第三十二話 無力

 王都シウダッド。大陸の東ほぼ全域を支配する大国ロルス王国の首都にして王の座す場所。

 政治、文化、商業――王国の全ての中心地として栄え、大勢の人間が住まいまた行き来する都市。

 セイラの前にある光景にその面影はなかった。

 あるのは残骸。残骸。残骸。石の残骸、木の残骸、鉄の残骸。広い王都全ては破壊しつくされていた。

 何が起こったか? それも明らかだ。残骸を踏みつぶし、大勢の魔物が闊歩している。犬の姿をしたもの、亜人の姿をとるもの、あるいは形持たぬ不定形のもの……膨大な量の魔物。かつて王都だった廃墟は今まさに作られつつあった。

 父も。

 母も。

 仲の良かったメイドも。

 慕ってくれた民たちも。

 四天王と知られ、恐れられ、憎まれようと。

 守ろうと誓っていた全てが。

 セイラの前で崩れ去った。




 エルフの森。そう呼ばれた場所がどこにあったのか探すことすら、かおるでなければ困難だっただろう。

 森は焼けて消えた。その痕すら蹂躙されていた。

 見渡す限りの黒い景色。それがかつて森であったこと、もはやかおるの記憶すら疑わしい。

 見える色も。聞こえる音も。漂う香りも。あらゆる思い出が消えた。消えた、消えた。

 村長のジン。親友のひかる。母親のようだったれいな。弓の師匠だったシュウ。唯一の年下のひとみ。料理上手なきりこ。小鳥が大好きだったロウ。食いしん坊のベイ。酒飲みのかえで。弱虫のルイ。器用なキト。たかこ。シキ。みずき。なお。カイ。あゆなしおりユウさとみルンななみソウみゆきレイカツしずかオウみどりセイトモゆうきアオケンみちる……

 皆消えた。二度と話せない。二度と会えない。どこにもいない。

 今、森にいるのは魔物だけだった。何体もいる。森だった場所を歩いている。踏みつぶしている。

 こいつらが、皆を。




 マルクス・ポートの惨状を長く見ていることはできなかった。

 レオンはいてもたってもいられず、すぐに戻った。自らが生まれた村、自らが育った村、貧しくも懐かしいビニ村に。父と母が待つ村に。

 そして絶望した。

 村などなかった。あるのはただ野原と闊歩する魔物の群れ。

 レオンは己の能力を恨めしく思う。土を調べる魔法が知らせる。土に混ざる家屋の残骸、農作物とそれを育てる土……肉、血。

 魔物たちに発見され威嚇される。そんなものレオンの目に入っていなかった。

 濁流のように記憶が蘇る。母に抱かれた。父に褒められた。父に叱られた。母に慰められた。

 料理を食べた。皆で笑った。農業を学んだ。友人と遊んだ。

 病気になった。心配された。快復し、皆が喜んだ。

 レオン。その名を呼んでくれた。名前があり、一人の人として暮らした。

 それは……かつて奴隷として生涯過ごし、名すらなく、誰からも惜しまれず死んだ男にとって、何よりも尊く、何よりも得難かった、普通の人間としての生。

 魔物が牙を剥ける。レオンは動けなかった。

 ゲスワームは勇者に憧れていた。意味ある生。意味ある死。誰からも知られ、誰からも望まれ、誰からも愛される称号。まるで自分とは正反対。

 レオンが勇者になろうとしたのもまた、その欲求からだった。

 だが今、ようやくレオンは理解する。自分は家族を守りたかったのだと。魔王を下し平和を取り戻したかったのだと。そしてレオンとして生きて、家族と共に平凡に暮らし、死にたかったのだと。

 魔物が何匹が襲い掛かる。右腕を食い千切られた。


「……あ」


 ようやく発した声は言葉にならなかった。千切られた右腕を、狼の魔物が喰らっている。顔を血に染めながら。レオンの腕はだんだんと原型をなくしていく。

 こうして皆死んだのか。もう二度と戻らないのか。自分は皆を、守れなかったのか。




 皮肉にも、四天王はその時初めて知る。




 『自分がかつてしたことは、こういうことだったのか』。




 ――彼らを突き動かした感情は何か。

 怒りか。

 憎悪か。

 後悔か。

 その対象は何か。敵か、己か。両方か。あるいは世界の全てか。


 涙を流し。


 絶望を叫び。


 血塗られた手を振り上げる。


 呪われた力を解き放つ。



 『幽水』のセーレライラは地に眠る水を全て呼び出した。王都を弄ぶ魔物はひとつの例外なくその水を受ける。

 操られた水をわずかでも体内に通した瞬間、その全身が破裂した。

 四天王に触れられし時、あらゆる水は命を奪う悪魔となる。

 ある者は脳を内から喰らいつくされた。

 ある者は水を煮えたぎる湯とされ焦熱に死んだ。

 ある者は赤い氷に食い破られた。

 水は持ちうる能全てを用い、そこにいる魔物を喰いつくした。

 そして王都全体を水に覆い、その鼓動を聞いたことで――本当に誰も生きていないのだと、セーレライラを再び、絶望させた。




 『薫風』はもっとシンプルだった。

 風で全てを巻き上げた。

 荒ぶる風が渦を巻き、地から全てを引きはがす。

 空を飛ぶ魔物も例外ではない。唸る風に翼は死んだ。

 純粋なる者は憎悪も純粋だ。そして時に純粋さは底知れぬ狂気となる。

 旋風は天へと立ち上る。そしてだんだんと縮まっていく。

 風の螺旋に絡めとられた魔物は、その淵に触れた者から切り刻まれた。

 風は赤く染まりなおも縮む。

 灰すらも全て巻き上げて、風は全てを呑み込んだ。

 その支配者に、同胞の消滅を伝えながら。




 『土葬』は一瞬だった。

 叫んだ瞬間、地が裂ける。光すら届かぬ地底へ、瞬く間に魔物が落ちていく。

 辛うじて残る飛ぶ魔物も、地から突き出た槍が貫いた。

 槍を逃れた魔物が地裂を飛び出る。その時すでに天はない。全てを地が覆っている。

 巻き上げられた土が全てを押し潰すのと同時に、開かれた地は一瞬で閉じる。壁に張り付いていた魔物もそれで潰れた。

 レオンは地に手を当てて、何度も何度も魔力を放った。

 その度に地は大きく震える。その中では大地の混濁が行われていた。

 地に呑まれた魔物。抗いようもない巨大な大地に潰され、なおも砕かれる。まず形が消える。次に色が消える。最期に土と成る。そしてそれが次なる敵を滅ぼす。


「くっ……そぉ……」


 土をかき混ぜながら、レオンは涙を流していた。同時に繰り返し使用していたのは土壌分析魔法。父親から習った魔法。もし地中に生存者が隠れているならばすぐにわかる。

 最初から使用していた。この村に着いてから、いや着く前から、地の上をたとえ子猫が走っていようとわかるように。だが何もなかった。誰もいなかった。

 皆、死んだ。死んだ。死んだ。


「死んだ。死んだ。死んだ……」


 やがて揺れが収まる。後にはならされた大地と、泣き崩れる青年が独り。

 他には誰もいない。生者も、死者すらも。




 セイラも、かおるも。

 全ての命が消えた地で泣いた。

 人の証たるその水は、内なる炎にいぶり出され、無情なる風に吹かれるまま、ただただ土へと消えていく。



 絶大なる力は、あまりにも無力だった。

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