Ep.5 Death & Taxes 7


 身体が――ネメシス・ヴェインの、ギアドールを模した機械の身体が、勝手に動いていた。

 怒りや憎しみの感情でもなく、相手に隙を見出したからでもない。ただ、そうすべきだと、そうしなければならないという実感が、身体を動かしていた。

 爆炎の向こう側に、それは居る。

 白いギアドール。少女の仇。

 突き出された右の龍頭。その角が、一直線にギアドールのコクピットへと吸い込まれていく。

 抵抗も感触も、何も存在しない。あまりに自然に、初めからそうなるのが当然だったとでも言うかのように、ギアドールのコクピットに、ネメシス・ヴェインの角が突き刺さった。

 衝撃で軽く仰け反った後、白いギアドールがぐったりとして頭を垂れる。

 コクピットを貫かれて、無事でいられる人間が居るわけもない。

 かの白いギアドール、そのパイロットは死んだ。ネメシス・ヴェインの角による刺突に倒れた。

 ……その光景を見ていたのは、悪魔だけだった。

 悪魔にも、あのギアドールが攻撃を回避しなかった理由は分からない。ネメシス・ヴェインが力を失ったことで、油断したのが原因なのだろう。

 だが、ギアドールのパイロットが油断したのも、間違いではない。

 ネメシス・ヴェインは――少なくとも、レディは敗北した。復讐を果たすことが出来なかった。最期の一撃を繰り出したのは、レディではなく悪魔自身だ。

 その一撃を放つよりも、彼女が力尽きるほうが早かった。

 ネメシス・ヴェインのコクピット内に、彼女の意思は最早欠片も存在していない。彼女がネメシス・ヴェインを動かすことは出来ない。

 ギアドールの荷電粒子兵器が限界を迎えて直ぐに、レディも限界を迎えた。いや、恐らくは限界などとうの昔に越えていて、それでもなお、あの少女は戦っていたのだ。

 だが――それも果てた。

 少女は復讐を果たせず散った。

 ネメシス・ヴェインは、青年――悪魔の姿へと変じる。角が抜けて、白いギアドールが前のめりに倒れた。

 初めて少女と出会ったときと同じ、灼熱地獄のさなかへと、悪魔は降り立った。その腕の中には、少女の残骸と言うしか無いものが抱き抱えられている。

 少女は最早、悪魔の腕の中に収まる程度しか、この世界に残しているものが無いのだ。

「ねぇ、お嬢さんレディ。どうしてこんな事になってしまったんだろうね……」

 声を震わせながら、悪魔は言う。

 その瞳からは、涙が雫となって溢れていた。悪魔は力なく膝を着いた。立ち続けるだけの気力も理由も無くなっていた。

 ……少女に生きていて欲しかっただけなのに。どうしてこうなってしまったのだろう。

 悪魔が生まれて初めて美しいと思ったものは、愛おしいと思ったものは、最早こんなものに成り果ててしまった。

 生涯の最後に成そうとした事すら成し遂げることが出来ず、ただただ世界から消え去ろうとしている。

 復讐者の末路などそのようなものだ、と誰かはしたり顔で言うのかもしれない。復讐という、理不尽と不条理を押し付ける行為に手を出した時点で、そうなるのは当然なのだと言うのかもしれない。

 ――ああ、巫山戯るな。

 そんな事が有るわけがない。

 この少女の父親は、愚かだったかもしれない。自分のような悍ましい存在を、自らのクズのような自尊心のために生みだし、そのために娘を生贄に捧げようとした、狂った男だったかもしれない。

 だが、少女にその咎はない。

 彼女は理不尽に命を奪われようとしただけだ。復讐で命を、精神を繋がなければ、無意味に理不尽に殺されるばかりだった筈だ。

 それをするなと、言うのだろうか。

 ただただ、殺されているべきだったというのだろうか。

 少女だったものを、自らの内に取り込もうとでもいうかの如く、悪魔はきつくきつく抱き締めた。

 抱き締めたものが全く熱量を持ち合わせていない事が、辛かった。

 このまま、少女は何も成し遂げず、ただ世界から失われるだけで終わってしまうのだろうか。

 そんな事を――

「許せるものか。決して、決して許せるものか!」

 涙と共に、激情を吐き出す。

 そうだ、そうしなくてはならない。それだけが、それだけが自分が彼女にしてやれることだ。

 何としてでも、あの少女という存在を、世界に刻みつけてやる。少女という形の、消えない傷跡を、世界に対して付けてやる。

「それこそが――僕の復讐だ」

 この、何よりも無慈悲で理不尽なものに対する、悪魔からの復讐で、呪いで有る。世界に残すものである。

 だが、それと同じくらいの重さを持って、祝福でも有り、愛情表現でも有る。少女の世界に対する答えが復讐であるならば、これが悪魔なりの最後の答えだ。

 さぁ、仕事に掛かるとしよう。

 ここには全てが揃っている。

 多少削れてはいるものの、人型をした物体――ギアドール。

 そして、莫大な情報質量の塊――悪魔自身。

 この二つと、少女の残滓が残っているならば。それは可能だ。

 それは即ち、少女の父親が成そうとした事。独立演算型情報質量体の顕現――悪魔の召喚だ。

 やり方は当然知っている。条件も揃っている。だから、始めることにした。

 ――ああ……

 塩が水へと溶けていくかのように、自分という存在が端から崩れていくのが、悪魔には分かる。この炎の海の中で、新たに生み出される悪魔は、自分とは異なる存在、異なる姿と思考を持つものだろう。

 新たな悪魔には、名前を与えよう。最後まで無名の悪魔だった自分とは違うのだから。

 ――僕の中にだけ残った、僕だけが覚えている名前だ。

 身体も、記憶も、全てを解いて情報質量に変換するのだ。

 こうして自らを情報の海へと溶かしていくと、今抱えている気持ちも何もかも、失われて、損なわれてしまうのだろう。

 それが少しだけ悲しく、それだけのものを少女に捧げたのだと思うと、悪魔には有る種の恍惚感すらあった。

 ああ。ああ。

 ――

 僕はきっと、君のことを愛していた。

 泥の海に沈むように、悪魔は意識を手放した。

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