第八話 皮肉
エルフの村長、ジンの家。
「茶だ。粗末なものですまないな」
レオンとセイラの前にひとつずつ木でできた杯を置き、ジンは草を束ねた座布団へと腰を下ろす。レオンたちも同様のものに座っていたが、エルフの家は土がむき出しであり、独特の雰囲気に居心地悪くしていた。
室内にいるのはレオン、セイラ、ジンの3人だけだ。森番のエルフひかるやウッデストことかおるも同席したがったがジンに止められている。ごく限られた人間だけで話をしようということだ。
相手への疑念がないことを示すようにレオンは茶を一口飲み、それから切り出した。
「まずはあの……かおるについて聞かせてくれないか。なぜ彼女はあれほどに無邪気で、あれほどに信頼されているのか」
ジンはしばし悩んだ後、同じく茶を一口飲んでから、語り始めた。
「かおるは……いい子だよ。呆れるほどにな。我らが14年間、彼女を疑い、警戒し、利用する算段すら立てながら育ててきたのが馬鹿らしくなる。元の出自など関係はない、彼女は大切な仲間だ」
「その言いぶりからすると、あいつが四天王だと知ったのは最近ではないのか」
「生まれた時からわかっていたとも、エルフは魔術に長けた種族。生まれた赤子が邪悪な魔力を宿していること、すぐにわかった。それが魔王と同種のものであることも……だがそれ以外はただの赤子だった。泣き、呻き、世話をしてやらねば容易く死んでしまう存在。結局私らは彼女を育てることにした、その未来を信じて。かつ、いつでも始末できるよう準備を整えて。だがやはり転機は……『風詠み』だろうな」
「『風詠み』?」
聞き慣れない単語にレオンが聞き返すと、ふっとジンは微笑んだ。
「それは我らエルフ族に伝わる魔法技術。空を知り、風を聞き……そこに通ずるあらゆるものと心を通わせる術。これを使えば物言わぬ木々とも対話できる、エルフ族が誇る秘術だ。5歳の頃だったな、かおるはそれを、ごく自然に発現させたのだよ。植物と話したい、ただそれだけの理由でな……『風詠み』は邪悪な心の持ち主、他者を疑い他者を害する者には操れない技術だ」
それでかおるを信用するようになったのか、というと、ジンは曖昧に頷いた。
「もうひとつ……『風詠み』は当然、人の心をも感覚的につかめる技術でもある。かおるは知っていたのだ、我らの意思を。我らが彼女を敵と疑っていることを。だがそれでなお、かおるは我らを敵と見ることはなかった……」
四天王の心は純粋で汚れなく、それを見る者たちの方が敵意と憎悪に満ちていた。皮肉なことだな、という感想をレオンは口にはしなかったが、ジンは同意見のようだった。
「無条件で信頼をよせてくる子を、どうして疑い続けることができる? その時に我らはかおるを疑うのをやめたのだ。全てを伝えた、自分が四天王の生まれ変わりであること、我らがそれを警戒していたこと。それを知った途端、封じられていた記憶が蘇り、彼女自身もまた自らが四天王ウッデストであると理解し……そしてなおも、純粋であった」
すっかり冷めた茶をジンは飲み干し、杯を下ろす。顔を伏せ表情は見えなかった。
だがふいに顔を上げ、レオンを睨みつけた。
「して……お主らはなんの目的でここに来た? かつての仲間たるかおるに、何をするつもりだ?」
エルフの村を治める者の確固たる視線がレオンを見据える。勝手なことはさせないという断固たる決意がレオンの胸を突き刺し、上っ面だけでない脅威として降り注ぐ。
だがレオンは視線を逸らさず、セイラと頷き合った後、やはり毅然として応じた。
「他の四天王がどうしているのかを確かめに……そして、仲間を探しに。かつてこの村にいた少女が魔法使いとして、勇者に同行したように」
レオンの言葉にジンは目を見開く。レオンが語った仲間がかおるのことだとジンにはすぐにわかっただろう。
瞳が揺らぎ、視線が逸れる。ジンは明らかに迷い、狼狽していた。人が答えの出ない問いに向き合っている時の所作だった。
「……かおるがそれを聞けば恐らくは応じるであろう。彼女はああ見えて己の罪をいつも悔いておる、人とエルフと、そして何より森に報いたいと……その贖罪として魔王討伐の旅に応じることは想像に難くない。だがあの子は……」
しばしの逡巡の後、おもむろにジンは立ち上がった。
「話すより見せた方が早いな。ついて来てくれ」
そして外。レオンたちはある実験を見せてもらっていた。
2人の前にいるのはかおる。手には弓と矢を3本持っている。そしてそこからだいぶ離れた先に、木でできた的が置かれていた。
「それじゃ、いっきますよー!」
かおるは元気に声を上げた後、矢を番えて構え、じっくりと狙いを定めた後に打ち放つ。
矢は的に命中――せず、まるで違う方向に飛んでいった。
「どんどん行きますよ!」
続けざまにかおるが矢を放ったが、今度は的よりもかなり手前の地面に突き刺さった。
「最後、行きま……あっ」
「きゃあっ!?」
3本目に至っては手元が狂い、弦に跳ね飛ばされてまったく関係ない方向のセーレライラをかすめたのだった。
その様子をレオンと共に見ていたジンははあとため息をついた。
「わかるだろう、この子にはまるで戦闘の才がないのだ。弓は見た通り、魔法もまるで扱えない……到底、魔王討伐の度についていける腕はない」
「た、たしかに……」
レオンは的と、それを狙うはずだった3本の矢、そして1人だけやり切った顔で、なぜセイラが怒っているんだろうという顔のかおるを見比べた。だがすぐにはたと気付く。
「待てよ、弓はまあ仕方がないとして、かおるにはウッデストの能力……『薫風』の四天王の能力があるはずだ。それはどうしたんだ」
レオンが問うと、ジンは首を横に振った。
「お主らは四天王としての力を受け継いでいるようだが、かおるはそうではない。いや正確には我らの魔法で封じてあるのだ、彼女が幼い頃からな。四天王ウッデストを疑っておった時からの名残だ」
「外すことはできないのか?」
「できなくはない……が、やらない。少なくとも私はかおるを信頼しており、村の皆もそうだろう。だが村として集団で見た時、過去から完全に目を逸らすことは、四天王の力という危険を度外視にはできん……集団とはそういうものだ。かおるも了承している、四天王の力の封印は、唯一にして最大の譲歩なのだよ」
ジンは村長として、無邪気に笑うかおるを見つつも少し辛そうにそう語った。
かおるにかつてのような邪心はなく、村の全員が彼女を仲間として認めている。それは事実なのだろう、だが人の心は必ずしも割り切れるものではない。かおるを信頼する心と、四天王ウッデストを恐れる心は背反しつつも両立しうる……要は。
「きれいごとだけじゃあいかない、ってことだな」
レオンはしたり顔で頷いた。
「しかしいつまでも封印したままにしとくわけにもいかないだろ、あいつの力は強大すぎる、もし暴発でもしたら大惨事だぞ。暴風を永遠に抑え込むことはできない」
「うむ……魔王が復活し、お主らがここに現れたのは、何かの運命なのかもしれんな。そろそろ我らもかおるの心に甘えず、向き合うべき時なのかもしれん……」
ジンはじっとかおるを見つめていた。いつの間にかセイラと打ち解けてじゃれ合っている。その内に世界を滅ぼす力の一端が眠っているなど誰が信じれよう――かつてそれを間近で見た者以外に。
だがその時、突如として轟音が鳴り響いた。
「なっ……!?」
耳をつんざく轟音、そして地響き。村全体を覆う異変の気配にレオンは思わず身を屈めた。
「なんだ!?」
辺りを見渡しても視覚的に変化はない。音を聞き家に入っていたエルフたちが次々と出てきて、村はパニック寸前の状態に陥る。
ジンが声を張り上げた。
「皆の者、慌てるな! 森番及び護衛の者は武器を持ち村の周囲へ! 他の者は冷静に己が家族を守るのだ!」
厳格な村長の号令で辛うじて騒動は収まり、エルフたちは統制を持って動き出す。レオンたちも行動の時だ。
「どうやら侵入者らしい……確かめ、排除せねばならん。勇者殿、協力してくれるか」
「もちろんだ。俺らの意思を行動で示すいい機会にもなる。行くぞセイラ」
レオンはセイラに声を掛けたが、当のセイラは心ここにあらずといった様子で遠くを見つめ、不安げに眉をひそめていた。
「セーレライラ、どうした」
四天王の名で呼びかけようやく我に返る。いえね、とセイラはなおも不安げだった。
「嫌な魔力の気配がするわ……エルフの森が焼かれてるみたいだし……まさかこれは……とにかくすぐに確かめに行かなきゃならないわ」
言葉もおぼつかない様子に狼狽していた。ただならぬ気配を感じ取りレオンも息を呑む。
さらにその時、ジンがもうひとつの異常に気付いた。
「待て……かおるは、どこだ?」
言われて見渡すと、さっきまでセイラと戯れていたはずのかおるが見当たらない。異変に気をとられた隙にどこにもいなくなっていた。
「あの子は森を守るという意思が強い、よもや単独で向かったのでは……」
「だったら尚更急がなくちゃならない。行くぞッ!」
レオンが真っ先に駆け出し、動揺しつつもジンとセイラがそれに続いた。
同刻、轟音が響いた方向とは真逆にある木の枝の上。
「んんー? んー!」
両手足を蔓で縛られ、猿轡をかまされたかおるが唸っている。
その額に、矢が突きつけられた。
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