Ep.3 Opposition Orb

Ep.3 Opposition Orb 1


 レディと悪魔は安宿で夜を明かし、少し長めに睡眠を取って昼前に街に出た。

 レディにも、戦闘によるダメージは少なからず存在する。精神がどれだけ高揚して、疲労を吹き飛ばして麻痺させていたとしても――いや、だからこそ、いつか限界は来る。

 良き復讐は、健康な肉体と不健康な精神から。気力体力の回復には気を使わなくてはならない。

 ……逆に言うと、回復したならば次にやることは決まっている。

「次の相手はどこ、悪魔さん?」

「……あまり焦ることはないよ、お嬢さんレディ。朝食も摂っていないのは良くないし、まずは食事からだ。眠っただけでは、」

「また、私一人で?」

「僕は食事を必要としないから……すまないね、お嬢さんレディ。隣で話し相手くらいにはなれるから、機嫌を損ねないでほしいな」

「真似事でも、一緒に食事すればいいのに」

 言って、レディは口を尖らせた。まるで普通の少女であるかのように。

「それは食べ物がもったいない。食べ物は粗末にしちゃあいけないんだろう」

「それもそうね」

「じゃあ、レディは何が食べたいんだい?」

「えーっと……」

 レディは少し首を傾けて、空を見て考える。

「……パンケーキ」

「ふふ、バターとメープルシロップがたっぷりかかったやつかい?」

「いけないの?」

 そう言って、レディは悪魔の方へと頭を向ける。その顔が、少しばかり赤らんでいた。

 悪魔は微笑む。

「いけないことはないさ。女の子はみんな、甘いものが好きなんだろう? ただまぁ、栄養のバランスを考慮に入れないのは、どうかと思うね。ちゃんと肉と野菜も食べようか」

「分かっているけれど、自分が言われるとちょっと嫌な気分になるのね」

 レディは苦いものでも食べたかのように表情を歪めた。

「本当のことを指摘されるのは嫌なものなんだと思うよ。必要だって事が分かっている時は、尚更なんじゃないかな」

「だったら、しょうがないのかな」

「しょうがないのさ、お嬢さんレディ

 そんな事を話しながら、二人は街を歩いて行く。

 空っぽの左袖を揺らしながら歩くレディと、その右側に立って機械の腕でレディの手をにぎる悪魔。

 見ようによっては、自分達は仲のいい兄弟にでも見えるのかもしれない。そんな事をレディは考える。

 レディが見る既に日が高く登った街の景色は、日常のそれといって差し支えなかった。日光を照り返すビルで出来たジャングルの谷間、小川のような車道を淀み無く流れる車の列。歩道には、同じように出来上がった人の群れ。

 先日、別の街で戦闘があった事など、誰も知らないかのようだ。

 実際、何かがあった、という事は知っていても、本当の所は知らないでいるのかもしれないと、レディは考える。

 報道では、先日の件は、テロ行為があったということになっている。実際、レディ達のしたことがテロであるというのも間違いではない。

 だが、そのテロが未知のギアドールによるもので、I3所属のギアドールとの市街地戦の結果あのようなことになったのだという事まではどうだろうか。

 こうなると、ただのテロとは言い難いのではないだろうか。

 ネットにも、ネメシスの姿は動画としてアップロードされている筈だ。

 では、先の戦闘は、知られているのだろうか。

 そういう観点で見てみると、街の風景にも少し変わった物があることが見えてくる。

 何も知らずただ歩いているかのような人の群れに、制服を着た警備員の姿がちらほらと見かけられるのだ。

 恐らく、私服の警備員も同じくらい多量に人の群れの中に紛れ込んでいるのだろう、とレディは考える。

 無関心と警戒の混成。そうして出来上がった街の空気というものは、まるで大理石マーブルのようにムラがあるのだろう。

 そこまで考えて、今更レディは思う。

「見つかったりはしないかしら」

 追手に見つかり、テロの首謀者として追われることになると、流石に面倒だ。もっとも、悪魔の存在がある以上、面倒で済んでしまうのだけれども。

 蹴散らして、転がしてしまえばいい。

「まず、心配はいらないよ」

 一応聞いてみたレディに対して、悪魔は柔らかに微笑みながら言う。

「それは、どうして?」

「今の君と僕は、漫然と探しても見つかるような状態じゃない。僕達のことをきっちりと認識して探していないと……或いは僕達からコンタクトを取ったりしないと、他人から気にかけられることはないよ」

「それは、悪魔さんの力?」

 ギアドールを安々と屠る、復讐機ネメシスとして力を振るう悪魔の事だ。それぐらいの事は容易いだろう――そう考えたレディに向かって、悪魔は言う。

「半分は、そうだね」

「じゃあ、もう半分は?」

 隣を歩く悪魔の顔を見上げながら、レディは問う。悪魔はそれに対して、微笑みを崩さぬまま少しだけ目を細めて、その面に悲哀を浮かべた。

「君自身の問題だよ。お嬢さんレディ、君は戦う毎に、ネメシスの力を発揮する度に、自分を擦り減らしている。それは分かるね」

「……えぇ」

 言われるまでもない。ネメシスに力を発揮させる度に、レディは自らが削れていくのをしっかりと感じている。

 その中でも顕著なのは、記憶だろう。少しずつ少しずつ、まるで思い出に埃が積み重なっていくかのようにして、自分の中に有る様々な印象が朧気になっていく。

 人間が内側から見て、自身というものを構築している情報として最も強く認識できるのは、記憶ということなのだろう。

 だからこそ、記憶が削れていくのが一番自己の喪失として実感できる。

 これが、自分を薪とする事なのだ――レディはそう認識する。

 だが、他人から認識されるための名前。自分の連続性を確認するための記憶。この二つが消えて行くと、後に残るのはなんだろうか。残るものが有るのだろうか――?

 そんなレディの考えを知ってか知らずか、悪魔は続ける。

「君という情報が磨り減った結果、君は名前のない誰か、とでも言うべきものに近付いている……それは、他者からの認識を大きく阻害するんだ。を見つけることは出来ないからね」

「そう……」

 それは――便利かもしれない。

 レディはそう思う。無駄に身を隠さずとも、復讐を遂げる事が出来る。不都合はない。

「……お嬢さんレディ

「なぁに、悪魔さん?」

「まだ、復讐を続けるのかい?」

「……どうして、そんな事を聞くの?」

 レディは悪魔に問い返して、続ける。苛立ちが語調を早くさせる。

「貴方が――悪魔さんが、私に力をくれた、目的を示してくれた、私の隣に居てくれた。なのに、どうして」

「今ならまだ、引き返せる。ここが最後のラインだ――僕には、そう思えるからだよ、お嬢さんレディ

 限界なんだよ――そう言う悪魔の顔は、笑っていなかった。

 人生の難題を問う質問者スフィンクスのように、重々しく、悪魔はレディに問う。

「記憶の欠落はどれだけ出ている? 感覚にも問題が出ているんじゃないか? 他にも――」

「……悪魔さんに、どうしてそんな事が言えるの?」

 自分のことは自分がよく分かっているはずだ、とレディには思える。対して、悪魔が言う。

「決まっているだろう、僕が、君のことを燃料にしているからだよ、お嬢さんレディ。だから、分かる。君が何を燃やしているのか、どれだけ磨り減っているのかが」

 悪魔はその玲瓏たる美貌に皺を寄せて、自らを刃で削り取るように言う。

 なるほど、とレディは納得した。

 レディを燃料へと変換しているのは、悪魔なのだ。ならば、レディ自身よりも、より正確に、どれだけのものを燃やしているのかが分かるのだろう。

 自分の中でレディが燃えていく感触が、失われていく感触が、悪魔にそんな事を言わせるのかもしれない。 

「ここでやめれば、君はまだ人間らしい生活に戻れる。名前がない? 記憶が摩耗している? ――何、大したことじゃない。多少不便かもしれないけれど、どうしようもない程じゃあないさ。幾らでもリカバリーは効くよ」

 悪魔の言葉は、途中から早くなっていた。まるで、機関銃が弾丸を吐き出すように、熱量ある言葉を吐き出してまくし立てる。

「無論、君を一人にはしない。君が出来ないことは、僕が手伝うとも。そうとも、君が復讐を止めたって、僕はずっと君の隣りにいるさ。だから――」

「――悪魔さん」

 そんな、畳み掛けるような言葉の洪水を、レディは一言で堰き止める。そして、足を止めた。悪魔もそれに倣って足を止める。

「……お嬢さんレディ

「私ね、貴方に本当に感謝しているの。力をくれたこと、目標をくれたこと、そばに居てくれることだけじゃない。とてもとても、有り難いって思ってる。だって――」

 言って、レディは笑った。華やぐ、という言葉そのままの、可愛らしい少女の笑みを。

 その笑みに、悪魔は目を見張る。

「君は――」

「だって、ね。復讐って素敵なんだもの」

「……」

 言葉を出せないでいる悪魔。それに対して、レディは言う。

「良いことではない、それは分かっているの。関係ない人達も、多く傷つけたり、殺したりしているし。でもね……それでも、復讐は素敵なものだと、思うの」

お嬢さんレディ……、どう……して……」

「だって、ね。復讐なら、相手のことなんて、気に掛ける必要もなく、好きなだけ力を振るって良いんだもの。何をしたって、どれだけ酷いことをしたって、構わない」

 言って、レディは微笑んだ。

 恐らく、復讐を始めてから――悪魔と出会ってから、初めてと言っても良い、レディの心からの笑みだった。

「……」

 悪魔は言葉を失って、レディの笑顔を見た。

 怒りと狂気に歪んでいるのでもない、攻撃的で獰猛なものでもない。野に咲き、風にそよぐ花のような自然な笑みを。

「君はどうして、そんな……」

 悪魔は元から白い顔から血の気を完全に引かせ、凍りついたように真っ青な顔をしていた。

 そうして悪魔は、手を所在なく震わせる。もう、どうしていいか分からない、とでも言うかのように。

 レディは悪魔の顔を見て、問うた。

「ねぇ、悪魔さん……どうしてそんな顔をするの?」

 レディには、悪魔の表情の意味が全く分からなかった。

 ただ、普通のことを言っているだけなのに。どうしてそんな、この世の終わりみたいな顔をして、自分のことを見るのか。

 どうして、箱の中に入れられて置き去りにされた飼い犬みたいな、今にも泣き出しそうな目をしているのか。 

「どうして――あぁ、どうしてだろうね……僕にも分からないよ」

 問われた悪魔は、泣いているような笑っているような、どちらとも言えない、くしゃりと潰れたような表情を、その端正な面に浮かべていた。

「悪魔さん……」

「君はもう止まらない、止まらないんだな」

 レディの繋いだ右手に、震えが伝わってくる。震えているのは、悪魔の機械の腕だった。その震えを止めようとして、レディは手を強く握る。

「ごめんなさい、悪魔さん。でも――」

「あぁ、そうだね。君をそうしたのは、僕なんだね……」

「……行こう、悪魔さん」

 二人はまた、歩き出す。ゆっくりと、言葉を交わすことも無く。流れる人の合間をすり抜けるかのように。

 そうして、公園の入り口にある広場まで二人は辿り着く。そこにはハンバーガーの移動販売車が止まっており、車の前には簡単なテーブルと椅子が設置されていて、買ったハンバーガーをその場で食べることが出来るようになっていた。

「ここにする」

「……そうだね、食事を摂るんだったね。パンケーキは無さそうだけれども」

「構わない」

 レディは悪魔の手を離すと、移動販売車へ向かって行く。店主に簡単な注文――ハンバーガーにポテトにアイスコーヒー――を告げて、代金を渡すと悪魔が待つテーブルへと戻ってきた。

 そこで、レディは気付いた。先に席に着いていた悪魔が、眉間に皺を寄せていることに。

「悪魔さん……?」

「気を付けて、お嬢さんレディ

「……何になの、悪魔さん?」

 隣の椅子に腰掛けながら、レディは悪魔に向かって問うた。

「敵が、近くに居る」

 悪魔のその言葉を聞いて、レディは気を張って、周囲を見回した。

 敵――それは当然、レディにとっての仇である、四機の髑髏面の事だろう。

 だが、こんな市街地にいきなりギアドールが現れる筈がない。

 ならば、ギアドールのオペレーターが近くに居るのだろうか。

 だとしたら――どうする?

 レディは考える。先の悪魔の言葉によれば、向こうがこちらに気付くことは無いと。ならば、こちらからアクションを仕掛けていくか、無視するかだ。

 この場で敵を始末して、悪魔の力を使って離脱する……それは、不可能ではない。無いけれど、それは復讐として何かが違う、間違っている気がする。

 自分が復讐する相手は、自分が撃ち倒すべき相手は、髑髏面の機体であると。ただオペレーターを殺すだけでは意味が無いのだ、と。

 レディにはそう思える。

 ギアドールで、自分から全てを奪った相手を殺す――それがレディの復讐だ。で、あるならば生身で出歩いているところではなく、ギアドールに乗って居るところを、プライドごと破壊し尽くさなくてはいけない。

 相手のことを把握するだけ把握して、見逃す。それが正しい――

 そんな事を、レディが考えたときだった。一際目立つ女が、歩いてきたのは。

 かつ、かつ、かつ、と小気味よく、黒いヒールで地を叩きながら。背筋の通った女が歩いてやってくる。

 それは金のウェーブがかかったロングヘアの美女で、ボタンを幾つか開けた白いシャツに、黒いジャケット、黒いスラックスを身に纏っていた。

 ファッションモデルか何かのような、すらりと背筋の伸びた女だ。

 そんな女が、脇目も振らず一直線にレディの席へと近寄ってくる。

お嬢さんレディ――アレだ。あの女だ」

「アレが……」

 青い瞳を反らすこと無く、真っ直ぐにレディへと向け、綺麗な姿勢で、リズムよく歩く女。レディもまた、矢の如き視線を跳ね返すかの如く、女を見る。

 あの、鼻筋の通った美しい女が、仇の一人――

 女は歩きながら、近くの別の席にある椅子を片手で取り、レディ達が座っているテーブルへとセットして、流れるように座った。全ての動作が淀み無く流れていた。

 女はレディと悪魔に相対する形で相席した。そして、にこりと笑う。

 悪魔は言っていた。レディを個人として認識できるのは、初めからレディの事を意識して、レディの存在を認識していた人間だけだと。

 ならば、この女は初めからレディの事を意識して、レディをレディで有ると認識して、接触してきた、と言うことになる。

 つまり狙われていたのだ。

 女の言葉は、それを裏付けるものだった。

「初めまして。いや、会ったことはあるかもね、君からしたら」

「……貴女は?」

「エルフリーデ・ハルトマン。まぁ、君が殺した奴らの同僚だよ。君が知る四機の内、赤いギアドールに乗っている」

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