第二十一話 呪われた子

 魔法図書館。

 魔法の床に乗り、膨大な量の蔵書を漁っていたファイはいくつかの本からひとつの結論に至った。

「……勇者は魔王に勝利した。だが勇者もしばらくして死亡……文献によりそのタイミングにばらつきはあるが、概ね数日から一月とごく短い間、病死あるいは直接的に魔王の呪いとされておる。いずれにせよ、勇者の死に魔王との戦いが関与していることは間違いあるまい」

 その結論にいったん落ち合ったセイラも頷いた。

「私もそんな感じの資料を多く見つけたわ。それにロルス王国の歴史でも、勇者は死の間際にその剣を王都に封印したとされてるし……その剣が瘴気に侵されていたことも考えると、死因は瘴気とみていいでしょうね」

「瘴気を防ぐ加護を持っていた勇者だが、魔王本人と対峙してはその毒を免れなかったか……だが瘴気を治療しようといくつかの地を巡ったようだな」

 ファイは手にした分厚い本をセイラに提示した。かなり重いのか腕がぷるぷる震えていたので、見かねたセイラが本を受け取り代わって持つ。

「ふんふん……魔法技術の高いエルフの森、病魔を焼く鉱石のあるヴォロウ火山……他にいくつかの療養や退魔で知られる地。なるほど、見えてきたわね」

「ああ。おそらく勇者はその身を侵した瘴気を取り除こうと各地を訪れ、その一部は取り除くことができたのだろう。だが魔王からもたらされた瘴気は想像を越えて濃く、結局命を落とした。取り除かれた瘴気は各地に留まり、しばらくは何も起こさずに眠っていたが……」

「『魔王の産声』の影響で活発化。人間界そのものを侵そうとしてる、ってわけね」

 これまでの旅路で見た瘴気の理由がこれではっきりした。そして旅の目的である世界を壊しかねない瘴気を取り除いていくための道程も見えてくる。

「つまり、私たちが行くべき場所は勇者が浄化のために訪れた地……そこに瘴気が溜まってるはずね。ひとまずこの本に載ってる場所かしら」

「だが所詮は人の手で書かれた書物、過信は禁物だ。より多くの視点から情報を集めその確実性を高めるべきだろう」

「まだまだ知りたいことはあるしね。かおるちゃんも遊んでないでちゃんと探すのよ?」

 セイラの呼びかけに遠くのかおるが大声で応じる。だがどう見てもその手に握られているのは風景画の画集だ。やれやれとセイラたちは頭を抱える。

「まったくお気楽なもんね、ウッデストもゲスワームも」

「うむ。ゲスワームは何をしておるだろうか」

「昼寝でもしてんじゃない?」

 2人は軽口を叩き合い笑う。そのレオンが置かれている状況を知る由もなく。




「俺がなんで生きているか……? どういう意味だ、それは」

 謎の少女からの意味深な問いにレオンは思わず聞き返す。少女はその黒い瞳でただ彼を覗き込んでいた。

「というかあの猫はどうしたんだ? あの、シュ……なんとかっていう」

「シュヴァルツシルトは死んじゃいました」

 レオンは言葉に詰まった。生死など日常茶飯事のレオンが動揺するほどに、少女の言い方が自然すぎた。

「新しい友達だったのに……みんなそうなんです。私がお世話するとすぐ死んじゃう。パパもママも、死んじゃったし……」

 黒髪の少女は悲し気に目を伏せる。悲しいという感情がこの少女にあることに、レオンはいつの間にか安堵していた。

「それで、さっきの質問はどういう意味なんだ?」

 警戒は緩めずに問う。相手から敵意は感じなかったが、それでも得体が知れなすぎる。

 すると少女は悲し気な表情をよりいっそう深めた。

「あなたの近くの空気が、重くて、暗くて……死ぬ前の人とか猫とかと、同じ感じがしたから……大丈夫、なんですか? 死なないんですか?」

 ふむ、とレオンは思った。幾分か冷静に少女のことを分析できたのは、少女の仕草が純粋に死を悲しみレオンの身を案じているように思えたからだ。

 理屈はわからないが、この少女には常人には見えない『何か』が見えているのは間違いないようだ。彼女の言う通りレオンは何度も死を経験した異常な存在、子供の妄想と片付けるにはできすぎている。

 魔力などの気配は感じないが――かおるが持つ『風詠み』のような特殊な力なのだろうか。ひとまず彼女が不安そうに答えを待っているのでレオンは答えた。

「俺は少し事情があってな、何度も死んでるが死んでない。君に心配されるようなことはない」

「そうですか……」

 ほっと少女は安堵しわずかに微笑んだ。ようやく年相応の部分が見えてレオンも安心し、改めてその姿を見るとやはりその身なりが気になった。服はゴミ捨て場から拾ってきたかのようなものを被るようにしているだけ、頬は痩せて顔色も悪い。両親が死んだと言っていたし、いわゆる浮浪児なのかもしれない。

「時間はあるかな。君と少し話したい、ちょうど昼頃だし食事でもどうだ。もちろん奢るが」

 少女に興味が出てきたこともありレオンが誘うと、少女はようやく明るい笑みを見せたのだった。




 図書館の近くにあるカフェのオープンテラスにて、レオンは少女と向かい合って座り、驚いたような呆れたような目で彼女を見ていた。

 少女は一心不乱に料理を食べ続けていた。その量こそ相応ではあるが、ソースを頬につけながらパスタを口に運び、喉をつまらせそうな勢いでパンを貪り、熱そうにしながらもスープを流し込み――怒濤の迫力で食べ続ける少女にレオンは言葉を失った。

「よっぽど腹が減ってたのか……前に食事をしたのはいつだ?」

「ムグッ、んっ……おととい。昨日、お野菜の皮とお魚の骨食べたけど、吐き出しちゃったから……むぐっ!?」

「ほら慌てるな。水飲め水」

 レオンが差し出した水を両手でごくごく飲み、ぷはっと息をつく少女。そんな仕草のひとつひとつはただの子供のようだが――

「で、だ。君にいくつか聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「はい。ごちそうになりましたから、私にわかることなら答えます」

 少女はなおも残っている料理に手を伸ばしつつ頷いた。食べながらでもいいから、と前置きしてからレオンは尋ねる。

「まず……両親は死んだと言っていたが、どういうことだ? 病死か?」

「たぶん、病気だったんだと思います。お医者さんもよくわからないって……体が弱って、死んじゃったって」

「それから君はどうやって生きてきたんだ。親戚はいないのか? 教会に引き取ってもらうこともできたんじゃないか」

「一度、おばさんの家に行きました。でもすぐおばさんが同じ病気になって、追い出されました。教会に行ったら他の子たちが病気になって……それからはずっと、お外で暮らしてます」

「なるほどな……」

 呪われた子というわけだ。口にはしなかったがレオンはそう結論した。こうして食事をしていても、他の客は近くの席に寄りつかず通行人もチラチラと彼女を見て、あからさまに不快な表情を見せる者もいる。こんな小さな子が路上で生活していて誰も救おうとしないのは、その病気のことが広まっているからなのだろう。

 自分自身もわからぬままに他人を不幸にし、そのために誰からも拒絶されているのならばあまりにも悲しい話だ。

「辛くはないのか? ひとりぼっちで、食べ物もろくに食べられない生活は」

 問うと、少女はパスタソースをつけた顔で力なく微笑んだ。

「慣れました……もう、友達もいないから……」

 その空虚な笑みを年端もいかない少女が浮かべる、それだけでも信じがたい悲劇だ。だが少女はふとそこで、奇妙なことを口にした。

「それに……私は、それでいいって気がするんです。みんなからいじめられて、怖がられても……それでいいんだって。あと、それでも、生きていかなくちゃいけないんだって……なんか、心が、そう言っている気がします」

 心が言っている、それはどういう意味だろう。夢で見たのか? 生存本能? 現実を見るための正当化? あるいは現実逃避? レオンは思索するが答えは出ない。ただ少女の言葉は、妙に真に迫った強い印象があった。

「だから私は、辛くてもがんばって生きて……あっ」

 その時少女が手を滑らせ、掴んでいたコップを落としそうになる。

「おっと」

 すぐにレオンが手を伸ばしてコップを支える。その時、両者の手が触れあった。

 少女の手から伝わった感覚。レオンはハッと目を見開き、少女の顔を見つめる。彼女はレオンの表情の変化の理由がわからなかったのか、不思議そうに首を傾げるだけだった。

 とその時、唐突に、何かが破壊されるような大きな音が辺りに響き渡った。

 周囲が騒然とし、レオンたちも今の出来事から一旦心を離す。慌てた様子で街を走ってくる住民から、魔物だ、という言葉が聞こえてくる。

「ここで待っていろ。すぐに戻る」

 少女にそれだけ伝え、レオンは駆け出した。

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