Ep.1 Blue Moon 4


 黒焔の外套を纏ったネメシスは速かった。

 瞬間的に、まるで空間そのものを跳躍するかのように青白いギアドールとの距離を詰める。

 肉薄する。頭が突き合い、視線が交錯する距離へと。人間同士ならば、互いの呼吸が混ざり合う距離へと。

 青白いギアドールが僅かに引き、ネメシスは攻めた。

「くら、え!」

 振り上げたのはネメシスの左腕/レディにはもう無い左腕。

 その左腕が変質する。巨大な爪持つ腕が一瞬で解けて拡がり、再度集合して別の形を成していく。出来上がるのは、一本の巨大な赤黒い刃だ。

 振り上げたその刃を、ネメシスは手刀のように振り下ろす。

 切り裂かれた大気が悲鳴を上げるほどの、鋭い一撃。それは飛び退いた青白いギアドールの布状装甲表面に亀裂を入れるに留まった。

「まだまだぁ!」

 変質していない右腕にも、大きな爪が存在している。もう一撃。今度はそちらを振るう。

 しかし、ネメシスの右腕が青白いギアドールを捉えるよりも早く、二機の合間に割り込んでくるものが有る。

 それは、青白いギアドールが出したドローンだった。

「邪魔ッ!」

 構うこと無く、ドローンを爪で砕く。機械が金属片となり、星屑のように中空へと散らばる。

 その間に、青白いギアドールはネメシスとの距離を開けていた。その上、二機の間には無数のドローンが浮遊している。まるで、海中に浮かぶ海月の群れだ。

 青白いギアドールに刃を届かせるには、この全てを掻い潜らなくてはならない。

 左手を伸ばす/青白いギアドールへは届かない。

 瞬間、ドローンが割り込んでくる。激突。衝撃/ネメシスのバランスが崩れる。

 青白いギアドールとの距離が開いていく。ネメシスが、落下を始めたのだ。

「くっ……くそぉ!」

 レディの心中に、漆黒の炎が燃え盛る。全てを焼き尽くし、自らすらも灰へと変える、悍ましい火力を持った、呪いの黒炎が。

 遠ざかる。

 青白いギアドールが遠ざかる。敵が遠くなっていく。

 悪魔の声が、レディに聞こえた。

「ネメシスは君のための力だ。君が望めば、姿や機能なんて容易く変える」

「なら――」

 届け、とレディは望む。

 心中に存在するドス黒い炎を、青白いギアドールに届かせろ/この炎で全てを焼き尽くしてしまえ。

 その令を、ネメシスは聞き届けた。

 左腕が変質する。大爪を持った獣の腕から、黒い刃へと変じたときと同じように、一瞬で解けて拡がり/周囲の風を切り裂き巻き込みながら集合する。

 出来上がった形は、大口を開けた獣の頭部のようでも有り、銃口のようでもあった。

 それが何を模したものか、何似ているかなど、レディにとっては重要な事ではない。大事なのはそれが有する機能の方だ。

 自らが望んで得た機能だ。当然、レディはその腕が有する機能を知っている。

「ネメシス――」

 レディの声に呼応して、ネメシスの左腕、その先端部で黒い炎が渦を巻く。レディの胸中にある、憎悪や怒りを、まるで外界に取り出したかのように。

 炎の勢いが頂点へと達した瞬間――

「――撃て!」

 レディが吠える/ネメシスの銃口が火を噴く。

 撃ち倒せ!

 打ち倒せ!

 討ち倒せ!

 落下しながらの砲撃。

 レディの意志を受けて、炎は火球となって空を炙りながら疾走する。

 進路上に存在するドローンを触れただけで――否、すれ違っただけにも関わらず――蒸発させながら、火球は青白いギアドールへと殺到する。

 しかし、それが青白いギアドールの元へと到達するよりも、青白いギアドールが火球の射線上から外れるほうが早い。

 空を切る火球。

「ならもう一度――」

 そう考えたレディを、衝撃が襲った。

「かっ……!」

 全身に襲いかかる、まるで巨人に殴られたかのような衝撃で、軽く反吐を吐きそうになる。周囲を襲う震えは、ネメシスが墜落した事を表していた。

 一瞬、視界が完全に白に包まれて、意識が切れる。穏やかならざる眠り。

お嬢さんレディ、起きるんだ!」

 しかしそれも、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。直ぐ様、飛んできた悪魔の声でレディは意識を取り戻す。

 レディの目に入った光景は――

「な――」

 光の線で、描かれた絵画――いや、グラフのようなものだった。空中で絹糸のように細い光の線が直線を走り、急な所で方向転換している。走る光線は無数。それが作り出す光景は、まるで星座のようだった。

 その不可解な光景がレディの視界に入ったのは一瞬。それが消えた瞬間。

「くっ……」

 微弱、といっても良い震えが、ネメシスの内部へと伝導してきた。

 光線が作り出す図形は、その終着点をネメシスの機体各所としていた。

「何、これ……!」

光学兵器レーザービームだ!」

 レーザービームが何かくらい、レディだって知っている。光を収束させて束ねたもので、フィクションなどでは兵器として使われることもある。だが、現実でも使われていたとは思わなかった。

「なるほど、ドローンを反射衛星として使うことで光線を収束させて、威力の問題を解決するわけか」

「感心してる場合なの……!」

「そうは言っても、見た目と技術はともかく、ネメシスに大したダメージを与えているわけじゃない。慌てることはないよ」

 確かに、ネメシスはレーザービームによる攻撃を受けはしたものの、行動に支障は無さそうだ。

 もっとも、それも攻撃を受け続ければ分からなくなるが。

 ネメシスに上体を起こさせようとした時に、再度光線が空間に走った。

 まるで弦を弾いたかのような音と共に、光の檻のようなそれが、夜気を焼く。

「うっ……」

 機体自体にダメージはあまり入っていない。しかし、動作の出掛かりを咎めるかのようなその攻撃で、再度ネメシスは背を地に着ける。

 これを続けられれば、レディに勝ちはない。

 レディは思考する。

 どうする/どうすればいい。

 勝つためには、何が必要だ?

 考える間にも、光の雨は降り注ぐ。一筋一筋のダメージは毛ほどのものでも、積み重なることを無視は出来ない。

「どうする――? まさか、諦めるのかい?」

 悪魔の煽りもまた、レディの耳へと降り注ぐ。

 諦める? 諦める訳がない。全てを焼き尽くす、その瞬間まで。

 怒りの炎を燃やしながら、レディは吐き捨てる。

「ネメシスッ!」

 必要な物は二つ。一時的にでも、攻撃を防ぐための盾/そして、青白いギアドールに刃を届かせるための、翼。

 外套では足りない。求めるだけ強くなれ、ネメシス。

 さぁ、生まれろ。

「はじき飛ばせッ!」

 瞬間、ネメシスの全身から、まるで爆発するように黒い焔が噴き出した。ネメシスが纏っていた黒焔の外套もまた、それに飲まれる。

 それはそのまま消えること無く、ネメシスの周囲でうねりながら渦を巻いて、天へと登る炎の竜巻となる。

 炎が酸素を消費し、周囲の酸素を取り込むことで、上昇気流はどんどんと大きなものになっていく。

 立ち昇る炎の渦は、火災旋風と呼ばれる現象だ。

 火災旋風の高さは、ネメシスよりも、空を飛ぶ青白いギアドールの高度さえ越える。熱が風を生み、風が音を鳴らす。蝗が麦を食らうように際限なく規模を広げていく、悪夢の如きものがそこにあった。

 ぎり、ぎりと機体を軋ませながら、ネメシスは火災旋風の中央で立ち上がる。

 外套とは比べ物にならない密度となった黒い火炎の壁をレーザービームは貫いてくる。しかし、レーザービームは進行経路に何かがあれば、それだけで威力を減衰させられる。

 揺らめき沸き立つ炎を突き破っては、最早雨粒にも等しい火力しか発揮出来ない。

 だが、これではまた、レーザービームを無害化したというだけに過ぎない。

 あの青白いギアドールを撃ち落とすためには――

「行くよ、ネメシス!」

 レディの声に従って、ネメシスは身体から噴き出していた炎を引き寄せる。黒い焔がネメシスに吸い込まれ、まるで機体に巻き付くかのように変じていく。

 完成したのは、黒焔の外套だった。

 いや――違う。もっと硬質な、装甲を上から外套のように纏ったものだ。

「飛べ!」

 地を蹴って、瞬間的にネメシスは漆黒の弾丸と化した。

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