してもう何も出てこないってくらいえづいた。

 汚い話なのは承知だけど、自己弁護させて欲しい。大体、アルコール入れて泥酔に近い状態になったところに、容赦なく鳩尾につま先をぶち込まれ、その後は自由落下からの上下前後左右シャッフルだ。それでも戦闘中の緊張感で吐き気は忘れていられたけど、一段落付いて機体ヴルカヌスが元の形態に戻るとき、視線が低くなるのと同時に浮遊感を自覚したらもうダメだった。

 これで吐くなと言われたら、助走つきで遠慮無く殴れると思う。

 救いと言えば、ヴルカヌスの操縦スペースがアンダイナスとレイアウトが同じ事で、つまりトイレまで常備されていたことだ。ビバ居住性。


「まー狭いからー、音は筒抜けだったんだけどー」

「悪かったってば。……でも、原因の一端はキャスにもあるんだからな」


 そこはしっかりと主張しておきたい。醜態をさらした俺も悪いと言えば悪いんだけど。

 鉄火場は背後に遠く置き去りに、ディーネス基礎階層を素通りし、ヴルカヌスはほぼ振動も無く静粛に歩みを進めている。この形態は民生品の戦闘用リム擬態状態で、かつ長時間移動に適した形態だという話だ。ここで揺らされていたら、また吐き気がぶり返しそうだったから有り難い。


「それじゃー、行き先はトキハマってことでいいねー?」

「それ以外心当たり無いしなぁ」

「ジュート君の機体アンダイナスをー、取りに戻ってもいーかもだけどー」

「寄り道出来ないでしょ、合同葬儀まで日が無いし」


 ディーネスからトキハマまでは、リムの脚で三日ほど。どんなに急いでも、二日は必要だ。そして、アンダイナスがある施設には街道の途中で道を逸れて片道ほぼ一日。明らかに時間が足りない。

 事実ではある。でも、こじつけだという自覚もあった。


「理屈じゃーわかっててもー、気持ちはまだ乗りたくない、ってとこかなー」

「……わかってるよ。ちゃんとケリを付けるなら、あいつアンダイナスが必要だってのは」


 認めたくないけど、自覚はあった。

 あの日以来、俺の身体は、アンダイナスに乗り込むことをすっかり拒絶していた。資料を読むために、端末で外部から繋いだときですら手が震えたほどだ。


「乗りたくないのはー、怖いからー?」

「ちょっと違うかも。そりゃ、得体が知れないっていうのはあるけど。……多分だけど、俺はもう失敗したくない、んだろうな」

「あれはジュート君のせいじゃー、ないと思うけどなー」

「助けられなかったのも、事実だし」

精神的外傷トラウマは厄介だねー……んんー?」


 言葉の最後に変な声を付け足したと思ったら、のそのそとした挙動ながら存外俊敏に歩いていた機体が動きを止めた。


「今度はなに?」

「三度目の待ち伏せだねー……。こりゃー、向こうさんも気付いてるっぽいかなー」


 ディスプレイの片隅に押し込められていた索敵マップが、広域表示に切り替わる。

 写っていたのは、十数体はある機影だった。前方1キロメートルほどの距離を取り、それらは散開している。

 目的が何かなんて、言うまでもない。


「何とかなるの、この数」

「さすがにこの数だとー、弾幕になるからねー」


 そう言いつつ、機体が駆動する音。併せて地表が離れていく様を見るに、どうやら変形を再度始めたらしい。


「これは本気を出さないといけない、かなー?」


 視界の上昇に合わせて、今度は振動が物騒さを伴い始める。これまでとは様子の違う、肉食獣の唸り声とも似た音が漏れ聞こえ始め、そこかしこから何かのロックを外したらしい、弾け飛ぶような金属質の響き。

 対して、視界前方の敵集団は前身することなく、砲口をこちらに据える様子が見える。キャスティの見立て通り、物量にものを言わせて動き回るこちらに弾幕を浴びせかけるつもりのようだ。

 準備運動じみたわずかな時間が過ぎ、機体ごと身震いするような振動が襲い、敵集団は照準の迷いを排除し。

 始まりが予感された、その時。


『双方、止まれ』


 聞き覚えのある低い声が、緊張の間隙を縫った。

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