いつだって九鼎大呂のためではなく、他人のためである


 ***


 もちろん、この時に答えは得られなかった。しかし、マザーが今言っている誘いを受ける前の言葉というのがもしもこれであるのであれば、俺は自分に与えられた能力が本当は何なのか。この黒と呼ばれるものはなにか。白と対立している理由も分かるかもしれない。俺はずっとこの時を待っていた気がする。


 しかし、ふと俺は思う。なぜこのタイミングなのだろうか。

 

 俺がこの状態になったその時ではなく、能力を得たその時ではなく、今この時なのだろうか。俺はそこが少しだけ引っかかった。


「シャドウはクロっていう漢字は分かるかしら」


 漢字? 〝黒〟だろ。分かるよそのくらい。


「他には?」


 なんだ? 他にはって。そういえばさっきもそういうこと言っていたな。マザーは俺と言葉遊びをしたいのか? それとももうそれが答えだって言うのか? まあ、とりあえず答えるとしたら〝玄〟とかかな。〝玄人〟って使うし。


「その漢字他にはなんて読むのか、分かるかしら」


 玄? ゲンって読むよな。玄米とか、玄関とか。


「そう。それがクロの意味よ。大丈夫、それだけ覚えていればある程度落ち着いて受け入れられるわ」


 

 え? どういうことだよ、マザー。クロは漢字で書くと玄ってことなのかい。でも、それだけじゃ、意味が通じないし、この得体のしれない能力もよくわからない。俺が知りたいのはその根源というか、この組織が本当の目的が知りたいんだ。

 

 しかし、マザーはこれ以上を語ることはなかった。少なくとも今日はここまでだった。

 

 マザーはこの巨大な組織をクロと言った。だから俺はそのまま黒だと思って、これまでこの組織のメンバーが行ってきたことを俺もならって実行してきた。きっと、いつか時が来たらきちんと説明してくれるものだと思っていたから、頑張ってきた。マザーはいつも自分の考えに素直に従って行動しなさいと、視点を変えれば生きにくいような世界も実はそんなことないのよ、と言っていた。正直、生きているのか死んでいるのかさえ判別がつかない俺だ。自分が今どのような立場、状況に置かれ、どういう状態なのか分かるまでは組織の長であるマザーの言うことを聞くことに決めたのだ。俺は他に奇策が思いつくことができるような頭は持ち合わせていなかったし、過ごすうちにある程度は信頼できると思えた。それはマザーだけでなくチームのメンバーの優しさを感じることができたのもある。他のメンバーに尋ねたことももちろんあるが、皆がはぐらかした。

 

 俺は結局大事なことは何も知らないのだ。

 

 「シャドウ、明日は早いのよ。少し休んだら?」

 

 時刻は午前三時の二十分ぐらい前だった。約束の時間まで、あと三時間三十数分である。その口ぶりと、そのニュアンスからどうやらマザーは眠たいらしい。確かに夜更かしが過ぎる時間だ。体調を考えたら今すぐにでもベッドにもぐりこみ、布団をかぶって夢の中へと行くべきである。俺はマザーの言葉に頷いた。これ以上野暮なことを聞く前に俺も頭を休めようと思った。

 

「じゃあ、お休みなさい。マザー」

「ええ、お休み。シャドウ」

 

 

 

 俺はマザーのところを後にし、再び曲がりくねった机のある階に上がってきた。電気はすでに消され、薄暗くなった部屋には静寂と悲哀に満ちていた。当然このまま寝ることができるほど俺は良い子ではない。色の判別が付きにくい環境で俺はメーカーにスイッチをいれた。ドリップ終了までの残り時間が九分五十数秒であることをデジタルで表記し始めたので、俺は冷たい壁に凭れつつ床に座り込んで考え事を始めた。


「これが、玄……」


 どこからともなく現れた一枚のカードにはピエロが描かれており、一目でジョーカーであることがわかった。このカードだけは他の五十二枚とは違う。一定の役割を与えられた群れからはみ出した余りモノ。二度と群衆には混ざれない異端モノ。時に最強のカードとして扱われ、時に最後まで残っていることが呪いの象徴であるかのように扱われる。最弱にも最強にも成れる点では周囲の環境に左右されやすいやつだと言える。他のカードの方が世界の規則ルールに従わされているようで、最も自分で価値を決められないでいるのがこのカードであると、俺は思っていた。


「ブラックカードだなんて、皮肉だな」


 黒の上塗り札ブラックカードと呼ぶのはその無慈悲な副作用ゆえ。どんなに強力でも微弱でも使用者にもたらす、いや求める代償は変わらない。支払わなければいけないものはどちらでも黒だ。さらに、このカードを使うのはいつだって九鼎大呂のためではなく、他人のためであるところがより皮肉さに拍車をかけている。他人のためにその人物の周囲を偽創する。


 コーヒーメーカーが全ての工程を終了した、俺は労働を、勤めを果たしたと悲鳴上げた。俺はちらりとそちらの方を向き、ご苦労さんっと声を掛けながら有り難くその珈琲を頂くことにした。


「やっぱ苦いな」


 あの喫茶店の珈琲でないと異様に苦くなってしまったこの体質もまた、その代償なのかもしれないと思いつつ俺は朝を迎えた。

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