愚か者へ贈る言葉

「キル・ワード……ストルティ」

 愚か者達を意味する言葉。それこそが、改造少女の欠陥品の、統一された呪いの言葉。

 ハリスの表情から、危機の感情が消える。

 思考から、どうしようかという考えも消える。

 表情はなく、思考はただひとつに絞られる。まさしく無我。

「聞き覚えがあるようだねぇ。身体もしっかりと覚えてらっしゃるようだ。じゃあ、すべきことはわかるね」

 エイトはそう言い残して、ハリスから離れる。

 ハリスは女性の両腕を掴む手に、全力の力を込める。その力はまさに肉食獣の顎のように強い。女性の両腕をバッキリと圧し折るのは造作もない。

 女性は痛みで絶叫する。包丁を落として、涙目になってへたり込む。

 止まらない。ハリスは機械的に包丁を拾い上げる。やるべきことはただひとつで、遂行するのにこれを使うのが最も有効だと、自動的に脳が判断した。

 涙を流して生を懇願する女性。助けてと泣き叫ぶが、息子の仇であると思い出したのか、助けてと涙を流すのはすぐにやめた。仰向けのまま、待ち構える。

 女性は涙ぐみながら、ハリスを睨み付ける。そして絶叫。

「ここで死んでも、お前に不幸を願い続ける! お前の未来なんか、悲惨も過ぎる絶望だけだって思い知ることになるだろうなぁ!」

 それが最後の言葉となった。名も知らぬ女性の額に、錆ついた包丁が突き立てられた。

 しかしそれだけではハリスは満足せず、何度も何度も女性の顔に包丁を突き続ける。女性の顔がぐちゃぐちゃになるほど、滅多刺し。

 血飛沫がハリスの全身を包み込むも、お構いなし。血のシャワーを浴びながらも、手は休めない。

「……ハリスさん?」

 起き上がり、駆け寄ってきたオルトンは現状をみて吐気を催すが、堪える。

 ハリスの豹変に、心が追い付かない。呼びかけても、無言で突き続けている。

「アッハッハッハ! それこそが正しい姿だよハリスぅ! 散々怪物だとか言っちゃってくれてたけどさァ! ハリスも同じだろーがよなーァァァァァ! ダハハハハハ!」

「ハリスさんッ!」

 笑い転げているエイトを無視して、ハリスの元へと駆け寄るオルトン。

 どう見ても、いつもとは違うハリスの様。赤に染まった包丁を振りかざし、そして間を開けずに振り下ろす。機械のように単純に、包丁を持つ腕を振っていた。

 そして何度も刺された女性の顔は、もはや人間だったと信じられないくらいになっていた。包丁の刃を何度も受け、叩かれ、原形を留めていない人間の顔。

 心ない者なら肉塊と呼ぶ惨状。オルトンは、この遺体は人間だと思い込む。思い込まねば、腹の底から全てを吐いてしまいそうになる。

 ぐちゃぐちゃの女性の顔から、オルトンは精神的に目を背ける。そうしないと、心と内臓が悲鳴をあげる。

「……ハリスさん! もう止めてください! やらなくていいことなんですッ!」

 ハリスのもとに駆け寄る。しかし、隣に座ってハリスに手を置くことすらオルトンにはできない。だから立っている。座って何度も包丁を振るハリスに、近寄ってはならないという危機を感じ取ったからだ。こんな生気すら微塵も感じられない人形のような状態のハリスは、見たくもなかった。

 もしこの作業を邪魔したら、次はお前がこうなる番だ。そうオーラで伝わる、恐怖。

「ハリスさん、相手は民間人です。何の罪もない、ただの人なんですよ! 殺しちゃいけない人達だって、ハリスさんが一番よく言っていたじゃないですか!」

 日頃からそう言っている。民間人は守るべき存在で、敵ではない。必死になって味方であり続ける。それがハリスの意志であり、アンチ・クランの総意だ。

 しかしそれが、ハリスによって破られている。由々しき事態である。

 オルトンの必死の呼びかけも虚しく、まさしく夢中になっているハリスにはまるで届きやしない。殺人マシン、改造少女の欠陥品でも結局はそれなのだと、オルトンは察した。察したくなんかなかったけど、見てしまって、そう思ってしまったのだ。

 この姿に、人間性が感じられるはずはない。人を殺すことだけ考えている状態の改造少女が、ここまで人間を捨てるとは思っていなかった。

「エイトッ! 止めてくれ! 止める方法を教えろ、今すぐに!」

「うんふふっ。楽しさが伝わったのかな? これが改造少女って奴だよ。言葉だけじゃ、真の意味は解らないと思って、オルトン君には見てもらいたかったんだ」

「黙れ! いいから止めろって言ってんだよ!」

 オルトンの剣幕に気圧されてしまうエイト。臆病者と侮りがあったから、驚いた。こんな感じで人に怒鳴れる人物だとはわからなかった。

「……わかったよ。そんなに怒らないで、オルトン君」

 ため息をついて、エイトは包丁を振り続けるハリスに近寄って、耳元で何かを呟く。


 28、

 何を呟いたのか、オルトンには聞こえなかった。しかし、エイトの発した何かしらの言葉は、意味があったようだ。

 ハリスの瞳に、生気が戻る。そして、目の前にある惨劇の様をみて、絶叫する。

「キル・ワードが適用されている最中の記憶はちゃんとあるようだね。欠陥品だから、忘れちゃうのかと思ったけど、以外にしっかりと整備されてたようだねぇ」

 嘆き悲しみ、嘔吐するハリスをしり目に、エイトは冷静になっていた。この状況で冷静になれるエイトに、何故だかオルトンは強烈に恐ろしくなった。

「わっ私が殺してしまった……あぁ……アアッ!」

「ハリスさん、落ち着いてください。どうか、気を静めて。深呼吸をして!」

 オルトンはハリスの背中をさする。何度も嘔吐していたから、反射的にそうしてしまった。そして同時にハリスの様子を観察していく。いつも通りのハリスであるか、確認する。

「そうだよハリス。殺したんだよ、この何の罪もないはずのおばちゃんをね。改造少女はやっぱり怪物だったねぇ。えぇ、そう思うでしょう当事者ならさぁ」

「やめろ、エイト」

 オルトンが怒りの籠った声でエイトを嗜めるも、エイトはやめない。

「アンタが殺した。殺した。民間人を殺さないはずの、アンチ・クランのリーダーが自らそれを破って殺した。改造少女を怪物呼ばわりしておいて、ハリス自身も怪物の仲間であったのでーす。自分は欠陥品だから違うとでも思ってたのかな? 爆笑させてくれるなよ。そんなわけないじゃないか。改造少女は、人間なんかになれやしないってば」

「エイトッ! いい加減にしろ!」

「そういえば、ワン・モアの職員は皆殺しにして良いって言ってたよね。それどーしよっか? 一緒にキルスコアで勝負でもする? 負けるつもりはないよ?」

「エイトッ、黙れって言った!」

 ぐんと立ち上がり、ハリスの周囲で言葉を垂れていたエイトにオルトンは近寄る。

 そして、無言で一発、ビンタをかました。怒りの籠った一撃だった。

「オルトン君……痛いじゃん」

 エイトの白い肌に、オルトンのひっぱたいた跡がくっきりと残っている。しかしオルトンは罪悪感に苛まれることはなかった。

「エイト……お前はやっぱり、どこまでも改造少女だってのかよ……?」

「最初から最後まで。徹頭徹尾。頭の先から爪の先まで全部が改造少女だよ。今更何を言ってるんだねオルトン君」

「俺はお前にッ! 人間としての心があるんじゃないかって思ってたのに、なんでこんなことをしてくれたんだ! 冗談じゃないぞ、馬鹿!」

 感情剥き出し。人生でもそうあるかないかのレベルでの、激怒。

「お前はなんで、なんでそんなことをしてしまうんだよ! 人が死んでんだぞ! 笑ってんじゃない! それが改造少女の性だっつーのでもよ! 変えられるとか思ってたんだよ! お前は、俺を助けてくれて、相談に乗ってくれた! 話をしてくれたからッそういう風に思っちまったんだ! 最初からそんなことしてくんじゃないっ!」

「オルトン君さぁ……次は君が落ち着く番だぜ? 今優先すんの、オルトン君的にはさぁ……ハリスのメンタルケアじゃないかな?」

 奇怪なほど落ち着いているエイト。感情の起伏が激しいにもほどがある。さっきまでべらべらと楽しそうに喋っていたとは思えないほど、冷ややかだった。

 そしてその冷静さを受けて、オルトンも頭の血が少しだけ下がる。正常な思考ができるくらいに。

「……まだ言い足りないから、後で。確かに今、こんなことを言ってる時じゃない」

 息を切らして、そう言ってのける。エイトを睨み付けて、すぐ視界から外す。

 今にも手に持っている血塗れの包丁で、自殺しかねない状態のハリス。あのまま放っては置けない。オルトンはそう思ってしまう。

 座り込んでいる。べちゃっと地面に溶けていきそうなほどに、地面と密着した座り方をしていた。その隣に、ハリスがしゃがみこむ。

 ハリスの顔を覗くと、もうとても普通の人間ができるような表情をしていなかった。オルトンの理解を越えていた。思わず尻餅をつく。

 大爆笑しているともみえるが、号泣していると言われればそうとも見えてしまう。様々な感情が、ハリスの顔に集まっている。混沌の表情を作り出していた。

「……ハリスさん、大丈夫ですか?」

 まさか人に話しかけるのに、これほど勇気がいるとは思わなかった。初めての体験だった。地雷原とわかっている大地で踊れと命令された方が、まだ心に怖くない。

「ああ、平気平気。もう、いいかな。気分は、上々。上り調子だ」

 何とも言えぬ表情で、地面を眺めてそうハリスは答えた。傍から見れば全く大丈夫に見えない。まだ血塗れの包丁を持っているから安心できない。

「いや、実際気分はすこぶる良い。今なら空でも飛べそうなくらい、身体が軽やかに感じる。今、浮いてんじゃないかって思うね」

「ハリスさん……とりあえずその、包丁。こっちに渡してください」

 オルトンのその言葉に、あっけないほどにあっさりとハリスは包丁を手渡した。

 手に持った包丁には、殺された女性の血や肉がこびりついていた。柄のほうまで赤く染まっているその包丁を、オルトンは持っていられず、すぐに投げ捨ててしまった。握った手に、血が残ってしまう。

 血塗れで、肌の色も分からないくらいのハリス。正気に戻っていたとしても、洗い流さねば戻らない色。

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