Ep.2 Machine Head 4
「ド甘ぇ!」
イアンはスピードキングの中で気を吐いた。
なるほど、火砲を後方に向けていることに気付いたのは、良い。
そして、癪に障るが、スピードキングの前に出るそのスピードも良いだろう。
だが、だが――
「だからってよぉ、わざわざ分かりやすく弱点を丸出しにしておくと思うかよぉ!」
前輪を持ち上げたのは、ただの威嚇行為ではない。スピードキングが装備する、前面への武装を使うための準備だ。
眼前のネメシスは左腕を刃に変形させて、そこに焔を纏わせている。バイクの速度とタイヤの回転だけでそれに対抗は出来ないかもしれない。だが――
「ゴー! マシンヘッド! ゴー!」
イアンの声に合わせて、エクステンション・アーマー、つまりスピードキングのバイクが再度変形する。
正確には、その一部が変形する。
変形したのは、その前輪だ。タイヤの両サイドから、刃が展開される。その形状は、まるで丸鋸かピザカッターのようであるが、高速回転する様はもっと悍ましい何かを連想させた。
マシンヘッド。それは、スピードキングのエクステンション・アーマーに搭載された兵装の名前だ。
いきなり出現したそれに、ネメシスは動きを一瞬止めた。
――ビビったか! はぁ!
そう判断して、イアンはアクセルを回す。
一瞬の停止に、スピードキングは回転する刃を割り込ませた。
狙うは頭部。
一度食い込みさえすれば、後は前輪の重さでそのまま真っ二つだ。
「死ぃぃぃねよぉ!」
ネメシスの頭上に、スピードキングの回転する刃が迫る。鋭さと速度と摩擦を兼ね備えた、一撃必殺の刃が。
しかし――それがネメシスまで到達するよりも、ネメシスの行動の方が早かった。
反撃は間に合わずとも、防御は間に合ったのだ。
異形の左腕が跳ね上がる。そして、スピードキングの刃を受け止める。
「ッんだとぉ!」
イアンが声を上げた。目の前の光景に。
ネメシスの左腕は、スピードキングの刃を受け止めた――というのは、正確ではない。確かに、スピードキングの刃は、ネメシスの頭部に到達はしていない。
しかし、ネメシスの左腕は、スピードキングの刃で砕かれ、すり潰されている。だが、それが飛散するよりも早く、元の場所に戻ろうと変質し続けているのだ。
悍ましい、あまりに悍ましい光景だった。
車輪が一回転するごとに、ネメシスの左腕は半ばまでが弾け飛んでいる。しかしそれも一瞬のこと。まるで磁力に群がる砂鉄のように、弾け飛んだ左腕が即座に元の位置に戻っていく。
そうして出来た停滞に、今度はネメシスが差し込んできた。
右腕。
左腕のように異形へと変異はしていないが、元より竜の如き鉤爪を備えたそれは、十二分に凶器になりうる。
飛んできたのは大振りの横薙ぎ。
「舐めてんじゃねぇ!」
スピードキングは、バイクに備え付けられたチェーンソウを左手で取り外して構える。同時に、チェーンソウが回転を始める。
チェーンソウは備え付けの武装では有るが、取り外して手持ち武器としても使えるようになっているのだ。
同じく薙ぎ払って、ネメシスの右腕を打ち払う。金属音と火花が暗闇の中に舞い散り、互いの攻撃が弾かれ合う。
それを一合、二合――幾度と無く繰り返す。
「ウィリーで頭削りながら、獲物で殴り合いか! ガキか!」
叫び声を上げながら、何度も何度もチェーンソウを打ち付ける。武装を持っているとはいえ、装甲でも腕力でも、スピードキングは負けている。関節部が悲鳴を上げているのが、イアンの脳髄へと直接伝わってくる。
だが、それでも続ける。アクセルを捻り、エンジンを唸らせながら。スピードキングは二ヶ所で攻撃を仕掛けている。
ならば、このまま続ければ、消耗が先に来るのはあちらの方だ。
――我慢比べに耐えられるか! ええ!
このまま膠着しての削り合いなら、勝つ。イアンはそう考えていた。そう考えると――
「か――」
口が開く、勝手に喉が震え出す。漏れるのは笑い声だった。けたたましく下品な笑い声だった。
「かははははははははははァ!」
脳内に流れるアドレナリンが、勝手に笑いを迸らせるのだ。
高揚。頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられるほどの高揚。
強敵と戦うのは楽しい。潰し甲斐のある相手と戦うのは楽しい。そんな相手をすり潰すのは――とてもとても楽しい。
高揚に任せてエンジンを吹かし、チェーンソウを振るう。スピードキングの手首がイカれそうになっているが、気にすることはない。
「オラァ! オラァ! さっさと潰れっちまえよぉ! かはぁ!」
そうして、何度も叩き付けているから――気付かなかった。その異音に。
突如、それは起こった。回転とはまた違う、極端な高音が、まるで悲鳴のように車輪から漏れ出て――回転が停止した。
「んな――」
急に頭が冷え、イアンはスピードキングのタイヤから来る情報に注目する。そこにあったのは――
「絡まって――やがるのか」
前輪に絡み付くようにして、ネメシスの左腕が固着している状況だった。それはまるで、刃やスポークの合間に左腕を構成する物質が入り込んで、まるで一体となったかのよう。
それはまるで、一度溶けたチョコレートが、再度冷えて固まっているような光景だった。
イアンは理解する。ただマシンヘッドで削られつつも、左腕を再生して耐えているように見せておきながら、少しずつタイヤの間に入り込んでいたのだ。
まるで、じわりじわりと毒を盛っていくかのように。
そうして気を取られたのが致命傷となった。
ざん、と風が凪いだ。
ネメシスの右腕への注意が、完全にそらされていた。振るわれた鉤爪が、スピードキングの左腕を飛ばす。
だが、イアンがそれで気圧されたのは一瞬。即座に、もう片方のチェーンソウを右手で掴む。
「まだまだァ!」
そうだ、まだ負けていない。まだまだやれる。向こうも左腕がまともに使えない今なら、こちら側からの攻撃は通る。否、通してみせる。
チェーンソウがけたたましく悲鳴を上げて、ネメシスを食らわんと襲い掛かる。
しかしそれが到達するよりも、ネメシスの方が早い。
一瞬、バイクの前輪が――違う、それと一体化したネメシスの左腕が発光した。それは瞬間的に巨大な火球へと成長する。まるでその一箇所だけ、夜明けが訪れたかのようですらあった。
固定化したということは、ネメシスの左腕が完成したということでもあったのだ。刃ではなく――先まで火球を放っていた銃口として。
火炎の熱が、バイクを炎上させ――爆発させた。
「が……!」
衝撃がスピードキングに襲い掛かる。まるで、壁がそのまま押し寄せたかのようなその圧力に、そのままの姿勢で、スピードキングは後方へ吹き飛んでいった。
地面に叩きつけられ、スピードキングの内部でイアンは掻き混ぜられる。シェイカーの中に入れられたかのような、悪夢的な気分。
機体のコンディションが最悪なのは分かる。そして、自分自身のコンディションは、更にどうしようもないものなのも。
だが、なんとか――うつ伏せの状態で停止してから、なんとか。イアンはスピードキングの上体を起こす。肘から先しかない左腕を杖にして。
右腕は――動く。チェーンソウは取り落としたが、まだ右腕は動く。脚は動かない。近寄ってきたところを、殴り付けるしか無い。
それでもまだ、コクピットを潰しさえすれば、逆転の目は有る。有るのだ。
イアンは前方の炎へと、視線を向ける。誰が、ここが元が高速道路だったなどと、誰が信じるだろう。夜闇に向かって炎が葦のように幾つも昇る、この光景を見て。
その炎の中から、悪鬼が歩いてくる。歩調はゆっくりとしている。だが、がちゃりがちゃりと音を立てて、一歩ずつ確実に近付いてくる。
炎という赫を裂き分けて近付いてくる、闇の中ですら一際暗い、人型の闇黒。
その光景を見て、この戦闘が始まってからイアンは初めて――高揚とは別の理由で、肌を粟立たせた。
分かっていたはずの事を、思考ではなく感覚で理解させられた。自分が戦っていたモノが、一体何なのかを。
それは、自分達にとっては獲物にすぎないモノだった筈だ。その獲物が、自分を殺そうとしている……
「……悪魔」
左腕を刃へと変化させたネメシスは、スピードキングのすぐ近くまで寄っていた。振り上げようと思っていた拳は動かなかった。イアンの身体は震え、精神は軋んでいた。炎上する都市の中にあって、ただ、寒かった。
ネメシスの右腕でスピードキングは首元を捕まれ、無理やり立たされる。拳を――と思ったときには、右腕は肩から切り飛ばされていた。
何も出来ない。そんなスピードキングの胸部――コクピットに刃が向けられる。
潰される――そう、イアンは確信した。だが、そうはならなかった。
まるで
――何のつもりだ……
そう考えたイアンの元に、それは降ってきた。
それは、少女だった。
愛らしいと言っていい少女だ。歳は十五に届いているかどうかといった程度だろう。
少女はその表情を醜く歪めており、左腕の肘から先を失っていた。その二点が、少女を愛らしいだけの存在ではない何かに変容させていた。
ふわりとした金の髪を靡かせながら、少女はスピードキングのコクピットに入ってきた。
ふと見ると、ネメシスのコクピット部――半透明の球体が開かれているのがイアンには分かった。
戦闘中に見えたネメシスのパイロットその人が、この少女だった。
だとしても何故、この場に降り立ったのか。
そう考えた、その時だった。少女が短剣を取り出したのは。
その短剣は装飾が多く、日用や武装として用意されたものではないのであろう事が、見ただけでも分かった。同時に、人を殺す程度は可能であることも。
「くっ……」
身体を動かそうとして、出来なかった。身体機能のほぼ全ては、繋いだスピードキングに置いていってある。それを外すには、時間が居る。
こうなってしまってはイアンは敵対者ではなく、獲物でしかなかった。
「復讐するは我にあり」
少女が短剣を振り上げる。それに対してイアンが出来ることはない。ただ一つ、言葉を投げること以外には。
「先に地獄で待ってるぜ」
少女はそれに対して何も返さなかった。
まるで雲間から覗いた月光――そんな短剣の煌めきが、イアンの見た最後のものとなった。
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