Ep.4-2 Turbo Obliterate 3


「ディアボルージュ、シフトダウン!」

 ミサイルの爆風に紛れて最速で接近しながら、エルフリーデはディアボルージュを変形させた。

 オーバーシフトの解除符丁コードが、シフトダウンだ。

 ディアボルージュのオーバーシフトが戦闘機形態への変形であるならば、シフトダウンで起こるのは、当然人型への再変形だ。

 フレームの変形が必要ない都合上、再変形は非常に高速で行われる。超音速での戦闘機動中の変形すら可能だ。

 その代償として、コクピットは激しい回転と衝撃に見舞われ、急な形態変形による空力変化での急失速も起こる。

 だが、それすらも計算に入れることが出来るのならば、全ては武器になる。

 こうして、敵の眼前まで戦闘機の最高速で接近/変形時の失速で急減速。

 両腕に、ウイングを変形させた高周波振動ブレードを両手に構える。

 速度/質量/鋭さ。それらを兼ね備えた、全てを切り落とす二振りの紅の刃。

 ディアボルージュは急接近して、爆風を吹き飛ばす。

 眼前には、漆黒の三つ首龍――ネメシス・ヴェイン。

 両腕の頭部は大きく広げられ、中央の頭部だけがこちらを見ている。

 いや、眼の見当たらない、無眼の頭部が、見ていると言うことが出来るのだろうか。不気味で悍ましい、この龍頭が、何かを見ているのだろうか。

 狙うは、ここだ。

「叩き切る――!」

 脳天から、胴体まで真っ二つにする。機体中枢とパイロットを纏めて断ち切れば、流石にネメシス・ヴェインも倒れるはずだ。

 ディアボルージュは紅の刃を振り上げる。

 しかしそれが振り下ろされるよりも、ネメシス・ヴェインの反応が早い。

 瞬間的に、ネメシス・ヴェインが縦に回転する。追従するのは、巨大な尾。竜尾ドラゴンテールを使った、サマーソルトだ。

 突発的に現れた暴風のようなそれが、ディアボルージュを叩きのめし、かち上げる。

「がっ……!」

 体勢を崩され、上空へと吹き飛ばされた。エルフリーデは即座に損傷を確認/左腕が千切れかけ/無数のエラー。この相対速度で攻撃を受けて、バラバラにならなかっただけ、有り難いというものだろう。

 洗濯機の中に放り込まれたみたいに、滅茶苦茶に回転させられて、反吐を吐きそうになりながらも、エルフリーデはネメシス・ヴェインの状態を確認する。

 尾によるサマーソルトを入れた後、ネメシス・ヴェインは即座に元の体勢に戻っていた。そして――

 まるで爆風に弾き飛ばされるように、瞬間的にネメシス・ヴェインが上昇した。その瞬間速度は、間違いなくディアボルージュの最高速度を上回っている。

 ――これは、不味い。

 エルフリーデの額を冷たいものが伝う。

 ネメシス・ヴェインに勝てるポイントが、存在しない。

 一箇所でも勝っている所が有るのなら、そこで勝負するという手立てがある。他の全てで劣っていても、勝っているところだけで戦えば、勝ちを拾えることも有る。

 ――どうする、どうやって戦う?

 そう、思考を回している間に、ネメシス・ヴェインが攻撃を仕掛けてくる。

 まずはこれを凌がなくては。

 ネメシス・ヴェインの両腕の首が、その額から生やした刃を突き出してきた。あまりに鋭く、回避は困難。

 だが――

「オーバーシフトォ!」

 吐き出すようにエルフリーデが言うと、ディアボルージュはその符丁コードに従った。

 千切れかけた左腕と右脚を振り落とし、機体を捻り、半壊させながら、ディアボルージュは再度飛行形態へと変形する。

 その無理矢理な挙動と加速で、ディアボルージュはネメシス・ヴェインの刃を回避する。交差の瞬間に、速度が生む疾風が互いに噴き付けた。

 半壊した所為で空力が無茶苦茶になり、痛みに悶える乱竜のような軌道を描きながら、ディアボルージュは飛ぶ。

 背後から、黒い光線――プラズマジェットストリームが飛んでくる。乱れた軌道のディアボルージュは、それを回避するでもなく、飛び続ける。

 自らの意思で回避など、もはや出来たものか。だが、この狂った軌道は、プラズマによる黒焔の矢を、紙一重の所で避けてくれている。

 そうして回避しながら、エルフリーデは残ったミサイルを全て放出した。

 まるで蜂の巣を突付いたかのように、空中にミサイルが吐き出されて、白い尾を引きながらネメシス・ヴェインへと向かっていく。

 ――まぁ、無駄だろうけどね。

 ダメージを与えることなど、期待してはいない。

 せめてもの時間稼ぎだ。

 ネメシス・ヴェインは向かってくるミサイルを、撃ち落とそうとすらしない。全て、その装甲で迎え撃とうとしている。

 その傲慢だけが、付け込める隙だ。

 着弾。空中で爆破が連続し、全てを覆い尽くす。

 その隙に、エルフリーデは大きく迂回。ディアボルージュがこの状態で出せる、最高にして最後の速度。ディアボルージュは、空中に、月輪にも似た最後のアークを描く。

「ごっ……」

 腹に来た痛みに、エルフリーデは血を吐いた。ディアボルージュの慣性制御が、ろくに働いていないのだ。

 だが、これが最後の一撃だ。そんな事に構ってはいられない。

 高速で流れていく景色の中で、エルフリーデはネメシス・ヴェインの背後を取った。

 だが――

 ネメシス・ヴェインの身体が、ディアボルージュに向き直ろうとする。無眼だけあって、初めから視覚に依存していないのか。

 ――知った事か! そんな事、僕の知った事か!

 これが最後の一撃だ。エルフリーデが放つ、最後の一撃だ。

 最早、相手の事など気にはしてやらない。

 ネメシス・ヴェインが振り向きながら、右の頭部を裏拳のように繰り出す。刃が伸びて、ディアボルージュに襲い掛かってくる。

 ――それを待っていた!

「シフト――ダウンッ!」

 エルフリーデが喀血しながら叫ぶ。それに、ディアボルージュが付き従う。

 まるで激痛に身悶えするかのように、ディアボルージュが身を捩り、パーツを振り落としながら、その姿を半壊した人型へと変じる。

 身を捩る動き。その機体の捻りが、ネメシス・ヴェインの刃を、致命傷から避けさせる。ディアボルージュの首が空中に飛ぶ。

 だが、それでは止まらない。

 エルフリーデは止まらない。

「喰・ら・え……!」

 変形に伴う機体各部の稼働を勢いとして乗せつつ、翼を刃として構えて一気呵成に叩き付ける。

 回避と攻撃を全て同時に行う、変形居合とでも言うべきそれが、ディアボルージュの繰り出す最後の一撃だった。

 恐らく、戦闘者が生涯に放つ最高の一撃。技量が生み出す、神域の速度。

 高周波振動する刃が、ネメシス・ヴェインの右脇に入る。逆袈裟の斬撃。

 ――とったッ……!

 そうエルフリーデは確信して、刃を立てた。

 だが、そうはならなかった。

 ネメシス・ヴェインの機体に触れた所で、甲高い金属音をあげながら、ディアボルージュの紅刃はその動きを止めた。

 ネメシス・ヴェインの狂った装甲強度は、エルフリーデが放った至高の一撃ですらも文字通り刃が立たなかったのだ。

 必死に繰り出された刃を受け止めながら、ネメシス・ヴェインはゆっくりと振り向く。まるで、絶望を見せつけるかのように。

「あぁ……」

 正対した、ネメシス・ヴェイン。その、三つ首の漆黒龍という異形を至近距離で見せつけられて、エルフリーデは声を漏らした。

 もう、駄目だ。自分は、こいつに殺される。そう、理解させられてしまった。

 腕から、力がすぅっと抜けていくのが分かる。抵抗の意志が削がれていく。

 同時に、エルフリーデの意思が、まるで刃に伝わったかのように、紅の刃に亀裂が入る。みしり、と音を立てて、亀裂が根本へと伸びていく。

 蜘蛛の巣状に広がったそれは、刃を完全に砕け散らせるに至る。

 凍った花が握り潰されたかのように、紅の破片が中空に散らばって舞った。

 ネメシス・ヴェイン中央の頭部が、首を伸ばす。無眼の龍頭が、まるで嘲笑の形を作るかのように、そのクラッシャーを開いてディアボルージュを襲う。

 ゆっくりとしたその動作は、攻撃ではなく、捕食というべきものだった。

 開かれた大顎が、ディアボルージュの装甲を咬み砕く。空中に、装甲片が飛び散っていくのをエルフリーデは見ていた。

 ネメシス・ヴェインは、既にボロボロになっているディアボルージュを咥え込むと、大きく首をしならせ、そのまま火炎が吹き荒れる地上に向けて、ディアボルージュを放り投げた。

 ディアボルージュの内部で、まるでミキサーに入れられたかのようにエルフリーデは掻き回され、叩き付けられた。

「が……ッ!」

 血を吐きながら、エルフリーデは悲鳴を上げる。腰から下の感覚が無く、手が冷たい。

 ――ああ、これもう死んだな、僕。

 大渦に飲み込まれたかのような、感覚の嵐に襲われながらも、どこか冷静にエルフリーデは考えていた。妙に自分を客観視出来てしまうのは、強烈なショックの所為だろうか。

 荒い息を吐きながら、エルフリーデは、コクピットの裂け目から上空を見た。

 ディアボルージュを投げ飛ばした漆黒の三つ首龍は、まるで黒い太陽のように上空に君臨し続け、エルフリーデに直接影を落としていた。

 その姿が、ゆっくり、ゆっくりと大きくなっていく。

 降りてきているのだ、戦闘能力どころか、移動能力すら完全に失った、ディアボルージュに向かって。

 ――これは……

 悪魔が降りてくる。自分を殺しに来るために。

 震えではなく、寒気で身体が凍りつくような感覚が、エルフリーデに襲い掛かってくる。

 羽を震わせるようにして微かに羽撃きながら、ネメシス・ヴェインはその姿を大きくしていく。

 それが最大に達した瞬間に、ディアボルージュの残った機体が大きく震えた。同時に、エルフリーデの視界は完全なる闇に覆われる。

 ネメシス・ヴェインが着地し、ディアボルージュのコクピットを覆うように右足で踏みつけにしてきたのだ。

 完全に、生殺与奪権を握られた。巨人に鷲掴みにされたのと同じだ。

《……さぁ、最後の相手の居場所を話せ》

 軽く足で踏み躙ってディアボルージュを揺さぶりながら、青年――悪魔が言う。

 抵抗は無意味だ。

 この局面を巻き返すのはおろか、ここを逃げ延びて、一矢報いる目すら無い。

 完全なる敗北と、死。それだけがエルフリーデに残された全てというほかなかった。

 ――だったらせめて――

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