第一話 土の四天王
ロルス王国のはずれ、草原の中にあるビニ村。
敷地の大半を畑が占めるその農村ではその日も大勢の農民が仕事に汗を流している。
なかでもひときわ大きな畑で鍬を奮う1人の男がいたが、彼はふと手を止めた。
「おいレオン、また頼む」
中年の男は離れたところで作業していた別の男に声をかける。レオンと呼ばれた青年は自分の鍬を適当に投げ捨て、やれやれと言った具合に歩いていった。
「またかよ親父、いい歳して息子に頼り切りじゃかっこつかないぞ」
「これしか能がない癖に偉そうに言うな、いいからやれ」
「はいはい……『分析』」
父親に急かされ、レオンは気だるげに地面に顔を近づけ、彼が唯一使える魔法、土壌分析魔法を使った。これは土の成分や土の中に潜んでいるものを察知できる下級魔法だ。
しばし地面を見つめた後にレオンは立ち上がった。
「ダメだな、この土も死にかけてる。魚系の肥糧と骨製魔法薬が必要だ、大量にな」
レオンがそう告げると父親はがっくりと肩を落とした。遠くで作業していた母親もいつの間にか話を聞きつけて歩み寄ってくる。
「また土がダメになってたの? 困ったね、肥糧も安くないのに」
「まったくだな、最近多すぎる……ひょっとすると、例のお触れも関係してるのか?」
「あの、勇者を募集してるって話か? たしかに勇者が必要になったってことは何かあったってことなんだろうな」
「最近魔物が暴れてるって噂も聞くし、ひょっとして魔王が復活でもしたんじゃ……」
「100年も前に当時の勇者に殺された魔王が? まさか、どうせ王様の気まぐれだろ。ボディガードでも欲しくなったんじゃないか?」
『お触れ』とはひと月ほど前に出されたロルス王国直々の伝令で、王国にふさわしい勇者を選別するので我こそはと思う者は王国に来たれ、というものだ。もちろんのこと勇者など大半の国民には無縁で、こんな辺鄙な所に住む農民にとっても言うまでもない。
「レオン、あんたちょっと行ってみたら? あんた体力はあるし、勇者になればお給金ももらえるかもしれないよ。確かあんた勇者になりたいって言ってたでしょ?」
母親が言うと、レオンは思わず吹き出した。
「バカ言うなよ母さん、体力だけの農民が勇者になれりゃ国中勇者だらけだ。勇者に憧れてたってのもいつの話だよ、俺もう18だぞ」
レオンの苦言にそれもそうねと母親は笑った、はなから冗談だったのだろう。
「土壌分析魔法しか使えない勇者なんて聞いたことないものねえ」
「生粋の農民の俺ですら簡単な攻撃魔法は使えるのにな、レオンは本当に魔法が苦手だよなあ」
「しゃーないだろ体質らしいんだから。農民にゃそれで十分だよ」
レオンはため息をついた。
彼は農業に精を出していることもあり身体能力は悪くない、だがそれも常識の範疇であり、何より彼は冒険者には必須の力――魔法の才能が限りなく欠落していたのだ。
この世界の冒険者は魔術師でなくとも魔法は覚えられ、そして誰でもそれを戦いに活かすものだ。だが彼はそれができない、魔法を覚える『器』が極端に狭く、ごく簡単な魔法1つだけでいっぱいになるのだと幼い頃村を訪れた魔術師に教えてもらった。常人の『器』を100とするならば、彼は1から5くらいらしい。いわば彼はこの世界全体で見ても有数の、落ちこぼれなのだ。
だが彼はそのことにさほど悲観はしていなかった。
「ま、本当はしがない農民なんざより勇者がいいが、生きたいように生きれるほど世の中は甘くない。きれいごとだけで世界は回らないのさ」
「この子は昔からそればっかり、素直に農業の手伝いしてくれるのはありがたいんだけど、もう少し夢があってもよかったのにねぇ」
「賢くて何よりだ。さあこうしちゃいられん、普段より働かんと元が取れんからな、とっとと作業に戻るぞ」
あんたが止めたんだろと小声で毒づきつつ、レオンは自分の作業に戻っていった。
畑を耕し、作物を植え、育て、出荷する。1年、また1年と同じことが続き、やがて歳をとってく――それが自分の人生なのだな、とレオンはどこか達観した気持ちで見ていた。
『きれいごとだけじゃあ世界は回らない』、それがレオンの口癖だった。読み書きもできない農民の子がいったいどこでそんな考えに至ったのかレオン自身も知らないが、とにかくそれは小さい頃からのレオンの価値観だ。人生は必ずしも夢や希望に溢れちゃいない、平凡で退屈な人生こそが世界を回している。それはレオンの現状が示す現実だった。
「……勇者、か」
ぼそりと呟き、レオンは少し強めに鍬を振るった。
勇者になれるのならなりたいものだ、きっと今よりずっと刺激的で有意義な人生になるに違いない。だがなりたいと思ってなれるのならば苦労はしない――全ての人間が夢や願望を叶えて生きられるわけではない。まさしく『きれいごとだけじゃ世界は回らない』のだ。
ただ少しレオンには疑問があった。彼の思想はかなり昔から持っていたものなのだが、勇者への憧れもまた幼少からのもの。きれいごと云々という思想を持っているのならばそもそも勇者への憧れなど抱かないのではないか? ましてや100年前にいた、おとぎ話同然の存在に。
自分の思想、勇者への憧れ――それはどこから来たのだろう、とレオンは時々疑問に思う。だが答えが見つかることもなくまたたいした悩みでもないと自分に言い聞かせ、レオンは農作業を続けるのだ。
だがその日。
レオンの運命は大きく変わる。いや、『戻る』というべきなのかもしれない。
「ん?」
妙な気配を感じたような気がしてレオンはふと空を見上げた。広がっているのは平穏な青空、だが気のせいだったかとレオンが顔を下ろすよりも早く、異変は訪れた。
レオンの目に飛び込んできたのは、赤く染まる空。夕焼けのような鮮やかな赤ではない、もっと濃く、血の色にも似た不吉な気配をありありと含む邪悪な赤だ。一瞬にして赤く染まった空にレオンは言葉を失い、同じく空の異変に気付いた彼の両親や他の農民たちが騒ぎ始める。
「なんだ……これ」
レオンも思わず呟く。だがレオンの言った『これ』とは赤い空のことではない、彼が今抱く感情は他の者たちとは完全に違っていた。
赤い空を見ている内、レオンはだんだんと意識が遠のくのを感じ――同時に奇妙な情景が、彼の中に浮かび上がった。
じめじめとした死臭漂う場所。自分はそこにいた。笑っていた。
対峙するのは数人の人間。武器を構え、緊張と敵意を向けている。
自分は異形の怪物だった。ただの魔物ではない、魔王に仕える4体の強大な下僕――
四天王。
中でも自分は――そうだ。
土の四天王。
魔王四天王、『土葬』のゲスワーム。
極大土魔法と不死身の能力を持ち、人間界を恐怖に陥れた魔物。
だがそんな自分も負けた。勇者に敗れ、死んだ。
自分は四天王最弱だ、あの世でお前らを待っている、そんな断末魔を上げながら、自分は死んだのだ――
「レオン!」
大きな声で呼ばれ彼はハッと我に返った。
「レオン……?」
だが一瞬その名前で呼ばれたことに違和感を感じ思わず聞き返す。彼を呼んでいた母親は怪訝な顔をしていた。
「ああ、俺の名前だったな……」
一拍置いて理解する。不思議な感覚が彼を包んでいた。彼は自分の手の平を見てみたり、首を捻ってみたりして、何かを確かめていた。
『記憶が蘇った』――それは間違いなかった。とりつかれたとか降って湧いたとかではなく、今しがた浮かんだ記憶は他ならぬ彼自身のものであり、忘れていたものを思い出したということだ。そこに生と死を隔ててはいるが。
「どうしたもこうしたもないよまったく。あの赤い空を見て急にぼーっとするから、てっきり何かあったのかと思って心配したんだから」
「赤い空……」
レオンは改めて空を見上げる。すでに空は穏やかな青に戻っていたが……レオンはあの赤い空を知っていた。
いや、思い出したのだ。
全てを。
「『魔王の産声』」
レオンが口に出した言葉に彼の母親はぎょっと目を見開く。
「魔王がこの地に現れた時、その強大な魔力が放たれて、一時空を赤く染める。拡散した魔力は世界各地に影響を与え、魔物の活発化などを引き起こす。魔王による乱世の訪れも意味するそれを人々は恐れ、『魔王の産声』と呼んだ……らしいな。今もそうなのか?」
レオンが問うと、母親は戸惑いつつも頷いた。
「え、ええ、よく知ってたわね。私もおばあちゃんから聞いただけなのに……」
「まあ俺も人から聞いただけなんだがな」
『魔王の産声』とは人間がつけた名前で、魔物である彼にはあまり馴染みのある呼び名ではない。もっとも彼自身それにより誕生した魔物だ。また今の『産声』に刺激される形で彼の記憶は蘇ったのだった。
とそこに他の住民と話していた父親が戻ってくる。
「マズいことになったぞ、まさか魔王が復活するとは……王国が勇者を求めていたのはこういうことだったんだな」
「どうするの? 魔物が騒ぎ出したら危ないわ」
「最悪村を引き払わなきゃならんかもしれん。とにかく今はまだ皆困惑してる、本当に魔王が復活したのかわからんし、ひとまず食料の確保などの準備を……」
話す父親の横でレオンは気配に気付いた。
「どうやらそうもいかないらしい。早速来たぞ」
「え?」
レオンが見つめるのは草原の先。草原は混乱する人間たちに反して何事もなかったかのように平穏にそよいでおり、レオンの言う意味がわからずに両親は首を傾げる。レオンだけが感じ取れるのだ、記憶と共に蘇った『力』によって。彼自身が持ちうる力の器の大部分を占め、あたかも落ちこぼれのように思わせていたそれによって。
そしてすぐにレオンが感じていたものが他の人間たちの目にも見え始める。草原の遥か向こうから猛烈な速度で近づいてくるそれは、魔物の群れだった。
「グ、グランウルフだ!」
住民の誰かが叫ぶ。その頃にはもう、草原を集団で駆ける狼の魔物の姿がはっきりと見えていた。レオンの両親もまた魔物の群れを視界に捉え戦慄の様相を見せる。
「嘘だろ、あの狼があんな集団で。軽く50、いや下手すると100はいるぞ! しかも真っ直ぐこの村に向かって来てる」
「普段はおとなしくて人間に襲い掛かるなんてまずない魔物なのに……これが、魔王の力なの?」
グランウルフは草原に生息する狼の魔物で、地面を掘る能力に長け主に土中の虫などを食べる雑食でそう凶暴な魔物ではない。だがひとたびその力と牙を武器にすれば人間の体などたやすく穿つ。今レオンたちの村へと向かってくる狼たちはいずれも殺気立った目を光らせ口を開け舌を振り回し、狂ったように獲物を狙っていた
「『魔王の産声』を受けた弱い魔物は狂暴化する、それも単に暴れるだけでなく、魔王の感情の影響を受け……意図して人間を襲うようになる。ある程度攻撃すれば正気に戻るけどな」
「説明してる場合か! あれだけの数の魔物到底どうしようもない、もう村はダメだ!」
「他の人たちも逃げ始めてる、私たちもいくよレオン!」
村民たちは迫りくるグランウルフを恐れ次々に村の奥へと逃げ出している、レオンの両親もまたそれに倣い逃げようとしたが――レオンはその逆、グランウルフに向かって歩を進めていた。
「レオン!? 何してるんだ!」
「レオン、早く逃げるのよ!」
両親たちの叫びも無視してレオンは歩き続ける、あるいはそこにいたのはレオンではないのかもしれない。
グランウルフがすぐそこまで迫る中、レオンは村を守るようにして独り魔物の軍勢と対峙した。もはや逃げ切れる距離ではない。
「今の俺はどっちなんだろうな、人間か、それとも……だがひとまずこの村は守らせてもらうぞ」
大地を揺らしながらすぐそこまで迫る魔物たち。その前でレオンは平然と立っていた。農作業により体力はあるものの戦闘の心得などまるでない、簡素な布服を着た丸腰の青年が、魔王により狂暴化した魔物の大群に勝てる道理はないはずだった。
「ある意味元は仲間みたいなもんだが……悪いな、狼ども」
呟くレオン。
そこに、ついにレオンを射程に収めた魔物たちは、鋭い牙を光らせながら、一斉に彼へと飛びかかった。
だが。
「見せてやるよ、極大土魔法。土の四天王の力を!」
レオンがニヤリと頬を歪め、どこか邪悪に笑った。
「土魔法『土柱』!」
彼が立つ前、見渡す限り全ての地が裂け急激に隆起する。意思を持つかのように動いた大地が、狼たちを殴り飛ばした。
突如として牙を剥いた大地に後続の狼たちが足を止める。レオンはそれを見逃さない。
「『土壁』」
狼たちの背後の地面が退路を塞ぐように隆起し壁となり、逃げ出すことを禁じた。壁は曲線を描きながら見る間に横へと伸長し、やがてまだ動ける全ての狼を覆う。
「さあ行くぜ。『土葬』!」
四天王ゲスワームの二つ名でもあるその技をレオンが宣言した瞬間、狼たちを覆う土壁が崩れ始める。それと同時に狼たちが立つ地面が次々にひび割れて裂け、狼たちを飲み込むように波打ち始めた。足場を完全に掌握された狼たちに逃げる術はない。
やがて何トンもの重量がある土壁がその上へと崩れ落ち――轟音と共に狼たちは上から下から地へと消えていった。
あれだけいた狼の群れは全てが土中へと埋もれ、レオンだけがそこに立っていた。
「ふん」
一丁上がり、とばかりにレオンはパンパンと手を払った。ここまで彼は一歩も動いていなかった。
だが元々地面を掘る魔物、やがて地面に埋もれていたグランウルフたちは地中から顔を出し始める。狼は皆レオンに一撃喰らわされたことで狂暴化を解かれており、怯えるように鳴きながら一目散に逃げていった。
「殺しはしないさ。それじゃ『前』といっしょだからな……」
レオンはそれを見送って村へと踵を返す。両親をはじめ村民たちも狼が逃げたのを見て恐る恐る戻ってきていた。皆、村が救われて安心するよりも、レオンのことを不審と怯えの目で見ていた。
いきなりだったので無理もなかろう、と、レオンは特に気にせずに村民たちに声を掛ける。
「もう大丈夫だ、この辺りに狂暴化した魔物の気配はなくなった、ついでに俺の力で村をぐるりと囲む堀も作っておこう。俺は村を離れるが、おおむね安全だろ」
「村を離れるって……ど、どこに行く気だい?」
レオンの母親がためらいつつも彼に尋ねる。彼はしたり顔で笑って答えた。
「勇者になりに行くんだよ」
それは彼の永年の望みであり――この世界にとって、最良の選択といえた。
レオンは考える。土の四天王ゲスワームは勇者に敗れ死んだ、それは間違いない。
その自分がなぜ人間として転生したのか? 記憶も力も引き継いでいるのか? それはわからない。
だが――『できる』ならば『する』だけだ、と。
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