神世界≪シゴノセカイ≫
仕方がないといったふうに立ち上がり、部屋の奥の方へ歩いてそれから消えた。三人は一様に驚き、恐る恐るそこへと足を向ける。すると声が聞こえてきた。
「女はおよびじゃないんだ。そこで座って待ってな」
この言葉通り、この不可思議な部屋の中の別の部屋、というか空間に足を踏みいれることができるのは俺だけのようだった。ミソノは俺に視線を送り、意を決して全力疾走したがそのまま壁に激突した。星はいつまでも不安そうな顔をしていて、動けるのは俺だけだった。
「早くしな。気が変わったらもう二度と教えてあげないよ」
「今行く」
俺はゆっくりと歩く。音を立てないように。埃をまき散らさないように。マザーが消えた辺りで俺も先ほどの部屋ではない場所に入った。
そこは不思議な場所だった。三百六十度のプラネタリウムといえば想像しやすいだろうか。それはただ壁に貼り付けた星々ではなく、奥行きがある宇宙そのもので、俺はすぐに圧倒されてしまった。しかし、ここが宇宙だとすると俺の周りには何にもなかった。惑星もガスも塵も全くなかった。だから俺はプラネタリウムというのが妥当な表現だと思った。また、腰を抜かして座り込まなかったのはこれまで非日常的日常の中で生きてきた他ならない、と自分でも素直に思えた。
「こっちだよ、影人」
「だからそれは生きていた時の名前で――」
亀がいた。
蛇もいた。
俺の後ろにいたのは一つの概念よりも巨大な亀と蛇だった。口から煙でも吐きそうながっしりした風貌の亀に、蛇がその体を亀の甲羅から腹に掛けた二週ほど巻きつけながらその存在を顕示させていた。どちらともこの世の――現世で生きていたころの――世界にはいなかった未知の種類だと俺は思った。なにせこの亀は亀のくせに足が長い。よく見れば蛇はその足にもその体を絡みつかせているようだった。亀と蛇はどこか古代の遺産のように思える出で立ちで棒切れでつつけば今にもカサカサと崩れそうでもあった。
「玄武は亀蛇、共に寄り添い、もって牡牝となし、後につがいとなる。――影人は四神を知っている?」
「いや、知らない」
亀も蛇も全く動かなかった。口も光が宿っていない目もその異次元の体も微動たりともせず俺の鼓膜を震わせる声が聞こえた。この声は俺の知っているマザーの声とよく似ており、この状況からするとマザーはこの亀か蛇、もしくはその両方ということになり、今の言葉はこれから発せられたと思うのが妥当か……。
「東西南北を四つに分け、それぞれの方角に置いた神のこと。北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎。私はそのうちの玄武に該当する。あなたがあの子からどんなふうに何を聞いたのかは分からないけど、たぶんそれは全部そのまま本当だと信じていいわ。だって、あの子に真実を教えたのは私だからね。――そうね、もう少し詳しく説明すると、〝黒〟って呼んでいた能力やチームは〝玄武〟の〝玄〟のことよ。同じく〝白〟は〝白虎〟の〝白〟。ジェネシスなんてのはカモフラージュのためのルビってところね。どうして争っているのかっていうと、それは神々の争いって言った方が分かりやすいかしら。陣取り合戦よ。私はあなたたちの働きによって黒の世界を、玄によって創られた世界を増やして自分の陣地としていく。白はその黒に覆われた真実を探り、看破することで再び白の世界へと戻す。建前だと、
どう、思うって……。なんだって? 神々の争いだって? 俺たちが本当に信じてきた信念は、誰かを助けるためにこの能力があるのだってのは、まやかしで俺たちを盲目にするためのものだってのか? 俺が普段から一つの作戦の裏に真の目的を隠して行動しているように、それらすらもすべては神の権力維持のためだってのか……。
「なんで、争っている」
俺は自分の中に回答を持っているくせに質問した。神とか言う、俺が普段マザーとか呼んでいるはずの亀と蛇に向かって質問だけをした。
「理由? 生きるためよ。神様っていうのは人間が信じなくなったら死んじゃうの。でも、宗教離れ、無宗教、不信仰は広がるばかり。神に縋る必要のない世界になってきたってことね。それはそれで嬉しいような、悲しいような気もするけど――ああ、神様だって人のような感情ぐらいは持っているのよ。脱線したわね。生きるために、能力を維持するためには信仰が必要。だから代わりに信仰の証となるような世界を創り、それを自分の糧とするの。日々の拡大は私の生命線であり、健康そのものなのよ。分かってくれたかしら?」
意図して争っているわけではないってことか。生きるために講じた策が白の理念、平たく言えば思考の琴線に触れた。白が手を出さなければ争う必要はないし、白からすれば玄がむやみにやたらに偽信仰を、世界を創らなければ争う必要はないってことか。だけど、この理論で言うと、他の神はいったいどうなって――。
「ああ、そうね。そのぐらいなら教えてあげられるわ。白虎は正義とか、誠実さを重んじるのよ。まっとうに生きる人がいる限り、つまり人類が滅亡しない限りは神の世界にいるのよ。朱雀、朱の子にはもう会ったことがるでしょう? あの子が得意とするのは魔法。魔法なんて言うのはそれこそ魔法なのよ。幻、ファンタジー、オーパーツとかそういう類の作られたもの。偽物そのものなの。だから彼らに存在着なんてものは必要ないわ。だって、あるはずがないのに存在しているのだから、あってないようなものだもの。なくなれば作ればいいし、不必要ならば消してしまえばいい。あくまでも中立である立場を崩すことはない。崩す必要はない。あとは……青の龍ね。難しい漢字の〝龍〟と簡単な漢字の〝竜〟がいるけど、あの子たちは消えたわ。幻の、伝説上の生き物として語り継がれて、人々のあこがれの対象であった時もあったみたいだけど、
もうめちゃくちゃだった。俺が人間世界で生きてきた理屈などひとっつもありゃしない。ここまでは人間は神のためだけにあり、神は人間のために存在している。一見すると相互関係は良好で成り立っているように思えるが、それはこの事実を知ることができればだ。死後の人の魂が神の手によって、直接救済されてその使いとして、能力者として働く可能性がどれだけあるのだろうか。そして、そのうち真実をこうして直接語られる者はその中でどれほどいるのだろうか。全体統計を取ることは不可能に近いわけだが、俺の目測であれば、俺と姉さんの二人だけだと推測できる。
「あなたの親だった彼女――光はこのことを私に問い詰めたわ。それからしばらくして、白虎の軍勢に加勢した。直接的な戦闘が増えたのは彼女が向こう側についてからだわ。
姉さんはただ裏切ったわけじゃあなかった。そこには列記とした、愕然とした確固たる事実による理由があった。だが、だけれどもそうだろうか。それだけのことで本当に姉さんが。あんなにも思いやりがあって、面倒見があって、背中を一番に預けられた姉さんが。
心変わりとか、ただ何となくの理由のない身勝手な理由で裏切ったのだと俺はマザーに聞かされていた。もちろんそれを鵜呑みにはしなかった。何かほかに理由があるのだとは思っていた。それでも、裏切ったという事実だけに逆上して、感情をただぶつけていた自分がいたのもまた事実。
姉さんはすぐに裏切ったのだろうか?
俺だったらどうする? 俺が姉さんであり、姉さんのように考えて行動するとしたら。まず、マザーを説得するはずだ。何か他の方法はないのかと。白を説得する手も考えたはずだ。だって、そこにどんな裏事情があろうと俺たちが多くに人たちを運命や世界から救ってきたのは真実なのだから。
「さすが影人さんね。初めて会った時に推理を披露されたときに私は感心して、それが子供に向かい入れる決め手だったのだけれども、光さんのことになると尚更だわ。影人さん。あなたの考えている通りよ。――ああ、神様だから神通力が使えるのか? とかそういう野暮なことは聞かないでね。それよりもあなたのお姉さんが裏切ってしまった理由をあなたにも話してあげるわ。あの子だけっていうのも不公平だしね」
「なぜ俺には話せるっていうんだ、マザー。俺だって裏切るかもしれない」
「そうね。でも、その前に私はあなたの母親なの。親は子に教育を施す義務がある」
マザーは言った。
さあ、教えましょう。世界のことを。大丈夫よ、すっごく単純で簡単なことだから。
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