Ep.5 Death & Taxes 2


 ランセロという男は、暴力が嫌いだった。

 人間は理性と言語を持っていて、問題を解決するのに暴力を用いる必要など無いはずだからだ――という、それらしく言語化された明瞭な理由からではない。

 過去に虐待を受けていた、という幼少期の精神的外傷が理由でもない。ランセロの家庭環境は健全そのものだ。

 ランセロのそれは、生理的な嫌悪感としか言いようがない、生来のものが理由だった。

 暴力そのもの、そして暴力的であることが我慢ならない。腐った魚の塊のように、存在自体が不愉快で、その場に存在することに嫌悪感を抱く。

 故に、ランセロは暴力に対して極端に敏感だった。

 暴力を振るおうとするものが、どのように動くのか。それが、行動を起こす前の時点でなんとなく分かってしまう。

 結果として、まるで相手の動きを予知しているかのように動けてしまう。

 周りの人間からは、もしや超能力者エスパーなのではないか――なんてことを言われる事もある。実際、余人から見ればそうとしか思えないような事をしているのだろうとランセロ自身も思う。

 だがランセロ自身から言わせれば、この感覚は別にそういった超自然的なものではない。

 ただ単に、ラベンダーの臭いが嫌いな人間が、ラベンダーの臭いに対して、余人に比べて敏感になっている程度の事だと――そう考えている。

 ただ、臭いから避けているだけの話だ。

 そんなランセロが、I3スペシャルセクションという暴力を生業とする職業に就いてしまったのは、皮肉でも有り必然でも有る。

 この才能を活かせるのは、当然の事ながら暴力が溢れる場所だからだ。ランセロの才能を活かそうとすれば、そうなってしまう。

 ランセロは実際、その力を活かして、I3スペシャルセクションで最も多くの戦果を上げていた。

 ランセロの乗機の名は、ホワイトナイト。

 荷電粒子砲と、特殊な防御装置を重装鎧として纏った機体だ。ギアドールを扱わせたら、人類で最強かもしれない。そう言われるほどの実力者だ。

 だが、ランセロの戦闘スタイルには、致命的な欠陥がある。

 それは、ランセロの能力を活かした戦い方は、極端に直感に依存した戦い方と同義であるという事だ。

 それを理論立てる事は不可能であるし、他人が着いてくる事も難しい。

 故に、基本的にランセロは単独で戦うことになる。それがうまく作用する事もあるし、非効率的になることも有る。

 ある程度団体行動が出来るのは、ランセロが勝手に動いても問題ないレベルの腕の人間と組ませたときだけだ。

 それが、髑髏面の機体の乗り手達だった。

 しかし、その彼等でも、完全にはランセロに着いてくることは出来なかった。それほどに、ランセロの戦闘能力は隔絶していた。

 だが――何故ここまで隔絶しているのか。

 ランセロ自身も、他人から超能力呼ばわりされるほどに暴力に嫌悪感を抱くのか、疑問に思っていた。

 その疑問は探究心となって、ランセロに様々なものを探らせた。暴力性とは何か。人は何故、暴力性を獲得しながら、それを嫌悪し――にも関わらず、それを捨てられないのか。

 ――進化心理学、という学問が有る。

 それは、人間――正確には、動物が持つ心というメカニズムは、進化の結果獲得した、生存のために有利な道具である、という説を元にした学問だ。

 恐怖という感情を覚えることによって、生物は危険から遠ざかる事が出来るようになった。

 愛という感情を覚えることによって、生物は幼く脆弱な同族を守るようになり、種としての生存能力が上がった。

 こうして、生物は、人間は多様な感情を獲得していったというわけだ。

 その中で、暴力への忌避感――暴力を振るう事へのストレスというものも、人間は獲得している。

 同族に対して暴力を振るうことへの忌避感を持っていれば、それは当然、社会生活を営む事が容易になる。

 だが、同時に、暴力は確実に必要なものだ。

 他種族と闘争しなければならないことも多く有るし、同種――人間同士でも、別グループとの抗争は可能性として存在する。また、身内に暴力を振るうことへの忌避感が麻痺した人間が居る場合も考えられる。

 そんなときに、暴力を振るうことが出来ない人間しか居なくては、それはそれで滅びて終わりになってしまう。

 であるからなのか、暴力を忌避しつつ、人間の心は暴力に――その身に秘めた力の解放にも、快感を見出すようになっている。

 暴力への忌避感と、暴力による快感。相反するそれが、微妙なバランスを保っているのが、人間というものなのだろう。

 そんな中で、復讐とはなんだろうか。

 ランセロが考えるに、復讐とは一種の免罪符だ。

 やられたのだから、やりかえしてもよい。むしろ、やりかえさなくては釣り合いが取れない。そう、自然に考えてしまう。ある意味では、法と秩序以前に存在した、原初のルールを感情として組み込んだものとも言える。

 やり返すのが当然と考えてしまえば、人間は報復に走る。

 手前勝手に殴っていい相手と認定して、自らの精神的安全弁を外して、その暴力性を解放する。

 そうなってしまえば、あとに残るのは、殴ってもいい相手を殴るのは気分がいいという、野蛮なる攻撃性の発露だけだ。

 暴力を振るうことにストレスを感じるくせに、社会的にその攻撃性を発揮することを抑止されていることにもまた、人間はストレスを感じている。

 だからこそ、人は復讐という暴力の形を好んですらいるのだろう。正しいように思える、暴力性の発露を。

 それは、自分が行うときだけに限らない。

 他者の復讐を眺めて、殴ってもいい相手を殴る様に声援を送り、自らの内側に有る暴力性を発散させる。それはそれで、カタルシスが有るものだ。

 だからこそ、人は復讐譚を愛し、復讐者が最後まで復讐者として事を成し遂げることを望むのだろう。

 そうやって、肯定的に暴力に走る――それが、ランセロには酷く醜く、表情を歪めたくなるような行為に思えて仕方がない。

 だが、ランセロは別に、大多数の人間が醜い存在であると考えているわけではない。大抵の人間は、真っ当に生きている。真っ当に生活している。

 そんな真っ当な人間ですら、暴力という汚らわしい行為に肯定的に走るのが復讐というものなのだ。

 良心を麻痺させる、麻薬のようなものなのだ。

 ――その結果生まれたのが、あの漆黒の復讐機なのだろう。

 元は、ただの少女だったはずの存在が、復讐者という怪物として変性してしまう。

 そんな怪物は、最早討つしか無い。

 だからこそ、ランセロは向かってくる敵を討たねばならない。

 だからこそ、ランセロは向かってくる敵に攻撃を放つ。

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