Ep.3 Opposition Orb 2


 ――本当に見逃すところだった。やれやれだ。

 エルフリーデはそんなことを思いながら、目の前に座った二人を眺める。

 少女の方は、隻腕で可愛らしい容姿をしているという、客観的には目を引かないわけがない筈の存在だ。

 なのに、ふと目を離してしまったら、個として認識出来なくなってしまいそうになる。まるで、路傍の石のように。そんな奇妙な存在だった。

 ――しかし……

 それが、この少女が選んだ道なのだと思うと、エルフリーデには哀れに思えてならなかった。

 直接的な原因の一つが自分達に有るとは言え、そして仲間を殺されているとは言え、いたいけな少女の受けた不条理と理不尽に対して、エルフリーデは嘆かわしいという思いを得てしまう。

 ――事情を本人以上に知っているというのも、面倒なものだね。全く。

 そこに、近くに停めてあった移動販売車の店員がやって来た。先にこの少女が注文していたものが出来たのだろう。

「ご注文の品になります」

「あ、僕にもアイスコーヒーをお願いできるかな?」

「かしこまりましたー」

 少女が注文した品をテーブルまで届けに来た店員に、エルフリーデは人差し指を立てながらそう注文する。

 エルフリーデは、少女の隣に座る青年へと目を移す。黒い長髪に、白い肌をした線の細い美形の青年だ。彼がエルフリーデへと向ける視線は、刺々しい敵意に満ちている。

 ――これが、僕達が殺し損ねた奴か。

 少女以上に、こちらのほうが問題だ。

 いや――それは正確な表現ではない。エルフリーデ達にとっては、少女ではなくが問題なのだ。

「それで、そのエルフリーデさんが、私に何の用なの? まさか、首を差し出しに来てくれたわけじゃないでしょう?」

「まぁ、僕だって流石にそんな面白い事はしないさ。それに、君達が手出し出来ないように、一応の保険はかけてある」

 狂犬のように敵意を剥き出しにする少女に向かって、エルフリーデは言う。

「保険?」

お嬢さんレディ、僕達は取り囲まれているみたいだ」

 青年の言葉を聞いて、少女はまるで子リスのように首をくるくると回して、辺りを警戒する。もっとも、戦闘に関しては素人の少女に、エルフリーデの手配した人員が何処に居るかなど見抜ける訳がない。

 少なくとも片手の指では足りない数の人間が、今、この少女と青年に銃を向けている。

「彼の言うことは本当だよ。最悪、君を射殺して済ますことも不可能じゃない。その程度の準備はしている」

「……そうしない理由は?」

「問われて君に話す理由もないなぁ。まぁ、こちらにもそれなりの理由がある、とだけ理解してもらえれば良いんじゃないかな」

 エルフリーデは両掌を天に向けて首を傾けた。

 エルフリーデがそうしない理由は、そんな事をして、青年の方を取り逃がしたくはないからだ。

 少女を殺せば、確かにこの凶行は止まる。止まるのだろうが――それだけでは本質的には何の意味もない。

 少女は言う。

「そう……それで、貴女達は何者なの?」

「『I3』スペシャルセクション……まぁ、ある種の特殊部隊だと思ってもらえれば間違いはないね」

「その特殊部隊が、なんであんな事を……」

 過去を思い出したのか、少女は音がしそうなほど歯を噛みしめる。その様は、痛々しくすらあった。

 ――本当に、哀れだな……この娘は。

 そう考えて、エルフリーデは目を細めた。殺されたのが仲間でなければ、抱き締めてやりたいほどだった。

「……君は、隣の彼から聞いていないのかい?」

「えっ……?」

 少女はエルフリーデの言葉に虚を突かれて目を丸くし、同時に青年は表情を顰める。となると、何も知らないのだろう、間違いなく。

「なるほどなるほど、君は聞いていないのか。そこの青年なら、事の真実を知っているだろうにね」

 再び笑みを浮かべると、エルフリーデはテーブルに肘を着けると腕と手で台形を作って、その上に顎を置いた。

「どういう、事、なの?」

「知りたいかい? まぁ、知りたいだろうねぇ、自分がそうなって、人殺しに至る原因なんだから。でも……教えてあげない」

 今はね、とエルフリーデは言う。少女はその物言いに、興味を惹かれたようだった。

「今は……」

「聞くな、お嬢さんレディ! 所詮は敵の言うことだ、耳を傾けては、惑わされてはいけない!」

 涼やかな美貌に似合わないほどの焦りを見せながら、青年は少女に顔を向けながら言う。

 だが、そんな青年に少女は面を向けない。ずっと、エルフリーデの方へ真っ直ぐな視線を向けている。

「まぁ、気になるのは当然なんだから、そんなに言うことはないんじゃないかな、君」

「お前……!」

 エルフリーデの言葉に、青年は怒りと視線を向けてくる。それはまるで、人間の仕草そのもののようにエルフリーデには見えた。

「はは! 怒ることは無いじゃないか! せっかくこうして出会えたんだ、仲良くやろうよ、ねぇ?」

「どの口が!」

「悪魔さん」

 少女の言葉で、食ってかからんばかりの剣幕だった青年は悔しそうに引き下がる。

「くっ……」

「それで、今は――ってどういう事なの?」

「それはだね、僕のお願いを聞いてくれたら、開示するつもりがある――って事さ」

 ふふっ、と笑いを含ませて、エルフリーデは少女に向かって言った。

「どういう事……」

 少女は、エルフリーデの言葉に困惑していた。まぁ、それはそうだろう、自分と相手に、殺し合う以外の選択が有るなどど、想像もしていなかったのであろうから。

「もう一つ、おまけもつけよう。開示の際には、君が殺したい相手――僕を除くと、後は一人だけ、つまりは最後の一人。その、最後の一人の居場所を教えようじゃないか」

「……!」

 その言葉に、少女の顔色が変わる。同時に、それを見た青年の顔色も。

お嬢さんレディ! 敵の居場所は僕が調べられる! この女の言葉に乗る必要はない!」

 血相を変えた青年の言葉を無視して、エルフリーデは言う。

「場所を教えるだけじゃなく、こちらからなら状況まで指定出来る。まぁ、悪い話じゃないと思うけどね」

 軽口めいたエルフリーデの言葉に、少女は唾を飲み込んだ。完全に、エルフリーデに乗せられている。

「何を、してほしいの」

「指定の場所、指定の時間に来て欲しい……って事さ。簡単だろ? そこで、思う存分やり合おうじゃないか」

「罠だ!」

 声を荒げて、青年が勢い良く立ち上がる。

「おお、怖い怖い」

「何が怖い、だ! お嬢さんレディ、こんなあからさまな罠に乗る必要はない! いや、乗ってはいけないんだ!」

 青年に向かって、エルフリーデは挑発的に笑う。

「ま、正直なところ、罠と言えば罠だよ。僕は十分に準備をしてから迎え撃たせてもらう。当然のことだね。そんな場所に突っ込むんだから、そりゃ、危険は大きいさ。でも、そっちにも見返りは大きい。そうだろう?」

「そうね……」

 エルフリーデの促しに、少女は頷いた。

「そうだろうそうだろう。まず第一に、仇である僕と戦う機会が持てる。第二に、勝てば次の相手の情報も得ることが出来る。第三に、事の真相を知ることも出来る。これほどの見返りが有るわけだ。破格だろう? さぁ、僕の要求、飲んでくれるかな?」

「飲む」

お嬢さんレディ!」

 青年の声を聞くこと無く、少女はこくりと頷く。その声音には、希薄な存在感からは想像もつかない、しっかりとした意思が込められていた。

「場所と時間を教えて」

「素晴らしい、素晴らしいよ。ありがとう。では、これを受け取ってくれ」

 エルフリーデは言いながら、胸元から親指くらいの大きさをした、プラスチックの物体――データメモリを取り出した。

「それは?」

「その中に、指定の場所と時間がデータとして入ってるんだ」

 言ってからエルフリーデは、手に取ったデータメモリをテーブルの上に置いた。それを少女は受け取る。

「受け取ったわ」

「くっ……」

 少女が受け取ったデータメモリを摘んで見せると、青年は苦々しく顔を歪めた。

「ありがとう」

 エルフリーデは恭しく頭を垂れる。これで、エルフリーデとしてはここでやるべきことは終わった。

「それでは、会場で待っているよ。あの黒い機体でやってくるといい。ドレスコードぐらい、指定してもかまわないだろ?」

「分かった。そこで、惨たらしく殺してあげる」

「楽しみだよ」

 言って、エルフリーデは席を立つ。

「あの、お客様……」

 そんな所に、店員がエルフリーデの注文したアイスコーヒーを持ってきた。間が悪い、いや、ある意味丁度いいか、とエルフリーデは考え直す。

「じゃあ、このコーヒーも僕のお願いと一緒に飲み干してくれると有り難いかな」

 言って、エルフリーデは少女と青年に背を向けた。

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