Ep.1 Blue Moon 2


 少女が聞いたのは、灼熱の地獄、炎の草原には似つかわしくない、涼やかと言ってもいい青年の声だった。

 声が聞こえてきた方向……背後へと、少女は身体を回した。

 

 それが、少女と彼の出会いだった。

 

 炎の中に立っているにも関わらず、その青年はまるで穏やかな風吹く草原にでも居るかのように、悠然と立っていた。

 儚げで美しい青年だと、平素ならば少女にも思えたかもしれない。

 整った容姿に、流れるような黒い長髪。憂いを帯びた赤い瞳が、美しく輝いている。

 長身に髪の色と同じ黒のロングコートを纏った青年。しかし一番特徴的なのは、その涼やかさでも整った顔立ちでもなく、彼の両腕だろう。

 ロングコートの袖から覗いた腕は、生身のものではなかった。

 それは金属の光沢を放つ、機械の義腕サイバーアームだった。

「あなたは……何?」

 誰、とは、少女は問えなかった。こんな所に平然と現れたこの青年が、人間であるわけがない。であるならば、何、と聞くしか無い。

 青年は答える。

「彼等が定義する名前だと、独立演算型情報質量体……ということになるらしい。でもまぁ、一般的に通用する名前で言うと、こうなるかな」

 ――悪魔って。

 少女は目の前に立つ青年の――いや、悪魔の言葉に、思わず呆けた。

 何を言っているのだろうとも思った。けれども、同時にその言葉を否定しようという気にもならなかった。

 むしろ、すとん、と納得が喉元を通り過ぎていくのを感じていた。

 なるほど、悪魔なら……こんなところに急に現れるのも、炎が避けて通るのも、むしろ納得するというものだろう。

 青年は続ける。

「どうして君は、諦めようとしているんだい?」

「どうして……?」

 問われて、少女は答える。

「だって、もう辛くて、苦しくて、死ぬのを待つだけなのに。父さんももしかしたら……もう、いやなの……」

「そうか……」

 青年は困ったように眉根を潜めた。何を困る必要があるのだろう、と、少女は悪魔を見ながら考える。

 絶望と恐怖で凍結していた頭が、動き出す。少しばかり与えられた余裕が、彼女の思考を身軽にしていた。

 そんな少女に向かって、悪魔は言う。

「君は――こう、思わないのかな」

「こう、って」

「理不尽だ、と」

「それは――」

 少女は首だけを上げて、上を――月を見た。四機あったギアドールの姿は、今は青白い機体一つになっていた。

 月と同じ色をしたギアドールを、少女は見上げる。

 思わない――はずがなかった。

 何故、自分と父がこんな目に合わなければならないのか。家を焼かれ、炎に巻かれて、死ななければならないのか。

 自分達が、どうして――!

「思う、思うに――決まってる……!」

 だが、思ったところでどうなるというのだろう。

 家を奪われ、家族を奪われ、片腕を奪われ、後は死を待つばかりの小娘が、ギアドールという現代最強の戦闘兵器に対して、何が出来るというのだろうか。

 残った手を、少女は握りしめる。痛いほどに歯を噛む。

 何も出来ないからこそ、理不尽なのだ。不条理なのだ。だというのに、この青年は、一体なんなのだ。

 射殺すつもりで、視線を悪魔に注ぐ。

「だから、なんなの? 貴方は何を言いたいの? 私はここで焼け死ぬの、理不尽に、不条理に。それをどう思ったところで、変わらない、変わらないの!」

 言いながら、少女は涙を零した。

 悪魔に向かって吐き出すことで、再度自分に事実を突きつけているのだ。

 自分はこれから焼け死ぬ。

 理不尽で不条理に全てを奪われて、死ぬのだ。

 痛くて辛くて悔しくて悲しくて……溢れ出る感情の混合物カクテルを、少女はそのまま叩きつける。

「貴方は何をしに来たの!」

 そんな少女に向かって、悪魔は、ほぅ、と安堵したかのように胸に機械の腕を当てながら溜め息を吐いて言う。

「あぁ――良かった」

「な――」

 何を言っているのか。と、思わず言いたくなった。何故、この悪魔は今の話を聞いて、安心しているというのか。

 やはり悪魔だから、人間とは違う精神構造を有しているのだろうか。自分を煽るために現れたのだろうか。

 そんな少女に向かって、悪魔は言う。

「つまり、君は死にたくないんだろう?」

「だから……何だって……」

 言葉が出て来るのが、遅くなっていた。悪魔の言葉は、少女にとっては思いもよらないものだった。

「ならば、手を貸そう。君が生きることに」

「生きる……」

「君に、理不尽な運命を強いた存在。君から片腕と、父親を奪った存在。そしてこれから、君の命を奪おうとしている存在。四機のギアドール。君は――それが憎くはないのかい?」

 さらりと、清流のせせらぎにも似た声音で、悪魔は言う。

 それは文字通りの悪魔の囁きだ。

「……!」

 少女は思う。

 憎くない筈がない、と。父と自分は、このような仕打ちを受けなければならない人間だっただろうか? こんな、あまりにも理不尽な仕打ちを……

 否。そんなわけがない。

 ならば――

 少女の脳髄に、炎が宿る。それは一つの熱い感情、漆黒に燃える意思。他の思考全てを燃やし尽くし、一つの目的を脳髄に焼き付かせる。

 それは炎の熱を持ちながら、同時に果実のようにとろりと蕩けて甘いものだ。

 ああ、そうだ。

「憎い……憎い……殺したって、飽き足らない……!」

 言葉として吐き出せば、意思は形を持ってそこに現れる。

 即ち、少女が望むのは――

「ならば――復讐だ」

「復讐……」

 悪魔の言葉を、少女は追った。そして、続ける。

「復讐! そう、復讐!」

 言葉が熱を持って吐き出される。言葉という鋳型に意思の熱が注ぎ込まれているかのように。

「君が、それを望むのならば――」

 悪魔は自らの片腕を、少女に向けて差し伸べる。機械仕掛けの片腕を。

 少女は迷わなかった。直ぐ様、残った腕を――右手を伸ばす。機械の義腕に、少女の手が触れた。

「望む! 私は、復讐を望む! だから、貴方の力を――」

 その瞬間、悪魔は僅かに表情を顰めた。まるで皮膚の一片を、針で突かれでもしたかのように。

「その為には、代償が要る。どうしても必要なんだ」

「代償?」

「ああ、そうだ。炎を燃やし続けるためには、薪を焚べなくてはいけない。その薪こそが、君が支払わなければならない、僕が君に支払わせなければならない代償なんだ」

 そんな事か、と少女は思う。悪魔との契約に、支払わなければならないものが有るのは、当然だろう。

 そう、それは当然の代価。

 復讐という熱が入ってしまった少女の脳髄には、そのようにしか思えない。

「どんな代償でも、それが必要だっていうなら、構わない。復讐を遂げる力が手に入るなら、私は――!」

「例えそれが……君そのものだとしても?」

「それは、どういう意味?」

「そのままの意味だよ。復讐のための力、ギアドールをすら破壊しうる力を僕が引き出すには、君自身を薪にする必要がある」

 情報焼失理論だよ、と悪魔は続けた。

「ギアドールなどが用いている、宇宙からの情報の焼失をもってエネルギーを生み出す、情報焼失機関。それと同じこと……いや、僕はそれそのものだと言っても良い。だから力を貸すには、相応の情報質量が必要になる。ギアドールの情報焼失機関が、演算によって情報を生み出して、その情報質量を燃料にしているように」

「それで、私自身を……?」

「そうだ。君の記憶、君の人格、君が居た事実、君という存在……それだけの情報質量が必要なんだ」

 ゆっくりと、絞り出すように悪魔は言う。

「でも、そうしなかったら、私は死ぬ」

 少女は、周りを見た。炎が葦のように地表から生え、風によって踊る光景を。そしてその、絵の具で紅く塗りつぶしたかのような炎が、少女と悪魔の周辺だけ、くり抜かれているのを。

 悪魔の手によって、少女は今、生かされている。

「選択肢なんて、無い」

「いいや、有る。ここで死ねば、君は僕に燃やし尽くされる前に、終わることが出来る。死ぬことが出来る」

「そんな、ただ死ぬなんて、出来ない」

 正確には、今となってはもう出来ない。復讐という甘くて熱い果実を、目の前にぶら下げられてしまった今となっては。

 だから、少女は言う。

「さぁ、力を貸して、悪魔さん。私に、復讐を果たすための力を!」

「……分かった。一緒にいこう」

 差し出した少女の右手が、悪魔の機械の義腕サイバーアームに握り返される。少女が想像した程には、その手は冷たくなかった。

「君の仇は、四機。黒い騎兵ブラックライダー赤い騎兵レッドライダー白い騎兵ホワイトライダー――そして、そこにまだ残っている青白い騎兵ペイルライダー。彼等の居場所は、情報質量体である僕が調べよう。それを倒す力は、君自身から僕が生み出そう」

 言い終わると、悪魔の姿が変質していく。人の姿から、黒い風の塊に。それが拡散して、巨大な竜巻のように夜空へと立ち上っていく。

 同時に、少女は何かが自分から抜け出ていくのを感じていた。物質的な何かではなく、もっと根源的で、重大な何かが抜け落ちていく。

 片腕を失ったときと同じ、或いはそれ以上に、自分という存在が欠落していくのを感じる。

 だが、同時に身体から痛みと熱さが抜けていくのも感じていた。治療ではなく、自分がそう作り変えられているのだ、と少女は理解する。

 少女が欠落を感じるのと同時に、黒い風の塊は徐々に形を成していく。それはギアドールと同じ大きさをした、黒い人型だった。

 少女には、それはまるでギアドールそのもののように見えた。或いは、もっと悍ましい――

「悪、魔?」

 その名前に似つかわしく、黒い人型は悪魔バフォメットの角を生やしていた。

「そう、僕だ。この姿に名前はないから、復讐の女神の名前を借りよう。この力、この姿の名前はネメシス、復讐機ネメシスだ」

 黒いギアドール――ネメシスから響くその声は、まさしく悪魔のものだった。

「復讐機、ネメシス……」

「すまないが、この力を生み出すために、君の名前を薪として焚べさせてもらった。君は今から、名前のないただのお嬢さんレディだ……」


 これが悪魔とレディの始まりオリジンだった。

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