第三十三話 絶望の先に

 要塞都市ジオルク、その外縁となる地に、それぞれの四天王たちは戻ってきた。

 レオン、セイラ、かおる――皆、表情は悲痛に満ちていた。戻ってきても誰も口を開かずにいた。

 彼らを待っていたのはファイとアイ、そしてレオンたちを襲い、奇しくも彼らに故郷の全滅を教えた軍事都市ジオルクの女隊長だ。

「戻ったか……その様子だと、全て真実だったようだな。誰ぞ、火の村を確認した者はおるか」

 ファイが問うと、レオンが答えた。

「俺が行ってきた……結果は、察してくれ。魔物は全滅させてきた……」

「そうか」

 レオンは答えるだけでも辛かった。正直、何も考えず、ただただどこかに消えていたかった。なんとかこの場所に戻って四天王で集まり、自分たちまでもが敵に討たれることを防ぐことが精一杯。力なくその場に崩れ落ちるように座り込んだ。セイラ、かおるも同様だ。齢数千年ともいわれる竜たるファイだけが辛うじて己を保っているようだった。

「レオン……」

 心配したアイがレオンに駆け寄り、不安げに顔を覗き込む。それに応える余裕もなかった。

「火の村に行ったとき……その麓の森で、転移魔法陣を見つけた。それは俺らが倒したはずのゴーレムが内蔵してたものらしい……今だからわかるが、あの時、ゴーレムと戦った直後にイモルが襲ってきたのは……ゴーレムから俺らの注意を逸らすためだったんだ。全ては転移魔法陣を残して……軍勢を、送り込むため……」

 自責。レオンが自らを責めているのは明らかだった。イモルの襲撃に気を取られて、まんまと敵の手に乗ってしまった。自分がもっと注意しておけば防げたはずだったのに――と。

「レオン、そう己を責めるな。転移魔法陣の可能性など考慮できるはずがない、もしそこで止めていたとしてもいずれ同じことは起きただろう。防ぎようがなかったのだ」

 ファイはそう語り掛けて励ましたが、レオンは首を横に振った。

「俺のせいだ。俺が、四天王だったから……俺に向くはずの敵意が全部、他の奴らに行ったんだ……! 俺がもっと弱ければ……攻撃されたのは俺だった。俺のせいだ……」

「レオン……」

 言葉だけの慰みで癒えるほど、その心の傷は浅くない。四天王全員が心のどこかで抱えている、かつて四天王だった頃に侵した罪への罪悪の意識。それはふとしたきっかけで吹き出すものだ。そして自分で自分を責めることに耐えられる人間は、まずいない。レオンだけではない、四天王全員が、己の中の罪の意識に苦しめられていた。

 大切な人々を奪われた悲しさ、その痛みが己の罪として数倍になり襲い来る。それはどれほど辛いことなのか、筆舌に尽くしがたい。


 だが――ここにいるのは四天王だった。


 まず、レオンが立ち上がった。

「『きれいごとだけじゃ、世の中は回らない』」

 彼の口癖を繰り返す。表情に悲痛さはなおも強く残っていたが、その瞳は揺れていない。確固たる意志をその内に固め、地に立っていた。

「俺が……俺らがやるべきことは、変わらない。むしろより願いは強くなった。俺は魔王を討ち、真の勇者となる。何より、たとえその原因が俺らにあろうと……!」

 レオンは強く拳を握りしめ、怒号を上げた。

「皆を殺した奴を、俺は許さない!」

 猛々しく魔力がその身に渦巻く。彼は自責の念を押し殺してでもやるべきことを見据える――勇者として悪を討つこと、そして何より故郷を滅ぼし両親と友を殺した相手への、復讐。

 やがてセイラも立ち上がった。

「いつまでもくじけてちゃ示しがつかないわね。仲間を殺されるのはもう慣れっこ……今度はもう、感情で道を誤ったりしないわ」

 泣きはらした目を拭うセイラには経験と責任がある。かつて憎悪で身を滅ぼした経験、そしてロルス王国王女としての果てしない責任。2つを支えに彼女は立つ、けして崩れない支えによって。

 そしてかおるも涙を振り払って立ち上がった。

「みんなのためにできること、少しでもしたいんです! それはきっと私が泣いてくよくよしてることじゃないっ! 私、がんばります! みんなのためにもっ!」

 純粋なかおるは健気に大きな声で叫ぶ。彼女の行動原理は最初から「エルフの民のため」「皆のため」であり、それは彼らが消えてなお揺るぎはなかった。

 四天王は皆立ち上がる。心の傷が癒えたわけではない、だが傷の痛みで足を止めることはしない。四天王は強い、人間よりも遥かに。

 その最たる存在であるファイは立ち直った3人を見てうんと頷く。そして成り行きを見守っていた女兵士に声を掛けた。

「ひとまず、街へ入れてくれぬか。立ち直ったとはいえ体は疲弊しておる、宿をとって休み、またいくらか話し合いたい。宿くらいあるのであろう?」

 傷心の四天王たちを複雑な表情で見つめていた女兵士はファイの提案に戸惑いを見せた。

「し、しかし……貴様らはやはり四天王、街に入れるわけには……」

「儂らを疑うのならばむしろ懐に招き入れ、包囲した方が安全ではないか? ここは軍事都市ジオルク、住民はほぼ全て兵士だと聞く。包囲は軍隊としても基本かつ有効な戦術であろう? もっとも、儂らはお主らとの和解が理想なのだがな」

 ファイの提案に女隊長は迷っているようだった。元々レオンたちを邪悪な四天王として殺そうとした彼女だが、その心が揺れているのは明らかだ。四天王たちの力で彼女を人質にとってもよいのだが、それが最善ではないと四天王たちにはわかっていた。あるいはできなかったのかもしれないが。

 逡巡の後、彼女は決心したようだった。

「わかった、貴様らを通そう。野放しにしておくよりは兵で囲んだ方がよいからな……しばし待て、兵に話をつけてくる」

「ああ」

 女隊長はファイたちに背を向け都市の方へと向かっていった。その心の底で警戒心がかなり薄れているのがわかる。

 四天王たちが苦しめば苦しむほど、人々は彼らを赦し信じる――




 レオンたちはジオルクの宿泊施設に通された。兵たちの訓練施設としての特色の強いジオルクには観光という概念が存在せず、宿泊施設といっても迷い込んだ旅人を一晩泊めるだけの簡素なものだ。16ほどのベッドが並んだだけの部屋で、あとはトイレなど簡単な設備があるのみ。

「本来ならば勇者の一団かつセイラベルザ王女がいる、王族用の宿舎を使用すべきなのだろうが……急に好待遇をして兵たちを混乱させたくない。理解してくれ」

 レオンたちをここに案内した女隊長は努めて事務的にしているようだった。ここに来るまでに名前を聞いたところ、シャーリーンというらしい。その内心が複雑であることは想像できるので、レオンたちも待遇に不満をもらすようなことはなかった。

「部屋の出入り口には常に見張りの兵がつき、また施設の周囲は兵たちによって完全に包囲されている。外出を禁じるとは言わないが、できる限り控えてほしい。少なくとも我らの意見が固まるまではな」

「ああ、わかっている。宿を貸してくれただけで十分だ、恩に着るシャーリーン」

「では私はこれで失敬する。しばし、上層部にて諸君らの対処について話し合わねばならんからな……何かあれば証言を求めることもあるかもしれない、その時は呼ぶ。ではな」

 シャーリーンはそれだけ言うと戸を固く閉めて去っていった。扉の向こうで彼女の指令を受けた兵士が勇ましく応じているのが聞こえる。統率力は相当なものだが、それでもやはり大勢の兵に四天王を敵でないと認めさせるのは難しいようだ。

「さて、と……」

 レオンたちは適当なベッドをソファ代わりにして一息つく。本心では到底ゆったりできる気分ではなかったが、まずは冷静になろうと皆努めていた。

「今回のこと、どう思う?」

 他の四天王たちを見渡しつつ最初にレオンが口を開いた。その視線は単に問いかけるというだけでなく、『これからその話をするが大丈夫か』という確認の意味もありやや険しい。だが彼と同様に他の者たちも覚悟を決めており、その視線にたじろぐ者はいなかった。ただしアイだけは四天王たちのただならぬ気配に押されてか、レオンの近くに寄り添い不安げにしていた。

「どうって? 私たちそれぞれの故郷が魔王軍の手によって潰された、それだけでしょ」

「ああ……だがそれでいくつか、見えてくることがある」

 レオンはちらりとアイを見る。一見この件とはなんの関係もなさそうなこの少女が実は、全ての鍵を握っているのかもしれない。

「100年前、俺らが魔王軍四天王だった頃……今回のようなことが俺らに『できたか』『できなかったか』でいうとどうだ」

 問いかけると、セイラは即答した。

「できたでしょうね。私は海を自在に移動できたし、ゲスワームは地中を、ダグニールは空を行けた。敵の目を欺いて不在の故郷に行き、滅亡させるのは簡単だった。ウッデストはそう移動は速くないけれど、森にさえつけばいくらでもやりようはあったでしょう」

「そうだ、だが俺らは『やらなかった』。できたにも関わらず、だ」

 かつて四天王たちは悪の限りを尽くしたが、今回のような反抗したわけでも侵略の障壁だったわけでもない都市を、勇者一行への嫌がらせのように、それも複数滅亡させるなどはしなかった。ただしその理由は良心や倫理などではない、もっと単純なものだ。

「なぜやらなかったか……魔王様が、指示しなかったからだ」

 四天王は魔王の忠実なる配下。ゲスワーム、ウッデストはその魔力により生を与えられ、セーレライラは命を救われた。唯一ダグニールのみ服従していたわけではないが、かつての老竜は侵略に乗り気ではなく、むしろ魔王を憐れむような仕草すら見せていた。

 レオンの言わんとすることを理解したのか、ファイが頷く。

「魔王は世を嘆き人を憎んでいた……が、根っからの邪悪だったわけではない。奴は奴なりの信念を持って動いていたし、むしろ不要な殺生や下卑た行為を嫌ってすらいた。無論、奴と儂らが人にとって悪であることに変わりはないがな」

「ああ……だが悪にも種類がある。俺らの知る魔王は、こんなことをする人じゃあなかった」

 旅の中で、密かにくすぶり続けていた違和感。レオンは改めてそれを提示した。

「この時代の魔王は俺らの知る魔王、魔王デストじゃあない。別物だ」

 レオンは断言したが、異を唱える者はいなかった。魔王のことは四天王たちが一番よく知っている、それゆえにこの違和感は絶対的なものだったのだ。

「でも、魔王が別物だとして、じゃあいったいなんなのかってのは疑問よね。魔王復活の証『魔王の産声』は確かに起こったし、デスラペードをはじめ100年前の配下たちが従っているわ」

「そもそも儂らやそのデスラペードなどの魔物がなぜ蘇ったのか、それも儂らだけ人間として蘇ったのかがわからんからのう……」

「うーん、わかりません! さっぱりです!」

「そうだな、これは情報不足で考えてもわかることじゃあない。今は保留、だな……」

 レオンは言いつつ密かにアイを盗み見る。レオンだけでなく、その場で四天王は皆多かれ少なかれアイを意識していただろう。だがここでそれを口にすることは、まだ誰もしなかった。

「もうひとつ見えることがある。魔王軍の中に、今回の事をやった奴がいるということだ」

 曖昧な言い方だったが、その一言で四天王たちは色めきだった。ファイ以外の四天王はそれぞれ現地に赴き、滅亡した故郷で暴れる魔物たちをそれぞれ滅ぼしてきた。だからこそ、ひとつの疑問を抱いていたのだ。

「俺のビニ村やファイの火の村はともかく、王都にして大量の軍隊を擁するシウダッド、魔法に長けたエルフたちが住むエルフの森、大都市マルクス・ポートがあの程度の魔物たちに滅ぼされるとは到底思えない。100年の平和で国全体の戦闘技術が衰えているとはいえ、数百人以上の人間が全員、魔物以下の戦闘力しかなかったはずがない……」

 街ひとつ滅ぼす大虐殺、先程セイラは四天王たちならば可能と述べたが、逆にいえば四天王ほどの実力者でなければ不可能ということだ。並大抵の魔物が100や200束になったところで、魔法を扱える人間が10もいれば十分に戦える。

「水属性最上位魔物のデスラペードや、あのイモルですらこの短期間で街を滅ぼすなど不可能だ……それも建造物全てを跡形もなく破壊するなんてな。例の偽ダグニールでやっとエルフの森ピンポイントで可能かもしれない、といった程度。王都シウダッドやマルクス・ポートを破壊しつくすのは不可能」

 レオンは拳を握りしめた。

「いるんだ……! 俺らの知らない奴が……現魔王軍の残虐さを顕わすような、怪物が! そいつが俺らの街を滅ぼした! 皆を殺した……!」

 押しとどめていた怒りの炎が再び燃え上がる。他の皆も同様だ、セイラは苦々しく、かおるは悲しげに、ファイは達観してあからさまにはしないが、その内で怨念にも似た怒りが沸き上がっているのは確かだった。

「そいつを探すんだ。そいつは放っておけばまたやる! 何度でも、他の場所でも繰り返す! そいつを見つけ、復讐することが、俺らがまずすべきこと……!」

 レオンの言葉に四天王たちは強く同調する。復讐、それはけして善なる言葉でなく、負の感情により突き動かされるものだ。だがそれを否定し、怒りを忘れ去ることがよいことなのか?

 きれいごとだけでは、成り立たないのだ。

「……ともあれ、儂らの行程は変わらん。まずは瘴気の浄化だ……たとえこの地に住まう人間がいなくなったとしても、瘴気に侵されるままにはしておけんからな」

 ファイは老練の落ち着きで怒りを宥め、レオンも一旦は怒りを治め頷いた。

「それに次なる目的地は、ともすれば儂らの疑問の答えとなるやもしれん」

「なんだって? どういう意味だ」

「うむ、地形によっては魔力の影響で特殊な現象が起きることもあるのは知っておろう。中でもあの地は……」

 次の目的地についてファイが語ろうとしていた、その時。

 振動。

 地が揺れている。自然のものではない――土の四天王は真っ先に地の異常を感じ取り、立ち上がった。

「近づいてくる……これは、足音だ」

 レオンの行動を怪訝そうに見た四天王たちだが、彼が知れる範囲はそう広いものでなく、すぐに他の3人にも異変は伝わった。ずん、ずんと響く地鳴りが重く深く、近づいてくる。

 何かが迫っている、この軍事都市ジオルクに。いや、あるいは――四天王たちへと。

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