第七話 「いい人」
四天王『薫風』のウッデスト。
『魔王の樹』という意味の名前を持つこの魔物は、その名の通り風よりも植物としての性能を強く持っている。
樹齢数千年の大樹が魔王の魔力を帯び、そして人間への憎悪を活力として誕生したウッデストは、誰よりも魔王への忠誠を厚くし、そして誰よりも人間という種そのものを憎んでいた。
我は植物の代行者だ、ウッデストは幾度もそう語った。物言わず動けぬ植物たちは、有史以来幾千年と人間に虐げられてきた。自分は蓄積された植物たちの憎悪の化身だ、罪の執行者だ――自然を愛し、そのあまりに人間を憎む化身。それこそがウッデストだった。
四天王での序列は火の四天王に次ぎ2位、だがその忠誠心から実質魔王軍ナンバー2として、人類最悪の敵の1体と目される。風と植物の双方を支配する力も含め、四天王ウッデストの名は恐怖の代名詞として知られていた――
はずだったのだが。
「いやー、まさかゲスワームさんが勇者になってるとは! セーレライラさんもお姫様なんてびっくりです!」
当のウッデストは今、にこにこ笑いながらレオンとセイラを案内していた。
「えーと……お前、ウッデストで間違いないんだよな?」
「はい! 今はかおるっていう名前ですけど、ウッデストです!」
「いやあなたそんな口調とキャラじゃなかったでしょ。記憶は引き継いでるのよね?」
「もちろんです!」
ウッデスト――かおるは、エルフ族の少女になっていた。エルフの子供らしく体格は華奢で小柄、浅葱色の髪を揺らして笑う姿は快活だ。独特な名前はこの森のエルフの文化らしい。
「てかお前女だったのか……?」
「元は木なので性別はないです! 今は女の子です!」
「わかったから、もう少し声抑えて。周りが静かな分すごく響いてる」
「わっかりましたー!」
大きな声で応じるかおるに強く言えずセーレライラは苦笑でごまかす。こういうどこか頭の血の巡りが鈍いところ――有り体に言えばアホっぽいところは、実はウッデスト時代からなのだが、今は一回り増しているようにも見えた。まだ14歳のかおるは長寿のエルフでいうとさらに幼いので仕方ないところもあるのだろうが。
「私たちの村は普通には見つからないところにあるんですが、遠くはないんですよ! もうちょっとで着きますからねー!」
かおるは陽気にるんるんと歩いていくが、その後ろに続くレオンとセイラにはむしろ困惑の方が大きかった。
「な、なあウッデスト、本当に俺らをエルフたちのところへ案内していいのか?」
「へ? なんでですか?」
「いや、私たちこの森の入り口で矢を射掛けられたんだけど……ほらこの傷」
「あーそれはですね、この森に入る人のことはひかるちゃんって子が対応してるんですけど、ひかるちゃん2人の魔力で判断しちゃったみたいなんですよね! そこは仕方がないです、ごめんなさい」
あっけらかんと話すかおるにレオンはますますリズムを乱される気分だ。
「で、だ……そうして一度は拒絶した俺らを、本当に案内していいのか、ってことだよ」
「それなら大丈夫です! 私が2人に会ってみて、いい人だと思ったので!」
「はあ?」
かおるが大真面目に言うのでレオンもセイラも思わず聞き返した。まるでまだ若いかおるがエルフの集団の中で大きな決定権を持つような言いぶりだったからだが、かおるはそのままの意味で言ったらしかった。
「私には不思議な魔法が使えて、人の心の中がなんとなくわかるんです! その人がいい人か悪い人かはすぐにわかります! お二人は、いい人ですっ! だから案内しても大丈夫なんです!」
「いい人、ねえ……」
まっすぐな言葉で言われレオンとセイラは顔を見合わせて苦笑した。2人とも『いい人』とはやや離れた人物である。
「しかし……ウッデスト、お前はそれほど信頼されているのか。エルフたちはお前が風の四天王ウッデストであることを知っているのか?」
「はい、知ってます!」
言い切ったかおるにレオンたちはまた驚かされる。かおるの言っていることが本当だとすれば、エルフたちはかおるを元四天王と知ってなお侵入者の判断を彼女に任せているということだ。
なんでエルフはそんなにお前を信頼しているんだ、と尋ねようとした時、かおるがある場所を指差した。
「あそこです! あの奥に私たちの村があります!」
彼女が指したのは森にありふれた木の根元にある茂み。背が高くたしかに向こうが見えないが、その向こう側にさほど空間があるようには思えない。
「行きましょう!」
かおるはためらいなくガサガサと茂みに突っ込んでいく。村の出入り口にしては誰も通った形跡がないことも不審に思ったレオンたちだったが、現状他の手がかりもないのでおとなしくかおるに従い、茂みの中へと踏み入った。
そして驚いた。
「なっ……」
「わ、すごい」
かおるの言った通り、茂みの向こうには明らかに外からは見えなかった空間があり、そこにエルフの村があった。木と蔓で作った簡素な家が見えるだけで数十は立ち並び、そこに普段は50人ほどのエルフが住んでいるようだった。普段は、というのは、今エルフたちは全員が立ち並び――レオンたちを警戒の目で見ているからだった。
「ただいま戻りましたー! いい人たちだったので連れてきました!」
エルフたちの警戒に気付いているのかいないのか、かおるは元気にエルフたちの方へ駆け寄る。すると1人、がっしりとした体格の指導者格と思しきエルフがかおるを迎え、一言二言かわした後、レオンたちへと歩み寄った。
指導者のエルフは強い視線でレオンを睨みつつ、一定の間合いをはかって足を止める。そしてその横に、木の上にいたと思われるエルフが飛び降りてくる。それは森の入り口でセイラに矢を射たエルフだった。
2人のエルフとレオンたちが対峙する。数十人の住民たちも成り行きを不安そうに見つめている。ただ1人、かおるだけが緊張感のない顔で頭上にハテナマークを浮かべていた。
「まずは名乗ろう、私はこの村の長のジン。こちらは見張り番のひかるだ」
ジンと名乗った男は言いつつも警戒を崩さず、隣のひかるは礼すらしない。だが名乗られたからにはこちらも名乗ろう、とレオンはセイラに合図を送り、彼女も頷いた。
「俺はレオン、一応勇者の剣に選ばれた勇者にして……土の四天王、ゲスワームの生まれ変わりだ」
ゲスワームの名が出てエルフたちが一様にざわめいた。続けてセイラも口を開く。
「私はセイラベルザ・エル・ラ・ロルス。ロルス王国の王女……元王女かしら。同じく四天王、『幽水』のセーレライラよ」
四天王の名がふたつも出てエルフたちの間に混乱が広がっていく。その動きをよく見ると、村長ジンと、かおるの後ろに隠れるようにしているのがわかった。
「ちょっとレオン、バリバリに警戒されてるわよ。本当に四天王だって名乗ってよかったの?」
「ああ、どの道いずれはバレるだろうし隠してもしょうがない。それに攻撃されるなら村の中心に入ってからだと包囲される形になる……今なら抜け出せるからな」
レオンとセイラは小声でささやき合う。彼らもまた油断なく、したたかな計算のもとに動いていた。
「……我々はかおるを仲間として信頼している。かおるがここに連れてきた者に間違いはない、お主らを敵とは思わない。だが警戒をせずにはいられない気持ちも理解してくれ」
「ああ、わかってるさ。仲間を信頼するのは大事だが、きれいごとじゃいかない時もある」
ジンの語った通り、エルフのほとんどはレオンたちに警戒しつつも敵意や殺意はない――ただ1人、ジンの横で堅く弓を握りしめる者を除いて。
「ひとまず私の家に来てくれ。そこで改めて話そう」
ジンが提案し、レオンたちもそれを受け入れる。村長の指示に合わせエルフたちはひとまず散っていき、促されるままにジンの後ろをついてレオンとセイラはエルフの村へと踏み込んでいった。
その背中にエルフたちの疑惑と警戒の視線と――「お話ですか!」「私も行きます!」という、呑気なかおるの声を浴びながら。
このほんの少し後、エルフの森は地獄と化す。
四天王の手によって――
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