第十七話 契約

 光の中から現れたのは人間ではなかった。

 朱色の長い髪。凍てつくような白い肌、芸術品のような体の凹凸、妖艶に秘所を隠す黒い衣。蝙蝠に似た小さな羽、尾。そして何よりは人間のそれとも魔物のそれとも違う、煌々と光を映す赤い瞳。常に人が目を薄く涙で覆っているように、その種族の目は常に魔力で覆われ、宝石のような妖しげな光を宿す。人を惑わせ、堕とす光を。

 それは淫魔。欲望を誘い、欲望を喰らい、遊戯の中に死を弄ぶ夜の申し子。

 その姿を捕えるまでもなく、レオンたち四天王は戦闘態勢に入っていた。武器を構え、魔力を滾らせ、そして何よりも敵意と闘志を内に燃やす。敵意で心を包まねば淫魔はたやすく入り込む――魔族たる4人は知っていた。


『フフフ……』


 そんな四天王たちをおもむろに見渡すと、淫魔は桃色の舌をぺろりと出し、赤く輝く唇をなめた。僅かな風に髪が揺れ、どす黒い角が見え隠れする。そして次の瞬間、その瞳が強く輝いた。

 だが淫魔の魔力が襲う前にファイが動く。両手を広げ、ごく火炎で淫魔の立つ小山を囲い込んだ。


「今、こ奴は儂らに精神魔法を仕掛けようとしおった。それもまず浅い揺さぶりの魔法をかけ、その反応がもっともよかった相手に強力な洗脳を掛ける手練れの所業。相当な魔性よ」


 ファイは冷静に分析する。淫魔は容姿で年齢を捉えづらく、その実力の判断も難しいが、数千年を生きる老竜の目には問題ではなさそうだ。


「我が火炎魔法は心を焼き、また同時に心を守る火炎。儂の前で迂闊に心に手を伸ばせば火傷ではすまぬぞ、淫魔よ」


 幼い姿でも魔力を燃え上がらせ、強い視線で敵を睨むファイ。淫魔はそれを見ると笑みを消した。

 その表情から誘惑の気配がなくなり、唇は固く引き締められ、淫魔特有の瞳は毅然とした目つきを見せる。それは淫魔というよりは1人の戦士のような立ち居振る舞いだった。


『やはり小細工は性に合わん。淫魔の法も効かぬ相手ならばかえって俺も志を貫ける……』


 淫魔は妖艶に体をなでるのをやめると右手を天に掲げる。すると瞬時に魔力がそこへ集まり、真っ赤な槍へと変じ淫魔の手に握られた。持ち手と切っ先だけというシンプルなデザインを、レオンは敵を貫くことだけを考えたゆえだと判断した。


『まず名乗ろう、俺はイモル。イモル・カミング。魔王様に仕える魔が1人』


 淫魔、イモルは堂々と名乗ると、その身に槍を作った時と同様に魔力を集めていく。すると露出していた美しい肌はみるみるうちに覆われていき、魔力は細身の鎧と化してその身を包む。妖艶な淫魔は一転、槍を構えた騎士へと変じた。


『貴様らがさきほど戦ったゴーレムは我が軍が送り込んだ。目的は2つ、貴様らの実力をはかるため、そしてその身に宿した転移魔法陣により俺をここへと送り込むため。転移魔法はその地にて魔法陣を組まねばならないが、ゴーレムの転移は遥かに容易なのでな』

「ずいぶんとご丁寧に説明してくれるわねぇ。お堅い喋り方の割にゆるゆるのお口だこと」


 セイラが嘲るように茶化すと、イモルは彼女をぎろりと睨む。その迫力に竦んだのかセイラは一瞬だけ目を泳がせた。


『俺は魔王様に仕える忠実なる騎士……魔王様のため、貴様らを殺しに来た』


 イモルが槍を構える。戦うならば受けて立つ、と言わんばかりに四天王たちも応戦の姿勢を見せる。しかし淫魔がすぐに襲い掛かってくることはなかった。


『貴様らの実力は見せてもらった、俺も実力で劣るつもりはさらさらないが、全員を同時に相手とって勝てると思うほど自惚れてはいない。だが貴様らとてこうしてにらみ合っているように、あのゴーレムほど楽に俺に勝てるとは思っていまい』


 鎧の淫魔は冷静だった。彼女の分析通り、四天王全員で戦えばまず間違いなく勝利できる。だが槍を構える姿やその身の魔力、眼光から伺える彼女の実力もまた侮りがたく、迂闊に飛び込んで勝てる相手でもない。イモルはあまりそれらしくはないが淫魔は淫魔、その特殊な魔法の数々も警戒が要る。


『そこでだ。貴様らにひとつ、契約を持ち掛けたい』


 イモルは槍先をレオンへと向ける。おそらくそれはレオンに向けたというよりは勇者へ、すなわち敵のトップへと向けたと考えるべきだろう。駆け引きとはそういうものだ。


『貴様らは貴様らの中から1人を選び、その者だけが俺と戦う。選ばれた者以外は一切戦闘に手出しせず、また俺もその相手以外には攻撃しない。そして私が敗北した時……貴様らが望んでいるであろう情報を与えてやろう』


 その言葉を注意深く聞き、レオンは考える。イモルが持ち出した契約のイモル側のメリットは4対1の状況から1対1の状況に持ち込めること、対しレオン側のメリットは何かの情報を与えられることのみ。つまりこの契約の要は敵を死なせないことによるメリット、すなわち彼女がもたらすという情報の質による。


「その情報とはなんだ」


 レオンが問うと、イモルは即答した。


『貴様ら四天王が現代に蘇った理由を教えてやる』


 その返答にレオンは少なからず動揺を抑えきれなかった。

 100年前に死んだはずの四天王が、力と記憶をそのままに、今の世で人間となって転生した理由――それは彼らが抱き続けていた疑問。自らの存在意義を疑うことはとても不安な気持ちを人に抱かせる。使命のもとに今は忘れようとしていたが、存在の疑問は四天王たちの心にずっとくすぶり続けていたのだ。


「……貴様が契約を守るという保証は!」

『淫魔は契約を破らない。火の四天王ならば知っていよう、いかなる色欲も恥じることなき淫魔だが、契約破りは死よりも勝る恥辱だと。またこの俺は魔王様の名に誓い一度口から出たことを違えることはない』


 ファイに視線を送ると、彼女は黙って頷いた。どうやら約束を破られる心配はないらしい。


「戦う1人というのはどっちが決める」

『そちらで決めて構わん。ただし時は今、場所はここ。それは譲れないな』

「『1人で戦う』の定義は」

『俺と選ばれた1人との戦闘中、他の者がいかなる戦闘行為もしないこと。場所を離し、魔法の使用は勿論意思疎通も禁ずる』

「蘇った理由を教える、とは、その具体性はどれほどのものだ」

『俺が出し得る情報全て伝えることをここに誓おう。約束した内容の範囲内ならば貴様らの問いにも応じる』

「選ばれた者以外は戦闘に手出ししない、とは、戦闘が終わった直後に攻撃するともとれるが」

『では契約の効力を一週間としよう。戦闘を終えてからその間我らは互いに戦闘を行わないとする。どうだ、まだ確かめたいことはあるか』


 イモルに問われ、レオンは頭を働かせる。契約を守ることはたしか、ならばその内容が肝心だ。他に注意すべきことはないか、見落としはないか。

 レオンは再びファイへと視線を送った。その意図を察し、ファイは頷くと口を開いた。


「では儂からもいくつか聞かせてもらおう」


 イモルが彼女の方を向く。このパーティの代表は勇者であるレオンだが、やはりこういう状況では海千山千のファイがもっとも適当だと判断したのだ。そしてそれは正しかった。


「今、戦闘を終えてから、と言ったな。お主の勝利とはこちら側の死亡でよいが、こちら側の勝利とはお主の敗北と同義でよいのかの」

『その通りだ。無論、俺が死ぬことも敗北とみなすが、厳密には貴様らが俺の敗北を認めた時と定める』


 それを聞き、ファイはニヤりと笑った。


「と、いうことはだ。お主は敗北した時に情報を語ると言った……からには、お主がその情報を語った時点で勝負は終結と見なされ、儂らはお主に手出しできなくなる。その前にお主を殺してしまっては肝心の情報が聞けん……この契約、その裏にはお主がけして死なないような仕組みがあるわけだな」


 イモルの表情が僅かに揺らいだ。ファイは見事に契約の裏に隠された真意を見抜いたのだ。


「まあそれもよかろう、誰しも死を避けたいのは当然の望みよ。ちと臆病にも思えるがの」


 ファイが飄々と語ると、淫魔は怒りに目を剥き、手にした槍を地に突き立てた。


『違うッ! 俺は魔王様の騎士として、確実に貴様らのような敵を排除する方法を選んでいるだけだ! けしてこの命が惜しいのではないッ!』

「そうかそうか。そういうのならば、もうひとつぐらい我らに有益な条件があってもよいのではないかな?」

『なんだと?』


 ファイは味方であるレオンたちですら嫌になるほどの意地の悪い表情を見せ、平然と言い放った。


「淫魔は尾が急所だと聞いておる。お主が敗北する条件に、その尾を斬り落とされた時を付け加えてもらおうか。そうすればこちらもお主を殺さないよう加減する手間が省けるのでな……まさか嫌とは言うまいな?」

『望むところだッ!』

「ならば話は決まりだ。ここまで口にしたこと、魔王の名においてたがうでないぞ」


 ファイはレオンへと視線を送り返す。今度はレオンがその意図を察し、再び彼が交渉の場に立った。

 レオンは決断し、一歩進み出た。


「お前の相手は俺がしよう。異論はないな」

『勇者か……まさしくこちらも貴様こそが討つべき相手よ』


 レオンは魔力を高めつつ、背に負った勇者の剣へと手を掛けた。故あって持ち主に選べどもいまだ四天王を嫌う意思持つ剣だが、今その剣からは強い闘志が感じられた。戦う理由は世界のためというよりは四天王たちのいわば私利、にも拘わらず四天王を嫌う剣が闘志を燃やす理由――レオンが感じる感情は、警戒と武者震い。

 魔王を討った勇者の剣が、目の前の敵を強敵と認めている。レオンもまた闘志を燃やし剣を引き抜いた。

 他の四天王たちはレオンを気にするような視線を送りつつも契約通りにその場を去っていき、やがて辺りから気配は消えて、レオンとイモル、2人だけが対峙する。ぶつかり合う視線と殺意に押し潰されるように、森は静寂に包まれた。

 一騎打ちが始まる。

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