快楽

34、

 ロス――。

 その姿を知らぬ人間は、それが現れた時にまだ生まれていなかった人間。名なら誰もが知っている。誰よりも恐れられ、崇められたのだから。これからも名は語り継がれて行く事だろう。

 ロスは生物とされている。何も証拠はないのだが、見た人間すべてが生物であると認識した。誰にでもわかるほどに、命の鼓動が発せられていたのだろう。

 生まれた直後に動き出し、人類の全ての文明を攻撃し始めた。圧倒的過ぎる力で、人類の戦う力を奪い取っていった。たった一日で、人類が戦争をやめざるを得ないほどに。

 文明そのものを攻撃し、戦争を強引に止めたその後、ロスは人語を行使して人類に警告した。そして地球から生まれたと話した。生まれたのは人類を見定めるためだと。そう言った。そう言って、世界のどこかに姿を消した。

 結局のところ、ロスの正体は何もわかっていない。戦争が終わった日以降、一切姿を見せていない。どこにいるのかも見当がつかない。調べようがないのだ。

「……コイツのせいで、改造少女は行き場を失って……ここに来た」

 戦争のために生まれたのが改造少女。戦争のさなかにいない改造少女など水を失った魚。何の役にも立たない木偶の棒。否、木偶の坊なら安全。改造少女は狂気を振りかざして散っていったのだから質が悪い。

 ハリスも改造少女の端くれ。ロスの影響を受けた被害者ともいえる。研究所の存続が不可能になり、戦争がなくなって改造少女の役割が消えたからだ。しかし、被害者という実感はゼロ。むしろ感謝をしているくらいだった。

 エイトがこの街に来る前までは。

「……嫌がらせトラップにしちゃ、上出来ッ……」

 トラウマをほじくり返す目的のトラップなのだとしたら、これ以上はないほどに効果があるだろう。あの日を鮮明に覚えていればいるほどに、期待できる。

 不快な気分になっていても、大事な作戦中。気分が悪いからと不真面目になれない時。

 ハリスは部屋を出て、リチャーズ達を追う。隣の部屋か、またその隣の部屋にいるはず。すぐに見つかるはずだと思っていた。

 いない。二部屋、三部屋と慎重に探っていくが、仲間の姿が見当たらない。どこにもいないのだ。姿形もない。神隠しにでもあったかのように。

「……やはり、正しかった。あの晩、アンチ・クランのメンバーが誰一人として見つからなかったのは、何かの予兆だと感じたんだ」

 次の部屋を覗いてみようと扉のドアノブに手をかけた瞬間に、背後から話しかけられる。ハリスは瞬時に振り向いた。見知った仲間の声でなかったから。

 見知った声ではないが、聞き覚えのある声。

 ギオーナ。以前、エイトを気絶まで追い込んだ人間の怪物だ。

「ハリス……だったな。改造少女らしき疑いがあるが、本命は君ではない。あの白髪の小娘……エイトはどこにいる?」

 エイト。この作戦における核とハリスは思っていた存在。しかし、この作戦にまだ参戦していない。

「……さてね。言うと思う?」

 参戦していない理由。ただいなかったから。

 作戦開始時にいなかったというだけ。探すにも、改造少女をアンチ・クランのメンバー総動員で探すのは士気に関わる。だから探さなかった。メンバー全員、エイトに良い印象を抱いていないから。作戦開始時に、エイトがいないことを気に留めるメンバーは一人としていなかった。

 そして、探さなくてもそのうち来ると、ハリスは思っていた。だからハリスは何もエイトについて言わなかった。

「言うとは思っていない。しかし、わずかな可能性にも賭けてみるのが人間の性というものだ……話はこれで打ち切りだ」

 俊足。それ以上のスピード。目には止まるが身体が反応しない。

 不可避の攻撃。

「ぐッ……!?」

「腕の調子は万全ではない。だが、不良品のような貴様を相手取るのに問題はない。以前のように情報がないわけでもないのでな」

 腹部に重い一撃。パンチ一発が激しく重い。サッカーボールほどの鉄球でも喰らったかのように、ズシンとくる。

「貴様の仲間は他の部屋にいる。すぐに送ってやる、公開処刑の仲間入りをさせてやる」

「処刑されんのは……お前らだッ」

 ハリスは渾身の右ストレート。ギオーナはそのパンチの軌道を見切って、あっさりと回避する。そしてそのハリスの腕を掴んでみせた。

「執念深いようだが、仕返しをさせてもらう」

 掴んだハリスの右腕を、ギオーナは瓦割りでもするかのように圧し折った。一発だけで骨を叩き折るその威力。まるで加減をしていない証拠。

「ぐぎゅうッ……!?」

「貴様の呻き声も何もかもを聴く気はない。さっさと潰れろ、改造少女候補」

 改造少女はほぼ不死身。脳と心臓を同時に粉々になるまで破壊しなければ復活してしまう化け物。しかし前回の戦闘で、それ以外に弱点がないわけではないと知っている。

 改造少女といえど、気を失う。

 痛みで怯んでいる今がハリスを無力化するチャンスと、ギオーナは直感で理解していた。

 ハリスのこめかみにコークスクリューブローが直撃する。脳を激動させる一撃。ハリスはその場で崩れ落ちる。

「……こちらギオーナ。侵入者をまた一人捕えた。例の部屋に放り込んで置く。監視は任せたぞ」

 トランシーバーで構成員と連絡をとり、ハリスの身体を引き摺りながら移動する。特に重くはないため、移動で疲れることはなかった。

 そして、二階の奥の倉庫の扉を開ける。そこには先ほどギオーナが捕まえたアンチ・クランのメンバーが、猿ぐつわをされて手足も拘束されていた。

「リーダーの到着だ。朝まで視線で語り合うといい」

 ハリスを乱暴に投げ捨てて、仲間のもとへ。ハリスは気絶しているために、うんともすんとも言わない。

 ギオーナを見て、捕えられたアンチ・クランのメンバーが何かを訴えているが、猿ぐつわのせいで何もわからない。必死な形相で、鬼のような顔をして、ギオーナに呪いの言葉でもかけているのだろう。

「……これで全員か?」

 ギオーナは近くにいた一人のアンチ・クランの構成員に尋ねる。しかし猿ぐつわのせいで何も聞き取れない。

「おっと……すまん。うっかりしていた。外してやるから、聞かれたことだけに答えろよ?」

 そう言ってから、忠告をしてから猿ぐつわを外す。外した途端に噛みつこうとするアンチ・クランの男。まるで野獣。牙を持った獣のよう。

「危ないな。まぁ俺はこの程度で、機嫌を損ねたりしてお前を殺したりはしない。寛大だろう? ボスだったら即、射殺だったところだ。捕まっているという身分を考えて行動するといい」

「貴様らは地獄に落ちる! 貴様らのような外道がッ……」

「聞かれたことだけに答えろ。これで貴様の仲間は全員なのか?」

「黙れ! 外道めッ……畜生以下のクソ野郎!」

「聞かれたことだけに答えろというのが、ある種の脅しだという事に気が付いているか?」

 ギオーナの拳が、男の鼻を潰す。男は鼻血をまき散らしながら、後ろに倒れてしまう。

「まぁ、いい。どうせ他のヤツらも同じようなことをするのだろう? 聞く意味はないな。しばらく警戒をしておくとするよ」

 ギオーナはそう言って、殴った男に猿ぐつわをしなおして、部屋を後にした。

 アンチ・クランの連中がこれで全部だとは思っていない。まだあと一人、いるはずだと確信がある。改造少女の本物を、まだ確認していない。

「……こちらギオーナ。全員に連絡する。警備はまだ続行だ。緊張を解くな。まだ厄介なのが一つ残っている。警戒はまだ続行だ」

 ピー……ガガガッ、と耳障りな音を奏でるトランシーバー。普段はこんな音はでないし、誰かしらから了解の声が上がるはずなのだ。

 それなのに、甲高い機械音しか聞こえない。

「……こちらギオーナ。誰か応答しろ。誰か応答しろ」

 不審に思ったが、ギオーナは焦らない。繰り返し、連絡をしてみる。実験的に。

 しかし、何度やっても誰からの応答もない。返答が返ってこない。いつまでたっても機械音だけがギオーナの耳の中にはいってくる。

 自身のトランシーバーの故障を疑ったが、軽く点検してもどうにも故障しているようには思えなかった。

 他の構成員に何か問題が生じた。そう考えるのが自然。そして優秀な者の考え方だ。

 誰も応答しないトランシーバーなど何の役にも立ちはしない。しかし壊して捨てる意味も完全にないため、またポケットに入れる。

「やあ、先日は世話になりやしたぁ。覚えてるかな?」

 バッと、声のした方向に振り向く。声のした方向に窓があったとわかっていても、どんなに不自然でも振り向く。振り向かねば死ぬ。そう思っていた。

 窓は開いていた。そして窓枠に一人の少女が蜘蛛のようにそこにいた。

「やはり、貴様がいたか。改造少女」

「何? わかってたの? もしかして誰かと連絡でもとったりした? それで気が付かれたのならこちらの不手際かもね」

 捕えた者の連絡手段を絶つ。有効でもあるがリスクもある。今回はリスクが表に出てしまった。侵入者の情報を入れないようにしたつもりが、ギオーナにはすでに予測されていたので、ただ自分が侵入したことだけを伝えたことになる。

「貴様に不手際をしでかすほどの脳ミソがあるとは驚きだ。もしや誰かの入れ知恵か?」

「あぁ、そうだよん。しっかし、こんな狭い廊下じゃあ、全力で戦いにくいね。お外に行かない?」

「行くわけがないな。罠かもしれない場所に」

 喋りながら、お互いはゆっくりと歩いて距離を詰める。どちらも一部の隙もない。攻撃する瞬間を見計らいながらも、同時に防御にも専念している。

「……今度は負けなんて嫌だからさ、ちょっとズルいけどマジになっちゃうね」

「どういうことだ?」

 もうすでに、お互いの拳が充分に届く距離。射程圏内に入っている。どちらが先に、拳を当てるかの勝負といえる。

「キル・ワード……」

 死。ギオーナは瞬時にそれを悟る。その言葉の意味。直訳するのは簡単。だからこそ、その意味は把握しやすい。

 自ら悟ってしまったことで、瞬きする間もないほどだが臆してしまう。それが運命を確定させる。

「……ウィルプタース」

 快楽。殺人を犯した時に、それがエイトを支配する。

 両者の拳がまったくの同時に放たれる。速度は音速に近い。至近距離で、人間には視認してから避けることはほぼ不可能。

 人間でないエイトは、ギオーナの音速の拳を回避してみせ。

 エイトの拳は、ギオーナの心臓を貫いて砕いた。

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