第十話 風の四天王
森番たるひかるには、森の中で魔力に大きな動きがあればすぐにわかる。
尖兵の魔物が敗れ、代わってあの竜が森へと舞い降りたこともすぐに察していた。
「感じるか? 『薫風』。お前のお仲間がまたこの森に来たわけだ……今度こそお前もあの2人も助からん」
足元のかおるを脚で小突くと、かおるは拘束された体を揺らしうーうーと呻いた。『竜炎』の恐ろしさは間近で見ていた彼女もよく知っているのだろう。
「この森も焼失することだろう……だがお前らを生かしていたら、いずれにせよ同じこと……貴様の罪を悔いながら、森と共に死ね」
武器もなく、魔法も扱えないひかるにはただ、消えゆく森を絶望の中見るしかなかった。
かつて四天王であったからこその罪と、ここにいる少女の無力さ。その矛盾にひかるもかおるも気付いていなかった。
魔王四天王は基本的に同格であり上下関係はない。だが当然のことながら、その戦闘能力にはわずかなれど差は存在する。
属性の相性、戦闘スタイルの差、個対個や個対他の得手不得手――その強さを比べる要素は数多くある。だがそれを総合的に判断した、序列というものが四天王には存在する。
たとえば土の四天王ゲスワームは、獣並の知能と攻め手の単調さから四天王最弱と揶揄された。その後に『幽水』セーレライラ、『薫風』ウッデストと続く。
そして序列の最後――最強と称される四天王こそが。
「『竜炎』……ダグニール……!」
レオンは眼前の存在を睨みつけ、歯を見せて笑った。虚勢だった。
その巨竜を中心に燃え盛る森の中、周囲の空間全てが猛烈な熱気と揺れる火を受けて赤く染まる。だがその熱気よりも遥かに竜が抱く存在感と邪悪な魔力が空間を支配する。それと同種の力を持つレオンたちですら身じろぎするのだから、常人ならば相当な実力を持たぬ限りその前に立つことすらできなかっただろう。
慌てふためく人間たちを見下ろし、対照的にダグニールの表情には静寂が張り付いていた。
『久しいな……ゲスワーム、セーレライラ』
その喉から声が漏れる、ドラゴン特有のくぐもった響きだ。聞き覚えのある声に改めてそれがダグニールそのものなのだとわかった。
「ダグニール……人間の体で見ると威圧感がすごいな。どうだ調子は? 今、何をしているんだ?」
レオンは軽口混じりにダグニールにその思惑を聞いてみた。『竜炎』のダグニールは長寿の老竜、鱗に刻まれた皺が示すように精神的には四天王でもっとも落ち着いている。ゲスワームら他の四天王にも敵意はなく、むしろやや憐れんでいるようなふしもあった。
だが、今目の前にいるダグニールは。
『黙れ』
それだけ言って口を開くと、ブレスをレオンへと打ち放った。竜の吐息は深く速い、レオンに回避の余裕はない。
極大火炎魔法に匹敵する業火は一瞬の内にレオンの全身を覆った。
『これが答えだ、愚か者ども。貴様らと話すだけ時間の無駄だ……』
火炎の塊と化したレオンを見下しダグニールは言い放つ。レオンはものの数秒と持たずに燃え尽き炭と消えた――かに思われたが。
「ハッ!」
叫びと共に、勇者の剣を一閃。業火は魔力の宿った剣戟に切り刻まれ霧散した。
「お前、本当にダグニールか? あいつはこんな奇襲みたいなことをする奴じゃあなかったし……この程度の炎で勝ち誇ることもなかったぞ」
剣を構え、レオンはダグニールを睨みつけた。
勇者の剣の力はおおまかに三種、剣自体が意思に近いものを持ち魔力もまた擁することが第一。今はレオンの強大な魔力と呼応し、火炎程度ならばたやすく切り裂ける魔力の刃となっていた。
『フン……貴様らこそどうなのだ。脆い人間の皮に押し込められ、魔王の魔力と相反する精神を抱き……四天王の名が泣いている』
敵対の意思を口にするダグニールだが、その言葉にレオンはまた強い違和感を覚えた。
「ダグニールは四天王の中で唯一、その存在と魔王様に直接的な繋がりがない……だから四天王の称号に意味などないといつも言っていたはずだ」
ゲスワーム、セーレライラ、ウッデストは『魔王の産声』を受けて誕生した、あるいは蘇生したのが誕生の由来だ。ゆえに魔王は創造主ともいえ、強い忠誠を誓っていた。だが唯一ダグニールのみそうではない――魔王の魔力の影響は受けたものの、魔王よりも遥か古代から生きる竜。その存在に魔王が介入するはずもなく、だからこそダグニールは四天王の中でも別格で、存在自体が魔王ありきなゲスワームたちと違い四天王の肩書を存在の支えとする必要もなかった。
そのダグニールが「四天王の名が泣く」などとのたまうのは不自然だ。
「だがお前の姿、この炎、魔力……いずれもダグニールそのもの。ダグニールであってダグニールでない、貴様は何者だ」
『フ、フ……この世に蘇った理由も知らぬ蛆虫がわめくわ』
「なに?」
ダグニールは皺だらけの頬を吊り上げた。
『己のことすら知りもせず、他者の存在を問うとは片腹痛いわ』
レオンやセイラ、かおるが人間となって生まれ変わり、ダグニールだけが元の姿のままである理由――それ以前に、四天王が現代に蘇った理由を、この老竜は知っているらしい。
「……どうやらさっきの奴よりもお前に聞いた方が色々早そうだが……生憎、話を聞ける状況じゃあないな」
話している間にもダグニールがばらまいた火炎はエルフの森を燃やし、辺り一帯は激しい熱気と炎の色に包まれていた。
「ゆ、勇者殿! 話している暇はない、早く火を消し止めてくれ」
「無理だよ。ダグニールの火はあいつの意思で動く『竜炎』、土をかぶせたくらいで消える火じゃあない。すぐそばに川か湖がある上にセーレライラの能力があってやっと互角だ」
森を守ろうと焦るジンに対しレオンは冷酷に言い放った。サラマンダーの時点で森を守りながら戦うというのは無理だったのだ、ダグニール相手では言うまでもない。
「森に残っているエルフたちを避難させることに集中するんだ、森は諦めろ。守りたいものすべて守れるほど世界は甘くないし……俺らは強くない」
レオンの持ちうる力全てを使えばダグニールに勝てないわけではない、だが確実な勝利ではないし、勝ったとしても必ずその代償は大きい。拮抗する実力者同士の戦いは、けして無傷では決着しない。
相性がよければ話は別だが、レオンの土とダグニールの火は互いに有利も不利もなく、もっとも消耗し合う対戦だ。
「あいつの力があれば、あるいは……」
レオンがそう考えていた時。
『もはや火勢は十分。無駄話は終わりだ』
ダグニールは翼を大きく広げ、臨戦態勢に入った。レオン、そしてセイラもその前に立ち塞がり、魔力を高めて戦闘へと臨む。
『消えろ!』
爆炎がレオンたちへと牙を剥き、四天王同士の戦いが始まった。
「見ろ……始まったぞ」
一際赤く染まる森を、ひかるはなおも静かに眺めていた。足元のかおるは疲れ果てたのか声も発さなくなっていた。
サラマンダー、そして『竜炎』ダグニールをこの森に手引きしたのはひかるだった。ひかるが魔物たちに出した条件はエルフを殺さないこと、逆にかおるを必ず殺すこと。その代わりにひかるはエルフたちの武器を全て破棄し、サラマンダーたちに襲撃の好機を伝えた。同時にひかるは森にいる全ての動物や魔物を逃がすことも忘れなかった。
「……事が済めば、私はあの竜に口封じに殺されるか、村の皆に処刑されるかだろうな……だが貴様を道連れにできるのならば本望だ」
ひかるの行動の理由はウッデストへの――いや、かおるへの憎悪だった。
四天王ウッデストの犯した罪をひかるは散々糾弾したが、かおるがそれを自覚していることも、ウッデストが悪であることがひかるにとって建前でしかないのも彼女は理解していた。それでなお、殺意を抑えきれなかった。
ひかるはエルフの中でも突出した才能の持ち主だ。弓矢の技術をかわれて森番となり、エルフたちの目を盗んで一瞬の内にかおるを拉致し拘束するほどの魔法と身体能力を併せ持つ。人一倍強い正義感を持ち、村長からの信頼も厚い。
だがかおるはひかるにないものをいくつも持っていた。皆から愛される才能、それはひかるが欲し、なおも手にできないものだった。
四天王を憎悪するひかるが、その憎悪の対象に愛を奪われる。正義感の強さ、憎悪の強さはそのまま、かおるに劣る自らへと向いた。そして人が己を責め続けた挙句にとる行動はふたつだけ――死ぬか、吐き出すか。
「フフフ……四天王3人を道連れに死ねるんだ、本望じゃあないか。理想通りの結末だよ……」
まるで自分に言い聞かせるようにひかるは呟く。その顔をかおるがじっと見ていることには気づいていなかった。
『風詠み』。それはエルフ族の限られた者だけが発現する特殊な魔法。
風を媒介にあらゆる命と心を通わす精神魔法――その極限にして始祖なのが、植物との交信。『風詠み』を発現する条件は自然を愛し、森を想い、物言わぬ植物と会話したいと心の底から願うことだ。
今、かおるの中には木々の声が響いていた。火は止められる勢いではない、このままだと森は滅びる――木々の叫びは静かで冷静だ。淡々と現実を受け止め、願望を発することはほとんどない。もしも木々から人間への憎悪や動けぬ自身への嘆きを感じるならば、それは聞いた側がそういった感情を抱き、木々の声に反映させているだけなのだ。『風詠み』は繊細だ、純粋なものしか扱いきれない。
かおるはまた、すぐそばのエルフの声をも聞いていた。『風詠み』で聞くのは空を揺らして耳に響くそれではない、もっと奥の、深くの――心の底の部分。
かおるはそれまで力を取り戻したいと思ったことはなかった。呪われた四天王の力など、一生封印されたままでいればよいと思っていた。そうすれば、村の皆も自分を受け入れてくれるから――
だが今は違う。森が消え、友は泣いている。
力を解放し、たとえ村の皆から拒絶されたとしても、森を守れないよりはいい。
そしてひかるがウッデストを憎悪し、自らをその下へと置いて、そのあまりに苦しんでいるのならば、どうすればいいか?
かおるは、ウッデストは、決断した。
「む……?」
森の奥の火を見ていたひかるは急に顔にかかる髪をかき分ける。だが髪はすぐにまた顔にかかってくる、風が吹きつけているようだった。
何か妙な気配に気づき、ひかるが顔を横に向けた時。
そこにはかおるが立っていた。
「なッ……!?」
固く縛ったはずの手足の蔓も猿轡も、音もなく引きちぎられていた。浅葱色の髪が揺れている。小柄なエルフの周囲は激しい風が渦巻き、その体格は数倍以上にも見える。かおるはただただ真っ直ぐに、ひかるを見つめていた。
「ま、まさか、こ、ここに来て、四天王の能力が……!? く、クソッ!」
ひかるは慌てて弓を番えてかおるへと向ける。だが次の瞬間、かおるはひかるのことなどまったく無視して、その横を駆け抜け他の木から木へと移っていった。
その魔力の残滓だけでしばしの間ひかるは動けず、ようやく弓をとり落とし膝をついた時には、かおるの姿はどこにもなかった。彼女はいつでも自分を殺せた――その事実はしかと胸に刻まれた。
同刻。
『滅せよ、燃えよ!』
ダグニールが爪を振るい、森の木々をまとめてなぎ倒す。同時にその爪痕が業火となって立ち上る。辛うじてレオンとセイラはそれを回避した。
「『土葬』ッ!」
レオンの土魔法が起動する。ダグニールの四方を土の壁が囲み、同時に足元の土がうねり竜を飲み込もうとする。
『小賢しい』
ダグニールは巨大な翼を羽ばたかせて飛翔し、全ての壁はその風圧で破壊された。さらに風が炎を拡散させていく。
だがその隙にレオンは土壁のひとつを駆け上がり、ダグニールの頭上へと飛び出していた。
「剣よ、我が魔力を糧としろ!」
勇者の剣に魔力を満たし、ダグニールの額目掛けて振り下ろす。しかし。
『甘いわァ!』
「ぐっ」
空中でダグニールが縦に一回転し、レオンの一撃はその強靭な尾により弾かれてしまった。
「くらいなさい、『水切り』!」
すかさずその真下にもぐりこんだセイラが、鉄をも切り裂く威力の水の刃を打ち放つ。だが今度はダグニールが何もせずともその体に近づくだけで水は蒸発してしまった。ダグニールの竜鱗は超高熱を帯びているのだ。
「セイラ、足元に気をつけろ!」
「了解」
レオンが土魔法を行使してセイラの足元の地面を動かし、それに乗ってセイラは退避する。直後、ダグニールが着地し地響きが轟いた。
レオンも土を操って足場を作り、セイラと並んで着地する。攻防は続いていたが、依然としてレオンたちが不利だった。
「まずいわね……もうこの一帯は火の海よ。私は戦えないかもしれないわ」
「森で戦うのは炎に囲まれて戦うのにも等しいな。完全に奴のペースだ」
レオンたちとて人間の体だ、炎を受ければ無事では済まない。火炎に襲われないよう土魔法でうまく足場や壁を作り立ち回っているものの、その制限の上で戦えるほどダグニールは簡単な相手ではなかった。
せめて周りの炎さえなんとかなれば――そういうレオンたちの考えを見通すように、ダグニールは嘲笑う。
『人は本能的に火炎を恐れる……我ら竜はそれをよく知っている。我が火炎は物質だけでなく心を焼く竜の炎。貴様らの魂は確実に焼き消えていっているのだ』
竜が語るように、レオンたちは精神的にも追い詰められつつあった。人間の体となって初めてわかる火の四天王の能力、その炎はただの火炎以上にレオンたちに恐怖と焦燥を植え付け、じりじりとその心を焼き続けているのだ。
『知性を得、理性を持ち……我が攻撃を耐え続けられる能力は認めよう。だが耐えれば耐えるほど貴様らは内から滅びていく……! さあ、我が火炎に恐怖し、そして消えろ!』
ダグニールが吼えると周囲の火炎が動き出し、円を描いてレオンたちを取り囲んだ。その熱気が彼らの肌を焼き、邪悪な魔力が心を焼く。レオンたちは窮地に陥っていた。
だが、その時。
「おっ待たせいたしましたーっ!」
突如として森に響き渡った、緊張感のない元気な声。それと同時にレオン――いやゲスワーム、セーレライラ、そしてダグニールは、強大な魔力を感じ取った。
吹き荒れたのは突風。風はあっという間に勢いを増し、炎全てが風を受けて形を変えていく。風は渦を巻いて上昇気流を作り出し、レオンたちの周囲を覆っていた火炎は地を離れ、風に吹かれるままに漂い始めた。
「えーいっ!」
続けて響いた声と共に、風は炎を伴ってダグニールへと襲い掛かる。陽気な声とは裏腹に、それは人間数人をたやすく吹き飛ばす風圧と、四天王の業火を伴った、凄絶な一撃だった。
『グッ……ガアアアッ!』
ダグニールは一瞬の逡巡の後、剛腕で炎を振り払った。逆にいえばそれしかできなかったのだ。口からの竜炎は再び風に跳ね返され、翼の風圧では敵うはずもない。巨竜が真正面からの攻撃で押し負けた。
そして彼女は木から飛び出し、風を操ってふわりとレオンたちのそばに着地した。
「遅くなりました! 四天王『薫風』のウッデスト、ただいま参上ですっ!」
浅葱色の髪の小柄なエルフ――かおる。その内には四天王の魔力が満ちつつも、笑みは彼女の爽やかなものだった。
「お前、その魔力……四天王の力の封印が解けたのか?」
「はい、解きました! 森の一大事ですから! でもお話は後ですっ!」
かおるはずいと前に進み出て、ダグニールと対峙する。竜は苦々しく彼女を見つめ、対照的にかおるは笑っていた。
「風が教えてくれます……あなたはダグニールさんであってダグニールさんではない! まあどっちにしろ、あなたは私が倒しますっ! 風よ!」
かおるが両手を広げると、背後の森から猛烈な風の塊がダグニールへとぶつけられた。竜の巨体が大きく揺れ、地を抉って辛うじてその場にとどまる。
『グッ……風如きが! 我が炎で喰らってくれるッ!』
負けじとダグニールは炎を操り、森を襲っていた業火全てがかおる目掛けて躍りかかった。
「木よ、草よ、森よ! さあ、一斉にいきますよ! フーッ!」
かおるが合図すると、また森から突風が吹きつける。ダグニール渾身の炎も全てその風に押し負けて消し飛んだ。
四天王ウッデストは風の四天王にして木の四天王。その力は周囲に木々があればあるほど強くなる。森という舞台で強くなるのはダグニールだけじゃない――むしろこのウッデストこそが、森にて最強の四天王なのだ。
「さあダグニールさん、どうしますか? まだやるなら私たちがお相手します! 容赦はしませんよ、みんなのために!」
『ぐっ……ぐうっ!』
ダグニールは怒りと憎しみのこもった呻きを漏らすも、何もできない様子だった。いくらダグニールが強くても四天王の3体を同時に相手とり、ましてや内1体は森でもっとも強くなる魔物。さしもの四天王最強の老竜といえど、明らかな不利を悟らざるを得なかったのだろう。やがて吐き捨てるように言った。
『よかろう……ここは退いてやる! だが忘れるな、貴様らは所詮、紛い物でしかないのだ……!』
大きな翼をはばたかせ、ダグニールは宙に浮く。黒く消えた森を吹き飛ばしながら、だんだんとその高度を上げ――
やがて空の彼方へと、消えていった。
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