第十六話 目的

 四天王ダグニールの生まれ変わりであるファイは、家の前で両親と抱き合っていた。固く強く、互いに様々な思いを持った抱擁は永遠に思えるほども続いた。


「本当に行くのね」


 母親が問う。燻る不安を押し隠し、厳かに、叱責するような語圧すら込めて。それが優しさゆえの態度だったことはファイにもわかっていた。


「ああ……仔細は伝えた通りだ」


 ファイはその素を隠さず、女児のそれとは違う言葉遣いで答えた。彼女はすでに両親にだけは全てを明かしていたのだった。

 彼女の父親はその大きな腕で、妻と娘をまとめて抱きしめる。


「ファイ……本音をいえばお前がなんであろうとも、危険な旅に同行などしてほしくはない。お前は私たちの子であること、何も変わりはない」

「ありがとう。だがそれと同様に、私がかつて四天王であったこともまた時代や体が変わろうと変わりはしない。私には為さねばならぬ使命がある」


 ファイの決意は固く、その瞳の中の炎は揺るがぬ強さがあった。

 やがて抱擁は終わり、家族は最後に顔を寄せ合う。


「約束する、私は必ずここに帰ってくる。それまで待っていてくれ……お父さん、お母さん」


 ファイの言葉に両親は涙し、今一度娘を抱きしめた。

 ファイは元々数千年を生きる老竜だ。人間が想像もできぬ悠久を生き、数え切れぬほどの出会いと別れを繰り返してきた。そんな彼女がわずか12年共に暮らしただけの人間たちに情を抱くのは奇妙だったかもしれない。だが永き時を生きたからこそ――子供として愛されること、そして星霜に掻き消えた親という存在の温かさは、接した時の長短など問題ではなかった。

 ――ついに別れを終えると少女は名残惜しそうに踵を返し、村の出口で待つ3人の仲間のもとへと駆けていった。




 ファイを仲間に加えた一行は火山地帯を抜け、麓にある森の木陰で一息ついていた。


「んーっ、ようやく暑いのから解放されたわ。ダグニール、あんたよくあんなとこで暮らせるわねえ」

「住めば都よ。我が故郷の熱気はあんなものではないしな。それよりも儂はちと歩き疲れた」

「体小さいですもんね! 次からは私がおんぶしましょうか?」

「検討しておこう……さてそれよりもだ。レオン」


 木によりかかって身を休めるファイは顔を上げ、適当な石に座っていたレオンを見る。幼い体の彼女だが、その視線には未だなお奥深い光が残っていた。


「お主らはこれまで、四天王の魔力を辿り旅を続けてきたのだな?」

「ああ。敵になるにせよ味方になるにせよ、放っては置けないと思ってな。結果的に全員味方になったわけだが」

「よかったですっ!」

「ここからの旅路は目的を変えないといけないわね。ダグニール、じゃなくてファイが言いたいのはそこのところでしょう?」

「うむ」


 あごに手を当て考えを巡らせる仕草をとるファイ。一見幼くともその中身は数千年生きた老竜、四天王最強にして頭脳にも優れている。実力は十分にある勇者一行だが、学のない農民でかつてもただの怪物だったレオン、海棲の魔物かつ世間知らずの王族であるセイラ、言うまでもないかおると、いかんせん頭脳面では不安が残っていた。そこを補ってくれる存在は貴重だ。


「……まずは情報収集だな。セイラ、この国で最大の図書館がある街はどこだ」

「図書館ならマルクス・ポートね、ちょうどここから南西に行けばすぐに着くわ。でも情報収集って何を?」

「知りたいことはいくらでもある。100年前、我らが死して後の結末、今に至るまでの歴史、現代に蘇った魔物たち、そして魔王……」

「前半はともかく後半は図書館で調べられるとは思えんが」

「直接の証拠はないだろう、だが知る方法を知ることができるかもしれん。あるいは知る方法を知る方法、そのまたさらに知る方法といった具合には。0と1には天と地ほどのさもある」

「ま、ひとまずはあんたに従うわ。ここのとこ野宿が多くて、ちゃんとした街に止まりたかったのよ。マルクス・ポートは王都シウダッドにも負けない大きな街だし」

「尚更都合がいい、改めて旅支度をせねばならんとも思っていた」

「旅支度……?」

「ああ。お主ら自分たちの装いを見て疑問には思わんのか?」


 ファイに言われてレオンたちは互いに首を巡らせたが、これといっておかしいところがあるように思えなかった。はあ、とファイはため息をつく。


「移動手段もない、食料の貯蔵もない、薬もない……世界を旅しようというのに準備がなさすぎる。これまでどうしていたのだ」

「ん、まあ食料は魔物なり動物なり狩って食べてたし、水場は俺とセーレライラの能力があればわかるし……」

「私、食べられる草とかキノコとかには詳しいんです! たまに間違えますけど!」

「庶民の生活ってそんなものでしょ? 元王族とはいえ贅沢は言えないわ」


 平然とのたまう3人にファイは殊更大きなため息をついた。


「災害や襲撃、不慮の事態はいくらでもある、いつまでもでその場しのぎで済むわけがなかろう。まったくお主らは……まあよい、ともあれ次の目的地はそのマルクスポートとやらだな」


 いまだ納得のいかない3人だったが、ひとまずは年長者の言うことに従うことにして頷いた。

 だがそこでレオンはふと思い出し手を挙げる。


「少し待ってくれ、目的地を決める前にひとつ伝えておきたいことがあるんだ。お前らが火の村で戦っていた頃、俺らはヴォロウ火山に登っていたわけだが、実はそこであるものを見たんだ」

「あるもの……?」

「もったいぶらないでさっさと教えなさいよ。かおるちゃん、何を見たの?」

「はい! 瘴気です!」


 瘴気――魔王の魔力に由来する、邪悪なガスのようなもの。魔界の空気を満たす物質であり、魔物を活性化させ、逆に人間には猛毒となる。


「村人が訴えていた火山の異常は火口から噴出する瘴気によるものだったらしい。ひとまず火山の瘴気は俺とかおるが治めたが、放置していればこの周囲一帯が瘴気に覆われていたかもしれなかった」

「大変でした!」

「瘴気は本来自然発生するものじゃあない、間違いなく『魔王の産声』の影響だ。もしも各地で同じように瘴気が発生しているなら大陸の東も西と同様の魔界になってしまう」


 大陸の西側は100年前はごく普通の土地だったが、魔王軍が暴れまわったせいで瘴気に侵され、今では人間は誰も近寄らず魔界と呼ばれている。浄化する計画も幾度か持ち上がったようだが実行には至っていない。魔王の爪痕の最たるものだ。

 そしてそれが今度は残った大陸にも迫っている――無視できない事態だった。


「瘴気は俺たちならば簡単に無力化できる。この旅路、魔王討伐だけでなく、瘴気の浄化も目的に据えなければならないんじゃないかと思っているところだ」

「ふむ……」


 レオンの話を受けてファイはまた思考を巡らせる。


「これまでに瘴気が発生していた場所は?」

「勇者の剣が封印されていた山と、このヴォロウ火山」

「あとエルフの森もです! 私が早い内になんとかしましたけど!」

「……なるほど。瘴気の発生個所にひとつ心当たりはあるが確証は持てん。いずれにせよ情報収集が必要なのに変わりはなさそうだ」


 最終的にファイは決断した。


「目的地はまずマルクス・ポート。瘴気のことはそこで改めて考えよう。よいか?」


 異論はなく、一行の次の目的地は図書館のある街マルクス・ポートと決まった。

 ――だが、異変は突如、なんら前触れなく襲い来る。

 初めに気付いたのはレオンだった。


「……地中から妙な魔力がするな」


 土の四天王である彼は土の変化に敏感だ。次いで魔力探知に長けるセイラ、ファイ、かおるの順に異変を察知する。感じるのは邪悪な魔力だった。


「跳べッ!」


 レオンが合図すると同時に4人はそれぞれ飛び退いた。それと同時に、彼らの中心の地面が突如として爆発した。土煙が立ち上る。

 その土煙の中に巨体の影があった。


『グググ……ハハハハーッ!』


 土煙からくぐもった高笑いが響いた瞬間。突風が吹き荒れ、あっという間に土煙を掻き消した。

 そこにいたのは巨大なゴーレム、土を組み上げて作れられた魔法の兵士――だが少々形質が特殊だ。手、足ともに四方に1本ずつ4本が伸び、四角い顔も4面にある。そしてその顔が向いている方向それぞれが、赤、青、緑、黄の4色の光を帯びていた。ただし顔はいずれも同じ、豪快に笑う男の顔になっている。

 ゴーレムは4つの顔で四天王をそれぞれ見ると、頬をガシャンと動かし笑った。


『グハハハハハ! 四天王どもよ、ごちゃごちゃ集まりよって! このリゾー・マータ様がただ1人で蹴散らしてくれる!』


 リゾー・マータと名乗った4色のゴーレムがその身に魔力を滾らせる。それは火、水、風、土、4属性に特化した魔力が別々に膨れ上げる異質な魔力だった。四天王たちはそれぞれ戦闘態勢に入る。


『貴様らは4人で4属性……このリゾー・マータ様は1人で4属性! ゆえにリゾー・マータ様こそ最強! リゾー・マータ様は新・四天王として、魔王様のため貴様ら旧四天王を叩き潰す! グハハハハ!』


 リゾー・マータは4種4色の魔力の内、ひとつを解き放った。


『さあまずはこの森ごと焼き尽くしてくれる! イグニス・ブレェェェース!!』


 リゾー・マータの全身が真っ赤に光り、その口が大きく開く。すると頭が首から回転を始め、グハハハハという笑い声と共に猛烈な勢いで炎を吐き始めた。見る間に辺りは熱気に包まれ、灼熱が全てを覆いつくす。

 ――はずだったのだが。


『ム!?』


 高笑いが驚愕の唸りに変わる。それもそのはずだろう、吐き出した火炎の全てが、1人の少女の頭上に集まり留まっていたのだから。


「貴様に教えてやろう。魔法というものは学べば学ぶだけ身に着くものではなく、上限がある。ゆえに全属性の魔法をフルに操ろうとすれば、必ず個々のパワーは落ちるのだ。このように!」


 ファイは頭上に集めた火炎をリゾー・マータへとぶつけ返した。手を捻って火炎を操作し、その巨躯を火炎で覆いつくす。ファイの支配下に置かれた火炎は精神を焼く、苦痛は普通の炎の比ではない。


『グアアアアア!? だ、だが! 四天王全ての力を持つリゾー・マータ様に火は効かぬぅ! アクア・バスターッ!』


 火炎に苦しむリゾー・マータだが、直後にその全身から水が噴出し、火は白煙と共に消し止められた。その身が放つ光も青色に変わり、全身を水で濡らしつつリゾー・マータは勝ち誇った笑みを見せる。

 だがその直後、表情は再び苦悶に変わる。今彼を責め立てているのはセイラだった。


「私の前で水まみれになるのは自殺行為ってこと、教えてあげるわ」

『グッ……!?』


 セイラの手から走る水で作られた糸がリゾー・マータと連結し、彼女の魔力が送り込まれる。水を自在に操る彼女にとって、ずぶ濡れの獲物など掌の中にいるも等しい。リゾー・マータは全身を覆う水によってギリギリと締め付けられていく。


『グオオオオオ! 俺は四天王より強い! 強ォォォォォい! エア・パワーッ!』


 リゾー・マータが咆哮し、その光が緑に変ずる。するとその全身から旋風が吹き出し全ての水を弾き飛ばした。

 だがすぐに風はリゾー・マータの周囲を離れ別の場所へと移動する。風を奪い取ったかおるは、怒りに目を光らせていた。


「森を燃やそうとするなんて許せません! 私が、成敗してあげます!」


 かおるは弓を番えると次々に打ち放った。怒りのままとにかく連射した弓矢はてんで見当違いの方向に飛んでいき、それを見たリゾー・マータが嘲笑おうとする。

 だが直後、弓矢は風をまとい、かおるが操る風を受け、一斉にリゾー・マータへと方角を変える。そして笑うゴーレムと全ての目と口に矢が突き刺さり、内部で風魔法が炸裂し、嘲笑は一瞬で苦悶に変わった。


『オノレオノレエエエエエ! テラァァァァァ・ピラァァァァァッ!』


 リゾー・マータの光が黄色に変わり、その4つの足で地を踏みしめる。すると地面が急激に隆起し、巨大な柱となり次々に地面から突き出て四天王に襲い掛かった。

 だが四天王たちに命中する前に土の柱たちはピタリと止まる。直後に崩壊し、土塊が逆にリゾー・マータを埋めた。体の大半が土に埋まりその顔だけが土から出る。さらに覆いかぶさった土は急激に押し固められ完全に動きを封じた。


「ここの土はそのままぶつけるよりも崩した方が使いやすい。なんでもかんでも操ればいいってもんじゃあないんだ」


 レオンは勇者の剣をすらりと抜くと作り上げた土山を駆け上がり、あっさりとリゾー・マータの首をはねた。そのままリゾー・マータの首を抱え上げ、その顔に剣を突き立てる。そして他の仲間たちの方に首を向けた。


「ちょうどいい、こいつから情報を聞きだそう。かなりの実力者だ、何かしら知っているはずだ」

「あたしら全員と同時に戦ったりしなけりゃ強敵だったのにね。所詮はゴーレム、頭の中身も土でいっぱいかしら。ゲスワームみたいにね」

「え、ゲスワームさんの頭の中って土なんですか!?」


 難なく戦闘を終えて余裕のレオンたち。だがファイは1人、険しい表情を崩していなかった。


「待て……こ奴、作為を感じる。4属性の魔力の裏に、何か……」

「どういう意味だ? ファイ」

「4属性4色の魔力はそれだけで相当に異質だ、それを感じ分けるだけでも難しい。ゆえにその奥に本命の魔術を隠せば看破は難しい……セーレライラ、よく探ってみろ。何かないか」

「……たしかに、あるわ。ひとつはすぐにわかったわ、戦闘不能の時に機能を停止する情報漏洩防止の魔法……だけどもうひとつのはかなり高度な……」

「とにかく一旦離れよう」


 もはやただの石の彫刻と化した首を投げ捨て、リゾー・マータの体を包み隠す土山からレオンは飛び降りた。結果としてそれは何よりの英断だった。

 直後、土山が光を放つ。すぐにレオンは振り返り他の3人もそこに注視する。光の中には新たな魔力と人影が見えつつあった。 

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