自分の願いは、人への希望
31、
殺人が趣味。それだけでもひどく胸糞悪い。そんな奴は、この世で一番の豚野郎であるには間違いないし、誰からも異論はないだろう。
そんな奴でさえ、殺せなかった。殺したくなくなった。殺さなかった。それも同じことなのだろうが、違うようにも感じる。
オルトンは、アジトの教会跡を離れて、ギヨナタウンの街の中心部にいた。
中心部でも、人の姿はまばらでにぎわってなどいない。当たり前だが、人がいるなら賑わいが欲しいと思うのがオルトンだった。戦前のことを引きずっている証だ。
俺が悪いのか、それともエイトが悪いのか。そんなことは疑問ですらない。疑問になりはしない。どちらも大層な悪さ、どっちも同じだ。
逃げ出してここにいる。逃げてしまってここに来た。自分の思い通りにならないから、へそを曲げて泣きだした子供と同じ。幼稚な行動。
エイトにそそのかされたハリスを元のレールに戻せなかったというのは、傲慢かもしれない。ハリスも改造少女のなりかけなら、なるべくしてなった可能性だってあるのだから、元のレールとか道だとか、オルトンが決めることではない。
それを考えたら、そそのかされたという表現自体もおかしい。エイトはハリスを元に戻しただけ。ハリスが改造少女としておかしかったから、元に戻すは当たり前の行動。そそのかすだなんて、そんなことではないのだ。
なんでここにいるのか。それを考えるのは嫌だった。しかし考えずにはいられない。
何が気に入らない?
エイトのした行動か。ハリスの怪物への変貌か。ハリスの変貌を止められなかったという驕りか。エイトの回答か。あの女性を助けられなかったことか。
どれもこれも、気に召すことではない。だが、これが逃げた理由ではないような。
逃げてしまっては、せっかく許してくれたハリスに申し訳がない。もう喧嘩は終わっている。ハリスが謝罪して、納得のいかない終わりを迎えている。
改造少女に人間性なんてない。それを証明してみせたハリス。しかしそれなら、オルトンに謝る必要などない。もっと高圧的であってもいいはずなのに。勝ち誇っていいのに。
「……クソッ」
唇を噛む。不満な時にそうする癖がある。
エイト。改造少女に人間性がないと説いた。聞かされたこちらとしては、不快で吐きそうになった。聞くのが嫌だった。認めるのが嫌だった。
ハリスとエイト、どちらも精神的に追い詰めるようなことをしている。そしてまんまと追い詰められて、ここに逃げてきた。
あぁ、そうじゃない。確かに追い詰められた。でもそんなことで逃げるものか。追い詰めてくるのなら、言い返していたさ。
しなかった。だから逃げた。エイトとハリスの言葉に、心が納得していたから。
……納得? 違う。
これでいいや。もうどうにも、俺には無理だと諦めたんだ。2人を見続けるのが怖くて、辛くて、諦めてしまった。ハリスと喧嘩し、エイトに気にいられた。
オルトンには2人と共にいる義務がある。あった。共にいなければならなかったはずなのだ。2人がどういうことを起こすのかを、耐えながら共有しなければならなかった。
それを諦めて投げだした。それが今ここにいる理由。最低な理由だ。格好悪さもここまで行けば清々しい。
ハリスは自分が正しいと示した。そして怪物になった。喧嘩を吹っ掛けたオルトンに見せつけたのだ。
なのに、それをみていられなくて。みるのを躊躇って。逃げた。
エイトは自分の存在を教えてくれた。オルトンの幻想を、砕くように夢のない現実を離してくれた。
なのに、聞いていられなくて。聞きたくなくて。逃げた。
耐えきれないと思って逃げた。それが理由。ここに来た理由。心の中の真相。
「あああああああッ! 畜生! とんだクソゴミクズの蛆野郎だ俺は! 肥溜めがお似合い……指定席のファットなタマナシのヘナチン野郎!」
周りの眼なんて気にしない。そこらにいる人なんて、どうでもいい。
地団太を踏み、頭を掻き毟り、叫び声をあげまくった。
どんな理由であれ、逃げるという行為は非常に情けない。たまに格好良く逃げるという話も聞くには聞くが、滅多にない。
そして今、オルトンがやっている逃げというのは、醜悪で身勝手で最低最悪の逃げだ。
責任の放棄からの逃亡。まぎれもなく、駄目。男として。
自分自身がクズであるから気に入らない。だから逃げた。それが全てだった。気が付くのにずいぶんと遠回りをした。
「……切り……変えろッ。もうウジウジして逃げ出すなんて……やっちゃいけないことだったんだからッ」
逃げたことはもう取り消せない。消えない過去として、恥ずべき過去としてもうオルトンの歴史に加えられている。
しかし、歴史は反省するためにある。逃げたのならその原因を辿り、反省し、次には逃げないように準備、覚悟するのだ。
原因は突き止めて、反省もした。だが、重々しく長ったらしくごめんなさいを連呼するつもりはない。だから、自分を罵倒した。それを反省とした。
あとは準備と覚悟だけ。準備はすでに出来ている。ハリスの隠れ家からこっそりと持ちだしてきたボロい拳銃。錆びつきもひどく、薄汚れていて誇りも被っていた。傷も酷い。
弾丸は5発のみ。的確に当てれば5人は楽々無力化できる。ナイフも常備しているが、それよりかは効率よくいける、撃てれば便利な代物だ。
もしもの時のために試し撃ちをしたいが、場所がないため断念せざるを得ない。銃声が轟けば、ワン・モアに目をつけられる。こんな場所では無理だ。
「……帰るしかないな」
この街に用件はない。今はこの拳銃が撃てるかを試したい。教会跡のアジトがあるような郊外の地区ならば、ここまで銃声は聞こえてこないだろう。
あの地区へと戻る。ギヨナタウンの外れ。人々が立ち寄らない場所。瓦礫が多くて危険な地域。隠れるにはイイ地域。
アンチ・クランの本丸のある場所。自分にとっても庭のような場所。知り尽くしている。
そこに戻ることが、苦痛ではない。苦痛はないが、緊張はある。逃げ出しておいて、仲間のいるところに戻る。
否、今は仲間と思われていないかもしれない連中のいるところへ戻る。
緊張するのは当たり前だが、この程度の緊張で動けなくなるようでは反省した意味がまるでなく、戦いに参加など到底できやしない。
だからオルトンは歩き出す。ギヨナタウンの外側、アンチ・クランのいるところへ。
一歩一歩の足取りは、どうしても重くなる。誰かが勝手に足枷でも付けたんじゃないかってくらい、足が動かしにくい。
それは心がまだ、定まっていないから。オルトンはそれに気が付くのにずいぶんと遅れた。歩いて20分も経ってからだ。歩きだす前に気が付かねばならぬことだ。
アンチ・クランのいる場所へ、何をしに戻るのか。それがまだ有耶無耶のまま。覚悟が決まっていない。だから脚が重く感じる。
ワン・モアを倒すために、協力しに行く。それはもう最低条件。やらねばならないと思っていること、そしてやらねばならぬこと。
だから、それは覚悟ではない。やらねばならぬことをやる、ごく普通の事だ。
覚悟は、その前のこと。
やらねばならない、何故?
何故? の部分。そこを明確にすることで初めて、覚悟と呼べる意志になりうるのだ。
何故、ワン・モアを潰す? そう決めたから、やらないといけないから。
だから、それは違う。覚悟じゃない。規定事項、それを定めた理由だ。何事にも理由はあるはずだ。理由もなく、そんな重労働ができるものか。
俺が、ワン・モアを倒したいと思った理由、思い出す。思い出す。心の中のシャボン玉、浮かぶのは今までの人生の記憶。
強い意思は色が違う。他の思い出とは全く別の色。覚悟した色は太陽の色。それを探す。
そして、自らの心の中を覗いて見つけた。覚悟の記憶。
簡単なことだった。誰もが思うことだった。戦前の人々の常識ともいえる思考。
人の、権利をはく奪するワン・モアが許せない。それだけの理由だった。
ワン・モアは人々から心を奪っている。それが見ていられないから、戦いを選んだ。
「あぁ……はは、そうだった。俺は――」
人間が好き。みんなが楽しく笑っていられる空間にいたい。だからこんな殺伐とした世の中は大嫌い。嫌いなものはどうにかしないといけない。だから動く。
みんなが楽しく笑っていられる空間に、エイトもハリスも、アンチ・クランのみんなも、何だったらワン・モアの連中にもいてほしい。それが願いだ。
その願いを邪魔する奴は許しちゃいけない。人として、権利と心を守るために倒さなくてはいけない。ワン・モアを悪を、全て根こそぎ消し去らねばならない。
エイトも、ハリスも、みんな笑っていられるようにするために。笑っていてほしいから戦う。誰もがみんな幸せであるべきだから。
覚悟の種火、それを大きくする心の風。満ちている。覚悟を決めた。いまなら未来だってこの手に掴める。
――覚悟。リスクを受け入れ、リターンを求めること。辞書的な意味ではそういう意味。
だがオルトンの決めたこの覚悟の意志は、辞書的な意味では表せないほどに崇高で清らかなものだ
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