第二十八話 情景

 アイを仲間に加えた一行は馬車と共に保存食などを購入し、マルクス・ポートを後にした。

「なるほど……移動手段があると行程がかなり楽になるな。毎食ごとに狩りをする必要もない」

「だから言っただろう、馬車ぐらい用意しろと」

 馬車の席に座ったファイは呆れ顔だった。彼女の進言がなければ今でも勇者一行は徒歩のまま旅を続けていたのである。

「それにお主らはともかく儂は身体能力は子供そのもの、徒歩で長旅をできるほどの体力は持ち合わせておらん。今はアイもおることだしな」

「そうだな」

 レオンの隣には黒髪の少女、アイが座っていた。マルクス・ポートで新しく買ったワンピースを着た彼女は少し緊張した様子でレオンに寄り添っている。8歳の彼女に大陸横断の旅は辛かろう、移動手段はあって正解だった。

「あの! 目的地はどこでしたっけ」

 突然、窓からかおるの顔が上下逆に現れる。風を感じるから、と彼女は馬車の屋根に乗っているのだ。

「マルクス・ポートより北北西、不浄の湖と呼ばれる場所だ。100年前の戦いの後勇者が訪れた記録があり、瘴気が残っている可能性は高い」

 ファイが解説すると、御者の席についているセイラが口を挟んだ。

「昔は清浄の湖って名前だったのよ。でも100年で急に汚れちゃったらしくてね……間違いなく瘴気の影響でしょうね、王女としても放っとけないわ」

「瘴気は放置しておくと人間界を侵食しかねないからな……魔物の強化にも繋がる、徹底して対処しよう」

 四天王たちを乗せ、馬車は目的地へと進んでいった。




 馬車のおかげで湖には半日で到着した。

「ここか……」

 レオンたちは馬車を降り、湖のほとりに立った。

 不浄の湖は深い森の奥にある、知る人ぞ知るといった雰囲気の秘境だ。大きさは小さな街ほどもあり、一周するだけでも相当な時間がかかるだろう。その湖が普通の湖と違うのは、なんといっても穢れていることだった。

 水の色は赤が混じった黒。それも異臭が立ち込めている、水の上には鳥の死骸がいくつか浮いており、近くを通りかかった鳥が瘴気に侵されて落ち、そのまま死臭を漂わせているのがわかった。湖を中心に濃い瘴気が満ちており、周囲の森にもその魔の手が伸びている。馬車を牽く馬も、かおるが風魔法でガードしていなければあっという間に死んでいたことだろう。

 だがやはりというべきか、アイはその瘴気の中でも平然としていた。相変わらず足元に付き従う少女をレオンは密かに観察する。普通の人間に瘴気が平気なはずはない、アイは間違いなく何かの秘密を持っている。だがそれが何かまでは四天王もアイも知らないことだ。

「わかってはいたけど汚染がひどいわ……水と混ざってかなり複雑になってる。簡単じゃあないわね」

「いけるか? セイラ」

「水の四天王をみくびらないでよね? 時間はちょっとかかるけどこれくらい余裕よ。あんたは右足がまだないんだから大人しくアイちゃんの面倒でも見てなさい」

 セイラはいつものようにレオンに毒づいた後、汚染された湖へと飛び込んでいった。特殊な水魔法の殻に包まれたセイラの体は水しぶきのひとつも上げず、まるで迎え入れられるかのように水中に消えていった。

「彼奴の言う通り、水のことはセイラに任せるとしよう。レオン、お主の右足は水に触れては土に戻るのだろう? 今回は下がっておれ」

「ああ、そうさせてもらおう」

「私は森の方を見てきます! 木が心配です!」

「では湖はセイラ、森はかおるに任せよう。儂らは待機だな」

 手早く役割を分担し、レオン、ファイ、アイは湖のほとりで馬車を守りつつ待機し、かおるは森へと突っ走っていった。四天王ならば瘴気をその身に吸収するのはたやすい、じきに穢されたこの地も浄化されることだろう。

「あの……」

 とその時、またアイがレオンの服を引っ張った。

「どうした。瘴気が辛いか?」

「いえ、それは大丈夫です。その……ちょっと、行きたいところがあって」

「行きたいところ? 何か見つけたのか」

 アイはマルクス・ポートからほとんど出たことはないと言っていた、ここも初めてのはずなのに行きたいところとは奇妙だ。怪訝に思ったが特にダメな理由もないので、レオンはファイに目線でアイに付き合うことを伝え了解をとった後、彼女に引かれるままに歩き出した。

 アイは湖から離れず、そのほとりを歩いていた。レオンが見る限り湖の外周にこれといって目立ったものはなく、アイの目的がわからない。やがて目的がわからない内にアイは足を止めた。

「ここ……」

 ここ、と言われても、その場所は湖の外周のひとつというだけで変わったものは何もなかった。足元は荒れた土があるだけで、花や草どころか石すらない。何を思ってアイがレオンをここに連れてきたのかわからない。

「ここがどうかしたのか? 何もないようだが」

「待って……声が聞こえるの。その声を、レオンにも……教えたい」

「声?」

 さっぱり話についていけないレオンだが、その時少女に異変が起こった。魔法の心得がないはずの少女の胸に淡い魔力が灯っている。レオンがその魔力に驚くと同時に光が辺りを塗り、レオンは思わず目をつぶった。

 その瞬間、レオンの脳裏に見たことのない映像が飛び込んできた。




 鮮やかな緑に包まれた、群青の美しい湖。

 自分はそこに体を引きずるようにして訪れる。

 弱った体を癒すように湖に手を入れる。

 その途端、湖の水は黒く濁り、穢れが広がっていく。

 絶望し、またよろよろとその場を離れる――




 やがてレオンは目を開いた。それは時間にして文字通りまばたきほどの一瞬、だがそのわずかな時間でレオンにはあまりにも生々しく情景が浮かんだ。ちょうど夢を見るように、現実かと錯覚するほどのものだった。

「ア……アイ。今の、お前が……?」

「わかりません……こうした方が、いい気がして」

 アイから魔力の気配は消えていた。そしてそれ以上、レオンに何かが見えることはなかった。

 レオンはひとつの疑惑をさらに強める。アイと出会ってからずっと思っていたことだが――彼女の言葉からは何か、別の意思を感じるのだ。アイのものではない別の誰かの意思――世界全てから拒絶された少女をここまで生かした謎の意思。

 ただの妄想だが、もしアイに何者かの意識が憑依しているというのならば説明はつく。その何者かは自らが生きるためにアイの生存本能に強く訴えかけ、幼い少女を生かし続けた……そしてそう仮定するならば、レオンが抱くもうひとつの疑惑もすとんと収まる。

 だがそれはあまりにもおぞましい仮説だ。レオン自身それを肯定することに恐れがあった。

「アイ、お前は……」

 レオンがアイに何かを問おうとした時だった。

 突然、湖から水しぶきが上がった。湖から何かが飛び出てきたのだ。それだけではない、水は竜のように自然の法則を無視して立ち上がりうねり狂う、水魔法が使われているのだ。そしてその中にいるのはセイラだった。水の中にいるもうひとつの何かと取っ組み合っている。

「こ……のォッ!」

 セイラが雄叫びのような声を上げると、水流は湖から離れて陸の上に叩きつけられる。水が土に染みこんで消えた後、セイラだけが立っており、格闘していた相手は地に伏していた。

 レオンからは遠めに見えるだけだったが、セイラにより倒されたその魔物の姿は――かつての四天王、セーレライラに酷似していた。

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