第二十二話 黒

 カフェから少し走った路上にその魔物はいた。

 それはいわゆるゴーレムの一種だ。マルクス・ポートの街をつくる石畳と同じ石を巨人の形に組み上げたもののようで、首がなくずんぐりとした安定型。大きさは民家より一回り大きいほどで、その片手では住民の女性が助けを求めもがいていた。

『来たな、勇者』

 レオンの姿を見つけ石のゴーレムはがらんどうの口で笑った。どうやらわざと騒ぎを起こしレオンをおびき寄せたらしい。周囲の民家はかなり無惨に破壊されており、遠くからは混乱する住民の声がなおも響く。平和な町中に突如としてこのゴーレムが地から現れて暴れ出した、といったところだろう。以前戦った四属性を操るゴーレムといい、敵にはかなり高位の魔導士がいるらしい。

『俺はブラックゴーレム、魔王様に仕えるゴーレムの1体だ。早速で悪いが動くなよ、こいつを握りつぶされたくなきゃあな……』

 ゴーレムが思いの外流暢な喋り方で右手に握った人質をレオンに掲げようとした時。

 すでにその肘から先は消えていた。

『えっ……!?』

「遅いんだよ」

 驚くゴーレムに対しレオンは再び腕を振る。するともう片方の腕もあっさりと崩れ、先に落ちた右手を同じように元あった街道に崩れ落ちた。レオンにより解放された人質はとうに逃げ出していた。

『なっ、なっ……!? なんでだ!? 石の体のこの俺には、お前の土魔法は……!』

「馬鹿め」

 レオンは再び腕を振り、今度はゴーレムの下半身を崩壊させた。あえなくゴーレムは転がり倒れる。

「お前を作った魔導士はかなりの腕だが知識は並以下のようだな……少しは考えろ、土とは砂が凝縮されたもの、砂とは極小の粒の石のことだ。極大土魔法が、砂のもとである石を操れぬわけはない」

『グッ、グッ、グッ……!』

「さてこれで動けないだろう。前のゴーレムはうっかり仕留めてしまい情報を聞きだせなかったが、今度はしっかりと知ってることを話してもらうぞ。幸いお前が暴れたおかげで周囲に住民もいない」

 レオンは倒れたゴーレムに歩み寄る。もはやゴーレムに抗う手段はない、勇者の剣を抜くまでもなく、腕を三回振っただけで戦いは終わってしまったのだ。そのはずだった。

 歩み寄るレオンの足がはたと止まる。彼はゴーレムが悔しさに呻いているのではなく、笑っているのだと気付いた。

『グッグッグ……! なあ勇者、いや四天王。無知な相手を蹂躙するのは楽しいだろう? 自分の得意分野を語るのは楽しかったろう? どんな苦痛に耐える人間でも、快楽に耐えるのは楽じゃあない……特に勝ち誇る気持ちは、たやすく心に穴を空ける』

 しまった、とレオンは己の軽薄さを悟る。このゴーレムが瞬殺されたのは演技、レオンにわざわざ講釈させたのも全て誘導だったのだ。悪役のサガか、相手が雑魚と思ったばかりに完全に油断してしまったレオンは慌てて頭を巡らせる、作られた隙で相手が何をしたか、何を目論んでいたか。

 ゴーレムはなおも笑っていた。

『それとな、俺らの主はやはり聡いお方だよ。しっかり見ているよ、お前らのことを……お前らがこの街に来たことも、仲間の3人が図書館の奥深くにいることも……お前がついさっきまで、子供と話していたこともな。グッグッグ』

 子供。駆け巡っていたレオンの思考にあの少女の顔が雷鳴のように現れる。そして同時によぎったのは人質の二文字。

 レオンはすぐにゴーレムに背を向け駆け出した。




 レオンは元いたカフェに戻る。魔物の出現地からそう遠くないその場所からも住民は避難していたが、「ここで待て」とレオンが伝えていた少女だけは律儀にオープンテラスの一席になおも座っていた。

 ひとまず周囲に魔物の姿は見えないのでレオンは安堵し、少女へと駆け寄った。

「大丈夫か! 今、魔物が……」

 そうして近づいてきたレオンに少女が体を向けた時。

 その腹部から、大量の血が流れていることがわかった。

「……あっ……」

 少女の体が震え、座っていた椅子から転げ落ちる。真っ赤な血を流しながら、少女の体が地に倒れた。

 レオンは慌てなかった。彼の能力があればたとえ致命傷だろうと直せる、少女の近くに血だまりがないから攻撃を受けてからそう経っていない、十分助かる。だがあれだけの怪我だと治療は緻密だ、もっと近づかなければ……止まりかけた足を動かし、少女へと駆け寄る。

 だがその足を何かに掴まれる。見ればレオンの影から、どす黒い腕が伸びていた。

『グッグッグ! 楽しいぜ、穴を空けるってのはなァ!』

 黒い腕は急激に膨張し、あっという間にレオンの全身を握る巨大な手となった。そして腕に続き体、頭、足が次々に影から現れる。そうしてそこに出現したのは先程のゴーレムとそっくり同じ姿をした、影の怪物だった。

『俺はブラックゴーレム、影のゴーレム! とらえられぬ影こそが俺の本体、石はとりついて操ってただけよ! グッグッグ!』

「だが、俺を掴んでいる部分には……実体があるのだろうッ!」

 レオンは真下の地面を操作し、土柱をゴーレムの手にぶつけた。案の定影の手は手応えと共に弾け飛び、自由となったレオンは着地しすかさず勇者の剣を抜きはらう。だがそうしている間に影のゴーレムの手は再生し元通りになっていた。先程の穴だけの顔と違い、影で作られ表情がはっきりとわかる顔になったゴーレムは、底意地の悪そうに頬を裂いた。

『グッグッグ! お前はパワーなら四天王随一だが、肝心の攻撃手段は物理攻撃だけだ! それじゃこのブラックゴーレムに穴は空けられねえ! グッグッグ!』

 敵の言う通り、レオンの土魔法は質量攻撃こそ凄まじい威力を持つものの、それが効かない一部の魔法生物を苦手とする。影でできた相手などもってのほかだ。

 そしてその時、背後に殺気を感じたレオンはすぐさま横に跳ぶ。瞬間、彼のそばにあった民家の影から飛び出た腕が、彼がいた場所を手刀で攻撃していた。こうやってあの少女も刺したのだ。

 レオンは影のゴーレムの向こうにいる少女を見る。いくらレオンでもすでに死んだ相手は救えない、早く治療をしなければならない。倒れ伏した少女は血だまりの中ぴくりとも動かず、地面を通じて感じる鼓動はみるみる弱くなっている。その体にわずかに宿る常人以下の魔力もさらに小さく――

 ――いや。

「なんだ……これは」

 レオンは一瞬目の前の敵も瀕死の少女も忘れるほどに驚愕する。その視線の先にいる死にかけの少女、その奥にある『何か』に目も心も奪われる。

 それから一拍遅れ、醜く笑っていたゴーレムもその異変に気付いた。

『ン……なんだァ? この感じ……』

 そうしてゴーレムが振り返り、足元の少女を確かめようとした瞬間だった。

 その巨体のど真ん中に穴が開いた。激しい魔力の奔流の音、破裂音。ゴーレムの体の半分にもあたるほどの大きさの穴が、一瞬の内に開けられた。

『へ……!? な、なにが……がっ!?』

 ゴーレムが驚く間もなく、その全身が何かに覆われた。それは魔力だ、可視化するほどに凝縮された膨大な魔力――どす黒い、近くにいるだけのレオンですら肌を灼かれるようなプレッシャーを感じる邪悪な魔力。

『ぐっ、がっ……ぁ……』

 魔力はゴーレムを押し潰した。その腕がひしゃげ、足が曲がり、体が潰れ、ほとんど音もなく影が小さくなる。そしてどす黒い魔力の塊はそのまま、跡形もなくゴーレムをこの世から消し去った。

 その魔力には技術も鍛錬もなかった。魔法と呼べるかすら怪しい、ただただ圧倒的な存在。現実とは思えないほどの量と、純粋な攻撃性にみたされたエネルギー。

 たとえるならば天変地異。意思もなく声もなく、絶望的な力で人間を捻じ伏せる、古き時には神の怒りと称された絶対の災い。

 そしてその暗黒は――少女の体から発せられていた。

 何が起こったかわからずに身を凍らせ、ただただ本能的に剣を構えるレオン。その前で、瀕死のはずの少女はゆっくりと起き上がった。

 だらりとした姿勢のまま、その唇がわずかに動いた。そしてその腹の傷が見る間に塞がっていく。治癒魔法ではない、もっと強力で、もっと邪悪なものだ。それは今、レオンの魂を根底から責め立てている、生存本能と同種のものに思えた。

 だがそれでもレオンはわずかな希望を抱いていた。さきほど言葉を交わした少女の優しさ、心を開き見せた笑み。ひょっとしたらこの邪悪はレオンを敵ではなく、味方とみなしてくれるのではないか。そんな希望だ。

 少女が顔を持ち上げ、その瞳が彼を見る。その瞬間に希望は潰えた。

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