Ep.1 Blue Moon

Ep.1 Blue Moon 1


 明晰夢――夢を見ている最中であるにも関わらず、これは夢だ、と夢を見ている本人が理解できる夢が存在する。

 レディにとっては、今見ているものがそれだった。何度も何度も、目を瞑る度に見てしまう夢。あまりにも何度も何度も繰り返して見た所為で、それが夢だとすぐに認識してしまう夢。

 だが、これは必要な夢だ、とレディは考える。

 どれだけ、苦くて辛くても。いや、苦くて辛いから、苦しくて叫び出したくなるからこそ、反芻が必要なのだ。

 遥か昔、東の国の復讐者が、復讐心を忘れぬために、毎夜苦い肝を舐めたように。或いは、薪の枕で眠ったように。苦痛を反芻して、怒りを身体に刻みつけなければならない。

 そうして確認するのだ。

 自分が何者なのか、という事を。

 自分が何をしようとしているのか、という事を。

 その為に、レディは夢を反芻する。日常的な悪夢を反芻する。

 それは、レディがレディになる前の夢。ただの少女だった頃の夢だ。


 少女が育った家庭は、特段裕福というわけではなかった。

 その上、理由は良くわからなかったが、幼い頃から引っ越しが多く、少女には友達もあまり出来なかった。

 それでも、少女は構わなかった。少女は幸せだった。

 父と母が居て、それだけで良かった。

 母の優しい顔は、覚えている。覚えているけれども、少しだけ、記憶の中の顔立ちが霞がかって朧気になっていた。母が亡くなったのは二年前だ。そうなるのも仕方ないのかもしれない。それでも母が作ってくれたシチューの暖かさも、叱ってくれた声も覚えている。

 父の手の大きさを覚えている。覚えているのだけれども――

 ――どうして、この夢の父さんは、顔が見えないんだろう。

 レディが認識する父の顔は、まるで意図を持ってマジックで雑に塗りつぶしたかのように黒塗りになっていた。何処か朧気ながらも、目鼻立ちを覚えている母親の顔と違って。

 何故だろう、と考えて、理解する。ああ、自分は薪として、それをくべてしまったのだ――と。

 薪としてくべてしまったものは、もう戻ることはない。戻らないものの事を思うと、微かな寂寥感が胸を突く。

 立地点を失ってまで戦うのは間違っているのかもしれない。そんな自己否定も。

 だが、そんな感情は夢の中に消えていく。幸せな過去は、夢のその日に向かっていく。苦くて辛い記憶の底へと落ちて行く。

 

 ――それはとても青い月の夜。

 

 それ以外は、何時もと変わらない日だった――と思う。

 いや、少しだけ違うことも、無くはなかったか。料理の食材が、良いものだったような気がする。理由を父に聞いて――

 聞いたような気はするが、父の黒塗りの顔は、なんと答えたのかを少女に教えてはくれなかった。声ではない、不明瞭な音の連なりを、記憶の中の父は返してきた。

 今、父と少女が住んでいるのは湖畔の小屋。

 ここに越してきて、数週間が経った。何故ここに来たのかを少女は知らなかったけれど、とくに問題にはしなかった。住まいが変わるなど、母が亡くなってから何度目のことか分からない。もう慣れてしまった。

 いつものこと、それだけの話だったのだ。

 何処に居ても、通信機器を用いた授業でそれなりに勉強をして、てんで家事が駄目な父の代わりに炊事洗濯をして、それなりに遊ぶ事に変わりはない。

 湖畔の小屋は日当たりもよく、山中の割には暮らすにいい場所だった。少女はそこを気に入っていた。

 あちらこちらに行くのも、多分これで終わりだ――父がそう言っていたのが、嬉しくなってきた頃合いだった。

 少女はいつものようにベッドに入り、明かりを消した。

 静かな夜は、寝入りを邪魔するものも無かった。

 青い月が綺麗だとか、明日の朝食のために早く起きなければとか、そんなことを考えていたら、あっという間だ。

 そうして次に目を覚ました時に――少女は全てを失っていた。

 音、というものの概念を破壊するものを聞いた。いや、身体で感じた、というべきだろうか。ついで、衝撃だ。身体がベッドから吹き飛ばされるのを感じた。この辺りで、目を開けた。

 少女は身体をあちこちに打ち付けて、何事かと思って頭を上げた。

 ――そこにあったのは、地獄の光景だった。

 炎が、辺りを覆っている。

 部屋が、壁が炎で出来た屋敷になってしまったかのようだ。そして少女は、そんな炎の檻に閉じ込められた囚人だ。

 熱に炙られ、汗をだらだらとたれ流しながら、少女は父を呼んだ。

「父さん! どこ! 父さん!」

 少女の気は逸る。早く、早く逃げなければ。逃げないと。早く逃げないと――と。

 気が急くあまり、少女は色々なことを気にする余裕が無かった。

 例えば、これは本当に火事なのか。火の始末は間違いなく済ませたのに、火事が起こるものなのか。そして何よりも、先の衝撃や轟音は何なのか。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……がっ……」

 少女は立ち上がろうとして、出来なかった。身体が動かない。ごほごほと、咳が出る。目が痛い。涙が視界を覆うほどに流れる。

 このままだと、炎と煙に巻かれて死ぬ。そう、理解出来た。

 這ってでも、外に出ないと……額から流れる汗をで拭いながらそう考えて、少女は気付いた。青い青い月の光が、眩しいくらいに自分を照らしていることに。

「え、なんで……?」

 月光は、この場所が既に屋外で有ることを示していた。

 だとすると、燃えているのは、湖畔の大地そのものなのだという事になる。

 自分が先まで寝入っていた小屋は、吹き飛ばされでもしてしまったのだろうか。少女は、そう考える。

 だとするならば……

「何処へ――逃げればいいの?」

 少女の体から、力が抜けていく。肉体的にも、精神的にも。

 途方に暮れて、少女は上を――月を見上げた。

 そして、少女は見た。

 月を背にして存在する、四機の巨大なる人型の機械を。

 自分が見ているものが、ギアドールという、軍用の人型戦闘機械で有ることは、少女も知っていた。しかし、それを実際に目にするのは、初めてのことだった。

 四機の兵器は、それぞれが全く異なった姿をしていた。

 一つは宙に浮く、青白い機体。まるで、機体の上からインバネス・コートを纏っているかのようなシルエットをしていた。

 二つ目は地に立つ、黒い機体。鎧を着込んでいるのか、着膨れしているのか、全体的に膨れていた。その両手には、拳銃が有る。

 三つ目は高空で舞う、赤い機体。背から巨大な翼を――いや、あの鋭さは刃なのだろうか? 兎に角、巨大な何かを生やした機体だった。

 最後はそれらの中央に浮く、白い機体。西洋甲冑のような装甲を全身に纏い、長剣を携えた、騎士のような機体だ。

 そんな全く異なった姿の四機だが、共通する点として、頭部のデザインがあった。

 四機の頭部は全て、人間の頭蓋骨――髑髏のようなデザインをしていたのだ。

 死神、あるいは告死天使アズラエル

 四機のギアドールは、そういった何かなのではないか。そんな事を、少女は考えてしまう。

 だって、あまりにも恐ろしくて、それでいて威圧的だから。

 この地獄を作り出したのは、あの四機の告死天使なのだろう。現に、四機の告死天使は手持ちの銃火器を用いて、広がる森に火を点けている。

 あれらから逃げなくては。だが、一体何処に……?

 そう考えたときだった。急に、痛烈な感覚が左腕に襲い掛かってきたのは。

「あぁぁあ……いやぁぁぁあ!」

 自分の喉が、こんな――布を引き裂くような音を出せるのだと、少女は初めて知った。左腕に、痛みや熱さを超越した、強烈な感覚を感じる。何がどうしたのだろうと思ってそこを見て――

「ひっ……!」

 少女は喉を鳴らした。

 そこには、有るはずのものがなかった。肘の辺りから、彼女の左腕が消失していたのだ。

 先の衝撃……恐らくは、あの告死天使アズラエルの攻撃で吹き飛ばされた際に、千切れてしまったのだ。あまりに強烈な感覚で、何かが麻痺してしまい、それに今の今まで気付くことが出来なかった。

 そこから血が出ていないのは、焼け焦げてしまったからなのだろうか。だとしたら、それは幸運なのか不運なのか。

「い、いやぁァァァ!」

 様々な衝撃で麻痺していた感覚が、急に蘇る。痛くて熱くて冷たくて気持ち悪い。ありとあらゆる不快感が、少女に押し寄せてくる。

 思わず左腕を……先が存在しない左腕を振り回してえづく。

「あ、あぁあ、ひぎあ……ぁ」

 そんな身体の中で暴れる感覚を押さえ込むように右腕で存在しない左腕を押さえると、少女はその場にへたり込んだ。

 もう、駄目なんだろう。そんな絶望感が、少女の胸に押し寄せてくる。

 逃げよう、などという気に一度でもなれたのが驚くほどだ。もう、どうしようもない。逃れることは出来ない。

 それを、千切れた左腕と、そこからやってくる激痛という現実が、教えてくれた。

 自分は、これから炎に飲み込まれて焼死する。いや、それよりも先に息が出来なくなって死ぬことになるのかもしれない。

 どちらにしろ、間違いなく、死ぬ。

「う、うぅ……ひ……う、あぁぁ……」

 目から涙が溢れてくる。痛いし辛いし、もういっそ早く死んでしまいたかった。死ぬのは怖いけれども、死ねば痛くも辛くも怖くも無いのだから。

「もう、やだぁ……やだよぅ……」

 父はどうなったのだろう。逃げていればいいが、きっと死んでしまっているに違いないと、少女は思う。

 生きているのなら、父はきっと少女のことを探している筈だから。

 だとしたら、あぁ……

 ――私は今、死んでしまうのが良いのではないのだろうか。

 私を捜すのをやめて、逃げてくれれば――

 そう思ったときだった。

「いやぁ……それはどうかと、僕は思うな」

 声が聞こえてきたのは。


 その声が、少女と彼の出会いだった。

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