第二十九話 歌

 集まった四天王は改めてその魔物を確認した。

 全体としては人に似ている。しかし肌は青く、耳はなく、エラにあたる器官が首にある。髪は人間のそれとは質感が異なりツルツルとしていて紫色、体表は服の代わりに濃緑の鱗が覆っている。そして下半身は魚のそれという、いわゆる人魚と呼ばれるタイプの魔物だ。

 その姿はかつての四天王、『幽水』のセーレライラとよく似ていた。だが完全に同じではない、セーレライラはもう少し体格が大きかったし、頭部には二本の角が生え、背中からは毒針のついた触手が生えており、顔つきももっと禍々しかった。今湖のほとりで気を失っている魔物は顔立ち自体は人間のそれと大差ない。

「セイラ、こいつは?」

「わからないわ、湖に入ってたらどこからか襲ってきたの。かなり攻撃的だったわ」

「同族か?」

 ファイが問うとセイラは一瞬、逡巡し目を泳がせた。セーレライラの種族は魔鱗族と呼ばれる水棲魔族、男は勇ましく女は淑やかな上級魔族。海水にも淡水にも適応でき、高い知能と文化で知られた。

 100年前、セーレライラを残して絶滅するまでは。

「それもわからない……私の知らないところで魔鱗族が生き延びていたのか、よく似た別の種族か。あるいはダグニールみたいな例なのかも」

 セイラの言葉にファイが反応する。レオンも彼女の言いたいことを察した。

「エルフの森で現れた、肉体だけ本物の『竜炎』ダグニール……それと同類ってことか」

「ふむ……しかし、その儂の偽物とやらは儂と遜色ない実力を持っておったのだろう。こ奴はセーレライラと比べて弱すぎる」

「ひとまず体を調べてみましょう。魔鱗族ならすぐに……」

 そうしてセーレライラが魔物へと手を伸ばした時。

 突然、魔物の体は水となって弾けた。

「きゃっ!?」

 慌ててセイラが手を引き、レオンたちも後ずさる。魔物が倒れていた場所には濡れた地面が残っていただけだった。

「水になった……? いや、最初から水が形を成していたのか」

「その可能性が高いわね。かおるちゃんがいれば『風詠み』で心があるかどうか調べられたのに……肝心な時にいないんだから」

「ふむ、ともあれこれで手がかりはなくなってしまったな。再び水を調べるよりないのではないか?」

「ええ、そのつもり。また出てきたら今度は……」

 気を取り直して四天王たちは湖の方を見る。そして絶句した。

 そこにはすでに一人、さっきの魔物と全く同じ姿をした魔物が水の上に立っていた。それだけではない、新たな魔物が湖から顔を出し、その数は四天王たちが見ている間に次々に増えていく。あっという間に、魔物は湖を覆わんばかりになった。

『キッ……ァァァーッ!』

 甲高い、鉄をすり合わせるような声が湖に響き渡る。無数の魔物たちは一斉に四天王へと襲い掛かった。

 だがここは水のある場所。水の四天王はすぐに動く。水を支配せんがために。

「みんな下がってて……『水面』!」

 セーレライラは地に両手をつけ、その魔力を解放する。すると解き放たれた魔力は地を通じて湖へと浸透し、変化はすぐに起こった。

 湖の外周から水の壁が急激に持ち上がる。セーレライラの魔力が通された水の壁は魔物たちを簡単に弾きつつみるみるせりあがっていき、やがて上部で歪な半球を作りながら繋がった。

 湖は水の結界により完璧に覆われ隔離された。その中で魔物たちは狂ったように暴れているが、個々の力は弱く力を合わせるという知恵もないために水の壁を破ることはできなさそうだ。

「ふうっ。湖が瘴気まみれのおかげで却ってやりやすかったわ。でもこれじゃあ時間稼ぎにしかならないわね」

「そうだな。あの魔物たちの正体がわからないのが難点だ、片っ端から倒せばいいのか、何か根絶の方法があるのか……対処策も打ちようがない」

「そうね。なんとかしないと……」

 セイラは水壁の中で暴れまわる魔物たちを見つめて考え込む。ここは彼女に任せた方がよさそうなのでレオンとファイ(とアイ)は成り行きを見守った。その時魔物たちを見つめるセイラの目は、どこか憐れんでいるようにも見えた。

 やがてセイラは顔を上げる。その表情は妙案を思いついたというよりは、何かを決心したといった様子だった。

「どうだセイラ。何かできるか」

「ええ……効果があるかはわからないけど、やってみるわ。さ、来なさい」

 セイラは手を馬車の方に伸ばすと、くい、と何かを誘うように手首を返す。すると不思議なことに馬車から何かがひとりでに飛び出し、ふわふわとセイラの下へ向かいその手の中に舞い込んだ。

「なんだ今の、どうやったんだ?」

「念動力よ、特殊な魔法。前に敵が使ってるのを見たからちょっと練習してみたの、まだ戦闘には使えそうにないけど便利でいいわよ」

「器用だな……そしてそれは、楽器か?」

「ええ」

 セイラは慣れた様子で馬車から持ってきたハープを抱いた。淡い水色のハープは柔らかな曲線に無数の紋様が刻まれ、正面にあたる部分には人魚を模した彫刻が彫られている。セイラが王宮から唯一持ってきた、彼女の愛用の品だ。

「そういえばセーレライラ、魔鱗族は魔歌を操りお前も戦闘に取り込んでいたな。今でもできるってわけか」

「いいからあんたは腰かけを作りなさい。ハープは座って演奏するものよ」

「なんだ偉そうに」

「偉いもの」

 顎で使われるようで嫌だったが渋々レオンは土魔法で小さく土を隆起させ簡易的な腰かけをつくる。セイラはそっと座るとハープを構え、音を確かめたのか軽くポロロンと鳴らした。

「今湖を覆ってる水の壁はね、相手を閉じ込めるだけじゃあないの。水は音を空気よりも通すって知ってる? あの中では私の歌はより強く、より澄んで聞こえるのよ。もっともそうでなくとも十分なんだけどね……さあ、お静かにお願いするわ」

 セーラライラが演奏を始めるようだ。邪魔しないようにレオンたちは少し距離をとり、今の彼女の歌による攻撃を確かめようと見物した。

「それじゃ……交響曲より、『朝の湖畔』」

 セイラはハープを奏でながら歌い始めた。それは静かにひとつひとつメロディを奏でるバラード、ハープからは穏やかで清らかな音が紡がれ、セイラの細い喉からは透き通った歌が響いていく。予想外にそこに魔力はなく、魔歌の類ではなかった――つまりセイラは、ただ歌っているのだ。

 だがそんなことを忘れてしまうほど、その歌は素晴らしかった。芸術の心得など欠片もないレオンですら気が付けばその音に聞き惚れる。

 続く音の螺旋。ハープから奏でられる音とセイラが歌い上げる詩は寸分の狂いなく調和し、空間全てが音楽に満たされる。歌い上げる心は歌詞が示すものだけでなく、喜、怒、哀、楽、全てがありまた符合する。その歌はあたかも重厚な物語のように聴く者の心を動かし、それが微塵も不快さや不自然さを持たず、耳を澄ませることがただただ心地よい。ハープをなでる指、柔らかに動く唇、優しく揺れる髪、全てが音の中に同調し、鮮やかな旋律をより際立たせていた。

 特別な魔力など一切持たない、しかし美しい音色。それは水の壁の向こうの魔物たちにも届いていた。奇妙なことに、初めは曲を邪魔するように騒ぎ立てていた魔物たちが、曲が進むにつれ大人しくなっていく。暴れるのをやめ、まるでセイラの歌に聞き惚れるかのように立ち尽くす。そして1体、また1体と湖の中に消えていく。穏やかに、むしろ満足そうな笑みすら浮かべて。

 ――やがて演奏が終わった時、魔物たちは一体もそこに残っていなかった。

「……ふう。久しぶりだけど、いいものね」

 演奏を終えたセイラが立ち上がる。レオンたちは一瞬彼女の動きと言葉に気が付かなかった。演奏の余韻が強く残り、心がここに戻ってくるのに時間を要していたのだった。

「すごいな……セイラ、お前こんなことができたのか。いい歌だった、掛け値なしに」

「魔物たちも皆いなくなっておる……魔力は感じなかったが、いったいいかなる力がその歌にあるのだ?」

「あらファイちゃん、ナンセンスなこと聞かないでよ。決まってるでしょ、音楽の力よ」

 セイラはしたり顔でハープを軽く奏でた。

「音楽にはね、心を動かす力があるの。言葉の羅列や風景の美しさとはまた違う、音楽特有の力が、ね」

「ふうむ……まあそれはよかろう。しかしセイラ、それでなぜあの魔物たちを消すことができると思ったのだ?」

「なんとなくだけどね、あの子たちには意思はないけど心はあると思ったの」

「心?」

「同じ姿をしていたからかしら、なんとなくわかったのよ。感情、と言うべきか……考えて動いているのではなく、中に宿った感情のままに暴れている……それも彼女たちが感情を持つというよりは、感情が彼女たちを作ったって感じだったの。だからなんとかして感情を鎮めれば自然といなくなるんじゃないか、って思ったのよ」

「ふぅむ……? よくわからんな」

「あら、数千年生きた老竜さんにもわからないことがあるのね。竜の世界に音楽はないのかしら?」

「むむむ……」

 セイラに煽られてもファイは言い返せず、ただ唸るのみだった。

「でも結局、あの子たちの正体はよくわからなかったわ。その感情っていうのが瘴気と関係しているのかもしれないけれど……」

「ひとまずは対処できただけでよしとしよう、瘴気の除去が優先だ。セイラは引き続き湖の浄化を……」

 とその時、森の方からガサガサと音がする。見ればずっと森の方に行っていたかおるが戻ってきていた。セイラが呆れ顔で迎える。

「もうかおるちゃん、どこまで行ってたの? こっちは色んなことがあったのよ? あなたがいればもっと……」

 だが様子がおかしかった。かおるはセイラの言葉に応じる気配がなく、ただゆっくりと歩いてい来る。いつもあれほど元気で陽気なかおるが今、不気味なほどに静かだ。

 やがて森から出てきた彼女は――腹部から、どくどくと血を流していた。

「みな、さん……わた、し……」

 レオンたちに何か言おうとした後、かおるは力尽き倒れ伏した。

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