奇妙な男、オルトン
18、
エイトは空を見上げていた。もう日も暮れて、星がキラキラと輝く夜空。
戦時中は、まったく見たことがなかった星々。数多の爆発の光で、幾憶の星空がかき消されていた戦場でずっと過ごしてきた。
研究所と戦場にいた記憶しかない。思い出の場所がもはやそこといえるほどに、そこにしかいなかった。
だからこそ、夜空にいつも輝いていたはずの星をみなかった。刺して興味もなかったせいもあるが、改めて見て見るとそこそこ興味深いと知った。
寝転がって、ただ漠然と上をみる。ベッドにしては硬すぎる瓦礫に、手を枕代わりに仰向けで。視界は空だけ。小さな光と広すぎる闇を堪能できる。
こうやって星を眺められるとは想像できないほどに、苛烈で熱烈な環境に身を置いていた。だから今、とても奇妙な心地でいる。
何もない。そんなことはないが、エイトからすれば何もないに等しい。
苦しくない。痛くない。眩しくない。ないのがとても不自然に思えてしようがない。
「……はぁ」
星と月に見下されている感覚を覚える。あんなに上にいる存在を、他に知らない。乗ったことのある戦闘機だって、あそこまで高くは飛翔出来なかった。
ちっぽけな存在。認めたくないが事実。エイトは悔しさすらなく、ただそういう存在だと、なぜか感動してしまった。
戦いだけが生きがい。生きることだけが目的。それを悲しいと思ったことはなく、満足している。苦しさも痛みも、何もかもが生きているという事を実感させてくれるスパイスに過ぎない。小さな命の思うことだ。
『人なんてちっぽけな存在。他の大きな何かに比べれば、所詮一つだけの命。
だがそれでも楽しい。楽しいというのは、何にも勝る感情である。
痛みも悲しみも悔しみも怒りも、何もかもの感情よりも、らしくいられる感情。
心はちっぽけな存在の中の宇宙である。そして怒りや悲しみなどは、幾多の星である。
その宇宙はちっぽけなんかじゃなくて、きっと他と張り合えるくらいに無限大だ』
「……あぁ」
昔、そんな話を聞かされた。エイトがまだ研究所にいたころの記憶。曖昧すぎて、誰から教わったかすら覚えていない。
変な話だから覚えていた。夜空を見たから思い出せた。
夜空をみることなく眠ってしまっていたら、こんなことは思い出さず、明日を迎えたことだろう。
楽しいと思うことが、何よりも優先すべきこと。誰かからそういう風に教わって、今までもこれからもずっとそうする。それがエイトの目標なのだから。
エイトは急に眠気を感じる。いつも大して使わない頭を使ったからか、休憩を欲しているのだ。だからそれに従うことにした。
ぐっすりと熟睡するのは、この世の中では愚策。そう学んでいる。
何故、アジトの教会の中で眠らず、外で隠れるように眠っているのか。
アンチ・クランから嫌われていることが分かっていて、襲撃されると考えたからだ。寝ている間に殺されるのは、御免だからだ。
エイトはしっかり気を張り詰めて、眠る準備をする。掛布団もなければ毛布もない。
着ていたローブにミノムシのようになって眠ることにした。
改造少女だって、生理現象は存在する。生理的欲求だってある。いくら兵器として改造されて、そう扱われようとも生命体であることに変わりはないのだ。
死ににくい身体。不死身にかなり近い怪物。それが改造少女。
「……ッ誰かいるゥ!?」
眠りに落ちようとする寸前に、人の気配を感じる。頭が一瞬で冴えわたり、周囲を警戒する。
周囲は瓦礫の山ばかり。その中の民家跡のような場所でエイトは寝ていた。アジトの教会も近い。行こうと思えば3分もかからない。
助けを呼ぶなんてつもりは毛頭ないが。
「いること悟られてんだからさァ、出てきなよ。気のせいかで済ますつもりはないよ」
「……くそ」
数ある瓦礫の山のひとつから、身体を出した。
まだ若い、20歳くらいの青年だった。ボロボロのキャップを被っていた。そして手には、見覚えあるクロスボウ。
「……もしかして、さっき部屋にいたよねぇ?」
「あぁ……オルトン・ロドックスという」
クロスボウはエイトに向けられていた。引き金もすでに、指がかかっている。
「殺しにでも来たのかなァ?」
「……、」
「何か言いなよ。でも、殺しちゃうとハリスに怒られない? 一応、協力者なんだから、撃ったらヤバくない?」
「俺は……ッ」
怒り。それは間違いなくある。しかし、それ以外の何かが、引き金を引くのを躊躇わせているのがわかる。
組織のためではない、個人的理由で躊躇っている。戦場で多くの人間をみてきたエイトにはわかった。引き金を引けない者を何人も見てきた。
「まぁ、任せるよ。聞いていると思うけど、改造少女は脳と心臓を同時に破壊しないと死なない。片方だけだと、再生しちゃうから。おススメは脳を破壊して、迅速に心臓を破壊することかな」
「わかっている!」
オルトンすでに弱点を記憶している。ハリスから講習を受けていたからだ。言われなくても、その順番で撃つつもりだった。
「じゃ、やるならどーぞ。やらないなら、まぁ……知らん。一緒に寝てやろうか?」
「余裕ぶって……ッ」
「余裕なことはないさ。弱点全部ばらしてんだから、めっちゃやべーなって思ってるよ」
エイトは逃げも隠れもするつもりはなかった。ここで撃たれて死ぬのに、一切抵抗する気がない。
ここで死ぬも、運命として受け入れている。そういう心の平常を保っている。
「俺はッ……改造少女に母を殺されたッ……!」
「仇討ちかァ、でも残念。殺したヤツの顔なんて覚えてない。最近なら思い出せるけど、戦争の時だと無理かな」
エイトの言葉。仇討ちをしに来た者としては怒るべき言動。殺された者の無念を晴らすために殺すのに、記憶にないと宣言されるのは、殺された者への情が深いほどに怒りを露わにするだろう。
「母親のためにねぇ。復讐ってのはいい孝行になるよ。母ちゃんも、あの世で喜ぶよォ?」
挑発。
オルトンの持つクロスボウがプルプルと震えている。精神の高ぶりか、殺しをしてしまうことへの恐怖心かはわからない。
「俺は……お前を……どうしたらいいんだ……?」
「……ハァ?」
オルトンはクロスボウから手を離し、落としてしまう。
瓦礫に、クロスボウがガシャンと落ちる音。それに混じって、すすり泣く声。
オルトンは、泣いていた。
「……何を泣いてんの? 苛めてやった記憶もないんだけど……?」
あまりの唐突さに、さすがにエイトもついていけない。殺されかけたはずなのに、相手を少し心配してしまう。
「俺は……お前にッ……助けてもらっちまった……!」
泣きながらオルトンは感情を吐き出していく。
「……助けた?」
「そうだ! 俺たちをワン・モアから逃がすときに、お前が来てくれてなかったら、俺たちは民衆とワン・モアに殺されていた!」
アンチ・クランとワン・モアとの初邂逅の時をエイトは思い返してみる。
しかし人を助けたという記憶はない。ただただ暴れていただけで、本能に身を任せて動いていたので、記憶をするという作業を脳が放棄していた。
「……ごめん、憶えていないわ。オルトンだっけ、マジ初対面な感じする」
「……なんでも忘れてくれるな。でも俺は忘れない、お前には恩ができちまってる。俺の母を殺したヤツの同類に、恩を作っちまった……!」
母を殺した恨み。命を救ってもらった感謝の念。通常、交わるはずのない相反すべき感情が、オルトンの中で混沌の様相を呈していた。
「クソッ……なんでお前はあの時、俺を助けてしまったんだよ!」
「こっちだって助けるつもりなんかなかったけどね。たまたま結果的に助けちゃっただけなんだから、気にせずに。母の仇としてみてくれていいよ」
「それができたら、最初から撃ってる」
もうオルトンにエイトを撃つことはできない。人を撃つのに躊躇ってしまったからだ。
「親の仇を前にして見逃そうとするアンタの気分を教えてよォ。帰っちゃう前にさ」
「あまり気分のイイもんじゃない。ぶっちゃけ最低だよ。そして、俺に人は撃てないって確信したよ。改造少女すら躊躇って撃てないのは、もう駄目だ。殺しなんてできない」
「殺すことなんて、案外大したことじゃない。部屋にいたなら、聞いてたよね」
「あぁ、聞いた。だが、それはお前だからだ。人殺しの兵器だから、そんなことが言える」
「人間みんなにも、言えることだよ。殺しは大したことじゃないってね」
エイトはかすかに笑う。今までのような馬鹿笑いではない、純粋な笑顔。
「オルトン君、突然だけど興味が湧いた。少し話をしようじゃんよ。取って食ったりはしないからさ、ホラ。座りなよ」
エイトがそう催促し、オルトンは素直に従うことにした。取って食ったりはしないと言ったが、油断はしない。この場合、逃げ出したほうが危険だと思ったからだ。
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