第九話 火炎

 エルフの森の外れにレオン、セイラ、エルフの長ジンが辿り着く。そこには地獄絵図が広がっていた。

 激しく燃え盛る火炎、黒く崩れ落ちる木々。辺りにはむせかえる熱気と焦熱の臭いが満ち、穏やかな森は火炎に侵されていた。


「セーレライラ!」

「わかってる!」


 すぐにレオンは大量の土を操り火に被せて消し止め、同時にセイラも水魔法で水を繰り出して消火を行っていく。だがすでに火勢は森に広がり始めており、そう簡単には完全に沈下できそうになかった。

 そして火炎の奥、魔物の姿があった。


『来たか……四天王たちよ』


 火炎の中にいたのは鎧を着こんだ竜人の魔物。体格は人間よりも一回り大きく、手にした槍には火炎を纏っている。黒い鱗が火炎を受けて赤く光り、左の瞳は火炎そのものとなり揺らめいていた。


「サラマンダー……貴様か」


 レオンが名を呼ぶとサラマンダーは頬を耳まで裂いて笑い、チロチロと舌を揺らした。


「知っておるのか、あの魔物を」

「ああ、懐かしき同胞……というほど親しくはないがな。奴は火の四天王直属の部下、竜人族でも火炎に特化した精鋭だ。火炎魔法の精度、そして狡猾さは魔王軍でも屈指といわれている」

『クク、お褒めに預かり光栄だよゲスワーム。だが話している暇はあるのかな?』


 サラマンダーが槍を奮った瞬間、そこにあった炎が急激に燃え上がり森へと広がった。新たな火種が葉へと移り、あたかも舌のように森を喰らおうとしていく。


「クッ、森が……! 早く奴を止めねば!」


 焦って駆け出そうとするジンをレオンは引き留めた。


「待て、うかつに突っ込むと奴の思う壺だ。狡猾な奴は森を焼くことで注意をそちらに逸らして命を狙ってくる……いわば森全体を人質にとって戦うつもりだろう。森を守りつつ戦えるほど、奴は甘い相手ではない」

「だ、だが悠長に構えていては森が!」

「大事なのは、役割分担ってことよ」


 ふいに進み出たのはセイラ――いや、セーレライラだった。


「私があいつと戦うわ、あんたたちは消火に集中しなさい。これだけ炎が広がってると、私の水よりあんたの土の方が消火にはいいわ」

「大丈夫か? この熱気だ、空気の中の水は少ない。水魔法の威力は相当に落ちているぞ」

「平気よ、私を誰だと思っているの?」


 セーレライラはレオンを嘲笑うように微笑むと、その瞳の片方を水流に変え、自らの手の中に落とした。彼女の、四天王としての力だ。


「私は『幽水』のセーレライラ。あんなトカゲ一匹、コップ一杯の水があればなんてことないわ」


 抜け落ちた目で笑うセーレライラ、彼女が本気で戦おうとしているのだ。元々四天王としての序列はレオンよりも上の彼女、その判断は正確と言えた。


「わかった、あいつは任せる。だがあまり手間取っているとこちらも迷惑だぞ」

「いいからさっさと消火なさい、そっちこそ私に余計な気を遣わせないでね」


 軽口を叩き合ってから、両者はそれぞれの仕事のために動き出す。レオンはジンと協力し、燃え盛る森を土で覆って沈めることに専念した。

 間にあるのは互いの実力への強い信頼――というよりは、幾分か暗く、重い感情だった。


「さて、と……ちょうどいい機会だし、あんたを締め上げて聞かせてもらうわ。なぜ私らとあんたらが蘇ったのか、この森を襲った理由、魔王様の現状、その他諸々ね」

『クク、やりたければご自由に。できるとは言わないがね』


 対峙するセーレライラとサラマンダー。水と火の戦いが始まろうとしていた。




 同刻、燃える森とは反対側にある木の枝の上。

 弓を持った金色の髪のエルフの少女――ひかるは、エルフの森の背の高い木から遠くを見渡す。彼女の視線の彼方には、赤く染まる森が見えていた。


「見ろ、あそこで森が燃えている。魔王の配下でも有数の実力者が放った火だ、放置すればたやすくこの森を焼き尽くすだろう……」


 ひかるは足元に転がしている、手足を縛り猿轡を噛ませたかおるを見下ろして冷徹に言い捨てた。かおるはうーうーと呻き、何か言いたげにしている。ひかるは笑いもしなければ情けをかけることもしなかった。


「森番たる私が手招きしたのだからな、侵入はたやすかっただろう。なぜこんなことをしたか教えてやろうか……全てお前のせいだよ、この化け物め」


 ひかるは身を屈め、手にした矢をかおるの額に突きつけた。かおるはただ困惑した目を友たる彼女に向けていた。


「村の皆が貴様を殺そうとしないから……貴様が皆を丸め込んだから、このような強硬手段に出ざるをえなかった。この森を捨ててでも貴様を殺さねばならなくなった。たとえこの魂を悪魔に売り渡してでも……皆のため、そして世界のために、貴様を滅せねばならない!」


 矢を持つ手に力がこもり、かおるの額を軽くえぐった。赤い血が流れるも、かおるは少し痛がっただけで、ひかるに対し敵意を向けることはなおもなかった。

 それを見たひかるは苦々しげに舌を鳴らした。


「どれだけ化けの皮をかぶろうと……いや、たとえその間抜け面が貴様の素顔であろうと! 貴様は、貴様らは、この世にいてはいけないんだ!」


 ひかるは矢を弓に番え、かおるの額に狙いを定めた。かおるは怯えた様子でひかるを見つめ、なんとか体を動かそうとするも、身体能力的にも魔力的にも平均以下の彼女ではどうしようもなかった。

 だがひかるはしばらくそのまま沈黙した後、矢を放つことなく収め、再び森の遠くへと視線を移す。


「他の四天王がやって来たのは計算外だったが、それもすぐにカタがつく……お前はそこで、お前が守ると誓っていた森が滅びるのを見ていろ。絶望の底で貴様を殺す。ただ殺すだけでは貴様の罪には飽き足らぬ……いや、貴様はすでに死んでいるのだったな。なまじ殺して蘇らせるよりは、生かして死ぬまで獄門し続けるのもいいな……」


 ひかるは自らの目の前で燃えていく森を眺める。かおるも拘束されたまま赤く染まる森を見て、焦りと絶望を浮かべつつあった。




 一方、火に包まれた森の中では、四天王セーレライラと火炎の魔物サラマンダーとの対決が始まっていた。


『シャアアッ!』


 サラマンダーが手にした槍を横なぎに振るうと、その軌跡がそのまま火炎と化してセイラへと襲い掛かる。広範囲に広がった炎は彼女だけでなく周囲の森を燃やした。


「『逃げ水』」


 セイラが静かに目を閉じるとその体がゆらりと揺れ、次の瞬間溶けて消えた。自らの体を水へと変える能力、それが『幽水』の能力のひとつ。

 だがサラマンダーは動じない。


『逃げる気ならそれでもよいぞ! その分森が消えるだけだがな』


 槍を頭上で回転させ、四方八方へと火炎をばら撒くサラマンダー。火は木々や草に移ると瞬く間に燃え広がっていき、火を消し止めようとする他の2人に焦りを浮かばせる。

 直後、サラマンダーの背後にセイラが現れた。


「『水切り』!」

『遅いッ!』


 水の刃を作って攻撃しようとしたセイラだが、一息早くサラマンダーの槍がその胴体を貫いた。致命傷となり得るダメージのはずだったが、胴を貫かれたセイラの体は不確かに揺らぎ、水となって弾け飛んだ。


『む……』


 そしてサラマンダーが気が付いた時、いつの間にか正面にセイラが立っていた。不敵に微笑んでいる。


「『水鏡』。私の姿を投影させた幻……トカゲの目には酷かしら?」

『ククッ、ずいぶんノロマな攻めなのだなセーレライラよ。こちらの仕事がやりやすくて何よりだ』


 話してる間にサラマンダーはまた炎をばら撒き森を燃やしていく。だがセイラは涼しい顔で髪をかき上げた。


「森が燃えようと私には関係ないわ、それは他の連中の仕事って決めたんだもの。私は私のやりたいようにあんたを始末するだけよ。こんな風にね……『水鏡』」


 言うやいなやセイラの姿がまた水になって溶けた。サラマンダーに迷う隙を与えず、再びその背後に姿を現す。


『何度やろうと無駄だ』


 やはりサラマンダーの方が一瞬早く攻撃を仕掛けるも、そのセイラは水の幻影だった。背後に意識を向けたことにより今度は正面の方が隙となり、すでにそこには本物のセイラが出現していた。


「『水切り』ッ!」

『グッ……!?』


 さしものサラマンダーも攻撃後には隙を晒し、水の刃をその身に受けた。刃は鎧をたやすく切り裂いてその奥の鱗に深い傷を刻み込んだ。


「それじゃ、ご要望に応じてさっさとやりましょうか。『水鏡』!」


 セイラの姿が再び溶け、またサラマンダーの背後にセイラが現れる。


『チッ、こっちは偽物、本物は……』


 周囲を見渡して本物を探すサラマンダー、だが。


『グッ、オオッ!?』


 背後に現れたセイラがそのままサラマンダーの背中を切り裂いた。先程刻まれた傷がさらに深く切り込まれ、魔族特有の青白い血が噴き出す。サラマンダーはすぐに槍を振るったが、その時にはセイラは遠くへと離脱していた。


「言ったでしょ、さっさとやるって。別に技名を言ったからといって使う義理はないわよね?」

『ググッ……キサマァ、セーレライラ!』

「気分いいわね、相手が焦って本性をさらけ出すのを眺めるのは。面倒だし次で決めるわよ……『水鏡』!」


 再びセーレライラの姿が溶けて消え、サラマンダーの背後へと出現した。それが本物か偽物か、見誤ればサラマンダーはまた一撃をその身に浴びるだろう。二者択一を強いる狡猾な四天王の攻撃が迫っていた。

 だがその時すでに――サラマンダーは、その攻撃の弱点を見切っていた。


『本物だろうと偽物だろうと……こうすりゃいいんだろ!』


 槍を背後のセイラに目掛けて構える。直後、槍の全てが炎に覆われ、その両端が炎の槍となって伸長した。


「がッ……!?」


 背後に立っていたセイラの胸を炎の槍が貫く。そしてもう一方、槍の反対側でも――そこに姿を現したセイラが貫かれていた。

 サラマンダーは頬を裂き笑った。


『間抜けな奴だぜ、自分で弱点を教えるとは! 散々言ったな、『水鏡』っつったな? 鏡ってことは虚像と本物は正反対の位置にいるに決まってる! だったらどっちも一度に攻撃すりゃいいだけだ! ヒャーッハハハハーッ!』


 サラマンダーは天を見上げ高々と笑った。だがその目に飛び込んできたのは。

 頭上から襲い掛かる、本物のセイラだった。


「『水切り』」


 腕をひと振り。生み出された水の刃は一瞬の内にサラマンダーの顎を上下に切り裂き、そのまま両断した。二股の舌ごときれいに真っ二つになったサラマンダーは笑い声の残響だけを残し、バラバラに倒れ、痙攣するだけの肉塊となる。

 セイラはそれを見下ろし、邪悪に微笑んだ。


「『水鏡』が鏡の性質を持っているとも、幻をひとつしか作れないとも言ってないわよ。あんたが勝手に勘違いしただけ……ま、そのために技の名前をわざわざ連呼してたんだけどね」


 火と水という相性、すでに燃え盛り水の少ない空間、人と魔物の体。その全てを束ねようと、四天王とただの魔物の差を埋めるには、あまりに小さかったということだ。

 サラマンダーだった肉塊は自らの火炎に呑まれ、消えていった。




 セイラとサラマンダーの決着がついたころ、レオンも消火をほぼ終えていた。森を知り尽くしたジンが正確に指示を飛ばしたおかげで被害は最小限に留まった。


「そっちも片付いたか」

「ええ、なんとかね。正直疲れたわ……私、大量の水で有無を言わさず叩くのが得意なのに」

「有利な場所を選び勇者を待ち受ける四天王と違うんだ、今は俺らが敵地に飛び込み場所を選ばず戦わなくちゃいけない。いい練習になっただろ」

「余計なお世話よまったく。結局生かして拷問する余裕もなかったわ」

「そうだな……」


 レオンはサラマンダーの残骸を改めてみる。この魔物もまた100年前に魔王の配下として戦い、そして死んでいったはずの魔物だ。それがなぜ現代に蘇ったのか、レオンたちとは違い魔物のまま――いやあるいは、なぜレオンたち四天王だけが、人間の姿で生まれ変わったのか。その謎は未だ明らかになっていない、できればこのサラマンダーから手がかりのひとつでも得たいところだった。


「ともあれ……レオン殿、セイラ殿。森を救ってくれたこと、感謝する。お主らがいなければどうなっていたことか」


 エルフの長であるジンがレオンたちに頭を下げる。ひとまずサラマンダーは倒し森が消失する危機は去ったのだ。

 だがレオンもセイラもジンの謝意には応じず、むしろ険しい顔をしていた。


「……お前が感じていたのはこれか、セーレライラ。これほど近ければ俺にもわかる」

「間違いないでしょう? 信じたくはないけど……この方が自然よね、そりゃ」


 2人は空を強く睨みつけていた。木々が焼け開けた空には鮮やかな青が映えているが――ジンが怪訝そうにレオンたちを見つめていた。

 そしてその時。


「来たぞ!」


 レオンが声を張り上げ、ためらいなく勇者の剣を抜き構えた。

 遠くから空を切る音が聞こえる。同時に感じる、押し潰されるような魔力の気配と熱気、レオンたちと同種の邪悪な魔力。それは空から――人間が視認できないほどの高空から、神の怒りのように降ってきたのだ。

 直後、巨大な火炎の塊が、森を破り大地を揺らした。


「ぐっ……」


 土の壁を作り出し、激しい衝撃からジンとセイラを守るレオン。だが土壁はたやすく砕け散り、さらに作った数枚の壁で辛うじて耐え切る。それでも土の壁は全て焼け焦げて消滅してしまった。さらに火炎の塊はみるみる内に森を燃やし、せっかく消し止めた火炎が再び森を喰らわんとする。それもサラマンダーの火とは比べ物にならないほどの業火で。

 それは火炎の塊ではない――火炎をまとった巨体だ。やがてそれは激しい羽ばたきにより火炎を吹き飛ばし、その姿をレオンたちの前に現した。

 肌を突き刺すような熱気の中、レオンの瞳が影をとらえる。

 地を掴む強靭な四肢。爪ひとつすら人の体をゆうに越え、ただいるだけで土を抉る。

 広げられた翼。他の生物のいかなるそれにも似ず、かつ超越する翼が、その種を支配者たらしめる。

 ひと睨みで獣を殺し。尾のひと振りで木々をなぎ倒し。その咆哮が恐怖を意味する。

 真紅の鱗に火炎を纏い、天に地に君臨するその名は竜。


 そして今そこにいる竜の名は――四天王、『竜炎』のダグニール。

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