Ep.1 Blue Moon 5


 空中に飛び出したネメシスに、光線が襲いかかる。

「くっ……」

 黒焔の装甲を突き破るほどの威力は、レーザービームにはない。だが、闇を切り裂いて瞬間的に現れる光の格子は、ネメシスの進行を妨害してくる。

 そうして僅かに出来た時間に、青白いギアドールは距離を取ろうとする。かと言って、逃げているわけではない。ある程度の距離を保ちつつ、攻撃を続けようとしているのだ。

 そんな青白いギアドールの姿を、ネメシスは睨む。

「時間稼ぎが狙いみたいだね。さぁ、どうするお嬢さんレディ?」

 レディにとっては考えるまでもないことだった。

「突撃する」

 言うと同時、ネメシスが加速した。

 レーザービームは、先からネメシスの装甲にはダメージを届かせていない。ならば、黒焔の装甲翼でそれを弾けるようになった今、それを突き抜けて行くのも当然可能だ。

 前方から強力な重力が襲いかかる/空が後ろにすっ飛んでいく。正に、悪魔的な加速。

 瞬間的に高速に達したネメシスの行く手に、光の格子が十重に二十重に現れる。

 青白いギアドールは直接的にレーザービームを当てるのでは無く、ネメシスの進路上に光の罠を設置する事にしたようだ。

 青白いギアドールとネメシスの一直線上に、まるでシャッターのようにレーザービームの格子が設置される。

 これは挑発だ。

 この光の壁を潜り抜けて来いという、挑発だ。

 あからさまなそれが、レディの心をささくれ立たせる。

「くっ、あぁ!」

 ――邪魔ぁ!

 激情に任せてレディはネメシスを空中でライフル弾のように回転させながら、レーザービームの格子に突っ込む。

 黒い火の粉が散り、レーザービームを弾き飛ばしながらネメシスは青白いギアドールへの距離を詰める。

 再度の最接近――とレディには思われた。

 しかし、レーザービームの格子を潜り抜けた先に、青白いギアドールの姿がない。

「なっ!?」

「上だお嬢さんレディ!」

 悪魔の声に釣られて、レディは上を見る。ネメシスのセンサーで確認したそこには、青白いギアドールの姿があった。

 青白いギアドールは、今まで持っていなかった長物――杖のような外観のライフルを構えて、ネメシスの方に向けている。

 咄嗟に、レディはネメシスが纏った黒焔を変化させる。全身を纏う外套から、前面へと展開される盾へ。

 青白いギアドールのライフルが発射される。

 音を置き去りにして瞬間的に到達したライフル弾は、黒い焔の障壁を食い破れ――なかった。

 炎の障壁に衝撃を与え、質量と速度を持ってその内側にあるネメシスを破壊せんとやってきたライフル弾。それは障壁の半ばで黒焔に包まれ、蒸発してしまったのだ。

 当然、ネメシスは無傷。

 ――その程度か。

 ライフル弾を弾いたレディは、心中で呟く。その程度なのか、と。

 自分が怒りをぶつける存在は、その程度のものなのか、と。

 半ば以上、理不尽な怒りだ。

 だが、それが炎となって、レディの中で燃え盛る。

 ふざけるな、と。

 その程度のものに、そんな弱くくだらないものに、自分は全霊をかけて復讐をしようとしているのか、と。

 激情が喉を震わせる。

「う、あぁあぁぁぁ!」

 ネメシスの前面に展開した黒焔の障壁が開かれる。ネメシスの後方へと向けられたそれは、黒焔の翼だ。

 ネメシスが黒焔の翼を羽撃かせる/それは瞬時に速度へと転じる。

 黒い火の粉を中空に舞わせながらの、跳躍めいた接近。

 風を斬り裂いて、青白いギアドールに肉薄する/肉薄した時には、左腕を黒い刃へと変じさせていた。

 青白いギアドールの――正確には、それを操る人間の恐怖と困惑が、レディへと伝わってくる。

 それを断ち切るかのように、ネメシスは黒刃を振った。

 中空に、青白いギアドールの右腕――杖型ライフルを持った右腕が飛ぶ。

 青白いギアドールがネメシスに背を向けた。完全に、ネメシスに恐れをなして逃走しようという体勢だ。

 それがレディの神経を更に逆なでする。

「ふ――ざっけるなぁッ!」

 距離を詰めようとする/その間に割り込んでくるものがある。それは、青白いギアドールが大量に射出したドローンだ。

 当然、レディがそんなものに構うわけがない。

 怒り、憎悪、復讐心。そんな血の色をした心理的アクセルが生み出した速度は――例えば、良心や道徳といったあらゆる侵入防止柵を破壊する。

 今のレディは/狂熱に炙られた人間は止まらない。

 二機の間に入ったドローンに、ネメシスの黒焔が触れる。

 その瞬間、ドローンが爆発した。何かの刺激で自爆する、浮遊機雷としての機能も持たせられていたらしい。

 破壊と熱と轟音の華が闇の中に咲き、開花は隣のドローンへと伝播する。

 破壊の華が生み出す熱と黒煙が、ネメシスの視界を覆う。

 だが――

「こんなもので止められると思うなぁッ!」

 それを掻き分けて、ネメシスが現れる。その姿は、傷一つ存在しない。

 当然だ。ただの熱と衝撃では、それを遥かに上回る狂熱を止める事など、出来るわけがない。

 連鎖する爆発を物ともせずに、ネメシスは青白いギアドールの背に近接する。

「死ねぇッ!」

 固めた右拳を、青白いギアドールに向けて振るう。

 打ち下ろし気味に入ったそれは青白いギアドールのフレームを歪ませながら装甲を弾き飛ばし、ギアドール自体も地上へと叩き落とす。

「逃げるなぁ!」

「自分でやっておいて理不尽だなぁ、お嬢さんレディ

 ネメシスは左腕を砲へと変化させ、火炎弾を連射。落ちていく青白いギアドールへと殺到させる。

 左腕/両足/そして頭。

 青白いギアドールの五体が、火炎弾によって次々と破壊され、残った胴だけが地へと叩きつけられる。

 衝撃と同時に、大地がめくれ上がる。

 着地の衝撃に、更なる衝撃が重ねられた。

 それは、ネメシスの脚だった。地に落ちたギアドールの背を、ネメシスが踏みつけにしているのだ。

 ぎり、ぎり、と踏み潰さない程度に、レディは青白いギアドールの背を踏みにじる。

「ひ、ひぃぃ!」

 すると、青白いギアドールの中から、人間が出てきた。

 出てきたのは、金髪の青年だ。如何にも育ちが良さそうな青年が、血相を変えて、汗と涙を垂れ流しながら、みっともなくも逃げ出そうとしていた。

 レディの頭に血が上る。

 こいつが、こいつが――!

「逃がすか!」

 怒りのままに、ネメシスの右腕が男を掴む。

「あ、ぐあ、あぁぁぁぁ!」

 軽く握っただけだが、それでも人間の身体には間違いなく強力過ぎるのだろう。手足の二、三本でも使い物にならなくなったのか、目を白黒させながら悲痛な声を上げる。

 ――なんて――

 情けない、とレディは思う。この男が何をしても気に障る。怒りしか産まない。

 これから、自分はこの男を殺すのだ。とレディは思う。

 そのことに、忌避感も何も、レディは感じなかった。朝食にトーストをかじるのと同じように、当然のようにこの男を殺すのだと思った。

 さて、どうやって殺すか。このまま握り潰して、残った頭を地面に落としてやるか。それとも、地面に投げつけて大地の染みにしてやるか。

 あるいは左腕から炎を発して、燃えカスにしてやるのも良いかもしれない。

 そんな、残虐な空想に耽っていたときだった。

「駄目だ」

 そう、悪魔が言ったのは。

「何、まさか殺すなと言うの? ふざけないで」

「そうじゃない。やるのは君だ。君が君自身の手で、あの男を殺すんだ」

 悪魔がそう言うと同時、レディは自分の手の中に一つのものが握られている事に気付いた。それは短剣だった。

 装飾性が高く、それでいて人を殺めるのに十分な刃渡りを持った、短剣。それが父の持ち物であった事を、レディは覚えていた。

 これは、父の遺品なのだ。それを悪魔が何故持っていたのかは、レディには分からない。ただ、この神出鬼没の悪魔ならば、何を持っていたとしても何もおかしくはないと思えた。

 これを悪魔がレディに渡した意図はつまり――

「君が、やるんだ」

 ネメシスのコクピットが開き、炎熱に炙られた風が内側へと入ってくる。

「……そう」

 為すべきことは分かっていて、後押しするものは居ても、それを止めるものは居ない。

 レディは右腕で短剣を握りしめると、コクピットから飛び出て、歩き始めた。幸い、足場は繋がっていた。

 一歩一歩、ネメシスの機体上を歩いて行く。腕を伝って、握りしめられた青年の元へと。

 先までの激情はどこかに失せて、心と頭がすぅっと静かになっていく。ただただ冷えた意思だけが存在した。

 それは、この男を殺そう、という、氷の塊だ。

 距離を詰める度に、何をされるのか分かった男は、甲高い呻き声を上げて、身を捩る。その度に激痛が走るのか、涙を流していた。

「やめてくれ! 助けてくれ! 許してくれ! いあぁぁあぁぁ!」

 なんと無様なのだろう。立派な男だとは、とてもとても思えない。

 そんな男の元まで歩いていくと、レディは屈み込んだ。そして耳元で囁いた。

「お前は、殺されて、当然だ」

 その言葉を聞いて、レディの方に顔を向けた男。その額に、レディは全力で短剣を突き立てた。

 思ったよりも、その感触は軽かった。

「か、は、あ、ぁ……ぁ………」

 奇妙な呻き声を上げて、舌をだらりと垂らして、男は息絶えた。

 レディが引き抜いた短剣には、血と脳漿がべたりと染み付いていた。

 思わず、レディはもう一度、短剣を男に叩きつけた。粘性の高い液体が空中に飛び散り、あまりにも容易く男の眼球を破壊する。

 もう一度、もう一度……

「は、ははは……はははははははははは! あははははははははははは!」

 何度も何度も、男の頭に短剣を突き刺し、レディはその肉体を損壊する。損壊しながら、笑っていた。

 高ぶる精神が、音となって外へと噴出する。

 レディ自身も、よく分からない感覚だった。それが笑い声となっている。少女の高音が渦を巻いて、炎に燃える夜の中へと溶けていく。

 それが収まったのは、男の頭が実を剥いたザクロと見分けがつかない代物になった頃だった。

「あっ、は、はぁ……はぁ、はぁ、はぁ……」

 荒い息と共に血塗れの右手を振り、その場にへたり込む。

 初めて人の命を奪った。しかし、それに付随する重いものを、レディは感じなかった。

 何せ、まだ一人目。これはただの始まりに過ぎないのだから。


 仇は四機。全て髑髏面。

 鏖殺するまで、止まれない。

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