Ep.2 Machine Head 3


「おっと、お嬢さんレディ、あいつが逃げるよ。どうするんだい? 見逃すつもりは――無いんだろう?」

 ネメシスの目の前から、スピードキングが遠ざかって行く。爆発的な加速と共に黒い風となり、同時に雨霰と火砲を放ちながら。

 まるでマフラーから排気ガスをぶつけて走り去るがの如く。

 ネメシスはそれら全てを、黒焔を前面で燃え上がらせることによって焼き尽くす。攻撃はネメシスまで届かない。だが、ネメシスはその攻撃群に足止めを強いられる。

 ネメシスがもたつく分、相対距離は開いていく――

「……見逃すわけ、無い!」

 レディは答えて、ネメシスに地を蹴らせる。飛ぶ方向は前方ではなく、直上だ。

「なるほど、なるほど。幾ら黒い騎兵ブラックライダーが速くとも、地を駆けるものは空を飛ぶものよりも遅い。ならば、空から追うべきか」

 悪魔の言葉に何も返さずに、レディはネメシスを飛ばせる。

 攻撃は今だに飛んできているが、距離が開いていれば防ぐのは容易い。

 左腕を銃口に再度変形させて、火炎を放つ。無数の弾幕を焼き溶かしながら、夜闇を斬り裂く焔はスピードキングへと襲い掛かる。

 しかし、それをまるで察知していたかのように、スピードキングは道路に痕を残しながら軌道を変える。

「ギアとそのパイロットは、脳直で繋がっている。当然センサーからの情報も脳に入ってくる。それは、後ろに眼がついている……なんてものじゃあないよ」

 随分詳しいのだな、と思いながら、レディは悪魔の声を無視。何度も何度も、焔を撃ち出す。炎熱が夜の冷たい空気を焼き焦がし、全てが道路に着弾。着弾点が水飴のようにどろりと溶ける。

 そう、着弾したのは、全て道路だった。焔は一撃たりとも、スピードキングに直撃してはいない。

「くそぅ……! くそぅ……!」

 レディの心中に、ネメシスが纏っているものを超える火勢の黒焔が燃え盛る。その焔が悪態となり、火球と共に吐き出される。

「黒いの……必ず、必ず、壊してやる。粉々にしてやる、斬り刻んでやる、灰にしてやる……」

 怒りで歯を鳴らし、レディはスピードキングを追い続ける。

 空中からの追走であるにも関わらず、彼我の距離は縮まらないままだった。

 最大速度はネメシスが勝る、が、加速性能はスピードキングのほうが上だ。妨害しあいながらの追走では、然程の差はつけられない。

「さて、どうするんだい。黒い騎兵ブラックライダーが進む先に、見えてきたものがあるじゃないか」

「関係ない……」

 悪魔の声に、レディはそう返答する。

 スピードキングの行く手に見えているのは、雨後の筍にも似た高層ビル群だった。脇には、ポツポツと民家が見えるようになっている。それらが纏う色とりどりの明かりが、宝石箱をひっくり返したような光景を作り出していた。

 スピードキングが向かっているのは、市街地だった。

「市街地で戦えば、焔は広がる。関係のない人間を、それはそれは沢山飲み込むことになるよ。それはまるで――」

「関係ないって、言ったの」

 斬り捨てるように言うと、また焔を吐く。

 焔は火力自体は申し分ないが、銃口が左腕一つな上に、連射が効かない。これでは、スピードキングに直撃させることなど、出来はしない。

 ならば――どうするのか。決まっている。

 そう考えて、レディはスピードキングの様子を観察した。

 スピードキングはもう、市街地――高速道路に入っていた。ギアが乗るバイクは、当然巨大で、車線を無視して走っている。

 両側二車線、中央分離帯が存在する高速道だが、スピードキングはその中央分離帯を、チェーンソウ……ネメシスに向かって振り回したそれで、破壊しながら進んでいた。

 爆発しながら前進しているかのような騒音。それは空中にいるレディにすら届く、ある種異様な排気音エグゾーストノートといえた。

 電子式の標識が、林業の標的になったかのように倒れ、それに一般の自動車が巻き込まれる。車は大破炎上。そうして、あちらこちらの壁に、追突して動かなくなった車がある。

 だが、それはまだましな方だった。

 スピードキングの巨体、速度、そして武器。それらに触れた自動車は、元が何だったのかすら判別が難しい鉄屑と成り果てていた。

 夜の高速道路に、炎と煙があちらこちらで立ち上る。

 まるで戦場のような有様だ。そんな有様を見てレディは――無性に腹立たしくなった。

 非難することは、正当ではない、レディはそう思う。

 無関係な人間を巻き込み、殺す。それはレディも同じだからだ、もう何人も何人も、標的ではない人間を殺している。

 ――けれども、私は人でなしだ。

 そう、レディは考える。

 あの時――悪魔の手を取った時、レディはそうなった。そうなることを、自ら選んだ。身体の乗り手として、理性ではなく感情を選んだ。

 もう、人でなしの獣か悪鬼。いや、文字通りの悪魔なのかもしれない。

 だが――あいつは、黒い騎兵ブラックライダーはどうだ。

 ――自覚は有るか、お前に。お前に!

 ネメシスが左腕を突き出す。銃口と化したその先端で黒焔が渦を巻き、吐き出される。その狙いは、スピードキングではない。

 スピードキングより前方、高速道路だ。当然、スピードキングから逃げるように高速で走っている一般車も多く有る。

 それら全てに、黒焔が襲いかかった。

 レディが狙ったのは、一般車ではない。高速道路、それ自体だ。

 あちらこちらに火の手が上がり、道路が破壊される。穴が空き、高速道の破片とそこを走っていた車が下の通常道路に落ちていく。

 災禍に継ぐ災禍。犠牲に継ぐ犠牲。レディは聞こえるはずのない悲鳴を無数に聞いた。

 こうして、進行方向を破壊してしまえば、スピードキングはその速度を落とさざるをえない――筈だ。

 無関係なる人間の、犠牲と引き換えに。

 炎上する悪路の中を、それでもスピードキングは駆け抜けてゆく。細くなった道を、バイクを傾けて蛇行しつつ最短ルートで駆け抜け、障害となるものをチェーンソウで破壊しながら。

 そうして逃げながらも、スピードキングは砲撃を飛ばしてくる。だが、その数は先までよりも遥かに少ない。

 それも当然の事だ。バイクを傾けたり、細かく曲がったりすれば、幾ら後方に火砲を向けていても、全てを使い切ることは出来ない。

 速度も、妨害も落とすことが出来た。なら、今こそが攻めに転じるべき時だ。

「ネメシス! 行くよ!」

 レディの声に合わせて、ネメシスは黒焔を外套のように全身に纏う。

 そして――行った。

 速度を上げ、高度は落とす。進行妨害のための焔は、絶やさない。

 それは獲物を狩りに行く猛禽の動き。或いは目標を定めた爆撃機の動き。

 近付けば、砲火も激しくなる。しかし、それらを黒焔の外套でネメシスは焼き払う。

 炎上する都市の中、追走劇チェイスは一つの転換期を迎えようとしていた。

 距離が詰まる。ネメシスの左腕が変化する。銃口から、刃へ。距離が更に詰まる。斜め下方へと、ネメシスが突撃する。スピードキングとの距離はほぼ無い。

「死ねぇッ!」

 刃が振るわれる。しかし、スピードキングがバイクの車体を倒して避ける。ネメシスは戦火の中に着地。二機の高度が一致した。

 再度の加速。ネメシスは低空を飛ぶ。低空と言えども、飛んでいるならば、路面状況は無視できる。速度の面では、ネメシスが有利に立つ。

 火炎を速度で斬り裂いて、ネメシスはスピードキングの正面へと回り込む。

 スピードキングは、火砲を後方へと向けている。ならばこそ、正面へと回られてしまえば、取る道は二つ。

 その場でネメシスに背を向けて、再度火砲での攻撃を行うのか。或いは、武装がなくともバイクの速度に任せて突撃を仕掛けてくるか。

 後者だと、レディは考える。いや、思考によるものではなく、直感的に確信している。

 こいつなら、そうするに違いない――

 そう思わせるものが、髑髏面には存在した。

 二機は一瞬、相対する。機械越しに、互いの視線が交錯する。即座に、二機は行動へと移った。

 相容れぬ敵対者である二機だったが、取ったアクションは同じだった。

 即ち、直進。

 ネメシスは左腕の刃に、全身を覆う黒焔を巻き付かせて。

 スピードキングは手元のアクセルを吹かせて、前輪を浮かせながら。

 二機の巻き起こす疾風が周囲の炎を薙ぎ払った。

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