資本主義世界≪イキルセカイ≫

 

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 人類が狩猟や採集を生業としていたころの話。ある人々は木の実がたくさん取れる木を知っていて、ある人々は狩猟を得意としていた。それぞれ木の実と肉を手に入れることには事欠かなかったが、満足な食生活を送れていたとは言い難かった。木の実だけではなく肉が食べたいと思う日もあり、また肉ばかり食べている日々に飽きて木の実を食べたいと思うようなこともあるそれぞれ別の人々がいた。人々はそれぞれ欲しいものを探し求め、歩き、やがてこの二つのグループは出会った。相互利害が一致したこのグループは互いに木の実と肉を一定の量差し出し、より満足のいく生活を送るようになった。


 これが物々交換の始まりである。


 しかし、人は木の実や肉の他に魚も食べたいと思い始める。そこに漁を得意とする人々が現れ、肉や木の実とこの魚を交換しようと申し出た。ここで生じた問題が交換条件だった。魚を食べたいのは肉を持っている人も、木の実を持っている人も同じである。一方で魚を持っている人の肉と木の実に対する嗜好は異なり、そこで差異が出てしまうのだ。木の実よりも肉を求めていたとすると、木の実しかない人々は十分に魚を得ることができない。


 そこで人々は交換条件を平等にするため通貨を生み出した。


 初めのうち通貨は流通機能を持っており、それが主たる役割だった。木の実が欲しい他の人たち――例えば土器の制作に長けた人たち――に木の実を渡し、通貨を受け取る。その通貨と魚を交換することで十分な魚をようやく手にすることができる。魚のを持つ人々は結果的に十分な肉と通貨を手に入れる。その通貨は他のものと交換することができ、より彼らの嗜好を満たすことができる。通貨さえあれば、なんにだって交換できる。


 通貨は価値を会得し、これが独立し始める。


 通貨を得るためには人が欲しがるような物を生産し、それを相手と通貨を交換することで増やすことができる。通貨を増やすことができればその通貨で手に入れることであれば何でも手に入れ、または行うことができる。人々は通貨を求めた。しかし、生産手段を持たないものは通貨を手にすることができない。生産手段を持たない彼らは、保有する人間の下に行き、分けてもらえないかとお願いをした。生産者は彼らに言う。では、私の生産物を共に一日百個生産してくれないか。さすればそのうちいくつかを君たちに差しあげよう、と。


 こうして労働者が生まれた。


 生産者はやがて自ら生産せずとも労働者が生産してくれるようになったことで、自動的に懐に通貨が手に入るようになった。毎日一人の労働者が百作り、そのうち四十を彼に与え、そのうち二十を生産のために必要な費用とし、残りの四十を自らの懐に入れる。生産者は生産するための材料を揃えるだけ。どんどん所持通貨が増える。


 こうして資産家が生まれた。


 資産家は自らの資本――所持している通貨――を拡大・増大させるために技術力を向上させたり、効率の良さを求めた。これは国の発展に寄与することに繋がり、やがて産業革命と呼ばれる現象が起きる。資産家は工場を立て、そこで労働者を従事させた。より利潤――資産家の懐に入る通貨のこと――を生み出すため、労働者の賃金――労働者が生産した生産物の内、労働者に与えられる通貨のこと――は自然と減少していった。利潤を手っ取り早く増やすためにはこれが一番早い。さらに賃金を、人件費を削減するために子供を働かせた。より低い賃金で働かせることができるからだ。それは、一家の稼ぎ頭は夫であり、女や子供は副収入でしかない。よって低賃金でも構わないだろう、と資本家は言ったのだ。労働者の賃金を下げて、女性や子供が働かざるを得ないような状況に追い込み、彼らは彼らにこの構造を飲み込ませた。


 さらに多くの通貨を、金を手にしたいと考えた人々は工場を増やすことにした。しかし、その土地がない。そこで国はある法律を作り上げ、農民を追い出し、その土地に工場を立てる土地にした。武力によって強制的に追い出された農民は住む土地と生産する土地を失った。彼らは行く当てがなく、街の隅に身を寄せ合って住むしかなかった。


 街には無職の労働者が増加し、スラム街が形成された。


 この事態を見た国はなぜこの人たちには職がないのか考えたとき、彼らが怠惰だからという結論を出した。だからといって、国民をこのままにするわけにもいかない国は彼らに救いの手を差し伸べる。


 世界初の社会福祉『救貧法』が成立した。


 これは、職のない人に働くための環境、つまり職業訓練所を作りそこで働くための技術を教えて工場で働いてもらおうという物だった。もちろん、これは表向きでありその実態は強制労働所への強制収容である。さらに、一定期間職に就けない人間はその怠惰に対して鞭を打つのである。


 怠けるな。働け。そう言って鞭を打つ。


 それでも、その後に就職できない人間は国家にとって不要とみなして処刑する。人々は働かなければ、就職しなければいけないと思うようになる。鞭に打たれたり、死刑になるのは嫌だからだ。よって親はわが子にこう言うのだ


「どこでもいいから就職しなさい。そのためにいい大学に行き、よりいい職に就きなさい」


 世界初の社会福祉である救貧法とはこういうものであった。


 やがて資本家は自国からではなく、他国からその富を収奪することを覚える。



 新大陸の発見である。



 資本家はそこにいた先住民から資本を根こそぎ奪って自分の物にし、先住民の多くを殺した。しかし、多く殺しすぎてその土地に人がいなくなってしまった。資本家は労働力を確保するために他の大陸から人を連れてきて働かせた。これが奴隷である。奴隷として連れてこられた人たちはただただ、タダで働かされる。その土地で生産された物はすべて直接、資本家の物となる。ここで、その資本家たちはそんなに稼いでどうするのかと疑問に抱いた方もいるだろう。簡単である。神に祈るための施設を作ったのだ。死後は無事に天国に行けるようにと、神様に祈るための場所である教会を作った。もちろん、人々の生活を豊かにするための発明や開発、美術や芸術の発展のため、軍事力を増大させて国の権力を維持するためなどにお金は使われた。国の発展は多くの場所から強奪して、自らの物としてそれを元手にさらに大きく発展させた結果である。その結果というのは格差である。格差は強奪されることによって生まれ、貧困でなかった者が貧困になり、やがてそれは争いの火種となる。


 戦争だ。


 だが、資本を増大させていく国と奪われて力を失った国の戦争。技術も軍事力も圧倒的なまでに差がある。そして負ければその土地は植民地となり、さらにその国の利潤のために利用される。


 こうして大国と小国が生まれた。


 しかし、労働者だって黙って指をくわえているわけではない。団結して抗議し、そのたびに武力で多くが殺されたが、自国民をただ一方的に殺すわけにはいかなくなった。

 世界中に資本家が進出した結果、世界は繋がっていきそれは同時に世界の国際化を意味していた。国際化した世界の目や流れに押されて、労働者の条件を受け入れる企業や国が多くなり、それが推進されるようになった。


 だがこれは大国の理論である。大国の中で労働者は手厚く保護され、多くの法律に守られるようになった。生産者、企業が労働者を働かせて生産物から費用を引き、さらに利潤をそこから搾取し、その残りかすをあたかも一時間当たりの給料として、月辺りの給料として支払う。あなたは一ヶ月にこれだけ働きました。よってお支払する給料は幾らですって支払うのだ。あなたが一週間のうち五日間朝から晩まで働き、時又は常に残業をして帰宅する。残りの二日は労働力を再生産するために休養として使い、また五日間働く。そして一月後に手にするひと月分の給与はその努力の証で、成果そのものだと思うのだ。


 思わされているのだ。


 話を大国と小国に戻す。世界が一つになって、世の中は自由になった。何が自由になったか。それは労働を強制させる自由である。


 国同士で貿易――物と物を交換すること。多くは物と通貨の交換――する際に、どうしても発生する力の格差。人々は歴史から学び、教訓として関税というシステムを作った。これによって、むやみやたらと他国から商品が流れてくることはない。国内の生産を他国の安い生産物から守り、自国の経済と国民生活を保護するのだ。しかし、こうなると困ったのが資本家である。国内では労働者が手厚く保護されて、思いっきり搾取することができない。外国においても、関税や法人税、その他規制によって利潤を生み出しにくくなってしまったのだ。


 そこで考え出されたのが労働を自由に行うということである。先進国と呼ばれる大国では十分に教育が施され、経済的環境が整っている。だが、発展途上国、主に大国によって富を強奪された国は未だ経済が十分に発達しておらず、貧困層も多い。そういった経済の多くは外交への輸出に頼ることが多いのだが、そこへ自由の名の元に、国際化の名の元に多国籍企業が進出してくると一変してしまう。小国の貧しい人々はより安い外国製品を買うのだ。すると、国内の業者や生産者の経営は苦しくなり破産。街の隅に肩を寄せ合ってくらすようになり、そこにスラム街ができる。国経済はますます悪化し、大国から借金するようになる。そして大国は言うのだ。経済的援助をするためには、国際的競争力を身に着ける必要がある。関税や企業参入への規制を撤廃せよ、と。借金しなければ国が立ち行かない小国はこれに従う。国内にはより安い外国製品が押し寄せ、失業者が増える。そこへ大企業が仕事を持ってくる。失業者へ超低賃金で働かせるために。失業者は国内で生産しても外国産の製品に勝てないので、言われたとおりに働くしかない。一日膨大な課題を課せられ、それをこなせなければ無給。最悪クビになる。課題をクリアしてももらえる賃金はごくわずか。一日一ドルとかその程度。労働者は限界になるとストライキするが、武力で制圧される。街で抗議すれば国の警察に殺される。これを先進国である大国では『大規模なデモが発生。警察と衝突し、死者が出る』と報道。治安が悪いとか思われる。武力行使はこうして正当化されるのだ。


 彼らは神に祈り、神に祈るしかない状況になって抵抗するために先進国である大国にテロを起こす。大国は蓄えてきた富による武力で制圧し、支配下にする。そこでの政治を支配。半植民地状態となった。


 戦争が起きれば、世界経済は悪くなる。経済が悪くなると大国の企業は労働者をリストラする。大国の失業者は仕事を求め、低賃金でも働きたいと願う。正規労働から非正規労働へと労働者は移り、低賃金労働が国内でも合法化される。人々の格差は拡大し、その不満は様々な凶悪事件を引き起こす。


 国の政府は再び制度を作り、低賃金労働を認めつつ彼らに少しばかりの保証を与える。一方で国内に経済特区を設け、そこでは国内の手厚い保護や規制のない場所とするような法案を提案している。新たな搾取が始まろうとしている。これが、今現在である。


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「私たち神はここに救いの手を差し伸べたの。生きているのは辛い。快適に生きられるのは一部の人間だけで、多くの人は搾取される一方だ。働くだけの人生は嫌だ。でも死ぬのは怖い。死にたくない。でも生きるのは苦しい。大国でも、小国でも、人類はこのような世界に生きざるを得なくなってしまった。だから私たちは提案した。神の世界で、生きてはみないかってね」


 マザーはこのような長い、永い、今に続く昔話を話してくれた。これが姉さんの知ったもう一つの真実。資本主義社会という現実世界の真実。このような、どうにもならない世界で人々は神を求め、神はそれに応えるようにして世界を創った。それがここ。能力を使って現実世界に干渉し、生きているとも死んでいるともいえない状態で神の世界で神のために働く。現世と違うのは、金のためではなく神のために働くってところぐらいだろうか。


 俺は思う。


 神の世界の真実は神が生き残るための陣取り合戦。現実世界の真実である資本主義世界によってここは生み出されたということ。そうすると、姉さんが思ったことは。するべきだと思ったことは。玄を裏切って白に寝返った理由は。


「影人さん。あなたはどうするの?」



 俺は、真実を知ってどうするのか。


 そんなのは愚問だ。



 答えは既に出ている。

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