002.「離機索居」

 戦闘は10分にも満たない時間で、一方的に片がついた。いや、戦闘と呼んでいいのかも怪しい。

 俺が乗り込んだメカゴリラ、その腕の大砲が放った数発で、三匹の哀れなメカムカデはあっさりとその姿をただのスクラップへと変えた。撃破、なんて生易しいものじゃない。粉砕だ。着弾点に残っていたのは、元が何なのかすら判然としない、散乱した金属部品ばかり。

 その後も、続々と登場する有象無象を何の感慨もなく屠り続け、その数が二桁に達しようというところで、薄暗かった視界の奥から刺すような強い光が覗き、床面も緩やかに傾斜が付いた。


『間もなく地表に出ます』

「……そりゃ良かった。ついでに、到着したらさ」

『何でしょうか』

「外、出して」


 吐きそうになるのを何とか堪えて、端的に短く告げる。

 10分にも満たない時間、しかし激しく揺らされた俺は、早くもグロッキーだった。死ぬほどでもない揺れと言ったけどな、それで酔わないとは言っていない。


 ◆◆◆


 勿論、何も食べていなかった以上は吐くものなんて何もない。ハーネスから解放されて、開かれた腹部ハッチから身を乗り出して外の空気を吸い込めば、吐き気はあっさりと引っ込んだ。

 気分が落ち着いてから、ふと頭に浮かんだのは、


「……何とか、生き残れた、のかな」


 という、どこか現実感に乏しい感想だ。気分としては、テーマパークでえらく臨場感に溢れたパニックものから続けざまのジェットコースターをコンボで食らった後のような。

 だが、そんな安全に配慮されたものとは違って、起きていたことは正真正銘の命の危機だ。そこから救ってくれたのは、今立っているこのメカゴリラを操る人物。

 それならばまず言っておくべきことは、これしかない。蹲ってのリバース体勢から立ち上がり、振り返り、しかしどこに向かって声を出せばいいのか少しだけ逡巡。

 操縦席の方でいいんだろうか。


「……とりあえず、ありがとうって言わせて。助けられたみたいだし」

『そうする必要があったまでですから』

「感謝の言葉くらいは素直に受け取ったらどうかな……」


 声を掛け、返答はあっても、操縦者は未だ姿を見せない。俺が座ったシートの後ろ側にある少し小さいシートにも、その周辺にも、誰かがいるような様子はない。

 姿が無いことに、少なからず不信感はある。あるけど、一旦は後回しだ。訊かなきゃいけないことは他にある。


「ありがとうついでに、教えて。ここは一体どこ?」

『現在の座標から判断しますと、大陸極東のレドハルト丘陵と呼ばれるエリアになります』


 どこだそれ。


「……ごめん、わかんない。一番近い街とかは?」

『最も距離が近い中核都市は、北北東方向のトキハマです。開拓村まで含めれば、東にミツフサという村が』


 別の質問に切り替えても、出てくるのは知らない地名ばかりだ。しかしある意味では予想通り。


「やっぱり、異世界ってやつなのかな」

『イセカイ、とは?』

「説明難しいな。つまり、俺が知ってる世界とは別の場所のこと」

『なるほど、その定義であればここは、イセカイと呼称しても良いですね』


 声の主が肯定する。

 となれば、怪しいのはあの部屋だ。思い返し、考えてみればみるほど、それしか無いと思う。あからさまに『らしい』物と言えば、部屋の中央に鎮座ましましていた、あの透明な筒。


「要はあれが転移装置か何かってことか。でも、何で俺?」


 名前を知られていたってことは、無作為抽出なんかじゃなく、俺を呼び出すことを最初から決めていたということだ。

 しかし、どう記憶を掘り起こしても、その理由が何も思い浮かばない。フラグを立てた覚えも無い。多少自転車で身体を絞ってはいるけど、それ以外は本当に凡人ですよ俺なんて。


「まさか異世界ロードレースとか。ツール・ド・異世界」

『何を言っているのかはわかりませんが、下らないことはわかりました』


 一言に切って捨てられる思いつき。いやまぁ、本当に下らないから仕方ないんだけど。


「それじゃ、一体何の目的で俺を呼び出したわけ?」

『正直に言いますと、私にもそれはわかりません。ただ、貴方を連れて、この世界をどこへでも案内しろと言われています』

「は?」

『貴方は、この世界で生きてください』


 なんだそれ。

 なんだ、その誰でもできるような話。


「何それ。なんだよ、そんなこと? そんなことのために、俺をこんなとこまで連れてきたの?」

『必要なことですので』

「そんなの俺じゃなくてもいいだろ、誰でもいいじゃないか。俺にしか出来ないこととかさ、そういう理由は無いの? 俺にしか出来ないこととかは無いわけ?」

『貴方にしか出来ないことだと聞いています。そのために、私とこの子が用意されています』

「こんな大袈裟な物に乗り込んで、放浪すること? 一体何の意味があるんだよ。ふざけんな」


 苛立ちを隠すこともせず、そう吐き捨てる。

 馬鹿にしているにも程がある。別に俺自身、自分の力だけで何か英雄じみたことが出来るほどに大した人間だなんて思ってはいない。けど、呼び出した理由が世界を見て回れなんて、目的が無いのと同じだ。自分探しの旅なら現実世界でやればいい。

 大体、さっきまでは命を助けられたと思っていたけど、元を質せばそんな危険な場所に呼び出したのが悪い。無計画、無配慮、無目的。怒るのも当たり前だ。


『巫山戯ているつもりは』

「……帰る」

『何処へ?』

「どこへって、帰るんだよ。俺には帰る家も家族も、友達だっている」


 付き合いきれないと、さっきまで見ていた操縦席とは逆方向、外の景色を眺めながら言う。

 視界を埋めるのは、全天を覆う雲一つない青空と、眼下を覆う赤茶けた色の荒野と、時折存在する疎らな緑色の、目に痛いコントラスト。写真で見たことのあるグランドキャニオンによく似た色彩の、しかしずっと平坦に見える世界。

 こんな世界を見て回れ? つまらない冗談だ。


「あの部屋まで戻る。引き返して」

『戻ったところで、恐らく元の場所には帰れないと思いますが』

「行ってみなきゃわからないだろ。大体、ここに来たのに帰れないなんて理屈があるか」


 出口があれば、入り口もあるはずだ。何も無いところで目が覚めたら途方に暮れるところだけど、幸い手掛かりになりそうな物は大量にある。どれも使い方はわからないけど、触れば何とかなるかもしれない。


『……わざわざ危険な場所まで戻る必要はありません』


 危険と言われて思い浮かぶのは、あの巨大なメカムカデだ。だけど、あれは一方的に撃ちまくって、粉々にしていた。何も居なければ危険も何もあるものか。


「戻る気が無いなら、俺一人で行く。降ろして」


 ◆◆◆


 乗り込んだ時とは逆の要領で、腹まで掲げられた巨大な掌を使って地面に降り立つ。土の感触は、高い視点から想像していたものよりも、ずっと石が多くてごつごつとしていた。

 歩き出す前に、肩に掛けていた太い砲身の銃の感触を確かめる。

 どんな威力の物かも知らないけど、生身で外を歩くなら絶対に持って行け、とメカゴリラの中の人が勧めてきたものだった。同様に、通信機らしいベゼルの無いスマートフォンのような端末も、使うつもりは無いけどポケットにねじ込んである。

 着ていた服は、ロングTシャツにスウェットという寝間着代わりのものだったから、これも操縦席の備品として置かれていたツナギのような濃紺の服と、同じような色でくるぶしまで覆うエンジニアブーツを拝借して着替えてある。とりあえず、これなら外歩きも何とかなりそうだ。


『生身で外を歩くのは勧められませんが』

「俺の勝手だろ。帰ると言ったら帰る。付いてくるなよ」

『そうですか。では、頭が冷えるまでお好きに』


 それっきり、声が聞こえなくなる。最後に何か言っておくべきかとも思ったけど、何も言うことがないから、俺も黙って一歩を踏み出した。

 ごつい見た目の割に履き心地の良いブーツは、角が取り切れていない大小様々な石が散らばる地面でも、ひとまず歩くのには支障が無い。

 歩を進め、背後をちらりとだけ見る。

 付いてくるな、という言葉を愚直に守っているのか、メカゴリラデカブツは身じろぎ一つしていない。

 好都合だ。そう思い、しばらくの間はハイペース気味に歩き続けた。

 あれに乗ったまま、元の場所まで引き返させることが出来ていれば楽だったんだろうけど、今思えば歩いて帰ることにして正解だったかも知れない。乗ったまま徒歩では戻れない場所まで連れて行かれたら、こうして自力で戻るという選択肢も無くなる。そうなってしまえば相手の思う壺だ。心変わりされないうちに、早くあの部屋から元の世界へ。

 しかし、足取りは少しずつ重くなっていく。

 気持ちがそうさせるわけじゃない、単純な疲労だ。

 慣れない銃は、持ち上げてみた時こそ大したことないと思っていたけど、背中に担いで歩を進めれば、地味な重さが肩に食い込んでくる。

 さらに、歩き回ることを目的にしていない作業着や、ブーツも疲れを助長していた。履き心地がいいと思ったブーツは頑丈な分重く、フリーサイズらしい作業着は歩くたびに余った布が纏わり付く。体感ではまだ2キロも歩いていないと思うけど、整備されていない、高低差のある地面を慣れない服装で歩くのは、これが予想外に体力を奪う。


「何やってるんだろうな、俺……」


 ぼやきが口を突いて出るけど、正確には何もしていない。ちょっと異世界に飛ばされて、何もしないで帰る途中だ。その間に死の恐怖に脅かされて、巨大ロボットに乗せられて、終いには吐きそうになったけど。

 俺があのメカゴリラを降りる前、地表に出てからもあいつは、安全な場所まで行くと言って5分くらい走り続けていた。これも体感だけど、普通に走る限り、あいつの速度はせいぜい時速で50キロ出ているかどうか。それなら、目的地までは5キロ足らず。それに、道に迷っていたりはしていない。あの巨体が歩き回れば、足跡として目印がはっきりと付く。

 それでも。


「まだ半分も歩いてないんだよな」


 言葉にすると、ここまでの距離をもう一度繰り返し歩いてもまだ着かない、という実感が、さらに重さとなって身体にのし掛かってくる。


「だめだ。ちょっと休憩……」


 手近に背中が預けられそうな岩を見付け、寄りかかりながらへたり込む。地面に尻が触れ、気が抜けそうになったところで、慌てて背中に担いでいた銃を身体の前側で抱え直す。

 歩き始めてみれば、この辺りは機械昆虫どもの楽園のようだ。直接面と向かったことは幸い今のところまでは無かったけど、数十メートル先に人の身体ほどもあるイナゴみたいなのが飛び跳ねているのを見たし、小高くなった場所から遙か遠くに巨大なカミキリムシが歩くの光景は圧巻だった。人工物としか思えない球体を見付けて何かと思えばダンゴムシが丸まった姿で、突然身体を開いて歩き始めるのを目撃したときは怖気が走った。

 こんな世界を旅して回るのなら、確かに武装した巨大ロボットくらいは無いと無理だろう。無理だろうけど、もう俺には関係の無い話だ。

 最初こそこの状況に少しだけわくわくしたけど、結局俺には異世界でなんて生きていける能力は無い。特技無し、特殊能力無しの凡人は、大人しく現実世界で堅実に生きるに限る。

 行き先を確かめるため、足跡の続く先を見る。遠くに向かって伸びるその先に、小高い丘があった。トンネルの出口は斜めに穴が開いていたように思うから、あれが目的地とみていいんだろう。

 次いで、出発地点の方を眺める。メカゴリラは、両手を地に着いた前傾姿勢のまま、身動き一つしていない様子だった。付いてくるなと言ったのを今でも愚直に守っている。

 ほんの少しだけ罪悪感のようなものが芽生え、胸がざわつくような感覚。だけど知ったことじゃない。勝手に連れて来られた以上、勝手に帰る権利だってあるはずだ。そう思い直して頭を振り。


 がさりと。


 そんな音が聞こえた気がして、視線をやる。しかし、いやな予感に反して視線の先で疎らな草地を揺らしたのは、少しばかり大きめの蜥蜴のような姿。

 そりゃそうだ。荒野であっても、植物は生えていた。今まで見かけていなかっただけで、あの機械昆虫以外にも生物は存在するのが当然だ。

 考えてみれば、この地に降り立ってからこの方、動物と呼べるものは初めて見た気がする。きっとこいつも、過酷な土地で精一杯に生きているのだ。

 嫌な予想を良い意味で裏切られ、安堵してそいつを見る。爬虫類はあまり好きじゃ無いけど、存外その動きは愛らしい。


「強く生きろよ」


 とどんな上から目線かも分からない言葉を掛け、生暖かな視線を向けて爬虫類独特の動き方で這い回るそれを眺めていると。


 がしゃりと。


 音が聞こえた時には、蜥蜴はそいつに食われていた。


 ◆◆◆


 咄嗟に握り込んだ引金と重い反動に対して、響いた音は炸薬が爆ぜる音では無く、かんっという甲高い音だった。中途半端に座り込んだままの姿勢で、10メートル弱の距離を隔てて慌てて撃ったものだから狙いは激甘で、自分としてはそれの頭を狙ったはずなのに、結果は複眼のような器官を抉っただけ。仕留められなかった、と察せば、身体は勝手に立ち上がって腰だめに銃を構える格好になった。

 機械や昆虫に怒りというものがあるかは知らないけど、刺激してしまったことは確かなようで、そいつは前肢に対してずっと逞しい後肢を使って俺の方に飛び跳ね、

 ほんの僅かな時間で、距離があと1メートルと少しまで縮まった。

 先ほど聞こえた音は、跳躍し着地した時に鳴る物らしい。着地の衝撃を逃がすためか、その瞬間極端に低くなった姿勢となったことで、軽く見下ろす視点を得た。遠目からももしかしたらと思ったけど、間近で見れば明らかにそいつはコオロギのような姿形をしている。短めの胴体と、特徴的な二股の尾、さらに一本突き出た産卵管を模した針のような器官。求愛のためでは無く威嚇のためか、背中の翅が振動して耳障りな音が響く。

 その音に、本能的な恐怖を感じた。

 だから、気が付いた時には引金を再び弾いていた。

 姿勢が低く、また距離も近いから面白いように当たる。2発、3発と撃つ度に、大袈裟な穴がそいつの身体に穿たれる。そのた都度、甲高い音と、金属が擦れ合う音。頭には当たらない。当たらないから動きも止まらない。当たれ。当たれ!

 動きを止めるまでに、俺は引金を十回以上弾いていた。

 十発以上撃ってようやく、そいつは動きを止めた。


「……驚かせ、やがって」


 近付いて、プレート入りのエンジニアブーツで大穴が空いた頭を蹴れば、響くのはやはり金属のそれだ。真横に開く、物騒な突起が無数に付いた顎は、何かを噛み千切るのに特化しているんだろうか。隙間からは、さっき捕食されたばかりの蜥蜴の尻尾だけが覗く。

 何故か撃たれるがままで飛び掛かるような真似はしてこなかったけど、これで齧り付かれたら腕の一本は食われていたかもしれない。成仏しろよ、と今は亡き身代わりとなってくれた爬虫類に黙祷。

 とはいえ、殺すことは出来た。

 その事実を確認した途端に、脚に力が入らなくなる。安心したわけじゃない、こんなのが無数に彷徨いてている土地を、銃を持っているとは言え生身で歩いていることに、今更実感が湧いたからだ。

 早くこんな場所からは離れよう。そう思っても、なかなか身体は動こうとしない。


『ユート』

「うわっ!?」


 そんな思考に飛び込んできた声は、ポケットにねじ込んでいた端末から響いたものだった。誰の声かなんて考えなくても分かる。


「……なんだよ。付いて来るな」

『こちらは一歩も動いていません。それより、今すぐそこを離れてください』

「命令するなよ、俺はもう帰るって」

『帰りたいのなら尚更です。グリロイデコオロギの翅音を検知しました』

「……それが?」


 グリロイデとやらが何を意味するかは、翅音という単語で察することが出来た。


『グリロイデの特徴の一つに、大型の有機体動物を発見した際は効率的な解体を行うために、襲いかかる前に周囲の同種を召集する特定波長の音波を含んだ翅音を鳴らすことが挙げられます。動体センサーと音響センサーで、複数の個体がそちらに』


 言葉の途中で立ち上がり、今まで感じていた脚の怠さを無視して走り出す。足跡に沿ってとか、そんなことはもう気にしていられない。とにかく目の前の障害物が見えない方へ。


「そういうときはさぁ!」


 銃はいつでも撃てるように、両手で構えたままだ。こいつが言いたいことはもう分かった。


「死にたくなかったら逃げろって言えばいいんだよ!」

『なるほど、憶えておきます』


 あくまでも淡々とした声に文句の一つでも返そうとした時、背後からあの耳障りな音が再び聞こえた。


『補足されましたね』


 いる。すぐそこに。


 ◆◆◆


「つまり! あれ、って、人間を! 食う、ってこと!?」


 問い質す声は、全力で走りながら出しているから、不格好に途切れ途切れ。脳裏には、小学校の時理科の授業で習った、コオロギの生態が思い出された。


 --こおろぎは、はやしやもりのなかでじゅみょうをむかえた、どうぶつをたべることもあります。


 地味に肉食なんだよ、コオロギ。


『はい、その通りです』

「で、今! 何匹!」

『確認した限りでは、5体ほど』


 返答はあくまで落ち着いたもの。それが酷く腹立たしい。自分で勝手に出て行っておきながら、とも反面で思いはするけど。

 背後の音は、翅音に混じって複数の足音、いや跳躍音が響いている。不揃いに聞こえるそれは、つまり複数いるということだ。背後まで迫っているのが何匹なのかは気になるけど、振り返る余裕は無い。振り返って心を折られない自信も無い。

 さっき1匹を仕留めるのに使った弾は、全部で10発と少し。残弾がいくつ残っているのか、それは分からない。知ったら知ったで、それも心を折ってくる情報な気はするけど、


「この、銃! 弾は、」

『装弾数は24発です』


 残り半分。1匹仕留めるのに2発ないし3発が上限で、そして俺はガンシューティングゲームがとことん苦手だ。


『ユート』

「なに!」

『助けは要りますか?』


 確認した後に聞いてきたってことは、こっちが置かれた状況は、さっき銃を撃った時の成績や残りの弾数まで含めて全て筒抜けなんだろう。助け船に見せかけた悪魔の囁きだ。

 今すぐに助けて欲しいが、願ったらもう引き返せない。何より、あれだけ帰ると大見得を切っておきながら、あっさりと掌を返すのが悔しい。悔しいけど、それは命を張ってまで貫くに値する意地なのか。全力疾走を続けて、脳に回る酸素が足りなくなってきているのか、思考が纏まらない。思考が足りない脳みそは、常に本音を捻り出す。

 本音は常にシンプルだ。意地も矜恃もかなぐり捨てて、俺は叫ぶ。


「助けて!」


 返答は、言葉ではなく砲声によってもたらされた。

 砲声とともにやって来たのは、砂塵を巻き込んだ強烈な風だ。振り返った先、数十メートルを、小石どころか人の頭ほどの岩すら混じった暴風が横断していく。次いで、衝撃波で気圧が変化したのか、強烈な耳の痛み。

 爆風が通り過ぎた後に残るのは、鋭角の扇状に捲れ上がった地面と、そこに埋もれる身体をひしゃげさせたコオロギどものなれの果てだ。

 撃つ方の視点では無く、撃たれる方に回ってみて、初めて分かる威力。


『仕留めました』


 誇るでも無く淡々と、声が告げる。遙か遠方からは、巨大な手足が奏でる足音。俺が一時間近くもかけて進んだ道を、たかだか数分で踏破してくる。


 --もう、引き返せないんだろうな。


 その姿を見ながら何となく、だけどどこか確信的に、そう思った。

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