第五話 エルフの森
とある森の中。
その日はとてもいい日だった。小鳥は歌い、花は咲く。
だがこんな日だからこそ――最悪の時は訪れるものである。
彼女はふと身を起こすと、弓を片手に駆け出した。
来たる異邦者へと審判を下すために。
勇者の剣を手にしたレオンとセーレライラは王都より旅立ち、街道を進んでいた。整備された街道は流通や旅行者によく使われているのだが、今は魔物の狂暴化を恐れてか道を歩くのは2人だけだった。
「しかしよかったのかセーレライラ……いや、セイラベルザだったか」
「セイラでいいわ。よかったのかって何が?」
「仮にも王女であるお前がこんなにあっさりと国を出てしまって。こっそり抜けてきたようだが国民が知ったら大騒ぎだぞ」
セーレライラことロルス王国セイラベルザ姫は勇者たるレオンに同行を決め、姫という立場もかなぐり捨ててきている。元四天王同士ということで当人たちからすればさほど違和感のないパーティ入りだが、そんなこと知りもしない国民からすれば驚きだろう。
だがセイラはこれといって気にしている様子はなかった。
「大丈夫よ、お父様もほとんど回復してたし、私1人いなくてもロルスは心配ないわ。むしろお父様は魔物が国内にいることを嫌ってたからせいせいしたんじゃないかしら」
「お前はそれでいいのか?」
「いいのよ、それが当然だもの。あとのことは魔王を倒してから考えるわよ」
実の父から憎悪されるという事実もセイラは軽く受け流しているようだった。容姿こそ16歳の少女だが、その数倍の時を生きている彼女の精神は見た目よりもはるかに頑強だった。
「それで……目的地はまず、エルフの森だったな」
「ええ。そこに恐らくはあの子がいるわ」
勇者としての旅の目的は魔王を討つこと。だがまずはそのための準備を整える必要がある。具体的には仲間を増やすことだ。
そして元四天王の勇者が選ぶ仲間は必然的に決まっている――残る2体の四天王、その生まれ変わり。
「幸い他の2人もそう遠くない距離にいるわ、エルフの森はちょうどあんたがいた村から私のシウダッドまでと同じくらいの距離かしら」
「歩いて数日ってとこか……俺らが近くにいたのもなにかの因果なのかもな」
魔王の魔力により生まれた四天王たちは特殊な魔力を身に宿しており、互いにそれを感じ取ることができる。セイラは特にその感覚が強く、その存在の有無と具体的な場所まで察知できるのだ。彼女がロルス王国内の地理について詳しいということもあった。
エルフの森は名前の通りエルフたちが住む森で、魔力を蓄える性質を持つ木々など不思議な植物がたくさんあるらしい。あまり人間は近寄らない場所だ。
「エルフの森ってことは、そこにいるのは残り2人の内……」
「『薫風』のウッデスト、その可能性が高いわね。といっても私は水があるとこにいたわけでもないし、関係ないかもしれないけど」
「しかし、ウッデストか……奴はどうだろうな。俺とは別の意味で知性に欠け、お前とは別の方向で人間を憎悪している奴だった」
四天王の1人、風のウッデストのことをレオンは想起する。四天王の中で唯一純粋に魔王の魔力で誕生した魔物であり、四天王の強さとしてはセーレライラにも勝る。人類全体への憎悪を燃やし、かつ魔王への忠誠心も厚い魔物だった。
「奴が魔王様に槍を向けるとは思えんが……」
「その時はその時……きれいごとじゃあ済まないんでしょう?」
「ああ、その通りだ」
レオン、セイラは元四天王だが、それぞれ理由があって今は魔王と敵対する立場を選んだ。だがウッデストはそうでないかもしれない、100年前と同様魔王の側につき、勇者であるレオンたちの敵となるかもしれないのだ。
レオンたちが元四天王へと会いに行くのは必ずしも仲間になるためではなかった。
「もしウッデストが100年前のままだった場合……」
「俺ら2人で、その場で殺す」
レオンたちは確かめ合う。彼らに迷いはなかった。
「ま、でも、あの子かなりアホっぽいとこあるから、口八丁でなんとかなるような気もするけどねえ」
「たしかにな……」
風の四天王ウッデストは知性に欠ける魔物だ。だがそれは理性がないのではなく、しっかりとした思考があってなお論理が破綻している――端的に言うと頭が悪いのだ。何度か勇者たちとすらコミカルな掛け合いをして取り逃がしたこともある。そんなウッデストと本気で敵対することになるとは少し思い難い。
ともあれまずは会ってみなければ始まらない。2人は目的地に向け歩を進めるのだった。
そして数日後。魔物と戦ったり川を越えたりしながら、2人はようやくエルフの森へと辿り着いた。
「やっと着いたか……」
「人間の足で歩き通しは辛かったわね……食糧とかは私らは心配ないけど、移動手段くらい用意しとけばよかったわ」
愚痴りつつ見上げる2人の先にあるのは、通常の数倍以上はある背の高い木々が絶えず立ち並ぶ魔性の森。森全体が薄暗く濃い緑色の影を帯びており、内部が魔力で満たされているのが感覚の鈍いレオンでもわかった。
ここに四天王がいる。その性根は邪悪か、それとも。
「しっかし、農民といい森のエルフといい、なんで私以外の四天王はどいつもこいつも田舎暮らしなのかしら? 元々能なしの怪物だってのにこれじゃ益々品性は求められそうにないわね」
「おいおい、これからエルフに会いに行くってのにその言いぐさはないだろ」
「事実だもの。ま、所詮は野蛮なエルフの村よ、さっさと行って適当に言いくるめてウッデストを引っ張り出して……」
エルフの森を前にセイラが好き勝手言っていた、その時。
彼女の両頬を、弓矢がかすめた。
「え……?」
何が起こったのかもわからずに立ち尽くすセイラの頬をつーっと血が流れる。横から見ていたレオンには辛うじて矢が飛んできた方向がわかった。
「セイラ、上だ!」
「なに、なんなのよ!?」
レオンが指さした先、エルフの森を形作る背の高い木の枝の一本に、年若いエルフの姿があった。簡素な布切れで胸と腰回りだけを隠した少女は金色の髪を揺らしつつ翠色の目を光らせ、手には弓を構えていた。
エルフの少女は無言のまま矢を番えると、セイラ目掛け打ち放った。
「きゃああっ!? ちょ、ちょっと、ま、やめっ!」
慌てて矢から逃げ惑うセイラに対し、エルフは文字通り矢継ぎ早に何本も矢を打ち放つ。矢は次々とセイラのそばをかすめ、やがて転倒したセイラの周囲を縁取るようにして突き刺さり、セイラを動けなくしてしまった。
「ちょ、ちょっとレオン、ぼーっと見てないで助けなさいよ!」
「自業自得だろ、単なる威嚇だ。しばらく寝てな」
セイラはしばらく放置することにして、レオンはそのエルフとの距離を確かめる。エルフの森の巨大な木に登っているだけありその距離はかなり遠く、目測で10メートル以上はある。レオンの攻撃の射程外だ。
「この距離でよくあれだけ正確に撃てるもんだ……おーい!」
レオンはエルフに対して大声をかけつつ手を振り、武器を持っていないことを示した。エルフはレオンへと弓を構えるがまだ撃ちはしない。
「俺たちは勇者の一行だ、敵じゃあない! この森に探し人がいるんだ、集落に案内してくれないか?」
その時、遠いのでよく見えなかったが、エルフの口が「勇者」と動いたように見えた。
エルフは弓を収めると、森の奥へと消えていった。
「指示を仰ぎに行ったってとこかな……」
「なんなのよ、もう」
ようやく矢から脱し、セイラも身を起こした。
「勇者と聞いて攻撃はやめたが友好的になったって感じでもなさそうだ。とりあえず進むか」
「ええ、このままあっちのペースじゃ気にくわないわ」
「エルフはお前にけなされて怒ってたんだろ。また弓矢で踊りたくなけりゃ大人しくしてな」
うるさいわね、とぼやくセイラと共に、レオンはエルフの森へ入っていった。
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