人の血は花のようで、散り際はどうか?

3、

 ……少女は、考えた。

 考えただけだ。

 この狂気の場所にいながら、頭を使って考えていただけ。ただそれだけ。なにもしちゃいない。

 助けようとか、可哀想だとか、そんなことは微塵も思わず、ただ石を投げる光景だけみて考えていた。

 それは何もしていないも同じ。考えていたなんて、この場所では何もしていないと同じ。

 石をぶつけられ、息も絶え絶えの女性に何も思わない。

 石をぶつけながら、怨み事や罵声を浴びせる群衆に、ただ考えるだけ。

 それはきっと、他人から見れば、狂っているのだろう。

 狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。狂。

 少女は、そう。感覚がイカレている。

 少女の名はエイト。名付け親など誰だかわからない。気が付けばそう呼ばれていたからこれが名前ってことにしている。

 助けるということを思考しない。ただひたすらにぶつける理由だけ。それだけに興味を持っている。

 正義だとかそういう美しさはなく。ただ好奇心という無邪気な心にエイトの心は満たされていた。

 好奇心から女性を見ているだけ。好奇心から石投げを止めない。

 人道という言葉がまだ生きているとしたら、このエイトの何もしないという行いは恥ずべきことなのだろう。人としてどうかと、疑われるのだろう。

 だが、人道などという言葉はもうずっと前から死んでいる。

「……足りないだろ、そうだ……全然全くなんにもさっぱり!」

 血の臭いに満たされたこの広場。圧倒的な弱者である女性の、奏でるかすかな音。石を投げつけ続ける人々の、熱狂的な罵声。

 そして、何よりも狂気が足りていない。まだまだ上に行けるはずなのだ。これだけ人数が揃っていれば、生贄がいるとなれば。

 さらなる高みへと昇りつめられるはずなのだ。この程度で済ませていられるこの者たちが、エイトは嫌いだった。

 なんでぶつけるか、その解答はきっと女性への怨み。エイトはそう解釈する。答え合わせはいらない。エイトが必要としていない。もうそうと決めつけたから。

 エイトは笑う。ケタケタと笑う。このままでは不完全燃焼になると予想する。それでは何にも楽しくなんかない。

 エイトは、楽しいことが好きだ。

 ただそれが、常人とは違うだけだ。

 エイトは近くに何かないかと探し出す。そして見つけたのは、鉄パイプ。少し短いが、ちょっとの間の得物にするくらいなら我慢できる。

 エイトは群衆の中に紛れ込んでいき、ぐんぐんと前に進んでいく。人の壁をこじ開けながら、女性の目の前目指して移動する。

 そして群衆の最前列。両隣には石を投げる男性が二人。よく見ると、投げるための石は皆、袋に入れてじゃらじゃらと持ち歩いているようだった。だから絶え間なく投げられていた。

 石が頭の横をかすめるが、エイトはそれどころではない。そんなのがぶつかっても、今はどうでもいい。

「おい! なにやってんだ!」

「あぶねぇぞ!」

 後ろから心配するような声が聞こえる。エイトは身長が低いから、子供だとでも思われたのだろう。

 エイトは妙に頭にきて、被っていたローブを取っ払う。白髪の髪が晒され、エイトの可憐な素顔も表に出る。

「やっぱし、子供じゃない……」

「鉄パイプなんて持っちゃってまぁ……誰があんな危ないものを」

「おい、そこのガキンチョ。そこどけよ!」

 結局子供として認識されることとなったが、もうエイトはため息をついて諦めた。

「……た……け」

 女性のかすかな声。先ほどは聞き取れなかったが、ここなら聞き取れる近さ。

 だが、口は血まみれ。歯もほとんどバキバキに折れている。唇も裂けまくり。

「……ぶふッ」

 エイトは笑う。

 何に笑ったか。女性の顔。そして声。エイトのツボに入りそうな、エイトが面白いと感じるすべての要素が、この女性には詰まっている。

「まだッ……アハハ……もうちょっと上に行けっから……ヒヒッ」

 エイトは鉄パイプを振り上げる。女性は何の事やら、これから何が起こるのか、予想できなかった。頭に血が足りていない。目はすでに潰れかけていて見にくい。

 金属と頭蓋骨がぶつかった。途中の血肉は飛び散って、地面に張り付いた。

「がはっ!?」

 もう一発。顔面ホームラン。

「ぐう!?」

 笑いながら脇腹を刺してみる。

「えぐぅ!?」

 爆笑しながら、殴打。殴打。殴打。殴打。

 途中までは呻き声を発していた女性は、何も言わなくなった。骨と金属のハーモニー、それに混じる女性の呻き。それをエイトは求めていた。

 周囲の人間はドン引き。先ほどまで自分たちも、ここまで自分の手は汚してないにしろ同じように惨たらしいことをしていたくせに。

「……愛、してるよ?」

 もう動きすらない女性の頭を、鉄パイプでコツコツ叩きながら。

「その造形美がとてもとてつもなくたまらないったらない。最上にイケたのはそれが関係しているかもしれないからさぁ。愛してるってことなんだよぉ、愛に愛されて愛を知ってなお愛している……いるから愛を形にできるのだん」

 途端に饒舌になる。周囲の人間にはエイトが何を言っているのかまるで分らない。意味が全く伝わらない。

「そこの諸君様ァ」

 唐突に、群衆に呼びかけるエイト。多くの人々がそこ声に身をすくめた。

「何ボーっと突っ立ってんの。一日ずっとそこで立ち尽くしているつもりかなー。そうでないならまた石を投げつけてホラさ、もっとみんなで幸せハッピーになるためにィ」

 笑いながら口走るその言葉の意味は、先ほどと同じくまるで意味が分からない。

 だが群衆は理解した。全員がこの言葉で確信を持った。

 どこかおかしい人間なのだと、少女を断ずる。

「高み高みさ、高い高い遥かなる頂上に行きたいんじゃないのかなぁ?」

「いい加減にしろよガキが!」

 一人の男性が声を荒げる。最前列にいる男性。最も苛烈に石をぶつけていた男だ。

「子供の、ふざけた遊びでやってんじゃないんだ! そこを退きやがれ!」

 男の叫びに便乗するように、何人かが叫び出す。

「私達の、やらなきゃいけないことを邪魔しないで!」

「ガキはそこらで小便して寝てろ! ここはガキが来るところじゃない!」

 必死。何故か必死の形相で叫んでいる。エイトは何故彼らがそこまで必死なのかわからない。この街の事情をまるで知らない部外者なのだから仕方がない。

 それでも、ふざけた遊びと言われたことはカチンと来た。

「遊びィ? 遊びだろうねこんなんは。でも全力でやってる遊びなんだよなぁ! アンタらにも理解してほしいよぉ! 遊びは全力でやるもんだってさぁ! アンタらのやってることは遊びでも下なんだ! 下にいちゃ満足できないってもんでしょうがァ!」

 頭を掻き毟りながら、発狂したように叫びエイトは笑った。

 ふざけた遊びと言われたことに対する怒りの、エイトなりの表現。常人とは怒りの表し方が全く違っていた。

 違うから、群衆にはエイトの言動が奇怪でしかない。

「石投げしないんなら帰れ消えろ失せろォ! もうイイもん! 一人でやってやっちゃうものさ! 一人でこんなにできたんだから、この先だって二人はいらないね!」

 エイトはまた鉄パイプで女性を殴り始める。

 先ほどよりも激しく、惨たらしく、血が沢山吹きだすように工夫して殴る。

 その様子をみて群衆は、すごすごと立ち去っていく。

 もう話にならないと踏んで、諦めるように去っていく。

 群衆が全員いなくなったころには、女性はもう人の原形を留めていなかった。肉塊と表現するのが一番適切な状態。凄まじいほどの血。

「はぁ……はぁ……」

 数分間、休むことなく殴り続けて息が切れた。全力振り絞ってがむしゃらに叩いていた。

「……腹ペコ、喉渇いた」

 そういえば、という風に思い出す。ハイテンションで全く空腹を感じなかった。喉の渇きもまるでなかった。

 急激にテンションが落ちたエイトは鉄パイプを放り棄てて、とぼとぼと歩きだす。

 先ほどとはうって変わって別人のように落ち着いている。飢餓がエイトをそうさせている。

 とにかく水。何が何でも何か飲みたくて仕方がない。腹減りは我慢してもすぐに死ぬことはないが、渇きは致命的。我慢などあってはならない。

「あは……ツイてるかな」

 先ほどの群衆の誰かが落としていったのだろう。ペットボトルが落っこちていた。まだ中身が少し残っている。蓋も閉まっていて地面を濡らしていることもなかった。

 ペットボトルを拾い上げて蓋を開けて、残っていた水を一気に喉へと流し込む。

「……ぷふぅ」

 万全、ではないにしても潤った。もっと飲みたくなってくるが、周りにないからどうしようもない。満足できるほどの水がこの街にあるかどうかも分からない。

 後は空腹を満たすだけ。しかし食べ物はどこにも落っこちていない。落っこちていたとしたら野犬や鳥などの畜生が持ち去るだろう。

「……まいったなぁ」

 エイトは食料を求めてまた歩き出す。喉が潤ったから少し調子が良くなった。

 ――もうすでに、殴っていた女性のことは頭にない。

 もうとっくに息は絶えている。心臓もピクリとも鼓動しない。脳の機能も完全になくなっている。そんな女性を、エイトは意識せずに放置した。

 血みどろの鉄パイプも視界に入らない。殴っていたことも覚えているのだろうか。

 笑いながら人を弄って殺した人間は、何も思うことなく自分の飯を探しに行く。

 自身の欲求こそが最優先。この世の中では全員がそう。だが、エイトは桁違いに欲求に忠実で、やりたいことを全力で行う。たとえ人殺しであったとしても。

 エイトは普通ではない。肉体的にも、精神的にも何もかもが人間と異なっている。だからこそ、この世の中に最も適応しているのだ。

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