オルトンとエイトは互いがわからない
21、
アンチ・クランのオルトン・ロドックスは優しい心を持っている。それだけが取り柄と自虐するほどに、優しさに満ちている。
その優しさは、敬愛する母に教えられたこと。誰にでも優しく、親切にする。そうすれば自分も幸せを掴みとることができる。そう教えられてきた。幼いころから。
人間だけでなく、動植物にも優しさを発揮するオルトンは、自分のことをあまり評価していない。言ってしまえば、自分が嫌いなのだ。
優しさと憎悪は相反する感情。他人に優しくするのに、悪感情などあってはならない邪魔なものだ。母の教えに反する感情だ。
なのに、母を殺されたあの日から、自分の心の中に黒い光がうごめいている。そして何かがささやいてくる。悪しき何かが、訴えかけてくる。
母の仇を討て。
それだけが望みなのだから。それが幸せにつながるのだから。
そう訴えかけてくる、心の中の黒い光。正体はわかっている。自分の心の一部なのだから、当たり前に心そのもの。自分自身だ。
自分が悪しき心を持っている。それが嫌で嫌で仕方がない。しかし、悪しき心のささやき続ける戯言も、正論なような気がしてくる。
相手は改造少女。死神のように、人の命を奪い去る怪物。殺人マシーン。
そんな相手に優しさを発揮する理由はない。今すぐにでも殺すのが、その他大勢に対する最高の優しさとなる。
悪しき心が、母の教えを実行することになってしまう。
オルトンはそれが不満だ。仕方ないと割り切れない。
改造少女だって命を持っている生命体だ。元々はただの少女なのだ。しかし、すでに悪の闇に堕ちた存在。戦場で散らした命は数知れず。
そんな存在を許すことは優しさなのか。許さないことこそが優しさなのか。だが、改造少女の命を奪うのは、どうなのだ。命を奪うことは何の理由があろうと悪だ。
結局、オルトンはエイトを殺すことができなかった。逡巡の果てに、中途半端な心を晒してしまった。
殺したのはエイトではないからと言って、助けてもらったからって、エイトだって凶悪な存在なのは違いないのに、殺さなかった。迷うことなく殺さなかった。
迷うことなく。
なぜ迷わなかったのか、怒りがなかったのか。それは人を殺してきたエイトを良い奴だと主張しているようなものではないか。恩があるとはいえ、そんな簡単に良い奴と認めてはならないのではないか
心が巡り巡って、迷い続けて、それでも答えが見つからない。
殺しは悪。しかしそれが優しさとなる。だが殺しそのものは母の教えに存在しない。
もうキリがないところまで考えて、オルトンはどうしようもなくがんじがらめになってしまった。
こんな思考は、覚悟の妨げになる。アンチ・クランの作戦に参加しても支障そのものになる。中途半端な気持ちで、参加するわけにはいかない。
だから今、オルトンは教会跡にいない。
「ありゃ、オルトン君じゃないかぁ。作戦会議中だと思ってたのに」
「あんまり気が乗らなくてな」
瓦礫の山。昨日話した場所に、エイトがいた。だから近寄った。
思考の根源であるエイト。オルトンはエイトの隣に座る。
「どったの? 浮かない顔してるよん」
「いや……あぁそうかもな。悩んでるんだよ」
「悩みがあるのかぁ。ひとつここで相談してみたらどうだい? 君の話には興味がある」
「聞いてくれるのか。お前を、殺したほうがいいのかどうかってな。見事なまでに、本人に対して打ち明ける悩みじゃねーだろ?」
「アッハッハ、そうだねェ!」
エイトは笑う。つられてオルトンも少し笑ってしまう。
「昨日は涙ぐみながら、殺せないとか言ってたのに、急にどうしたのさ。見当違いな殺しはしないんじゃないの?」
「……そうだよ。でも考えてみると、お前って俺の母を殺してなくても、人を大量に殺してんだよな。だったら、仇どうこう関係ないんじゃないかなってさ」
「まー、改造少女は目の仇にしてるのがこの世の中だし。その発想も何にも不思議じゃないね。一般人そのものだよ」
「でも、それだとさ。俺の死んだ母に申し訳ないかなって」
「申し訳ないも何も、殺したのは改造少女でしょ。人違いでも喜んでくれるんじゃないの?」
「俺の母は喜んだりしない。殺しそのものを忌避する人間だった。ベジタリアンだったし。俺もそう育てられてる」
オルトンはここまで話て気が付く。何故、改造少女であるエイトにここまで喋っているのだろうと。こんなに喋ってしまうつもりはなかった。
「殺しを忌避する人間なんているんだぁ。珍しいね」
「戦争の前までは普通の思考だったらしい。殺しはいけないこと、悪人のすることだって」
オルトンは戦時中、子供だった。生まれたのは戦争の前だが、物心つくころには戦争に巻き込まれていた。
「オルトンは、優しさに満ち満ちたその古い思考を、いつまでも引きずってるってことかな?」
「そういうこと。それで悩んでる。殺しが悪なら、お前を殺すわけにはいかない。だけど、お前を殺さないでいたら、それは人々にとって悪になるんじゃないかってね」
「そんなんキリのないこと、よく考えていられるもんだね。オルトン君、やっぱ変な奴だよ。それ故に興味深い」
「そうかもな。優柔不断な自分が大嫌いでどうしようもない、ヘンテコ野郎さ」
オルトンの息を吐くような、かすれた声。エイトとは正反対。
「じゃあそんなヘンテコ野郎のオルトン君。君はこの世の中では生き残れないと宣言しておくよ。今はアンチ・クランのみんなが庇ってくれてるようなもんだけど、いずれは庇われなくなる。そんで野垂れ死にさ」
「厳しいな」
「当たり前のことを言ってるだけだよん。古めかしい思想を持った、殺しなんてよくないって泣きわめく、臆病者のオルトン君」
臆病者。その言葉は的確なのかもしれない。そうオルトンは思った。
この荒廃した世界では法律など、ほぼ存在しないに等しい。だから人殺しだって罪になりにくい。やろうと思えば、思い経てばやってもいいことなのだ。
「臆病者と俺を言ったけど、人殺しはやっぱり駄目だ。やっていいことなんかじゃない。古臭い考え方だろうけど、俺は」
「それなら、それが結論だろうさ」
「結論だからって、それを受け入れられるわけじゃないだろ。俺は今、悩んでいるだよ。殺すべきか迷ってるんだよ」
「だから、殺しなんて大したことじゃない。殺し方を、君は知らないだけだよ。知れば、すぐに迷いなんかなくなるさ。駄目だとも思わなくなる」
「……殺し方だって? ふざけたことを言うのな。命を何だと思ってるんだ」
「改造少女にそれを問うとはねぇ。命はただ力だよ。生き物を強くする力さ」
命は力。その言葉をエイトが発するのは、違和感がある。オルトンはそう感じた。改造少女という兵器が、命は力などと言うとは思わなかったのだ。
そんな神秘的で、有機的なことを言う存在なんて、改造少女らしくないと。
「殺し方……命の絶ち方と変えようか。簡単なことだから、大したことないって言ってるんだけど、本当に簡単なんだよ。力と覚悟を決めちゃえば、それでいい。殺意なんていらないのさ」
「力と覚悟だと?」
「臆病者のオルトン君は力は充分にある。クロスボウという威力があるからね。でも足りないのは覚悟さ。臆病者だからね。キレてやるんじゃないよ。自分が真に必要と思えることなら、その手段のための殺しなんて、どうというもんじゃない。オルトン君、君は殺しを必要だって思えていないから、殺しを否定したがるのさ」
「そんなわけが」
「あるさ。意気地なしのオルトン君」
母から教えられた、殺しはやってはならないことという思想。そして今、エイトを殺さなくてはならないのではという疑問。せめぎ合っていると思っていた。
しかし、エイトが言うには違うらしい。せめぎ合ってなどいない。拮抗などしていない。
オルトンは、母の教えを守りたがっている。それが勝ち誇っているから、エイトをころすという選択ができないのだ。殺さなくてはという考えは、一時的なモノに過ぎず、弱い。
「……悔しいが、納得しちまったよ。俺の負けか」
「ってことは、殺しは無しな訳?」
「そういうことになる。俺はお前の過去の殺しを見逃す。俺が殺せないのはそういうことになる」
「人類の敵の仲間入りも近いね」
エイトを殺さない。エイトの過去の、生み出してきた惨劇を知らんぷりにする。
殺さない優しさではない、悪行。始末するのが善行。オルトンは重々理解していた。
「人類の敵か……そうなるか。だとしても、俺はお前を殺さない。仇じゃないからな」
「あれあれ? 仇なら殺すの? 殺しは嫌だって言ってたのに」
「殺すって、表面上は言ってるだけだ。きっと、仇に会ってもぶちのめすだけで、生かしておくかもな」
何も解決しない。愚行。親の仇をとらない。最低な事かもしれない。甘いを通り越している。
「お前と話すと、なんか妙にスッキリした気になるな」
「へぇ、そう言ってくれる人間は初めてだよ。アッハッハ」
殺す覚悟はオルトンはできない。臆病だから。殺しを否定する、時代錯誤な人間だ。
オルトンはエイトに礼を言って、教会に戻る。
殺しができないと確信した。だから、もう迷うことはない。殺しができないなら、できないなりに、この世界を生き抜いてみよう。ある意味で吹っ切れたと言ってもいい。自分を嫌いなままで、ずっと嫌悪し続けても、貫いてやろうと。
エイトと話して、そう決心したのだ。
エイトは笑った。いかにも少女らしく、人間っぽく。純粋に笑顔でいた。
人を殺さない。そういう選択肢をとろうと躍起になるオルトンが、たまらなく面白くて、ついつい笑えてしまうのだ。
変なことを悩む男。それがオルトンに対するエイトのイメージだ。優しいとか、そういう雰囲気よりも、変。それが最初に来てしまう。
殺しに対する抵抗。殺しを忌避する性格。優しさという、もはや悪癖に近い性分を、大切にしている。
そもそも、改造少女を殺すか殺さないかを迷う人間が珍しいのだ。
エイトはほぼすべての人間に目の仇にされているようなものだから、とりあえず殺さないという選択をしたオルトンが、エイトにとって希少価値溢れる存在なのだ。
臆病者と罵っても、覚悟が足らないと指摘しても、意気地なしと馬鹿にしても、殺さないという意見をたてた。普通なら意固地になったり、激怒したりするものだと思ったが、オルトンは違った。
底抜けに優しい。天井知らずで甘い。そんな性格。
「……アッハッハ、ウフフハハハ。本当に変テコな人間だ。爆笑しそうなほどにオルトン君が……アッハッハ。面白いなぁ、ずるいよなぁ。ツボにハマっちゃったかもォ」
気になる。人間のことが気になる。エイトにとって初めての感情。
戦い、争い、数多の暴力にしか興味を示せなかったエイトが、戦闘以外のことに興味を持った。それも人間に、奇妙な興味。
人間は、ただ単純に生かすか殺すだけの存在だったはずなのに、オルトンだけはそう思えない。考えながら、エイトは空を見上げて笑い転げた。
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