信じるだけなら意外と簡単で
32、
楽しい時間は過ぎるのが速い。忙しい時も時が過ぎるのが速い。誰かがおちょくってんじゃないかというくらいに、あっという間に時間が過ぎてしまう。
大事なことをしている。その時は加速しているようにしか感じない。まるで時間がないように思えた。昼間から夕方をすっ飛ばして夜に切り替わったような感覚。
そんな奇妙な時間感覚のズレを物ともせずに、アンチ・クランの全員が、準備を完了させた。すべてはワン・モア憎しの感情がなせた業だ。
そして作戦決行までの時間は、刻一刻と迫っていた。
夜も更けて、月が一番高い位置にある時間。もう少し、月が傾いて沈みかけたら作戦を開始する予定だ。
朝日が昇るころには決着がつく。ハリスは仲間たちに、そう触れ回っていた。
昇ってくる太陽と共にギヨナタウンに自由をもたらす英雄になる。その偉業は末代まで称えられると、大げさなほどに。
「みんな、よくやってくれた。残るは本番だけだ、作戦まで身体を休めよう」
アンチ・クランのメンバーを教会の中に集めて、全員にそうハリスは伝える。徹夜明けのような状態で作戦に望んでは、支障をきたす恐れがある。少しでも休息をとっておかねばならない。
アンチ・クランのメンバー全員。精鋭メンバーも、それ以外のメンバーも分け隔てなく。今までの苦労を思い出しながら、報われると信じて休息をとる。
精鋭は軽く睡眠をとり、それ以外のメンバー数人が時間になったら起こす目覚ましの役割を担った。
ハリスも、リチャーズも、仲間を全面的に信じて眠る。月はまだ高い。まだ眠れる。これが最後と思わないように、精鋭の誰一人として感謝の言葉を述べずに眠った。
夢を叶えるために、できる事はすべてやり尽したのだ。もう失敗は許されない。するつもりもない。必ず成功するという確信が、アンチ・クランのメンバー全員にあった。団結力もばっちりな状態。士気も高い状態を、ずっと維持している。
「緊張、んーしたのはいつ以来だろうなぁ。初めて戦場に出た時かなぁ。そうだなぁ」
さまよう。フラフラと彷徨っていたエイトは、何気なしに教会の中をちらりと覗いた。皆緊張感を保ちながら休息をとっている。だらけ過ぎない、程よい緊張感がそこにあった。
エイトにその緊張感はあまり伝わらず、なんかピリピリしているなくらいにしか思わなかった。作戦の直前でも、エイトは何もしない。何もやらない。
いつもならそうなのだが……そう、いつもなら。だらけてグダグダして、戦いの時になったらイヤッホーイという乱高下するテンションで、今までずっとやってきた。エイトなりの戦いへの向き合い方だった。
今回は、いつもではなかった。どこかでだらけることもなく、グダグダと寝転がるわけでもなく、教会の周囲を彷徨っていた。まるでここに未練がある幽霊のように。
未練。何がそれなのかはっきりしていない。ぼやけていて、自分の心でさえくっきりとした世界が広がっていない。
夜中でも、月明かりはある。物がきちんと見えるくらいには明るい夜。そしてもうとっくに眼は慣れている。だから歩いていてつまづきもしない。いつまでもフラフラとあるいていられる。
そのはずなのに、眼には異常はないのに、どうにも視界がくすんで見える。
最初から左眼に視力はない。当の昔に受け入れて、当たり前になっている。くすむなんて久しぶりだ。左眼から視力が無くなって以来だ。
オルトン。記憶の中に、今だにくっきりと残っている、数少ない純粋な人間。ついこの間会ったばかりな、他愛のない存在。そこらじゅうにいる有象無象に消えてゆくような存在。
のはずだった。そうなるのが、今までの常だった。忘れられそうにないのが、エイトの心を揺さぶる。脳に刻まれているのが、どうしても理解できない。
できない。わからない。何もかもがさっぱり不明。
本能。感情。人間のような、意味のわからない行動。そうしているのは何故?
循環する思考。巡って回って一周しても、また同じ道を歩く記憶と足。止まれない。
「……エイト、見つけたぞ」
「オルトン君……?」
幻覚ではない、探し求めていた彼。夜の暗闇でもはっきりとみえる彼こそが、エイトの思考を幾度となく周回させる元凶。
エイトの正面に現れたオルトンはゆっくりとした口調で話す。
「エイト、俺はお前を一生許すつもりはない。たとえお前が請い、謝っても……必ずお前を罰してやろうと考える」
「うん……?」
「お前は、人を侮辱してきて、きっとこれからもし続けるよな。殺して笑うってのは、そういうことなんだ。お前がそう思っていなくても、そういうことになっちまう。だから許せないんだ。お前の笑顔が許せない」
思ったことを吐き出していく。エイトに対する宣言、あまりにも粗末で言葉足らず。だが今、発しているこの言葉こそが、気持ちをそのままにしているという証拠。
「お前の物語は広がったりしない、終結に向けて進んでいくだけ。未来なんて明るい言葉はない。俺の命を賭けてもいい、今のセリフは撤回しない。お前は地獄に落っこちて、そこで苦しんで苦しんで、朽ちていく存在なんだ」
「会いたいなって思ってたのに、そんな心のない言葉をふっかけられるなんてなかなかキツイね。天罰に等しい。心を察しておくれよオルトン君」
「……あぁ、会いたいなって思ってくれてたのか。それは予想してなかった。俺も、お前に会いたいって思ってたから、奇遇だ。まったく笑い話にならない偶然だな」
お互いに、お互いを求めていた。会いたいとはそういうこと。愛し合っている者達がよくそういう感情を持ちあうというが、この二人は愛し合ってなどいない。まるで全然。
片方はよくわからないまま、本能のままに。もう片方は自分の考えをぶつけ、自分の心にカタをつけるため。愛に酷似しているが、そうではないかもしれない。
お互いに、愛という感情をよくわかっていないから、そうなっているだけなのかもしれない。第三者からすれば、理想的な愛かもしれない。だが、二人の間の愛は乾燥している。
「そのお前の感情が、俺はどうしても諦められない。お前には……改造少女に人の心なんてものはないって、色々と証明されたりしたけれど、どうしても俺には……少しくらいの情があるって思ってしまう。ずいぶんと諦めが悪いなって、俺自身も思うな」
「本当に、オルトン君は諦めが悪いよ。人間性なんて改造少女には不要だから、そんな機能は思考回路に存在すらしていないって言ったはずなのに」
「俺は、お前に会いたいって思った。これは俺の心の表れだ。そしてエイト、お前は俺に合いたいって思ったんだよな? そう思ってくれたんだよな?」
「うん」
「なら、お前には心ってものがある。人間性がある。そのはずなんだ。他人に会いたいって思うことは、人間なら当たり前のことだ。何も可笑しくなんかない、普遍的な感情なんだ。人間なら」
人の心は、ひとつではない。ふたつ、みっつと数えきれないくらいにあるはず。人の数だけ心があり、それぞれ違う心がある。そのうちのひとつくらい、改造少女にもあるはずだと、オルトンは考えたのだ。
「俺はお前に、正直言って同情している。そんなことをお前はされる覚えもないだろうけど、されたくもないと思うかもしれないけど、俺はお前に同情する。可哀想な奴だって」
「可哀想? 改造少女が悲しい存在だって言うわけ? それは侮辱じゃないかな?」
「あぁ、その通り。侮辱も侮辱。それでもお前を可哀想だって思ってる。お前に人間の心があるって思ったから、可哀想な奴だって侮辱してる」
人間の心がない奴に、可哀想だなんて感情は湧いてこない。侮辱すらしない。放っておくだけだ。だが、エイトは心がないのか?
「侮辱されてることに、感謝でもしろって言うの? オイオイ、オルトン君。そりゃ非道ってくらいですよ。侮辱されたら、それなりに怒るよ?」
「怒ってくれるなら、俺も自信がつくってもんだよ。お前を見捨てずにいられるって自身がつく。だから、怒ってくれ。侮辱されたと、キレてくれ。殺しの時以外にも、キレたような態度をとってくれていい。心があるって、証拠になる」
「見捨てずにいられるって……?」
「お前に人間の心を教える。見捨てないで、お前を見続けてやる。かまってやる。お前に対して、あんまりこの言葉は使いたくないんだが、俺はお前の友達だ。友達って言葉は、適切じゃないがそれ以外の言葉が俺にはわからない」
エイト、言うべき言葉が見つからず、喋れない。話せない。
見捨てない。友達。その言葉がエイトの思考を停止させる。まさかの言葉、予想外すぎるから、何も言えない。
「見捨てない……友達……一緒に……?」
やっと、ひりだした言葉。足りなすぎる言葉が自然とオルトンに対する疑問になった。
「あぁ、俺はお前を見捨てない。お前に人間ってやつを教える。殺しだけが楽しみじゃないって教え込んでやる。心があるって、俺はお前を認めて信じる」
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