第二十話 図書館にて

 淫魔との一騎打ちを終え、勇者一行は目的地の街へと辿り着いた。

 その街は盆地に作られた巨大な都市だった。周囲を堅牢な壁で覆い、中にはびっしりと石造りの建造物がひしめき合う。建物の背も高いのでいまいち見晴らしが悪いが石造りの街はある種の規則的な美しさがあり、ひとたび壁の向こうに来ればまるで別世界に来たようでもあった。

「ここがマルクス・ポート。ロルス王国でも有数の都市よ」

「すごいな……シウダッドよりも人が多いぞ」

「王都は外観と住みやすさを重視してるからね、人口自体はこっちの方が多いわ。その分建物が密集してて私は苦手だけどね」

「すごいですね! なんかいろんな建物がありますっ!」

「都市だからね、様々な種類の商業施設、あるいは国営の施設も多いわ。だからこそ図書館もここにあるのだしね」

「100年前はここまでの都市はなかったな……いやはや、人の進歩というものは侮りがたいものよ」

「たいしたもんでしょおじいちゃん。さ、無駄話してないで早いとこ用事を済ませちゃいましょう」

 案内役のセイラに従い、一行は街を進んだ。

 街を歩いていくと、通りがかる住民が王女セイラベルザに気付き始めた。彼らは足を止めて王女に恭しく声をかけたり頭をかけたりし、セイラもそれににこやかに応じていた。

「人気者だな、セイラ。お前は国民の前では猫を被ってるものな」

「時と場所を弁えてるだけよ、誰だってフォーマルな場所にはそれなりの態度があるわ。それにしても、みんないつも通りの対応ね……」

「それがなにか不思議なんですか?」

「いえ、なんでもないわ。まっ、それもこれも私の人望があればこそ……」

 セイラが調子に乗って肩で風を切っていた時。

『ニャ』

「ひゃっ!?」

 突然彼女の足元に猫が飛び込んできて、完全に調子に乗りよそ見をしていたセイラは思わずバランスを崩し、盛大に転倒した。住民たちがざわつくが、レオンは特になんとも思わず猫の方を見ていた。子供の黒猫はいきなりセイラが転倒して驚いたのかレオンの足元にすり寄ってきていた。かなり人なれしているらしい。

 とそこに足音が駆け寄ってくる。

「あ、だ、ダメだよ、シュヴァルツシルト……」

 なにやらもの凄い名前を口にしながらとてとてと駆け寄ってきたのは幼い女児だった。貧しい家の子なのか衣服はボロボロかつダボダボ、髪も乱れて伸びっぱなしといった具合だ。少女はレオンの足元の黒猫を拾い上げ、その頃には起き上がっていたセイラにぺこりと頭を下げた。

「ごめんなさいお姉ちゃん、この子、やんちゃで……抱いてあげれば、おとなしいんですけど」

「ん……気を付けてね、私よりこの子が蹴飛ばされたりしないか心配だわ」

「うん、ありがとうお姉ちゃん。行こ、シュヴァルツシルト」

『ニャー……』

 少女に抱かれると猫はまるで動かなくなり、そのまままたとてとてと去っていった。少女は路地裏に消えていき、親らしき人物も周囲にはいなさそうだ。

「セイラさん、大丈夫ですか? お怪我は?」

「転んだだけよ。あの子、私の顔も知らないみたいだったし、ちょっと心配ね。やっぱりロルス王国はまだまだ貧富の差が……」

「兎に角行こう、人が集まってきた。ひとところに留まるとセイラに大衆が群がるぞ。レオン、お前もなにをしておる」

「あ、ああ、悪い。行こうか」

 ちょっとしたアクシデントはさっさと忘れ、一行はまた歩き出す。

 あの少女に違和感を覚えたのはレオン1人だったらしい。いや、違和感を覚えたのはレオンではなく……レオンはちらりと、自身が背負う剣を見たが、剣はただ沈黙していた。




 図書館に入るなり、レオンとかおるは目を丸くして上を見上げていた。

 マルクス・ポートの魔法図書館は恐るべき規模の建物だった。筒状の建物には見上げても先が見えないほどの高さの壁一面に本が詰められていて、魔力で動く床があちこち動き回っている。その大きさはロルス王国の王城にも匹敵し、様々な魔法を駆使して納められている本の数は誰も知らないほど。ロルス王国の知の拠点であり、高名な魔導士も大勢訪れる魔法の聖地でもあるらしい。

 レオンたちが立っているエントランスは筒の外縁部の一部が張り出しているもので、足元からずっと地下にも本が並んでいた。

「本当ならここに入るには特別な申請が必要で、しかも申請して数日以上待たされるのよ。せいぜい私に感謝することね」

「ああ、王族が仲間だと便利だな」

「感謝しろっていってんの。私の権限で機密レベルの本も探れるのよ?」

「そこは素直に有難い……まずは知ること、それが生きる術の第一。ここで儂らに足りぬ100年の時、及びこの世界の知について調べよう」

 発案者であるファイが本を眺めて言う。彼女はどこか楽しそうだ、老人はやはり本が好きなのかもしれない。偏見だが。

「しかし、いくらこれほどの図書館とはいえ本は人が書いたものだろう。俺らについての情報などあるのか?」

「直接はないかもしれん。だが情報を知る方法あるかもしれんし、知る方法を知る方法、あるいはそれを知る方法と、知識は連なるものだ。少なくとも無益にはならん」

「なるほどな……だが……」

 レオンはここでひとつ、重大な問題を提示した。

「俺、字が読めないんだが」

 セイラ、ファイが何かを察したような諦め顔を見せた。




 かくして――魔法の床に乗り、王国最大の魔法図書館の秘蔵を手に取り情報を集めるのは3人だけ。レオンはというと、魔法図書館の一歩手前、一般人も立ち入り可能なコーナー(ごく普通の本棚がたくさん立ち並ぶだけの場所)で1人寂しくぶらついていた。

「まさかかおるも字を読めるとは……エルフ族は馬鹿にできんな……」

 ぶつくさ呟きながら歩くレオン。仲間外れにされたことは甚だ不服だが自分でも仕方がないとは思っていた。字が読めないのではさすがにどうしようもない。

 だがレオンとて何もしないわけではない。レオンはそこに辿り着き、ニヤリと笑った。

「ここの本は俺でも読めそうだ。見ていろ、俺も情報を手に入れ、奴らの鼻を明かしてやる」

 レオンが辿り着いた本棚には絵を中心とした本がいくつもある。過去を絵でのこした歴史書だろうとあたりをつけたレオンは、独自に情報収集を行い仲間外れにした3人に仕返しをしようと目論んでいた。ただしそこは絵本コーナーで、子供に交じって絵本を物色する勇者の姿は相当奇妙に見えただろうが。

 そうとは知らないレオンは絵本をいくつか手に取ってめくり、内容を確かめる。そのほとんどはただの童話だが、レオンは誤解と共に独自の情報を蓄えていった。

「……おっ」

 そんな中、レオンは一冊の本を見つけて手に取る。その表紙には黒い体の悪魔と剣を構えた男――実際の姿とはだいぶ違うが、魔王と勇者が描かれているとすぐにわかった。

「やっと見つけた、これが100年前の戦いの歴史書だな」

 ただの絵本を見事に勘違いしているレオンはしたり顔で本を開く。彼にとって幸運だったのがそれが単なる童話でなく、100年前の戦いをもとにした子供向けの英雄譚であったことだろう。それでも内容は子供向けで、到底歴史の参考になる代物ではなかったが。

 ――ただ一点を除いて。

「ふむ、だいぶ異なる内容で伝わっているようだな……四天王も一瞬で倒されてるし……それに短い、もう終わりか……ん?」

 ページをめくる手が最後の付近で止まった。レオンは字が読めないが、そこにある内容を把握するには絵だけで十分だった。

 魔王と戦い、勝利した勇者の勇ましい絵。だがそのすぐ隣には胸を抑えて苦しむ勇者。そしてページをめくると、墓とそれを前に悲しむ人々の絵が描かれていた。その隣にはレオンは読めなかったが、悲劇の英雄を悼み称える言葉が子供向けにされて述べられている。

 勇者が死んだ? それもこの描き方だと戦いと無関係の死ではなく、魔王と相撃ちのように……思わぬ事実をよく確認しようと絵本をめくろうとした時。

「あの」

 レオンは声を掛けられた。本から目を離し声のした方を見ると、レオンの足元付近に子供が立っていた。それはあの猫を連れた少女だった。

「君か、どうしたんだ」

 応じつつレオンははたと気付く。周囲に何人かいたはずの子供がいつの間にか消え、目の前の幼女のみになっている。そして周囲は奇妙に静まり返り、見える範囲だけでなくレオンの近くから人の気配がしない。

 レオンは改めてその子を注視した。ボロボロの服で身を包む幼女。髪も目も深い黒で、表情には不安げで何かに怯えるようなおぼつかなさがある。魔力などはまったく感じない、むしろ心配になるほど弱々しい子供だ。

 だが。

「あなた……なんで生きてるんですか?」

 少女はレオンを見て言った。心底不思議そうな顔で。

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