第三十四話 恐怖

 軍事都市ジオルクへ、魔物の一団が行軍する。

 大多数を占めるのは魔法で操られる人形、ゴーレム。それも頑強な岩石のゴーレムが大勢並んでいる。完璧に統率されたゴーレムが足並みを揃えて地を踏むと、岩石の巨体がどしんと音を立て血を揺らす。一定の間を空け地を揺らし続け、行軍の音が響く。

 それに続くのは武装した亜人。鎧を着て、武器を持ち、屈強な肉体の兵が並んで歩く。統率された姿からは下級魔物の粗暴さの代わりに厳格な集団としての強さを示す。ゴーレムと歩を同調させ、行軍の揺れを踏み鳴らす。

 亜人の後ろに続くのは大型の魔物。犬や猫、様々な姿の巨大な魔物が群れを成し進む。背に兵を乗せているものもいた。

 迫るはジオルク。人類最後の砦――





 レオンたちはジオルクを覆う壁の上から、行軍の地響きを感じ取っていた。

「すごい数だ……ゴーレムだけでも五百は下らない。亜人兵も同数以上、ウルフ型、ドラゴン型の大型魔物、一部はワイバーン型もいるぞ」

 地を通じて情報を得られるレオン。正確に敵の数を見切っていた。

「マルクス・ポートの方から来ている……虐殺に乗じて転移魔法をセットしてたようだ。マルクス・ポートにいた魔物は俺が殲滅したが、転移魔法陣にまでは気付けなかったな」

「それも敵の計算なのでしょうね、精神的にそれどころじゃなかったもの。でも五百ならどうってことないんじゃない?」

「そうだな、少なくとも俺らの敵ではない。軍事都市ジオルクを攻め落とす気ならば十分だろうが……奴ら、俺らがここにいることを知らないのか?」

「いや、シャーリーンは儂らを憎むように嘘を吹き込まれておったから、儂らがここに来ることは奴らの計算内。と、すると……ふむ」

 四天王一の慧眼、ファイが思考を巡らせる。

「儂に考えがある。かおる、ついて来てくれ」

「わかりました!」

 何かをやるらしい。レオンたちはファイに任せることにした。

「ファイ、俺らはどうする?」

「ここで見張りを頼む、もっともまだ連中が攻撃を始めることはなかろうがな……」

 幼い少女の姿に老竜の智慧をたくわえた四天王は何かを含ませた笑みを見せた後、目的のため去っていった。





 軍事都市ジオルク中枢。

 いくつかの松明の火だけが灯る極秘会議室では、ジオルクで一定以上の地位を持つ幹部たちが集い、突然の襲撃に色めき立っていた。

「状況は緊急を要する」

 幹部たちの中心で語るのは兵隊長シャーリーン、ジオルクの兵たちを束ねる女軍人。

「現在この街に向かっているのは魔物の大軍、具体数は確認できていないが総兵力千にも等しいとみていい。マルクス・ポートやシウダッドを壊滅させたものと同様とみる。王都シウダッドには十分な兵と複数の魔術師がいたが、容易く壊滅させられたことを留意すると、その戦力は想像をはるかに超えるものである可能性がある」

 シャーリーンの言葉に幹部たちがざわつく。軍事都市の名を冠し大勢の兵を持つジオルクだが、その軍事力をもってなお、魔王の軍勢に対抗できるかはわからないのだ。

 何よりも彼らの脳裏にちらつくのは、魔王により複数の都市が一夜にして滅ぼされたという事実。恐怖に近い感情が会議室を満たしていた。

「残念だが、どう計算しても我らの力では魔王軍には敵わない。何より襲撃が突然すぎる、転移魔法を用いここまで接近されてしまっては布陣の組みようもない。戦ったところで敗戦は必至だ」

 シャーリーンが努めて冷徹に言うと、幹部の一人が怒号を上げた。

「じゃあ、みすみす殺されろってのか!?」

 机を叩き食いつかんばかりの幹部、その声に何人かの幹部が同調しヤジのような声を上げた。恐怖と焦燥感で冷静さを欠いているのがありありとわかる。

 シャーリーンは汗をぬぐう。彼女とて恐怖しているが、兵隊長としての責任感が彼女を保っていた。そしてその責任感が、彼女にひとつの提案をさせた。

「ひとつだけ、手はある。現在この街にいる勇者の一団に……共闘してもらうことだ」

 その提案に会議場はよりざわめいた。勇者の一団の本性がかつての魔王軍四天王であることは知れ渡っている、それに共闘するなど考えられないことだった。

 騒然とする会議場を鎮めるように、シャーリーンは声を張り上げる。

「静粛に! 落ち着いて聞いてくれ。私は彼らと近くで話したが、彼らは我々が思っていたような悪人ではなかった。件の都市壊滅も彼らの手によるものではなく、何かしらの取り違えか誤解があったに違いないと思う。少なくとも彼らに敵意はなく、またその実力が十二分にあることは事実。ここは一時的に休戦し、軍勢への対抗策として……」

 シャーリーンがそこまで言った時だった。

「皆さん、騙されてはいけませんッ!!」

 突然、幹部の1人がバンと机を叩き立ち上がった。眼鏡をかけたその男は参謀ワーロック、ジオルクではシャーリーン以上に発言力のある男だった。

「考えてもみなさい! 四天王がここにいて、魔王の軍勢が迫っている! 四天王はまんまとシャーリーン兵隊長にとりいって街中にまで侵入した! 他の都市もきっと、このパターンで滅ぼされたんです! 内外から攻撃を受けてッ!」

 叫ぶワーロックの言葉に会議場がまた騒然とする。募った危機感がさらに増幅したようだった。

「待ってくれ参謀殿、そうと決まったわけでは……」

「だいたい、なぜシャーリーン兵隊長がこうも奴らの肩を持つのでしょう? 彼女は四天王たちに精神干渉を受けている可能性があります! 兵隊長は奴らとの交戦時に拿捕され、声も聞こえないところで長時間拘束されていました、きっとその時に洗脳魔法をかけられてしまったんです」

「な、何を馬鹿な、私は……」

「ではなぜつい先程まで四天王を殺そうと息巻いていたあなたが、よりにもよって奴らが悪ではないと言い切ったのですか? この変心、洗脳以外に説明できません! どうですか皆さん!」

 ワーロックがまくし立てると、幹部たちの数人からそうだ、そうだという声が上がった。元々四天王への不信感が強く、シャーリーンの態度に疑問を持っていた幹部が、ワーロックに煽り立てられてしまっているのだ。シャーリーンは自分が苦境に立たされていることに気付いた。

「落ち着け皆! 私は洗脳などされていない! 四天王への態度を変えたのは私が彼らをよく見て信ずるに足ると見たからだ!」

 負けじと声を張り上げるも、幹部たちの反応は薄く、だんだんとシャーリーンを見る目に疑惑の色が強くなっているのがわかる。恐怖と焦燥感から平静を失っているのだ。

 魔王軍の軍勢が歩を進める地響きはなおも続いており、その音一回一回が死神の足音のように幹部たちの心をすり減らす。恐怖は不安を呼び、不安は疑心を生む。もはやシャーリーンを信じる者はいなかった。

 代わりにワーロックの言葉が響く。

「戦っては勝てないなどと言ったことも、労せずこの都市を落とそうとする魔王軍の策略なのです! 我らがとるべきはただひとつ、戦うのです! 軍事都市ジオルクが誇る兵たちは、魔王軍になど負けはしない! そうではありませんか皆さん!」

 もはやワーロックの独壇場となった会議室は彼の言葉に沸き立った。彼の言葉に軍人としてのプライドを刺激され、幹部たちは興奮する。その熱狂にシャーリーンの言葉はかき消されていた。

「さあ、まずは四天王たちを仕留めるのです! 奴らはシャーリーンを洗脳したと思って油断している! 奴らを殺し、シャーリーン兵隊長を取り戻さなくてはなりません!」

 その言葉でシャーリーンを慕う者たちもワーロックに従ってしまった。もはや疑念は確信となり、熱狂の中に呑み込まれる。同時にシャーリーンは近くにいた幹部たちに取り押さえられてしまった、何を言おうと洗脳されたとされ信じてもらえない。恐怖に取り付かれた人間たちは、その救いとなるワーロックの言葉を縋るように浸っていたのだ。

「時間がありません、魔王軍はすぐそこまで来ています! 武器をとり四天王と戦うのです、作戦など立てている暇はない! 我らの全力をもってすれば四天王とて敵ではないのです、軍事都市ジオルクの力を、悪しき虐殺者どもに見せつけてやりましょう!」

 ワーロックが拳を振り上げ、幹部たちがそれに続き拳を上げた。四天王たちの力を冷静に見る者などいない、狂気にも似た熱気の中、中身のないはりぼての勇猛だけが彼らを満たし、破滅に進もうとしていた。

 だがその時。

 会議室の壁にいくつか置かれていた松明が怪しげにゆらめき、そして次の瞬間。

 火炎は急激に猛り上がり、ごうっと赤い熱気と光が室内を襲った。

「うわっ!?」

「な、なんだ!?」

 火炎に驚いた幹部たちの声が上がり、熱狂は一時火への恐れに塗り替えられる。まるでそれを見計らったかのように、火炎は急激に増幅し壁伝いに駆けて、会議室の天井を全て覆ってしまった。その炎は建物自体を燃やしたりはしない魔法の炎だった、しかし突然のことに会議室内は軽くパニックのようになり、火から逃れ机の上に登ったり椅子が倒されたりと散々になる。

 火炎により、熱狂は消えた。

 そしてその直後、唯一炎のなかった出入り口の戸がゆっくりと開いた。

「フフフ……火炎を恐れるのは原始的な、本能としての恐怖。抗える者はいない」

 極秘のはずの会議室に悠然と姿を現したのは、幼い女児。だが幹部たちは当然その正体を知っている、四天王の1人『竜炎』のダグニール。

「き、貴様! どうやってこの場所に!」

「勝手に想像してくれ、いくらでもやりようはあるのでな。それよりも……お主ら、死ぬとこだったのだぞ」

 ダグニールが邪悪に微笑む。すると、その背後により一層の火炎が立ち上り、出入り口すらも火炎が塞いでしまった。ひっ、と何人かの恐怖の声が聞こえた。

「思った通り紛れ込んで負ったわ。獅子身中の虫とは言いえて妙だがの。儂を前にまだシラを切るつもりなのか? 貴様」

 そう言うと、ダグニールはワーロックを指差した。幹部たちの視線もそちらに集まり、ワーロックが一瞬表情を歪ませる。だがすぐにダグニールを睨むとまた声を張り上げようとした。

「み、皆さん、何を騙されているのですか! こいつは四天王で……」

「黙れ」

 その言葉は途中で遮られた。ダグニールの声ではなく、火炎に。

 ダグニールは不快そうに目を歪めると指を捻り、壁を覆う火炎をワーロックへと襲わせた。ワーロックの体が火炎に包まれる。

「ああああっ!?」

「安心しろ、炎の性質は消してある。しかし儂の『竜炎』は心を焼く。体には火傷ひとつなくともその魂が燃え尽きるのは時間の問題、そうなりたくなければ正体を現すがいい」

「ち……くっ、ショォッ!」

 火炎の中ワーロックが苦し気に叫んだ途端、その口から何かが飛び出した。それと同時にダグニールはパチンと指を鳴らし、ワーロックを包む火炎が消えた。ワーロックはそのまま気を失ったが死んではいないようだった。

 ワーロックから飛び出したそれは芋虫だった。極彩色の斑点が全身に浮き出た、巨大な芋虫が会議室の机に転がる。幹部たちから恐怖の声が上がった。

「マイマディウム。寄生能力を持ち、人間を操る魔物だ。どうやらこいつがお主らを煽り立てて儂らと敵対させる手筈だったようじゃな」

『ギ……ギ……!』

 芋虫、マイマディウムが呻きながら転がる。その芋虫の胴体には人間のそれと同じ口がぽっかりと開いて、そこから声が漏れていた。

『ダグニール! 貴様、なぜわかった……!?』

「おかしいと思うたのだ、行軍するのにこんなに地響きを立ててはわざわざ襲撃を教えているようなもの、しかも足並みをそろえてわざと行軍の音を大きくしているようだったからの。しかも軍勢にはゴーレムが多く、尚更地響きを大きくしている。つまりわざと大きな行軍の音と振動を立てることで恐怖を煽ろうとしているとふんだのだよ。してその目的を考えれば、軍内部に協力者がいることは想像がつく。恐怖感をさらに煽り立てて、その道を間違えさせるために」

『グッ……オノレェ……!』

「儂らとここの軍人たちが殺し合わせ、儂らに彼らを殺させる。ただでさえ自責に苦しむ我らをさらに虐げるために。もし儂らが逃げても恐怖に駆られたジオルク軍が魔王軍に勝てる道理もなく、結局儂らはジオルクを見捨てたことになる。魔王軍に向かっていっても挟み撃ちの形となり、いずれにせよ苦境だ。しかし詰めが甘かったの、看破されてはどうしようもない」

『ギ、ギギ……クソォォォォォーッ!』

 逆上した芋虫はいきなり飛び上がりダグニールに襲い掛かった。だがその身がダグニールに届くはずもなく、あっさりと火炎に包まれる。今度は心を焼かれるまでもなく、一瞬で灰となり消えていった。

 同時に会議室を覆っていた火炎も元の松明の中に収まり、室内に沈黙が訪れた。今起こったことに理解が追いつかずに硬直していた。

 その中で、騒ぎに紛れて拘束を解かれていたシャーリーンがダグニールの前に進み出た。

「四天王。お前たちはこれからどうするのだ」

「決まっておるだろう、儂らは四天王であると同時に勇者。魔王に侵されようとする街を見捨てるわけにはいかん」

「そうか……」

 ダグニールはそれだけ話すと踵を返した。

「お主らがどうするかは任せるとしよう、ただよく考えて動くことだ。恐怖を感ずるのは人であれば当たり前のこと、しかし恐怖に心を侵されるなかれ。恐怖を律するのと、恐怖を忘れるのは似ているようで違う……人が火炎を操り我が物としたように、恐怖を手中に収めよ。しからば行くべき道はおのずと見えよう」

 最後に言葉を残し、ダグニールは去っていった。恐怖に駆られまさに破滅の道を進もうとしていた者たちに四天王の言葉は重くのしかかる。熱狂は消え、会議室は静まり返った。

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四天王は勇者になる 八木山蒼 @ssss31415

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